2020年08月02日

文学と感染症 2

私がまだ物心ついたかつかない頃、外国文学を翻訳で読み始めて、その際、子ども向けに書き直したものではものたらなくなったので、ふつうの文庫本などを手に取ることが多くなった。もちろん、読めない漢字とか知らない単語にいっぱい遭遇したが、漢和辞典や国語辞典で、それはしのぐことができた。

シャーロック・ホームズ物では、なぜロンドンに住んでいながら、けっこう頻繁にスコットランドまで行くのか、それも簡単に往復できる距離ではないのに、どうして頻繁に往復するのか、いったいスコットランドに何があるのか不思議に思うという程度の理解力でも(まあ子ども向けではなかったので、何の説明もなかったのだが)、それでもシャーロック・ホームズ物は、じゅうぶんに面白く読めたのだが、そんな頃、読んだのが、エドガー・アラン・ポウの「赤死病の仮面」だった。

この作品は、今回もふくめ、何度も思い出す、まさに思い出深い作品となったのだが、そのうち一回は、「赤死病の仮面」でペストを避けて、城だか館に退避して、外界との関係を絶って毎夜宴会をつづける大公の名前が、プロスペロであること。これはシェイクスピアの『テンペスト』の元ミラノの大公で、学者・魔術師である主人公の名前と同じであることがわかったときだった。

おそらくプロスペロの名前をポウはシェイクスピアの『テンペスト』の主人公からとっていることはまちがいない。そしてそれはポウによる『テンペスト』解釈にもなっている。

ちなみに赤死病というのは、ポウが勝手に作った病気。ペストの別名である黒死病から示唆をえてつくった架空の感染症の名称である。

黒死病と同様の恐るべき感染病であるこの赤死病を避けて隔離生活を送るプロスペロ大公とその臣下たちだが、そこに、赤死病は、浸透してくる。

どんなに防疫防御に専念しても、赤死病はふせげないとすれば、それはまた故国を追放されて、地中海の孤島に魔法の王国を築くシェイクスピアのプロスペロにとっても同じである。

ある意味、ミニ・ユートピアでもであるプロスペロの島にも、死の影は忍び寄る。内乱の芽は消えることがなく、外界からの訪問者たちが、島の安定した秩序をゆさぶることだろう。

そしてそこでわかるのである。シェイクスピアの『テンペスト』のサブテクストはペストあるいはペストとの戦いではなかったか、と。なぜ孤島か。なぜ外界を遮断するのか、自己閉鎖的空間がなぜ必要なのか。ペストの猛威のなか、引きこもることが生存の条件となるのだからか。

そういえば同じベン・ジョンソンの喜劇『エピシーン』には極端に声とか音を嫌う変人が登場する。彼は、住居を何重にも防音し、口数が少ないどころか物を言うことのない女性を妻にめとるのである。この変人ぶりは、しかし、ペストの侵入を極力嫌い、また恐れる社会的感性が基盤にあるとみることができる。

ペストへの恐怖が、生存手段として隔離状態を出現させる。だが、その隔離が完全であることはなく、隔離は破られ、死が到来する。安全で完全な隔離など、どこにもないことの恐怖に初期近代はおののいていたのである。
posted by ohashi at 20:11| 文学と感染症 | 更新情報をチェックする

2020年08月01日

文学と感染症 1 

英国演劇篇

この新型コロナ感染症の蔓延によって、社会と文化の構造が大きくかわることが、まだ、そのただ中にありながら、確実視されているのだが、それにともない私たちの文学の見た方もまたかわりつつある。

実際、感染症(ペストなどの疫病)は、そこにあっても、これまでは全く認識されなかったといっていい。初期近代英国の演劇--要はシェイクスピアの演劇の時代――において、たとえばベン・ジョンソンの『錬金術師』という喜劇作品は、ペストでロンドンの市民が田舎に疎開しているあいだ、金持ちの家の留守をあずかる召使い階層の人間たちが、錬金術師をかたって、疎開できない庶民たちを詐欺にかけるという芝居だが、そのようにペスト禍を舞台設定にしなくとも、実は、ペストはシェイクスピアの有名な作品にもあった。

放送大学(ラジオ)の非常勤講師をしているのだが、その仕事には、たんにラジオ授業での録音をするだけでなく、受講生の課題の添削などもふくまれるのだが、受講生のなかに、作品におけるペストの存在を指摘する課題レポートがいくつもあった。『ロミオとジュリエット』についてである。

ジュリエットが仮死状態になる薬を密かに飲んで埋葬される。ロレンス修道士は、ヴェローナから追放されたロミオのもとに使者をつかわし、ロミオとジュリエットが再会できるよう手はずをととのえるのだが、使者が途中で足止めをくらい、ロミオのもとにたどり着けない。そのいっぽうでロミオの家の召使いがロミオにジュリエットの死を伝えるべくやってくる。ジュリエットの死を知ったロミオは……。

というとき、ロミオへのロレンス修道士の使者を止めたのは、ペストの蔓延だった。ペストによるロックダウンと、外出自粛。そして使者が修道士でもあったので重症者の世話を求められた。こうして情報の行き違いから、喜劇的ハッピーエンドになるはずの芝居が悲劇的結末をむかえることになる。

多くのあらすじは、このペストの影響を、書き割り的な、うすっぺらな設定として言及すらしていない。かくいう、私も、放送大学のテキストで担当した『ロミオとジュリエット』の章では、あらすじを紹介する際に、ペストについては、なにも触れていない(執筆時は2028年)。

しかし、今の私たちは、若い恋人たちの悲劇に影をおとしているペストの存在を見過ごしたり、省略したりはしないだろう。
posted by ohashi at 19:54| 文学と感染症 | 更新情報をチェックする