2017年01月06日

『青い影』

『青い影』の原題のA Whiter Shade of Paleは、蒼白さが、より白さを加えた色合いになったという意味なので、「青い影」というのは、原意を伝えていないので、最近では、いろいろな表記がなされているようだが、歴史性を重んじて「青い影」という表記を変えないでおく。


プロコルホルムの大ヒット曲だったこれは映画『ストーンウォール』でも使われていて、まさに時代を象徴する一曲でもあったが、私にとっても、この曲は、高校時代の思い出とともに、頭にこびりついて離れない。


名古屋の高校生だった私は、バスで栄まで行き、そこで地下鉄に乗り換えて、ファインモールドがプラモデル(500分の一)を造った愛知県庁の前を通って高校まで通っていたのだが、バスと地下鉄との乗り継ぎがスムーズに行かないときは、栄の地下街の書店で時間をつぶしていた。


今思い出すと、べつにバスは1時間に一本というようなローカル線ではなく、1時間に何本も発着していたので、どんなに長く待っても10分か15分くらいで次のバスが来たのだから、バスターミナルの乗り場で待っていてもよかったのだが、1本くらいバスをやりすごしても、地下街の書店で本を見て回ることに関心があったのだと思う。


ほぼ毎日書店で本をみていたのだが、受験参考書から、一般書、雑誌、マンガ、すべてのジャンルにわたってまんべんなく見ていて飽きなかった。みているだけで、あるいは立ち読みするだけで満足して、めったに買うことはなかったのだが、その書店(いまでも地下街にあるのだろうか、「日進堂」)で、毎日、かかっていたのが、プロコルホルムの、この『青い影』だった。音楽にとくに関心がなかったので、曲に関する情報など何も知らなかったが、印象に残る曲であることはまちがいなくかった。確実に耳に残った。この曲を聞くと、条件反射のように口腔時代のことを思い出す。


実際のところ、書店は、毎日、その曲をかけていたか、疑わしいし、私の高校生活三年間のうちに、曲だっていろいろ変わっただろうし、また今にして思うと、それは書店が店内に流してた曲なのか、あるいは地下街全体に流れていた曲なのかすら、定かでないのだが、私の記憶では、その書店は三年間毎日この曲を店内に流していた。時がたつにつれて、この曲は、幻想的な曲想とあいまって、ますます頭のなかに深く刻み込まれ、高校生活そのものにとってかわる位置を占めるようになった。まさに思い出の曲なのである。


と、これで終わりなのだが、しかし、さらに書くと、この歌詞について、それがよくわからないものであること知ったのは、ずっとのちのことだった。And so it was that later(←これは歌詞の一部)。


今回、ネットで歌詞を検索してみたのだが、またYoutubeで動画もみてみたのだが、「薬のディーラーが」という訳をつけているものがあって、はたして、そんな歌詞だったのかと、あらためてみなおしてみた。


そのなかにAs the miller told his taleという一行があり、millerは粉屋だから、粉→ドラッグというイメージがわいたのかもしれない。millerに麻薬の売人という意味があるのかどうか、私は知らないのだが、しかし「粉屋」だから「麻薬の売人」というのは、発想が日本語でしょう。そんなばかな。


Millerというのはミルmill(ひきうす)を回す人ということ。直訳すれば「ひきうす回し人」。そして意味は穀物をひきうすでひいて粉状にする人、つまり粉屋ということ。さらにいえば粉屋は、粉まみれになっているというイメージもあって、millerには蛾や鱗粉というイメージと結びつく。これはふうつに辞書に書いてある。そこから麻薬の粉という発想がでてくる。Millerは、意味は粉屋だが、英語の文字に「粉」のイメージはない。


しかし私は、英文学者のはしくれで、チョーサーのファンでもある。私は大学院を修了してからも、一時期、私以外の友人(私にも昔は友人らしき人達がいた)二人とチョーサーの『カンタベリー物語』の読書会をつづけていた。ただ、べつにチョーサーの研究家でなくても、チョーサーの読書会をしなくても、英文学者なら、As the miller told his taleから、チョーサーのThe Canterbury TalesThe Miller’s Taleを連想する。


この「粉屋の話」は、艶笑譚で、読書会では読んでいない。実際、これを読書会で丁寧に読むと、ちょっと恥ずかしくなる箇所が出てくるので。


赤裸々な官能的描写はない。ないけれども、思わず、ドキッとするような露骨な表現があって、これには誰もが感心するし、また赤面する。だから、ここには書けないのだが、それはともかくとして、粉屋の話は、粉屋ではなく、大工の女房が、夫、書生、役人(だったか?)の三人の男たちを手玉にとる話である。


『青い影』の歌詞は、この「粉屋の話」The Miller’s Taleと関係するところもあり、男を翻弄してきたファムファタール的な女性が、そのことをなんとなく指摘されて、あるいは過去の裏切りの体験を思い出したか、思い出させられて、蒼白になるというイメージがある。


あまり歌われることのない三番か四番の歌詞にはIf music be the food of loveという一行があって、これはシェイクスピアの『十二夜』の冒頭の一行でもある。文学作品を踏まえていたりするので、このことからも、チョーサーの「粉屋の話」は偶然ではないような気がする。


この曲の歌詞は、なぞめいた、曖昧模糊とした雰囲気を漂わせているので、よくわからないが、失恋の歌だとも考えられる。しかし、解釈はひとつに決まらないからこそ、作品の魅力が増すとも考えられるのだから、麻薬によるトリップを暗示的に描いているという解釈も、可能だろう。


いやそもそも、曲自体が、文字表現を、意味媒体ではなく、音楽媒体として使っている。私は高校生の頃、この曲を毎日書店できいていたが、英語の歌詞はまったくわからなかった。しかし、それでいいのであって、言葉にメロディをつけたというよりも(つまりメッセ―ジ・ソングとはいわなくとも、何らかの内容をもつものというよりも)、メロディ先行で、そのメロディを活かし、歌いやすいような歌詞をつけたということだろう。



ア~ア~とか、ウ~ウ~で、メロディを伝えるよりも、歌詞をとおして伝えたほうが、伝わりやすい。しかし、機能性重視で、あまりにも脈絡がなさすぎると、逆に、メロディを、そこなうから、なんとなく隠れた主題がみえかくれするようは、ぼんやりとした脈絡をつけたということだろう。


したがってメロディ先行だから、歌詞そのものは明確さを失っていく。そのため曲と歌詞との関係は、酩酊状態になる。言葉が発せられているのだが、その意味が宙に浮いているような。そしてこのことを歌詞そのものが意識している。酒場での酩酊状態が、またひょっとしたらドラッグによるトリップが歌われているかもしれないからだ。いずれにせよ、言葉はメッセージやテーマを伝えるというよりも、うわ言になる。


ちなみにThe ceiling flew awayという表現があって、ネットではたいていのサイトがそれを屋根が飛んでいってしまったと訳している。いくらドラッグでハイになった状態の比喩だからといって、竜巻でも襲ってきたのか。屋根が飛ぶ? 辞書で確認することすら、**はしないらしい。Fly awayというのは、旗や、こいのぼりなどが、風であおられて、パタパタとはねる、はためく、なびくこと。歌詞の前後関係から判断すると、喧噪、騒音で、天井板がぱたぱたとはためくほどだったということ。つまり音響で、天井板が震えたというふうにもとれる。これだけでも十分に誇張表現だが、天井が吹っ飛ぶというのは、いったい頭のなかがどうなっているのか。まちがいなくふっとんでいる。

posted by ohashi at 06:38| エッセイ | 更新情報をチェックする