2022年05月01日

『恋人の嘆き』セカンドチャンス 3

シェイクスピアの詩のなかに『恋人の嘆き』(A Lover’s Complaint、1609)と題された物語詩がある。ある意味、難解で、またシェイクスピア劇の台詞の韻文とも異なり、作者についても以前はシェイクスピア以外の詩人が想定されていて、問題作ではあるのだが、しかし、現在では、シェイクスピアの真作品(Canon)とみなされ、研究もすすんでいる。

実は、日本においては、単行本からネット上に挙げられているものまで数種の翻訳があり、研究も盛んである。

私にとって、この作品を読むときに欠くことのできない文献は、以下のものである。

高松雄一/川西進/櫻井正一郎/成田敦彦(著)『シェイクスピア『恋人の嘆き』とその周辺』、英宝社、1995年


これは、1991年の日本シェイクスピア学会におけるパネル・ディスカッションをもとにして、参加者4人の本格的論考4編と、シェイクスピア『恋人の嘆き』の原文とその翻訳と注釈(成田篤彦訳)、さらに関連作品を二篇の原文と翻訳(成田篤彦・櫻井正一郎訳)を、巻末に加えた、きわめて充実した内容の本であり、『恋人の嘆き』について原文から解釈・批評まで深く知ろうと思えば、これ一冊で済むという有益かつ貴重な本である。執筆者も、私にとっては、仰ぎ見るような大先輩方えある(というか先生にあたる方々である――高松先生の授業には出たのだが、ほかの方々もチャンスさえあれば、私が受講生であったとしてもおかしくない方々)。そして四半世紀前の本とはいっても、決して色褪せてはいない。

【なお、本書において、「当時にあっても、強固なカトリックの信者はいたが……表立った組織としてのカトリシズムはもう存在していなかったと見ていいだろう」(p.14)という一文があるのだが、現在のエリザベス朝文学・演劇分野におけるカトリシズム研究の復興と人気を知っている読者は、ここまで言い切れるものではないと批判するかもしれないが、1995年当時は、この認識でよかったし、まただからといって全体の論や解釈が古くなったということは全くないのである。】

さらにもうひとつ特筆すべきは、私が持っている物理的にも色褪せてないないこの本は、高松雄一・川西進・成田篤彦の連名で、献本していただいたことである。櫻井正一郎氏は、高名な研究者で名前はもちろん存知あげているが、個人的に面識はないので、献呈者に名前がなくても不思議ではない。

そのどこが特筆すべきかといわれそうだが、実は、今だったら、高松雄一・川西進・成田篤彦の三氏は(高松先生は亡くなられたが)、私に本を贈ろうとはされなかったと思うからだ。べつにこの三人の大先輩に不義理をしたとか喧嘩したとかいうことではない。1995年には私は前途あるシェイクスピア研究者だったかもしれないが、2022年の私は、前途もなければ、シェイクスピア研究者でもなくなっているからである。

それはともかく、この詩がどういう内容なのかについて、成田篤彦氏によれば、作品の構成は次のようになる。

1-4 詩人は娘の嘆きの声を聞き、身を横たえてこれに耳を傾ける。
5-56 娘の登場。詩人による取り乱した娘の描写。
57-60 「近くで牛に草を食ませる老人」の登場。詩人による老人の紹介。老人、娘に近づきわけを尋ねる。
71-84 娘、愛を与えた若者に裏切られた嘆きを老人に語る。
85-147 娘による若者の描写。若者の外見・立居振舞の美しさ、乗馬に秀でていたこと、弁舌が巧みであったこと、多くの娘に慕われたことが語られる。
148-177 若者が不実であることがわかっていながら、余りにも巧みな弁舌に騙されたことに対する娘の嘆き。
177-280 その巧みな弁舌を駆使した口説きが、若者自身の直接話法の形で示される。
281-329 再び娘の口から、若者がいかに偽りに満ちつつもいかに魅力に溢れていたか、またその魅力を前にすれば、自分は再び道に迷いかねないことが告げられて、作品が終わる。
『シェイクスピア『恋人の嘆き』とその周辺』pp.70-71.原文の漢数字は算用数字に変えた。


Wikipediaの説明はひどすぎるので、成田氏の簡潔にして要を得たこのまとめで、内容について理解していただけると思う。

この詩の最大の問題は、その最後である。「再び娘の口から、若者がいかに偽りに満ちつつもいかに魅力に溢れていたか、またその魅力を前にすれば、自分は再び道に迷いかねないことが告げられて、作品が終わる」というのは、この娘、自分を騙した男を恨んでいるようにみえて、そうではなく、また騙してほしいと願っているようなのだ。経験から何も学んでいない。学ばないどころか、騙され悲嘆に沈むことに快感すら覚えているようなのだ。

成田篤彦氏の翻訳で、その最後の部分をみてみたい。

「……
あゝ、私は穢れてしまった。でも、わたしはわからない。
今一度、こんなことがあったら、わたしはどうするだろう。
あゝ、あの目に宿る穢れた雫、
その頬に輝く偽りの炎、
心臓から轟く作りものの雷鳴、
空ろな肺腑の吐く悲しげな吐息、
本物らしくは見えるが、借り物にすぎぬ
あの人のすべての仕種が、
欺かれた者を再び欺き、
悔い改めた者を再び迷わせる。」(321-329)


これで終わり。これは「饅頭怖い」みたいな話で、男が、ひどい奴だと嘆いているこの女性は、ほんとうは、いまもその男が好きでたまらないというか、そもそも騙されてもいないし、ふられてもいないのではないかとも思われる。ただストレートに気持ちを伝えることがはばかれるので、好きだというかわりに嫌いだと言い、素晴らしい人だというかわりに偽物の不実な詐欺師と嘆いてみせているにすぎないのではないか。

この解釈もありだと思うのだが、ただ、この方向に進み過ぎると、たとえばレイプされた女性が、実は、ほんとうはレイプして欲しかった、自分にはレイプ願望があるのだと告白して、男性の性暴力を許容してしまうような、悪辣な男性中心主義、セクシズム的主張へと陥りかねない。実はシェイクスピア自身、たんに男性だけを悪者にして安心する姿勢【©河瀨直美】を批判し、女性だって男性の詐欺行為や暴力の犠牲者ではなく、共犯者だと、まさにセクシズム的主張を展開する寸前にいるのかもしれない――たとえそのようなシェイクスピアは読みたくないと思っても、それが冷厳な事実かもしれない。

この可能性あるいは危険性は常に念頭に置きながらも、ここまで、セカンドチャンスとしえ考えてきた願望・行為からも、この詩の最後に、あらあれる女性の、あのすばらしいしい誘惑の日々、騙されつづけた偽りの愛の日々よ、もう一度という、ある意味唐突に表れる願いについて、考えることができるのではないか。

セカンドチャンス論(論とは言えない、ただの覚書程度のものだが)のなかで、例としてあげたのは、「浮気者型の男女を恋人にした男女が、次も同じような浮気型男女を恋人にすることが多いのはなせか」、それは「セカンドチャンスを狙っているからである」。「一度は失敗したが、二度目は自分でコントロールして裏切られることがないようにできると自信をもつのである」と。ならば『恋人の嘆き』のこの女性も、もう一度、あの人に誘惑されたい、恋も二度目なら、騙されているとわかっていながら、相手と戯れることができる、相手に復讐できるかもしれないし、冷静に燃え上がることもできる……。と考えているとみることはできる。もちろん、逆に、ふたたび手玉にとらえることになるのだろうが。

そう、そんなにうまくいくはずがない。どうせ、二度目も裏切られ苦汁をなめる。はたからみていると、浮気するに決まっている男、軽い気持ちで誘惑しているにすぎない男、恋人にしたら絶対に裏切られるに決まっているこんな男を、『恋人の嘆き』の女性は、相手の不実を嘆いたうえで、なぜ最後の土壇場になって、恋焦がれているのだろうか。最初の失敗から逃げるだけで克服はできない。相手を屈服させてこそ、勝利といえるのである。もちろん結果は眼に見えている。二度目だが三度目だろうが、裏切られつづけるだろう。最初は悲劇、二番目は喜劇どころか茶番となる。

ここで同じことは賭け事に言えると考えた。賭け事にはまる人間は、次こそはと、賭け事をやめる気配はなく、毎回、次は勝てると思いつつ、負けてゆくのである。それはビギナーズラックにみられるような成功体験があって、それが忘れられなくて賭け事にはまるともいえるのだが、しかし基本は失敗があって、次は成功するという思いで、失敗し続けるのである。ビギナーズラックあるいは成功体験とは、失敗が原動力となっている倒錯性を隠蔽する口実にすぎない。『恋人の嘆き』の女性も、あのすばらしい誘惑の日々よ、もう一度と願っているからにみえるのだが、実は、もう一度、騙されて苦しい思いをしたい、悲嘆にくれる日々をもう一度繰り返したいと願っているのではないか。悲劇や悲哀の克服ではなく、その反復を願っているのではないか。まさに文字通りに。最初は悲劇、二番目も悲劇。No悲劇、No人生。

賭け事の場合も、運よく成功して大金を獲得したときこそ、危機が訪れる。損失を取り戻して願いがかなったのだから、賭け事をやめる潮時となる。だが、それこそが最も恐れ、最も望まなかったことであって、再び賭けをはじめ、失敗しつづけ、せっかく獲得した大金もすべて失ってしまう。こうしてギャンブル中毒になる。しかし、この世俗の沼に沈んだようなギャンブル中毒こそ、世俗に穢れたものであるからこそ、マイナス面が一挙に裏返るような敬虔な信仰への回路である。あるいは同じことの表裏ともいえるものである。

男に捨てられても懲りることなく再び男に捨てられ続ける女、捨てられる人生が常態となるマゾヒズムの倒錯性こそ、信仰のありようと似ている。負け続けなければ満足しないがゆえにギャンブル中毒になる人間のありようは、裏切りと懐疑にさいなまれつつも、あるいはそうであるがゆえに、神を信じ続け、救世主の到来を希求する信仰者のありようと似ている。もし宗教とか信仰を馬鹿にしようと思う者がいたら、このギャンブル中毒の例を、また捨てられるのが嬉しいマゾ女の例を出すだろう。だが、それは神への冒涜であるとともに、最高の強度に到達する信仰のありかたでもあって、信仰者は、このメタファーを否定はしないだろう。そこが宗教のむつかしさであり、一筋縄ではいかない深みなのである。賭博は神聖であり、恋人の嘆きは信仰という絶望のメタファーそのものなのである。

実はシェイクスピアの長詩『恋人の嘆き』で使われている語句には宗教的意味を含意するものが多いことは、つとに指摘されている。『シェイクスピア『恋人の嘆き』の周辺』でも、丁寧な語注によって、あるいは論考によって、このことは指摘されている。この詩は、いろいろに解釈できようが、一つの解釈は、神と人間の関係、信仰のありようをめぐる省察であり、それがプレイボーイに捨てられたおぼこ娘の嘆きという下世話の極致の物語をとおして語られるのである。そう、下世話の極致が神聖なものとつながっている。それは絨毯の表と裏の図柄と同様に、どんなにかけ離れているかみみえて、同じ図柄を、同じ構造を共有しているのである。

『恋人の嘆き』は、そのまさに結びの複数行――偽物の男にまた騙されたい、惑わされたいと願う、愚かな娘の不条理な願望の吐露――で、女性の経験全体を絶望的かつ倒錯的な信仰へと変換するといってよい。いや、絶望的かつ倒錯的な信仰があるのではない。そもそも信仰とは絶望的かつ倒錯的であって、プレイボーイに愛されたいと願う、愚かな娘との関係こそ、神と人間との典型例であることを、この詩は伝えようとしている。

【なおプロテスタントの読者は、この詩に、そこはかとなく漂う信仰へのメタ視線を感じとって、宗教性もこの詩の一部であることを認識するだろうが、カトリックの読者は、ここに見捨てられた女性の嘆きと誘惑された日々への回帰願望のなかに、カトリック信徒が置かれている苦しい立場や苦難の嘆きをみるかもしれない。】
posted by ohashi at 23:18| エッセイ | 更新情報をチェックする

2022年04月28日

犬の力

ジェーン・カンピオン監督のアカデミー賞作品賞受賞映画『犬の力』のタイトルは、一見するとポジティヴな意味にとれる。犬のもつ優れた能力が暗示されているかにみえる。

本日、テレビでも紹介されていたが、京都大学で行なった研究で、犬は飼い主の敵からはおやつをもらうのを拒否するが、猫は、そのような習性はないという。ただし、ネット上では、この研究を紹介する記事があり、その日付が2021年11月15日とあって、実験は昨年にことだったようだが、犬は飼い主に否定的・敵対的に接する相手を避けることがわかったという。これぞ人間に忠実な犬の力。犬は人間の友達であり、また人間の守護者でもある。まさに、これぞ犬の力。

しかしカンピオン監督の映画のタイトルである「犬の力」とは、聖書からの引用で、実は否定的な意味をもっている。手元にある新共同訳聖書の『詩編』22:21には

わたしの魂を剣から救い出し
わたしの身を犬どもから救い出してください。


とあって、残念ながら、「犬の力」とは訳していないのだが、出典はここ。本のタイトルなどにも使われる「犬の力」という表現を保存しておいてほしかった。欽定訳聖書AVでは

Deliver my soul from the sword; my darling from the power of the dog.


ああ、「犬の力」。しかし、この邪悪な犬の力というのは、狼とかハイエナのような人間とは敵対し群れをなして生息するイヌ科の動物であって、人間に飼われている犬ではないだろう。

そもそも聖書は、犬にはきつくあたっている。聖書における犬のイメージは、決してよいものではない。犬好きの人間なら、邪悪な力を言わんとするとき「犬の力」とは絶対に言わないだろう。

しかし例外もある。犬に冷たい聖書のなかで、犬が人間の友として描かれる物語がある。旧約聖書の外典である『トビト書』である。

これは、たとえば犬というのはプログラム化された機械仕掛けのおもちゃみたいなもので、共感なり同情の対象ではないと言い放ったデカルトが、実は、犬を飼っていて、散歩の友にしていたとか、その著作で犬について否定的なコメントしか残していないフロイトが、チャウチャウ犬を飼っていて、犬といっしょの写真が残されていることなどを知ると、別に犬派でもなんでもなくても、何かほっとするような気がするのと同じかもしれない。

同じことは聖書にいえて、犬に風当たりが強い聖書のなかで犬が登場する物語は、なにかほっとするものがある。『トビト書』とは、

旧約聖書外典の一つ。セプトゥアギンタ (ギリシア語訳) とウルガタ訳聖書には含まれている。著作年代については前 350~後 138年にわたって多くの説があるが,前 170~150年頃に書かれたとするのがほぼ妥当であろう。場所としては小アジアのアンチオキア,あるいはローマ,あるいはアレクサンドリアのディアスポラのユダヤ人社会と推定される。内容は殺された同胞を埋葬するなどの善行にもかかわらず盲目になったトビト,結婚初夜に次々と7人の夫が悪魔に殺された彼の親族の娘サラ,父トビトの命でサラのもとに行き,天使ラファエルの助けでサラとめでたく結婚する息子のトビア,トビトの目の回復などの物語を中心に死者の埋葬,逆縁の掟,敬親,施しなどをすすめている。【ブリタニカ国際大百科事典】


とはいえ犬が登場するのは『トビト書』のなかの次の箇所

……こうして、二人は父に別れて旅立った。そのとき、トビアスの犬も彼らについて行った。5:16

……二人が一行に先立ってすすんで行くと、犬も後からついて走った。11:4

「トビト書」新見宏訳、関根正雄訳『旧約聖書外典 上』(講談社文芸文庫、1998)所収、p.171、184.


え、これだけ。これでは、犬がどんな性格で何をしたのか、わからない。そもそも、犬について、とりたてて何かが書かれているわけではない。しかし後年、この物語が絵画として描かれたとき、画家たちは犬を忘れたり無視したりはしなかった。

【ちなみにトーマス・マンも忘れていなかった。その短篇「トビーアス・ミンダーニッケル」‘Tobias Mindernickel’を読めばわかる。ただし『トビト書』のような心温まる奇跡的物語ではないので、読むとき取扱い注意。】

トビアスと天使.jpg

トビト書.jpg

この二点の絵画は、『トビト書』の物語を描いたものだが、片隅に犬が描かれている。犬に冷淡な聖書において、犬が脇役として存在を誇示しているのは――たったこの程度でも――奇跡とは言わないが特筆に値する。トビアスの犬は、大天使ラファエルの旅の仲間となり、奇跡を目撃する、忠犬であり、うがった見方をすればトビト、トビアス親子もまた、神の忠実な僕=忠犬だし、それをいうならラファエルもまた忠犬であろう。聖書が描こうとしなかった、肯定的な「犬の力」がここにある。
トビアスと天使ラファエル.png

ロンドンのナショナルギャラリー所蔵のこれも『トビト書』を描いた『トビアスと天使』と題された絵画。アンドレア・デル・ヴェロッキオ(英: Andrea del Verrocchio, 本名 Andrea di Michele di Francesco de' Cioni 1435年頃- 1488)作。

ヴェロッキオ? 誰だと思うかもしれないが、レオナルド・ダ・ヴィンチが若かりし頃、人気のあった画家で、レオナルドは、その工房で働いていた。左下のふわふわとした毛並みの犬は、レオナルドが描いたと推測されている。もしそうなら、これは部分的であれ、レオナルドが描いた最初の絵画なのである。おそらくその犬は、絵画の注文主が、フィレンツェで飼っていた愛玩犬だったかもしれない。



posted by ohashi at 17:13| エッセイ | 更新情報をチェックする

2021年11月12日

抑圧されたものの帰還


私の業績リストから省いていた翻訳書が一つあった。今年も、このコロナ禍のなかで翻訳を出版できることになったので、私の長い翻訳者人生もつづくことになったのだが、そんな長い翻訳歴だから、一冊くらい翻訳業績リストからはずしても、さして問題になるわけでもない。そしてリストから省いたので、その存在自体も私の記憶から省かれた。

私が大学の助手(現在では助教と呼ばれている職)の頃、私が院生だったときの助手の方で、すでに大学教員になり、研究者としても批評家としても翻訳者としても華々しい活躍をされていた方が、思索社の翻訳の仕事を、私と、私の前任者の助手二人にまわしてくれた。

その方は、思索社の翻訳の仕事をすでにされていて、思索社ともつながりができていた。そして同じ助手を経験した三人(私を含む)に翻訳の仕事を回してくれたのである。ありがたいと思ったし、初めての翻訳でもあったので身が引き締まる思いもした。

私は個人訳だったが、私の前任者の助手二人は、最終的に翻訳タイトルが『王権の呪術的起源』となったフレイザーの翻訳を担当することになった。人類学のフレイザーの本邦初訳の本となるものだった。あの『金枝篇』のフレイザーである。正直、うらやましいなと思ったのは事実。

これは、Amazonで今も「ジェイムズ・G・ .レイザー (著)『王権の呪術的起源』 折島正司 (翻訳) 黒瀬恭子(翻訳)、思索社、1986/2/1」として新品ではなく中古品が売られている。Amazonでは「.レイザー」という変なミスプリントになっているが、「フレイザー」と正しく表記されていれば今でも買う人がいてもおかしくない。実際、翻訳で読んでみたが、講義録として「です・ます調」で訳されていて、わかりやすく、また内容的にも本の成立的にも『金枝篇』につながり、『金枝篇』のエッセンスを伝えるものでもあって、実に面白い。もしフレイザーを読んだことがなければ、これは、フレイザー入門としては最適の本である。

これに対して私にまわってきた本は、原書のタイトルをみるとMedusaとある。あのギリシア神話のメデューサ/メドゥーサ、あのゴルゴン三姉妹のひとりで、その顔を観る者を石に変えるという、あの神話のモンスター、ギリシア神話の話かと思うと、よくみるとThe Medusa and the Snailとあって、Medusaの最初が大文字になっているのは、本のタイトルだからで、これは小文字のmedusaつまり「クラゲ」のことである。snailは「カタツムリ」のこと。え、私にまわってきたのはギリシア神話の神話学・人類学の本ではなく、「クラゲとカタツムリ」という本、生物学の本なのだ。

フレイザーの本の翻訳なら業績になるが、生物学の本では業績にならない。なんという貧乏くじだと落胆した。いや翻訳料が入るからいいじゃないかと言うなかれ。これは思索社に限ったことではないが、今とは違って、当時は、こういう学術系の本は、基本的に翻訳料・原稿料はなかった。翻訳を出させてもらえれば、それだけでありがたいことで、翻訳は自分の業績なり学問的な功績になるのだから、翻訳料などなくてもかまわない。そもそも売れることはないしという理屈だったと思う。

だから翻訳料は最初からないものと思っている。だが、業績にもならないとなると、ほんとうに貧乏くじだと落胆した。

ただしこの『クラゲとカタツムリ』の著者ルイス・トマスは、けっこう有名な人で、そのエッセイも人気があって、私の翻訳の前にも、また後にも日本で翻訳が出版されている。人気のある著者である。Wikipediaによると、

Lewis Thomas (November 25, 1913 – December 3, 1993) was an American physician, poet, etymologist, essayist, administrator, educator, policy advisor, and researcher.以下略。


とあるが、日本版がないのは惜しいというか、よかったというべきか。

内容は一般読者向けのエッセイ集である。たとえば、こんなエッセイがあった。第二次大戦の沖縄戦で、アメリカ軍の兵士二人がジープの下敷きになって、重傷を負い這い出せなくなったとき、救出作業が長引いて、心配する仲間たちが声をかけると、その兵士ふたりは、重傷なのにもかかわらず、最後まで、痛くない、平気だと答え続けて死んでいったという。この例から、生物は死が確実になると痛みを感じなくなるのではないかと考える著者は、捕食者の餌食になる動物も、最期の時は痛みから解放されるのではと推測する。捕食・被捕食者からなる自然界において、これは合理的メカニズムかもしれないと著者はコメントする。

あるいは朝食を食べないと死ぬというようなアンケート結果なりCMがアメリカであったが、これはとんでもない詐欺であって、朝食を抜いたからといって死ぬことはない。むしろ朝食が食べられないほどの体調不良だから、数年後に病で死を迎えることになったのである。死ぬのは朝食を抜いたせいではなく、病気のせいであるというコメントがあった。

だから、面白い本なのだが、しかし理系のエッセイというのは英語ではほとんど読んだこともなくてく、いま手元の原書があるのだが、そこにある当時の書き込みをみると、かなり悪戦苦闘していたことがうかがえる。

また今となってははっきりと憶えていなくて、勘違いかもしれないが、出版社にもなにかごたごたがあり、翻訳作業も、モチヴェイションでのせいではなく、助手を辞めて大学教員になったこともあって、助手の時とは異なる忙しさのために、遅れたというよりも、ただ放置されることになった。とはいえやがて出版社のほうのごたごたも収まり、新しい編集者となって、翻訳作業が一挙に完成へと導かれた。

1986年の2月に、フレイザーの『王権の呪術的起源』が、そして3月に私のルイス・トマス『歴史から学ぶ医学――医学と生物学に関する29章』が出版された。この二つの本は、思索社がこれまで出版してきた、人類学と科学というふたつのジャンルに属するものであって、思索社のレパートリーとしては王道的なラインアップともいうべきものであった。

出版後まもなく、読者からの手紙がきた。私の翻訳を丁寧に読んでもらったのは、ありがたい限りだが、不適切な翻訳部分を何枚もの便箋に羅列してあった。まあ私としても翻訳者としては駆け出しだし、慣れない理系のエッセイでもあったので、間違いとか不適切な翻訳があることは予想できた(予想というは、自分でわかっていながら誤訳する人はいないからである)。また用語にしても、専門家からみたらおかしいと思うことはあるだろうと予想できた(駆け出しの翻訳家だったら――いまでは専門家のいう訳語というものは、どうでもいいというか、あてにならないことが、まさにいまだからわかるのだが、当時の私にはそこまでの思いはなかった)。

指摘は、英語の読み違いということではなく、訳語とか用語に関するものであった。しかし、編集者は、こうした科学物をこれまでに担当し出版しているベテランの編集者である。その人物が、私の訳稿をチェックしているから、たとえ見落としがあるとしても、これほど数多くの不適切な用語・訳語があるとは思えない。

ただ、指摘はありがたいので、もし再版することがあれば、編集者と、指摘をひとつひとつ検討して修正・訂正すべきところは、極力直すことを心に決めて、しかし、再版されることはないだろうから(その予想は当たっていた)、私は、その読者からの手紙を捨てた。

第2章

私は在籍中、最後の数年の大学院の授業では、動物論というかアニマル・スタディーズを扱っていた。2018年にはシカゴ大学出版局から、Critical Terms for Animal Studies(Chicago U.P., 2018)が出版された。このCritical Termsシリーズは、私にとって思い出のシリーズであって、実は、このシリーズの最初の一冊Critical Terms for Literary Studiesを私は共訳で翻訳して平凡社から上梓している。その最新刊がアニマル・スタディーズであるのは何かの縁かもしれないと、平凡社に翻訳出版の話をして承認された。

若い院生とか研究者たちとの共訳となり、現在、訳稿は、すべて出来上がっている。一応、私は監訳者として、すべての章の原稿をチェックしたが、そのときだった。

ある章の訳文を確認していたら、ルイス・トマスの文章の引用があった。観察者は、どのようなことがあっても、観察対象に変化を及ぼしてはならないし、また変化を及ぼすことはないというルイス・トマスの発言が、しかし、そうともいえないのではと批判されていた。量子力学の不確定性原理というような話ではなくても、観察者の存在は、観察される動物なり人間の行動や意識を変えることは充分に予想されることである。

それはともかくルイス・トマスのどの本の引用だったかと各章末の文献リストを調べてみた。この章の翻訳担当者は、既訳をすべて調べていて(既訳のチェックは各章の担当者に私が要求したことでもあったのだが)、とくにルイス・トマスの翻訳本は記載されてなかったので、原著を読んだときには、ルイス・トマスそのものを忘れていたし、各章の訳者の翻訳を最初にチェックしたときも、とくに調べなかったのだが、今回、念のために調べたら、Lewis Thomas, The Medusa and the Snailとあった。

抑圧されたものが回帰した。

最初、私は無視しようと思った。その章の翻訳者が気づかなかったのだから、無視しても問題にはならない。しかし、抑圧されたものの不意打ちに向き合うべきだという、なにか倫理的な義務感のようなものが私のなかに沸いてきて、ほうっておけなくなった。その章の翻訳者も驚くだろう――彼女の翻訳した章の文献リストには、突如、私の翻訳が登場しているのだから。

その章の翻訳者の見落としを責めるつもりはまったくない。もしこれが私のべつの翻訳だったら、絶対に許さない、万死に値する見落としなのだが。そもそも原題「クラゲとカタツムリ」という本が『歴史から学ぶ医学――医学と生物学から学ぶ29章』という本に化けたのだから、私以外に気づく者などいるはずもない。私以外に……。

現状では、フレイザーの『王権の呪術的起源』(折島正司・黒瀬恭子訳)は、Amazonでは、本の表紙の図像すらなくて、レヴューアーからの評価もコメントもない。これに対して『歴史から学ぶ医学――医学と生物学から学ぶ29章』は、その本の洒落たカバーの写真が掲載されている。原書にある著者の肖像写真をフューチャーしながら、読者には理由がわからないだろうクラゲの絵(原書にあるものだが)も、まさに浮いたかたちで描かれている。Amazonでの評価は星5つ。残念ながらレヴューアーのコメントはない。

折島さん、黒瀬(山本)さん、あのときの思索社の翻訳では、私の翻訳のほうが、Amazonでの評価は高いのですが。そちらは評価すらないのですが、と、誇らしげな顔をしたいところだが、待った。『王権の呪術的起源』はAmazonでは3600円で売られている。もとの定価(2300円)よりも高く。ところが私の『歴史から学ぶ医学――医学と生物学から学ぶ29章』(もとの定価2000円)は、610円で売られている。安っすい! 負けた……。

まあ子どもの喧嘩じゃないのだから、勝ち負けの問題ではないのだが、それにしても負けた感が強い。また翻訳業績リストから外そうか……。
posted by ohashi at 03:10| エッセイ | 更新情報をチェックする

2021年09月21日

索引は誰が作る?

私は、翻訳を出すときは、索引をつけるようにしている。出版社にとっては迷惑な話かも知れないが、これまでに索引をことわられたことはない。もちろん出版社に迷惑をかけないように自分で作っている(共訳の場合も、自分でつくっている)。時には出版社の側で索引を用意すると言ってくれることもあるが、私は、自分で作るからと断っている。それでも、これまで、一冊か二冊は、出版社の編集部で作った索引があるが、それをのぞけば、私の翻訳は、自分で索引を作っている。

いまでは索引をつくるアプリとかソフトがあるのかもしれないが、私の場合は、全部、手作業である。生まれて初めて自分の翻訳に索引を作りはじめた頃、見本としたのが、自分が翻訳している原書の索引だった。つまり私の作る作品は、日本の本の通常の索引ではなく、やや洋書よりの索引だったのだ。

原書(洋書)についている索引の項目を日本語に直して五〇音順にならべる。ページ数は原書の頁そのままである。ほんとうに大昔は項目ごとにカードを作って、それに書き込んでいたが、さすがにコンピュータが使えるようになってからは、項目の並び替えも簡単にできる文書ファイルで索引は用意できた。

ゲラが最終段階になると、ゲラに原書のページ数と頁の区切りを大きく、はっきりみやすいように書き込む。そしてあとは索引にとりあえず記載した原書の頁を、ゲラのページ数に置き換える。手作業である。

索引用のアプリとかソフトでは、そんなことは手作業でなくて一瞬にしてできると思われるかもしれないが、先に述べたように私の作品は原書の索引をまねている。つまりたんに人名なら人名だけを拾うのではなく、「宗教」とか「自然」とか「絶滅危惧種」とか「世界動物の権利宣言」といった項目の場合、その項目に関係する部分、その項目をトピックとして論じている部分の頁をも索引に入れている。そのため「世界動物の権利宣言」というフレーズがなくとも、それを扱っている頁があれば、その頁が記載される。要は内容索引をつくることにしたのである。これが原書(洋書)の索引に寄せた索引という意味である。

それはけっこう手間がかかると思うかもしれないが、内容作品はすでに原書の索引でつくられているから、ただ項目名を翻訳し原書の頁を書き込んでおくだけである。人名索引も内容索引となっているものも多く、たとえば「ニーチェ」という語が出てこなくても、ニーチェを論じている頁があれば、その頁が索引に記載される。

こうなってくると、もう単純に単語とか人名を機械的に拾うだけではすまなくなる。コンピュータの仕事ではなく、人間の仕事である。それが面倒でも、コンピュータを出し抜ける楽しい作業となった。

ところがあるときから、この内容索引は、やめることが多くなった。面倒だということもその理由のひとつだが、原書に付けられている内容索引が、信用できなくなった、あるいは信用できないケースが出てきたからである。もっといえば、原書の索引は誰が作っているのかということが気になり出しからである。裏を返せば、原書の索引は、著者とか編集者がつくっていないのではないと確信できることが多く、そうなれば、内容索引、さらには通常の人名索引などの項目は、あてにならないとわかってきたのである。

その一例を示す前に、付け加えておくと、たとえばナボコフの『青白い炎』は、いまでは岩波文庫で富士川義之先生の翻訳で読むことができるのだが、これは架空のアメリカの詩人が書いた長編詩の全文(翻訳の場合には、長編詩の英語と、その日本語訳も付く)と、その詩作品について、その詩作品よりも長い註釈を付けた、ある種前衛的なとんでもない作品なのだが、富士川先生の名訳で、実は、最後まで読めてしまい、貴重な読書体験をすることができる。

この本の最後には、解説・注解付きの索引がつく。正確にいうと、その索引は内容索引もかねている。私のつくる索引は、簡単な訳注の変わりにもなることもねらっていて、人名には、生年ならびに、あれば没年、そして簡単な説明――小説家とか詩人とか、社会学者とかいうような――を付けている。そして内容索引にもなっていることになる。

実は、ナボコフの『青白い炎』の索引は、学術書とか翻訳書にある注解付き内容索引のパロディみたいなものかもしれない(私が作るような索引のパロディなのかもしれない)のだが、とにかく内容作品と注解付き索引は、注解書とか翻訳書には多い。

今、私の手元にはハンナ・アーレントが編集し序文を書いたベンヤミンの英語訳評論集Illuminations(1969)があるのだが、この翻訳に付いている人名索引は、実に的確な注解付き索引となっている。アドルノはまだ存命中なのだが、ドイツ人、哲学と社会学の教授とある。ボードレールとベートーヴェンには生没年の記載はあるが注解はなし。有名人だから。この注解付き索引は、いまも、私が作る索引の手本となってくれている。そして、このベンヤミンの英語訳評論集の索引は、翻訳者か編集者が作ったもので、信頼性が高い。

しかしナボコフの『青白い炎』の内容/注解索引は、出版事情を知っているナボコフが、あえて、凡庸な、なくてもいいような索引をパロディとして作ったのではという疑いを私はもっているのだが、一般に洋書の索引は、あてにならないものが多いといえるのかもしれない。

かつては私も原書の索引を翻訳して、索引を作っていたが、いまでは自分で人名を拾ったり、内容索引の場合も、自分で項目を選んだりするか、あるいは内容索引は作らないようにするとか、いろいろ工夫をするようになった。私の索引造りも、相変わらず手作業だが、内容は多少は進化したのかもしれない。

今度、Terry Eagleton, Culture and the Death of God(2014)の翻訳を共訳で出版することになったのだが(順調にいけば年内――翻訳出版が遅くなったのは、私の怠慢もあるがコロナ禍のせいでもある)、その索引もすでに作り終えたのだが、原書の索引のなかに

Bumptious, George I. 28


という奇妙な項目があった。数字は該当ページを示す。Bumptiousというのは「バンプシャス」という人名なのか。しかし、そんな人名出てきた記憶はないし、Bumptiousというのは、どうみても「傲慢な」とか「押しの強い」という形容詞にみえる。

George Iというは「ジョージ一世」のことだから、ジョージ一世が傲慢だという悪口なのか、あるいはジョージ一世のあだ名なのか。しかしあだ名としても、あだ名のをほうを固有名詞よりも先に出して項目とするというのはなんとも変な話ではないか。ちなみにジョージ一世のことを非難したりあだ名で呼んでいた箇所は、本文にはなかったように思う。

本文の該当箇所を調べてみた:

It is also possible that he had an affair with the sister of George I. Bumptious, intemperate and pathologically indiscreet, a champion of Judaism and an apologist for Islam, he probably invented the term ‘pantheist ’ along with the title ‘freethinker’.


下線部のところだけみてもらえればと思うが、Bumptiousはジョージ一世(George I)とは関係なく、つぎの一文の主語であるheを修飾する形容句の一部である。

つまり傲慢なのはジョージ一世ではなく、その文の主語である「彼」である。具体的にいうとジョン・トーランド(17世紀から18世紀にかけて活躍したアイルランドの自由思想家・理神論思想家)のことである。

ちなみに、その索引は、ジョージ一世の項目はない。まあ、歴史的には重要人物でも、本文中の論述において大きな役割を果たしてはいないので、なくてもいいようなものだが、それにしてもBumptious, George I.という項目にはあきれかえる。

これは絶対に、この索引を、著者や編集者あるいは校閲者が作っているのではないことの証拠であろう。ここまでするのは尋常ではない。そもそも人間業ではない。おそらくAIが機械的に拾って、とんでもないミスをしでかしたということだろう。ただ、それにしても、イェール大学出版局ともあろうものが、このミスに気づかないというのは、索引そのものが、軽んじられているのか、いい加減なものなのかもしれない。

私が作る作品は、手作りなので、AIに頼っていないぶん、たとえミスがあっても、こんな人間離れしたミスはしていないので、ご安心を。また私の索引は、外部に依頼してもいないので、けっこう信頼のおけるものであることは、ここに自信をもって告げておきたい。
posted by ohashi at 17:07| エッセイ | 更新情報をチェックする

2021年07月14日

考えるのが遅い

まだひとつのエッセイとしてまとめられるような、確固たる材料がそろっていない(とくに話の枕の部分)ので、あくまでもエッセイのための覚え書きのようなものだとして記しておきたい。

マイケル・フレインの劇『コペンハーゲン』を翻訳で読んだ時、「考えるのが遅い」という表現がとても気になった【なおコペンハーゲンといっても、2021年7月9日の、コペンハーゲン動物園のキリン殺害/解体の記事とは関係はない。】

もちろん世の中に考えるのが遅い人はたくさんいる。かくいう私もその一人で、他人よりも早く頭が回転するなどと思ったことは一度もない。テレビなどのクイズ番組でも、自分が知っていること、記憶していることは、すぐに答えられるが、推測なり推理する問題となると、じっくり考えればなんとかなるように思うのだが、早押しクイズには自分がむかないことは自覚している。考えるのが遅いからである。

だ、その作品で気になったというのは、ノーベル賞受賞者であるニールス・ボーアについて、考えるのが遅いと作中で言われていることである。よりにもよって天才理論物理学者ボーアが「考えるのが遅い」とは。

ただ、翻訳者の小田島恒志氏も訳者あとがきで、この表現について触れていて、やはり誰もが気になる表現なのかと納得した記憶があるが、ただ、別の版になると、小田島氏の後書きからはこのフレーズについての言及は消えていた。翻訳を読み返したわけではないので、作品のどこにこの表現があったのか特定できていないのだが、翻訳からも、あとがきからも「考えるのが遅い」が消えてしまったとしたら残念である。

思考については、頭の回転が早いとか、機転がきくとか、思考の早さを重視することが多い。しかし、じっくり考えて答えを出す、試行錯誤のうえ正解にたどりつく、発見や創造にながい時間がかかる思考形態もあるのではないかと常々思ってきた。実際、私などは、「考えるの遅い」という思考形態のほうが性分に合っているような気がする。知の最先端、あるいは知の前衛よりも、知の後衛こそが、自分の居場所ではないかと考えている。私のように考えるのが遅い人間にとっては。

ただし、考えてみれば、実は、遅いことこそ、人間を人間たらしめている特徴ではないかとも言える。キリン(またも? ただ7月9日の記事とは関係ない)は生まれてたからすぐに立って動き回れる。多くの哺乳類がそうであるが、キリンは、足が長いので、馬などと同様、生まれてすぐに歩行できる姿は印象的である。そしてそれがかくも印象的なのは、哺乳類のなかでも人間は成長が遅いことで知られているからである。

ネオテニーneotenyという言葉がある。「幼形成熟」「幼体成熟」「幼態成熟」「幼形進化」などと訳されるようだが、広辞苑では「ネオテニー」の項があり、「発生が一定の段階で止まり、幼生形のまま生殖腺が成熟して生殖する現象。アホロートル【いわゆるウーパールーパーのこと―引用者】やイソギンチャク類などでみられる」とある。ただこの意味のほかに(あるいは意味の延長線上なのかもしれないが)「動物の成体に胎児の特徴がそのまま残っていること」という定義もあり、この場合、アホロートルとともに、人間もそれに含まれる。そして拡大解釈かもしれないが、子供のままなかなか成長せず、成長しても子供あるいは胎児の頃の特徴をとどめているというのが人間の特徴であり、これは人間が成長が遅いこととも関係するのだろう。

人間は他の動物に比べて成長が遅い。そして完全に大人になりきれない。しかし、それが人間を進化の頂点に押し上げることになった。人間はキリンの赤ちゃんのように生まれてすぐには歩けない。成体となるまで、長い長い時間をかけ、ゆっくりと成長をとげる。それが人間を動物界の覇者としたのである。長い時間をかけて、他の動物にはない能力を身につけるようによって。

成長と思考とは同じではないとしても、考えるのが遅いことになにか真実を見てしまうのは、そして考えることが「遅い」ことのほうに価値があるように思ってしまうのは、人間の遅咲き成長という特徴と関係しているのではないか。人間のネオテニー性といってもいい。人間は遅いから、すぐれた特徴を開花させた。

ウサギとカメの寓話は、ある意味、人間の運命を語っていた。キリンに比べると、信じられないくらい成長が遅い人間は、まさに亀である。早くゴール付近にたどりついて油断しているウサギが、遅いが着実に歩んできた亀に追い抜かれる。

だが、成長の遅い、遅咲きの人間が、動物の覇者になったということは、単純に喜んでばかりはいられない。むしろ遅咲きの人間は、その間、キリンにはない悪賢さ、狡猾さ、残酷さ、自己中心性をしっかりと育み身につけることになった。だから動物界(アニマル・キングダム)の覇者、あるいは専制君主となったのであって、この亀は、ただのドン亀ではない。足の速いウサギの傲慢さと狡猾さをも帯びるモンスター=ガメラなの。

考えるのが遅いことの美点が、そこに悪辣さを育む遅咲きさと連携してはもともこもない。むしろ考えるのが遅いがゆえに、考えるのが早い人間の暴走をとどめ、批判することのなかに美点を認めるべきである。

またさらに成長が遅い人間は、それによって動物界(アニマル・キングダム)を支配するのではなく、動物界の暴走をとどめ、進化のスピードを減速させるために生まれてきたともいえる。進化の減速、それこそが人間の使命であり、おそらくそれこそが人間の運命であることを、これからゆっくり考えるべきなのかもしれない。

posted by ohashi at 20:06| エッセイ | 更新情報をチェックする

2021年05月05日

沈黙野よ語れ 2

私がイギリスで部屋を借りていたころのこと。日本人に部屋を貸したのがはじめてだった大家の老夫妻は、変な日本人である私が、いったいどういうところかやってきたのか興味をもっていたところ(ただし変な日本人というのは謙遜で、外国の日本人は(日本にいる日本人とは異なり)愛想がよく礼儀正しく親切で、またクレームなどつけず、見た目が若く子どもっぽいので、基本的に好まれるし、私もその例外ではない)、おりしも「日本週間」として日本文化を宣伝する催しものをイギリス全土でやっていて、テレビでも連日、過去の日本映画を放送していた。そのなかのひとつに小津安二郎監督の『東京物語』があって、老夫妻はテレビではじめて日本映画をみたらしい。

私は、ストラットフォード・アポン・エイヴォンで部屋を借りていたのだが(観光地なのでけっこう部屋代は高かったが)、大家の老夫妻はふだんヨーク市の自宅に住んでいて、暇な時にストラットフォード・アポン・エイヴォンにあるいくつかの自分の部屋に滞在していたのだが(残った部屋を賃貸ししていた)、ある日、私の部屋をドアをノックする音がしたので、出てみたら、そこに大家夫妻が立っていた。

とくに用件はなかったのだが、最近、テレビで映画『東京物語』を見て、感激したことを、私に伝えに来たのだった。突然の訪問で、しかも映画『東京物語』の話をするので、何のことかわからずうろたえたのだが、数日前にテレビで『東京物語』を放送していたことを思い出したので、映画はよかった、感激したとしきりに話す老夫妻に対して、その映画は古い日本の有名な映画監督の映画ですというようなことしか言えなかったのだが。ただ、そのときは『東京物語』がどんな話だったのか、うろ覚えで定かではなく、内容について踏み込んだ話ができなくて残念だった。老夫妻の話の内容は、たんに日本のほのぼのとしたホームドラマ映画が面白かったというようなことではなかったように思った。

何を、あんなに感動したのかと思ったのだが、当時は、たしかにビデオのレンタルショップはあったけれども、外国でも日本でも、いまほど簡単に過去の映画を見直すということはできなかったので、『東京物語』の内容を確認するのは、数年後のこととなった(またいうまでもなくパソコンも普及しておらずネットで情報を検索することも自宅ではむつかしかった)。

数年後。一度見たことのある映画だが、こまかな内容は忘れていたので、はじめてみる気持ちで、また、たとえ不可能ながらも、予備知識の全くないイギリス人の目で視聴したら、この映画がどううつるだろうかと、可能なかぎり、自分をイギリス人であると想定して映画をみてみた。

そして、あのとき老夫妻が感動した理由がなんとなくわかったような気がした。『東京物語』をみて日本人もイギリス人と変わらないということが痛感できたと夫妻は語っていた。日本人とイギリス人は違う。イギリスからみての日本と日本人は、礼儀と名誉を重んずる部族社会的伝統文化を、また義理人情に厚い濃密な人間関係と共同体を、たとえハイテク・近未来的文化に蹂躙されつつあっても、なお維持しているといったようなところだろうか。いまでは一昔前のイメージなのだろうが、だいたい第三世界(と昔呼んでいた世界)に共通するイメージだと思う。

ところが『東京物語』の日本人は、そうしたステレオタイプになじまない、どちらかというとイギリス人的な日本人だったのではないだろうか。

内容については、有名な映画なので語らなくてもいいかもしれないが、念のために、Wikipediaでのあらすじを引用する――

尾道に暮らす周吉とその妻のとみが東京に出掛ける。東京に暮らす子供たちの家を久方振りに訪ねるのだ。しかし、長男の幸一も長女の志げも毎日仕事が忙しくて両親をかまってやれない。寂しい思いをする2人を慰めたのが、戦死した次男の妻の紀子だった。紀子はわざわざ仕事を休んで、2人を東京名所の観光に連れて行く。周吉ととみは、子供たちからはあまり温かく接してもらえなかったがそれでも満足した表情を見せて尾道へ帰った。ところが、両親が帰郷して数日もしないうちに、とみが危篤状態であるとの電報が子供たちの元に届いた。子供たちが尾道の実家に到着した翌日の未明に、とみは死去した。とみの葬儀が終わった後、志げは次女の京子に形見の品をよこすよう催促する。紀子以外の子供たちは、葬儀が終わるとそそくさと帰って行った。京子は憤慨するが、紀子は義兄姉をかばい若い京子を静かに諭す。紀子が東京に帰る前に、周吉は上京した際の紀子の優しさに感謝を表す。妻の形見だといって時計を渡すと紀子は号泣する[6]。がらんとした部屋で一人、周吉は静かな尾道の海を眺めるのだった。


ほのぼのとしたホームドラマではない。家族崩壊の物語だ。

これを小津映画特有のローポジションのカメラアングルで最後まで押し通していく。すでに崩壊している家族関係が、故郷から東京にやってきた老夫妻と子どもたちとの出来事をとおして、隠しおおすことができないまま赤裸々に暴かれる。ここにあるものは、すべて冷たい。冷酷で残酷である。ローポジションのカメラアングルから生まれる様式美は、うるおいとか暖かさをもたらすのではなく、厳格さ、静謐さ、排除される感傷性、硬直化した空間を到来させる。つまり様式美に身が凍る思いがする。それは映画のなかの人間関係の客観的相関物ともなっている。

本来ならウエットでホットな家族関係のなんとドライでクールな様相なのだろう。それはまさにイギリスのみならず西洋の個人主義的文化における家族の希薄で冷淡な関係と寸分たがわず似ている。私がイギリス人なら、『東京物語』で描かれる日本人家族は、イギリス人家族と同じだと痛感するにちがいない。だからこそ、私の大家であった老夫妻は、このことを伝えたくて、わざわざヨークからストラットフォード・アポン・エイヴォンまでやってきて、ドアをノックしたのだと私はいまでは想像している。

小津監督の『東京物語』の冷酷さ――それが小津映画全体の特徴かどうかは別にして――に耐えがたいものを感じたと思われるのが(ほんとうに耐えがたかったかは別にして)、山田洋次監督の『東京家族』である。

私は『東京家族』を見て、山田監督は、良い意味で、なんと心が優しい人なのだろうと感動すらし、小津監督の『東京物語』と同じ物語なのだが、『東京物語』にはない暖かさを映画から感じ取り涙ぐんだりしたのだが、もちろん、それは監督の資質の違いというのではなく、『東京家族』は、冷酷な『東京物語』に、なんとか人間的暖かさをもたせようとした試みだということである。

たとえていうなら、溺れたところを助け上げられたのだが、しかし衰弱して差し迫る死を待つだけの人間が横たわっているとすると、その人間の手足をマッサージして、血の巡りをよくして生気をとりもどさせ、さらに人工呼吸などで肺に酸素を送り込み呼吸を安定させて、なんとかして蘇生させよと必死の努力をしている救急隊員、それが山田洋次監督ではないか。いつ臨終を宣告されてもおかしくない死にかかった人間を必死で蘇生させようとしたのが『東京家族』ではないか。ただ蘇生過程で、死にゆく者が発散する冷厳な運命への身の縮むような畏怖の念――小津監督の『東京物語』が帯びていたもの――は、失われるしかなかったが。

ノースロップ・フライはかつて過去の文学ジャンルを四季の変化にあわせて分類を試みたことがある(『批評の解剖』)。四季のある地帯でしか通用しない話なのでグローバルな観点ではないが、それはさておき、春のジャンルは喜劇、夏のジャンルはロマンス、秋のジャンルは悲劇、冬のジャンルは風刺(サタイア)と分類したのだが、この分類によれば『東京物語』は風刺(サタイア)であり冬のジャンルあるいは冬物語である――そこに身も凍る寒さを感じても当然ともいえる。山田洋次監督の『東京家族』は、このままだと死と絶望しかない冬のジャンルであり冬物語である『東京物語』を、春のジャンルである喜劇へと復活再生させようとした試みともいえるのだ。

【フライのこの分類のすぐれているところは、隣接領域をも視野にいれてジャンルの特性をみることができることだ。たとえば春のジャンルである喜劇は、風刺とロマンスに接している。喜劇は、この両方の要素をもつことがある。冬のジャンルである風刺は、悲劇と喜劇の中間ジャンルでもある。そこには、喜劇的な笑いもあれば悲劇的に残酷な笑いもある、というように。】

実際のところ、故郷から老親が上京してくる、東京で仕事をし暮らしている子どもたちが親の扱いをめぐって右往左往するのは喜劇の題材によくある(実はシェイクスピアの時代からある)。以前の記事で触れたアン・リー監督の『ウェディング・バンケット』も、アメリカで暮らすゲイの息子のもとに老いた父親と母親が台湾からやってくる話で、ゲイであることを隠している息子は、偽装結婚して親の眼をごまかそうとする喜劇であった。『東京物語』も、そのような喜劇仕立を可能にするような要素満載なのだが、映画は、そうした喜劇性を排し、家族の崩壊を冷徹にみすえるサタイア的なものとなった。山田洋次監督の『東京家族』も、冬物語をもっともっと喜劇化することもできたかもしれないのだが、小津映画に対するオマージュもあってか、物語の基幹は温存しつつ、家族のエゴイズムを最小限にして冷酷な印象をあたえないようにしている。そのため時折さしはさまれるいかにも小津的なカット(床の間の置物をじっととらえるような)が、なにか場違いな関連性を欠いたような不思議な印象しかもたらさなくなったのだが。

あるいは『東京物語』で熱海の温泉旅行へとやっかい払いされる老夫婦が、和室で夜布団にはいると、浮かれ騒ぐ団体客の宴会の騒音が伝わってきて、眠れないシーンを思い出してもいい。眠れないというよりも、旅館の宴会場からもれてくる大きな笑い声が、厄介払いされた老夫妻の寂寥感を、いやが上にも高めるというべきか。この場面を『東京家族』ではどう示すのか興味があったが、熱海ではなく横浜の新しいホテルに場所がかわり、廊下にでるとかすかに外国人客が宴会で騒いでいる音が聞こえてくるのだが、部屋にもどれば、音も聞こえなくなり、眠りを妨げるようなこともないという、なくてもよい場面でしかなかった。『東京物語』にあったから取り入れたというだけで、物語にも主題にも雰囲気にも有効なかたちでからんでくるようなものではなかったように思う。

小津安二郎の戦争体験の話である。

その「撮影に就いてのノオト」の断章、今一度、引用すれば

▲志那の老婆が部隊長のところに来て云ふ〈自分の娘が日本のあなたの部下に姦された〉部隊長〈何か証拠でもあるのか〉老婆 布を差し出す。
〈全員集合〉部隊長は一同を集めて布を出し〈この布に見覚えはあるか〉〈ありません〉〈次〉〈ありません〉一人づゝ聞いてまわる。最後の一人まで聞きおわると静(ママ)に老婆に歩みより〈この部隊には御覧の通りいない〉老婆 頷く。
抜き打ちに老婆を切り捨てる。おもむろに刀を拭ひ鞘に納める。全員に分れ。


これを読んで私は『東京物語』を思い出した。

もちろん直接的つながりはない。両者に物語的な類似性もない。まあ、あるとすれば、冷酷さか。かたや戦場における狂気と残酷。かたや平和な日常にひそむ人間関係の希薄さと冷酷さ。どちらも身のすくむような寒々とした情感に支配されているとでもいったところか。

しかしもうひとつ類似点がある。中国での老婆のたらいまわしである。部隊長は、うったえてきた老婆を兵士一人一人に順番に会わせて、最後にやっかい払いする。切り捨てる。そもそも兵士ひとりひとり会わせるというのも、たらい回しのやっかい払いであり、最後の惨殺は、たらいまわしの最後の仕上げということもできる。たらいまわしされる老婆。そのあげく殺される老婆。そしてたらい回しされる老夫婦。そのあげく老婆のほうが死ぬ。

両者はなんとなく似ている。緊密なつながりはないが、相互に影響を及ぼし合っているような二つの悪夢としてのぼんやりとした類似性がある。

ここで大岡昇平の『野火』の終幕におけるようなワープ現象を考えてみてもいい。たとえば中国本土で日本軍の中国民衆に対する無意味な狂気としかいいようがない残虐行為をみせつけられて神経に異常をきたした一兵士が、その夜、夢をみる。昭和28年の戦後の平和な東京。広島から東京にやってきた老夫婦が子どもたちにやっかいものあつかいされ、招かれざる客として子どもたちの家をたらいまわしされたあげく、故郷に帰される。おぞましい家族の現実にうなされた兵士は汗まみれになって目が覚める。夢だったのかと安堵するが、兵舎の外の庭では中国人捕虜が杭につながれ、銃剣で刺す実地訓練の材料として使われ刺し殺されている。悪夢は終わっていない。いや、どちらが悪夢なのだ……。

逆も考えてもいい。『東京物語』の残酷さについては、映画のなかでも、また監督自身によっても、その淵源が中国における日本軍の残虐行為にあったことについて語られることはないが、ただ、たとえ意識的・意図的ではなかったとしても、小津安二郎監督自身が、自分の覚書きから着想をえた、また、その覚書きの内容を変形・翻案して映画化した、あるいはその覚書きにこめられた情動と同じ情動をもたらす映画をつくろうとしたというようなことは言えるだろう。たとえ表だって、また明示的にではないにせよ(あるいはそれは不可能だったかもしれないが)、小津映画も戦争における日本軍の残虐行為を告発しているのである。そしてその残虐行為をもたらした日本軍の心性が、同じ、日本の民衆にも行使されるだけではなく、民衆にも確実に受け継がれていることへの静かな怒りと恐怖がみとめられるはずである。

『東京物語』は、それを契機に悪夢を思い出せと伝えているのだ。中国における残虐行為を。『野火』における戦後は、人肉食の悪夢にとりつかれていた。『東京物語』の戦後は、老婆の残酷な虐殺という悪夢にとりつかれていたのである。

そう考えれば、小津の従軍体験は、その代表作ともいえる映画のなかで、あるいは映画そのものが、確実に表象されている。従軍体験については沈黙していた小津だが、小津の沈黙は、、映画をとおして、まさに映画というカムフラージュによって、ありのままの冷酷な現実と真実を示しているのかもしれない。

小津の沈黙に限らない。戦争体験を語らない多くの戦争体験者。その沈黙野は――たとえかたくなにも語らないという姿勢すらも、ゼロではなく何かを意味しているのであるが――、とりつくしまのない、あるいは欺瞞的な静謐と沈黙を漂わせているだけにみえても、たとえ明示的ではなくとも、示唆的に隠喩的に言語遂行的に、また語らず示すことによって、真実を雄弁に語っているかもしれないのだ。沈黙野は、多くの貴重な証言とともに、真実の鉱脈を宿しているかもしれない。その鉱脈を発見すること。いいかえれば、それは解釈と批評に課せられる責務なのである。
posted by ohashi at 03:24| エッセイ | 更新情報をチェックする

2021年05月03日

沈黙野よ語れ 1

最近、4月にCSで小津安二郎監督『東京物語』(1953)と山田洋次監督『東京家族』(2013)を2週にわたって放送していたので、これを契機に、あるいは刺激を受けて、また考えているとかしっかり調べていないのだが、中間報告をすることにした。



いまから一年くらい前に出版された村上春樹『猫を棄てる』(文藝春秋2020)について、父親の戦争体験を軸に思うことがあって、昨年、このブログにも書いた。私自身の世代の父親が戦争でどういう体験をしたかではなく、体験そのものを沈黙して語らぬことが問題ではないか。この問題意識を私、あるいは多くの日本人は、村上春樹と共有しているのではないだろうか。村上氏の父親は戦争体験を語らなかったか、語ってもごくわずかであった。

もちろん一般論として出征した兵士たちは、戦争体験を語りたがらない。おそらく想像を絶する過酷な体験であっただろうし、楽しい経験もあったかもしれないが、それよりも思い出したくないことのほうが多くて、それに圧倒されて、たとえ聞かれても口をつぐむのは、よくわかる。どの国でも、戦争に勝ったとか負けたということに関係なく、戦争から生還した者たちは、戦争体験を語りたがらないようだ。

そのため出征した父親が戦争体験について沈黙をつらぬくのは理解できないわけではないが、しかし、ことは、日本軍が中国で行なった残虐行為に関係することである。過去の一定期間が空白あるいは虚偽の情報で埋められているとき、現在そのものが希薄になりかねない。沈黙あるいは虚偽によって支えられて虚妄の現在を、私たちは押しつけられたくない。

もっと言えば、黙っていれば、それで話題になることもなく、人びとの記憶からも消えてなくなり、真実も闇の中に葬られ、誰も責任をとわれることなく、安泰の日々が訪れるとでも思っているのだろうか。またもっとたちのわるいことに、なにもなかったと封印するだけでなく、ありもしない作り話をでっていあげて、過去を修正し美化することすらおこなわれている以上、これは放置できないゆゆしき問題である。

もちろん戦争の思い出は語られてはいる。中国における日本軍の残虐行為が強調されるが、実際には、中国人民とは友好な関係を築いていたと語る出征兵士たちはいる。自分の祖父からは、出征した時の思い出として、中国人と仲良くしていたことを聞かされたという学生もいた(その学生は、私がこれまで専任教員としてつとめていた大学の学生ではなかった)。【ちなみに私の祖父は、戦争には行っていない。母方の祖父は江戸時代生まれで昭和のはじめに亡くなっていた。父方の祖父も、戦前に亡くなっていたと思う。】

学生が語ったような話は、実は、よく聞く。それが意図的に捏造された回想だったら許しがたいが、おそらく嘘偽りのない体験なのだろう。そうした話を日本軍の残虐行為を隠蔽すべく右翼勢力は、よく引き合いにだすが、しかし、植民地化する日本軍の暴力支配を前に、友好的に接しなければ命がないときに、出迎える庶民の笑顔を本心からのものと信ずるのは愚劣な人間だろう。「鬼が来る」と恐れられていた日本軍に対しては、命がけで抵抗するのがむつかしい場合に、友好的に接するしかなかったはずだ。

もちろん日本軍の残虐行為を赤裸々に語る勇気ある証言も残っている。しかし、貴重なこうした証言は数が少ないのも事実。悲惨な残虐行為の被害者であっても加害者であっても、それは語りたくないことだろう。ましてや加害者の側だったら、なおのこと語りたくないだろう。

友好的な中国人とのふれあいを満喫した日本軍兵士。そして中国人を虫けらのように惨殺したか、惨殺されてゆく中国人を見ていた日本人兵士。バラ色の記録と暗黒の記憶。その両極端のあいだに広がる沈黙野。

米山公哲著『沈黙野』という小説を読んで、病巣があっても症状が出ない脳の部分を沈黙野と呼ぶことを初めて知ったが、それとは意味は違うし、またメタファーとしても、意味がずれるとは思うのだが、記憶として残っているのはわかっていても、語ろうとしない大部分の戦争体験者たちの群れを、私は「沈黙野」と呼びたい。そしてこの「沈黙野」を抱えているかぎり、私たちの現在は希薄なままだし、ことによると、この「沈黙野」現象は、現在の日本人をむしばむ病巣かもしれないとすら思えてくる。もちろん沈黙しているのだから、病気とは認定されることはないのだが、それを脳外科医さながら、病巣であると特定することも私たちの責務ではないかと思っている。

父よ語れ、記憶よ語れ。

【ちなみに、私の父親、出生してもおかしくない年齢だったが、戦争に行っていないので、父から戦争体験を聞いたことはない。戦争に行かなかった理由は、私としては納得できるものだった。前にも書いたが、父がトリックスター的に徴兵を免れ逃げ回っていた非国民だったら、息子としてはほんとうに父のことを誇らしく思ったのだが(悪と不正の体制に忠誠を誓うのは悪と不正の徒になりさがることだから、たとえ非国民といわれてようと徹底して抵抗していたら、私は父をほんとうに尊敬していただろうが)、そうしたことはなかった。むしろ父にとっては、戦後の混乱期のほうがつらかったようで、その頃のことについて父は饒舌だった。】

村上春樹の『猫を棄てる』以外に、父親が戦争体験を語らなかったことをめぐる悲哀あるいは怒りにも似た感情を語る本として思い出すのは、辺見庸『完全版1★9★3★7』(上・下、角川文庫2016)である。

中国に出征した父親が語りたがらない戦争体験を契機に、戦前というか、すでに戦争状態にあった日本の文化と現在にも通ずる日本人の心性を、身を切るような思いで徹底的に腑分けする歴史評論でありカルチュラル・スタディーズであり批評であり自伝(父親との関係をめぐる)でもあり、現在の日本に対するこれ以上はないと思われる鋭い警世の書でもある本書は、何度読み直しても得るところは多く、悲しみと絶望そして怒りがこみあげてくるのを禁じ得ない。そのなかに著者が小津安二郎の映画について語っているところがある。

実は村上春樹『猫を棄てる』でも映画好きの父親と息子は戦後、ともに映画館で過ごすことが多く、それが父と息子の精神的交流を実現していたのだが(実際、村上父子は、一時的に不和状態を経験したようだが、基本的に仲のよい父と子であるように思われる)、いっぽう辺見庸も戦後父と映画館ですごすことが多かったものの、父親が好きだった小津映画を辺見庸少年は、うんざりしながら見ていたようだ。もちろん小津映画が人気を博していた当時、それは万人向けのホームドラマの娯楽映画であって辺見少年にとっては、唾棄すべきものであっただろうし、また中国での自分の行為を正当化もせず弁解もせず、ただ沈黙して忘れ去ろうとするだけの父親が、熱心に楽しんでいるという理由からも、小津映画など唾棄すべきものであった。

もちろん辺見庸は「ゴダールやアッバス・キアロスタミやヴィム・ヴェンダース、候孝賢らの外国映画も小津作品をたかく評価し敬愛している」(上229)ことは承知している。しかし著者は、小津映画の静謐さあるいは芸術性そのものに、戦前から戦後にかけての日本人の心性――真実から眼をそむけるだけでなく真実をねじ曲げながら、あるいは何ごともなかったようにとりすまして泰然自若とする卑怯な下劣さ――を見ている。日本人の静謐な仮面の下にある、残酷さと傲慢さと狂気。それと同じものが小津映画にはあると著者は、考えている。

中国での残虐行為の対極に位置するような小津映画のなかに、残虐行為と同じものを見抜く著者の筆鋒は、まさに開けてはならない「パンドラ」の箱をこじあける(文庫版の帯の惹句)鋭さをもっている。当然のことながら著者は小津映画のファンではないし、そのほとんどを見ていないときちんと断っている。

ただ、注目すべきは、著者が小津映画と戦中の中国とのつながりを見出したことである。著者は、小津が中国の戦場で書いた映画用の覚書きのなかから次の記述を発見する――

▲志那の老婆が部隊長のところに来て云ふ〈自分の娘が日本のあなたの部下に姦された〉部隊長〈何か証拠でもあるのか〉老婆 布を差し出す。
〈全員集合〉部隊長は一同を集めて布を出し〈この布に見覚えはあるか〉〈ありません〉〈次〉〈ありません〉一人づゝ聞いてまわる。最後の一人まで聞きおわると静(ママ)に老婆に歩みより〈この部隊には御覧の通りいない〉老婆 頷く。
抜き打ちに老婆を切り捨てる。おもむろに刀を拭ひ鞘に納める。全員に分れ。
(上・229)


これは小津が中国で書いた「撮影に就いての《ノオト》」の一部で、田中眞澄『小津安二郎と戦争』(みすず書房)のII「小津八頭次郎陣中日誌」に収録されているとのこと。

当時の皇軍の得体の知れなさ、歴然たる狂気と不条理を鋭く分析したあと、著者はこうつづける

『小津安二郎と戦争』の著者、田中眞澄氏の解説によれば、「撮影に就いての《ノオト》」は「将来の映画づくりの参考にすべきネタ帳である。一兵士としての小津が戦線で採集したエピソードの数々で、実際の見聞を書きとめたのだろう」とし、部隊長が老婆を斬りすてる一場面は「このネタ帳の性質からいってフィクションではありえず、当時の日本兵の行状の一端が、ここで否応なしの事実として記録されてしまった」と指摘している。そのことにわたしはおどろかない。きっとそうなのだろうとおもう。もんだいはこのとき、小津の位置がどこにあったか、である。上・231


ただ小津が実際に目にしたから聞いたかはわからないにしても、このメモは、当時は、絶対に知られてはならなかっただろうし(「皇軍は、中国の娘を凌辱することはなかったし、また訴えてきた母親を切り捨てることもしなかった、そもそも皇軍は中国を侵略などしていなかったし、戦争などなかった、兵士もいなかった……」という、ユダヤ人のヤカンの論理と同じものは、昔も今も日本にははびこっている)、戦後になって、いくら戦中の軍国主義批判が盛んになっても、さすがにこのメモにのっとった映画なり映画的断片をつくることは人気監督であるだけに、絶対にできなかっただろう。

もちろん著者の批判は、残虐行為を前にしても、道徳的な憤りをおぼえたり、残虐と狂気に恐怖したりするのではなく、美的に(ただし倫理性なき美は世紀末的頽廃美なのだが)に刺激的であれば、その面白さに酔いしれる映画監督の腐った(現代の日本人にも通じる)心性を批判しているのだが、それはまた現代のメディア批判ともなっている。政権や電通やジャニーズや吉本への批判は、なさけないほどのメディアの弱腰(あるいは無視をきめこむ姿勢)と、美的・映像的・ドラマ的な強度に敏感で倫理的政治性をすべて捨象するメディアの姿勢とが同じものの両面であることを小津の映画的メモと映画監督的心性から洞察しているのである。

しかし、せっかくの映画メモである。監督小津安二郎は、これをヒントに映画をつくらなかったのだろうか。もちろん、そのままでは、前衛的な不条理映画あるいは左翼的軍人批判となって、おそらく左右どちらからも批判されていたと思うので、そのままではもちろんなく、変形と翻案がなされるのだが、この小津メモを読んで、何か思い浮かべないだろうか。

著者の辺見庸氏が小津映画を嫌いなのは(その理由は理解できるし、はからずも、その理由こそが、小津映画の特質をどんな批評家よりも鋭くつくものとなっているのだが)、かえすがえすも残念ではある。もし小津映画をよく知っていれば、おそらく私よりも、はるかに鋭い分析を実践されていたと思うのだが、それはともかく、引用されたメモを読むと、おぼろげながら映画の輪郭がみえてくる。

しかも、おぼろげだった輪郭が、だんだんはっきりしてくる。私にあはそれがみえてきた。そして少し震えた。これは――『東京物語』ではないか。

つづく
posted by ohashi at 20:02| エッセイ | 更新情報をチェックする

2021年04月26日

七転び八起き

英語で「七転び八起き」というのはどういうのだろうという疑問は愚問である。実際には、そういう質問に答えているサイトがあって、笑ってしまうのだが、同じ表現が英語にあるかどうかということなら、そういう表現はない、と答えるしかない。類似の内容の表現はあるかといえば、まあ、どの言語や文化にも同様の表現はあるだろう。英語には、類似の表現なり諺なり成句があると紹介しているサイトがある。しかし、同様の表現なら、とくに英語に詳しくなくても、たとえば“Never give up”という表現くらい思いつくだろう。「七転び八起き」というのは命令文ではないが、“Never give up”と同じ意味だといっても、まちがいはないだろう。

ところが「七転び八起き」が、英語表現に取り入れられ初めて、将来、類似表現ではなく、それの直訳が使われるかもしれない、いやひょっとしてもう直訳が使われているのかもしれない。「七転び八起き」を英語でいうと、こうだと類似表現を掲載しているサイトは修正すべきである。「七転び八起き」の直訳はあるのだ。

『私立探偵マグナム』というと、私のような老人にとって、アメリカでは1980年から放送され、日本でも1984年から放送された、トム・セレック主演のシリーズを思い浮かべてしまう。いまトム・セレックは『ブルー・ブラッド』で大御所感をこれみよがしに発散しているが、トム・セレックのマグナムは、たとえ髭をはやしていてもスマートな軽妙さを存分に発散していて、当時、人気の絶頂にあったのもうなずけた。

当時、日本にいていわからなかったのは、『マグナム』が『ハワイ5-0』の後釜として放送されたことだが、『ハワイ5-0』は日本では私が子どもの頃みただけで、その後は放送されていなかったので、その存在をすっかり忘れていた。『マグナム』もハワイが舞台だったので、関連に気づいてもよかったのが、1984年当時『ハワイ5-0』はヴェンチャーズの音楽とともに、子どもの頃に消え失せた存在だった。

『私立探偵マグナム』のリブート版が2018年からアメリカで放送されていて、日本でもBSかCSで放送さたのだが、そのシーズン2(現在アメリカではシーズン3まで放送)がAXNジャパンで放送されることになり、最近、シーズン2開始前に、シーズン1を一挙再放送した。熱心なファンではないので、ときどきぼんやりと見ていたのだが、シーズン1の終りのほうのエピソードで、ジェイ・ヘルナンデス演ずるマグナムの(正式ではないが、実質的な)パートナーともいえるジュリエット・ヒギンズ(パーディタ・ウィークスが演じている)が「七転び八起き」の話をするので驚いた。

【余談だが、イギリスの女優パーディタ・ウィークスの出演映画を私はみたことがあるはずだが、彼女の存在は認知していない。ただ「パーディタ」という名前があることにすくなからず驚いた。ハーマイオニーといい、パーディタといい、一般的な名前というよりも、シェイクスピア劇にしか出てこない名前だが、彼女たちが現実にいると思うと不思議な感じがする】

べつのことをしながら字幕版をみていたので、英語表現ははっきり聞いていない。たぶん“Fall down seven times, get up eight”ではなかったか。WikipediaのJapanese proverbsという項目にも、調べてみると、この「七転び八起き」が紹介されていて、そこでは“Fall seven times, stand up eight”と表記されている。たぶんこうした英語で紹介されているのだろう。これがわかったのも『マグナム』のリブート版のおかげなのだが、驚きはそれだけではなかった。

ジュリエット/パーディタ・ウィークスから「七転び八起き」の話を聞かされたマグナム/ジェイ・ヘルナンデスは、七回倒れたら、七回起き上がるのであって、なぜ八回なのだと問いかける。倒れた回数と、起き上がった回数は同じではないか。なぜ八回なのだ、と。

たしかにマグナムのいうように、転んだ回数と起き上がる回数は同じはずで、なぜ起き上がる回数が一回多いのだ。「二泊三日」という表現があるが、これは移動する日数は泊まる回数よりも自動的にひとつ多くなる。こういう必然的というか機械的法則が「転ぶ」と「起きる」の関係にあるのだろうか。マグナムはエピソードの最後まで、この数字にこだわっていて、やっぱり八回はおかしいとジュリエットに伝えている。

ひとつの有力な考え方、それもあまり合理的ではない考え方というのは、七回倒れたり、転んでも、一回余分に起き上がるくらいに、resilienceが強いというか、resilienceの意欲に満ち満ちているというような、意味としてはナンセンスだが、そのナンセンスぶりがnever-give-up精神の強調表現になっているということもいえる。

シェイクスピアの『お気に召すまま』にあるフレーズに「永遠と一日Eternity and a day」というのがある。永遠は有限なものではないので、そこに何かを加えたり削ることなどできないのだが、それでも永遠に一日を足すことで、永遠よりもさらに長い期間という、ナンセンスだが、なんとなくわからないわけではないことをいわんとしているのではないか。この七回倒れて七回起きるだけなく、よぶんに八回起きてしまうというところに、ナンセンスだが、復元力・回復力のすごさの強調とみなすことができる。

英語のサイトでは、これを日本の諺だとしているのが、もちろん、こういう諺の例にもれず、これは中国から入ってきたものである。ただ、その正確な出典がわからないみたいなのだが、中国では「八」というのは縁起の良い数であって(「七」もそうだという説もある)、「八回起きる」という表現で、縁起のよさ、神聖なもの、奇跡的なものという意味を付与して、起き上がることの意義なり重要性なりを強調しているともいえる。まあ、そんなところのなのかもしれないが、もちろん合理的な説明もできる。

そもそも転んだり倒れたりするには、立っていなければならない。寝転んでいたり、横になっていては(つまり立っていないのなら)、転んだり倒れたりできない。だから最初は立っている。あるいは立ち上がる。英語でもrise and fallというように、先ず立ち上がる。人間はほかの哺乳類とちがって生まれてすぐに直立歩行できない。成長して立ち上がる。人間には、立ち上がること、一人前になるとか成人になることが、大きな目標となる。あるいは成功すると考えてもいい。問題は、せっかく一人前になって立ち上がったとしても、あるいは努力とか運によって成功に恵まれたとしても、次の瞬間、倒れたり転んだりする不幸がまちかまえている。あるいは立ちあがることによって、それまでなかった、転んだり倒れたりする可能性が同時に発生するということもできる。こうして、立ち上がる人間は、必ず倒れる。しかし、倒れてもまた起き上がるという気概を失ってはならない。

こう考えれば、rise and fall――「起き上がる」というと「転んだ」が前提となっているようだが、「起」は成長して立ち上がるという意味も含まれるのだから、物語は、あるいは悲劇は、立ち上がった(成長した、成功した)ところから始まる。つぎに襲ってくる、怒濤の転び。だが何度転んでも立ち上がる。このとき立っている回数と転んだ回数では、最初に立っているのだから、立っている回数が転んだ回数よりもひとつ多い。七回転んでも、それで立ち上がったら、最初に立ち上がった/成長した過程を数えれば八回立っていることになる。

と、まあ私はそんなふうに考えている。
posted by ohashi at 22:49| エッセイ | 更新情報をチェックする

2021年04月12日

『パティ・ディプーサ』 2

ドラッグ・クイーン言説と呼吸と同じホモフォビア

前回の『パティ・ディプーサ』の記事で、翻訳者が、ペドロ・アルモドバルがゲイで、腹話術的に女性の主人公に憑依して語っていることをまったく理解しないまま、自然な女性の語り口を翻訳で再現しようとして、翻訳者の「女房」に助けを借りたことをふれ、腹話術的な、あるいがドラッグ・クイーン的な語り口は、むしろ不自然なところがあったほうがいいということを述べた。これについて補足を。

またもう一つ、「女房」に関連して、翻訳者は、たぶんアルモドバルがゲイであることを知っているか、噂にでも聞いている。そのくらいは、翻訳者として知っていておかしくない。アルモドバルは積極的にカミングアウトしているから、知っていておかしくない..。となると「女房」話もホモフォビアとの関係から見るべきである。このことを指摘しおきたい。

作者アルモドバルがゲイ男性として、女性の主人公の一人称の語りで作品を構成しているということは、男性が女性の衣裳を着ている、つまり女装なのだが、ただ、ドラッグ・クイーンと異性装の違いは(ほんとうは違いなどないのかもしれないが、あるとして)、異性装が限りなく異性に近づこうとするのに対して、ドラッグ・クイーンの場合は、異性よりも変装とパフォーマンス性を重視することだろう。そしてそれは越境性を重視するというか、ジェンダーの壁と戯れることを意味する。

ジュディス・バトラーが『ジェンダー・トラブル』で触れていたように、ドラッグ・クイーンのパフォーマンスのなかでのぞまくしくないのは、女性とみまごうばかりのというか完全な女性化か、さもなけれrば、女装・女性化の無惨な失敗を喜劇的に誇張することである。後者は、たとえば喜劇などで、むくつけき男性オヤジが、どうみても女性にはみえない、ばればれの変装で笑いをとるようなことである。この場合、ジェンダーの壁は越えられないことが思い知らされるのであって、男女の違いは、強調されるばかりである。

これに対して、完全に、どうみても女性にしかみえないような変装は、男性も、やれば完璧に女性になれることになって、ジェンダーの壁などないことが証明されることになる。しかし、一見、これは斬新な、あるいは前衛的な視点であるかにみえて、男女の二極化を前提とする保守的な観点にすぎない。男女の二極化しかないところでは、いずれのジェンダーも、異性になることに失敗するか成功するかのいずれかでしかなく、その中間がない。

越境性というのは、境界の両側に位置するのではなく、境界の上を、中間地帯を歩くことである。また、どちからか一方の側にとらわれてしまうのではなく、両側を往復することである。そのためにも、完全に女性になりきることは、往復の可能性を消去することになり、望ましくない。

したがってドラッグ・クイーンは、どうみても男だけれども、また男であることはまちがえようがないが、しかし、ときとして女性以上に女性的にみえることもあるという二重性を実現することになる。二重性を生きると言ってもいい。

ジェンダーの壁は守られているが、同時に、破られてもいる。このことによって、ジェンダーの絶対性ではなくて、パフォーマンス性ということが異化的に強調されることになるのである。

アルモドバルの『パティ・ディプーサ』は語りあるいは言説レベルでこれを行なっている。主人公は女性である。決してゲイの男性ではない。ここが重要で、両性具有的ではない(たが描写の解釈にもよるが、彼女が男性的な特質をもっているのかもしれないと疑わせるところはあるし、性格的に男勝りの姉御でもあるのだが)、ジェンダー的に曖昧さがない純然たる女性であるがゆえに、ゲイ男性の語り手が、そこに自分を潜り込ませることのできる記号あるいは衣裳として機能が生まれるのである。

だから、むしろ男性の翻訳者の、ぎこちなくなるかもしれない語り口を残したほうが、ドラッグ・クイーン・ディスコースとしてのありようを意識させるという、通常の翻訳では望めない効果を生むことになったかもしれないのであって、この好機を、翻訳者は逃したということがいえるかもしれない。「女房」に、小説の一人称の女性の語り口を、女性の自然な語り口になおしてもらうことによって。

だが、翻訳者は、おそらく、これがゲイ男性の作者による腹話術的語りであることを知っているのだろうと思う。そのことを明言しないのは、作者がゲイであることを、マイナス情報とみなしているとしか思えない。私だったら、プラス情報として公言する。

もちろんゲイであることを隠している作者もいるだろうし、その場合、本人の意向に反して、その情報を公にすることは、むしろ犯罪に近いのだが、アルモドバルの場合、おおっぴらにカミングアウトしているのだから、その意向こそ尊重すべきであって、それをしないのはホモフォビアでしかない。

作者がゲイであることを隠す代わりに翻訳者が何をしたのかというと、「女房」との弓道作業の話を記したのである。これがホモフォビアでなくして何か。

その箇所をもう一度引用していおく――

ぼくが一気に一章分を訳すと、女房は、パティ・ディプーサの語り口が、女のことばとして不自然なところがないように、どんどん語尾を直し、リズムを整えてくれた。そしてそのあとで、声に出して読みながら、ふたりで腹をかかえて笑ったものだ。翻訳がいつもあんなふうに楽しければいいのになあ、といま思うのだが、これはたぶん一生のうちでもそうめったにないことだろうと思う。なにしろ、こんな楽しい小説が〔sic〕 めったにないのだから。


ちなみに、昔、ある文学関係の学会(私が所属している学会ではない)のパネルディスカッションに招かれて、パネラーとして参加したことがあった。そのとき、驚くべきことに、私以外のパネラーは、全員、自分が結婚していることを明言するかほのめかしたのである。私は、結婚しているとも結婚していないとも、なにも語らなかったし、べつにそのことを語らなくても、発表になんら支障も生じなかったからである。そもそも1名のパネラー(私のことだが)を除いた、残りのパネラー全員が、聞かれもしないのに、自分が結婚していることを発表のなかに盛り込むようなパネルディスカッションは、空前絶後である。

その学会のパネルディスカッションは、同性愛や同性愛文学に関係するテーマを議論する場であったので(学会そのものは、同性愛関連の学会ではなかった)、パネラーは、自分は同性愛文学や文化に関心があり研究しているが、同性愛者ではないことを、それとなく強調したのである。「私はヘテロであって、ホモではない」と、自分の結婚話とか結婚生活にふれて、それとなくほのめかしたのである――私は、そのホモフォビアに唖然とした。

似たような例として、たとえば日本の被差別部落の研究をしている人間が、自分のことをそうした被差別部落の出身と誤解されるのがいやで、「私は被差別部落の研究をしているが、被差別部落の出身ではない」ことをほのめかしたとしたら、あるいは明言したら、まちがわれるのが嫌だという差別意識があることの証左にほかならない。たしかにそうした研究をしていれば、被差別部落の出身者か関係者だと誤解されることはあろう。しかし誤解されてもいいのではないか。自分自身に差別意識がなく、また差別する側の人間を軽蔑しているのなら。

そして同性愛関連のパネルディスカッションで、聞かれもしないのに(ここが重要なのだが)、自分が結婚していることをそれとなく、しかし、まぎれもないようにほのめかすパネラーも、結局、同じような差別意識にとらわれているのではないか。

いや、被差別部落の差別と、同性愛差別は、異なるという議論はある。たとえば被差別部落を研究し、差別には徹底的に反対するが、自分は被差別部落出身ではないと公言する場合、差別との戦いに、関係者でなくとも参加しているという姿勢を明確にし、たんに関係者・身内の問題ではなく、それこそ人類全般に関わる普遍的な戦いとして差別と対決するのだという連帯の意思表明ということもあろう――もちろん、その場合、こうしたことを裏声やささやき越えではなく、大声ではっきりいうという場合にかぎるが。

これと同じで、結婚している異性愛者であっても同性愛には関心があること、異性愛者でも同性愛の問題に対して反発や嫌悪感をいだくどころか、強く惹かれることを明確に表明する場合もある――もちろん当時の私以外のパネラーは、自身の結婚のことを、ごくさりげなく、自然に、言及したのであって、そこになんらかのマニフェストなどこめられていようもなく、あるのは、「ホモを研究しているが私はホモではない、れっきとした異性愛者で結婚しているのだ、まちがえるな」、というホモフォビア以外しかなかったのだが。

被差別部落出身という話をもちだしたのは偶然ではない。部落出身か出身ではないかは、ユダヤ人かユダヤ人でないかと同様に、明確に線引きできる。非出身者、非ユダヤ人であることを明確にすることは、コンテクストにもよるが、差別意識か連帯意識かのいずれかであって、これは容易に判定できる。

ところが同性愛者と異性愛者の線引きはできない。つまり誰もが、異性愛者でも、同性愛的欲望をもっている。100パーセントの同性愛者、異性愛者というのはいない。そのため自分が「異性愛者」であることを明言することは、同性愛者を遠ざけることになる。自分のなかにある同性愛的欲望、あるいは同性愛者を否定することになる。これがホモフォビアでなくして何か? 連帯意識などではない。差別意識そのものにほかならない。誰もがユダヤ人ではないが、誰もが同性愛者なのである。

【なおラシーヌの悲劇『アタリー』を例に、ユダヤ人であることをカミングアウトすることと、同性愛者であることをカミングアウトすることとの似ているが異なることを議論したのがセジウィックの『クローゼットの認識論』である】

ただ、その時の私以外のパネラーが強い信念と意図をもって、姑息な異性愛宣言を行なったとは思わない。同性愛者とみられるのが嫌で(そうみられたっていいではないか。むしろそのほうが誇りではないか。A型の私がAB型の人間に見られたらうれしくはないか。そのとき私はA型ですとはっきりいうとすればAB型とみられるのを嫌っていることになる……)、自然と結婚話がでてしまったということだろう。もちろん、真相はどうであれ、愚劣な隠れ差別主義者であることはいうまでもない。

『パティ・ディプーサ』の翻訳者は、アルモドバルがゲイであることを知っていたと思うのだが、知らなかったかもしれない。しかし、たとえ知らなかったとしても、この翻訳作業に不穏なもの(同性愛的なもの)を察知して、「女房」話を訳者あとがきに挿入することになったとのだろう。

すべての翻訳家がそうしているわけではないだろうが、多くの翻訳者が、パートナーに訳したものをみてもらって助言をもらうようなことをおこなっているはずである(今回のように女性らしい言葉遣いになっているか確認してもらうことなど、日常茶飯事的におこなわれていることだろう)。だから、わざわざ訳者あとがきのなかで触れるまでもないことなのだ。しかし、あえて「女房」の存在にふれた。私は、こんなゲイっぽい作品を翻訳しているが、ホモじゃないぞ、あるいは女性の語り口を、とてもうまく訳していて読者は、私のことをオカマかと思うかもしれないが、これは「女房」にみてもらったからであって、オカマとまちがえるな、というメッセージがこめられているのである。

私が例にあげたパネラーも、この翻訳者も、(「息をするように嘘をつく」という表現をまねれば)、息をするようにホモフォビックな差別的言説を発信し、異性愛者としての自分を無意識のうちに強調していたのである。


posted by ohashi at 21:18| エッセイ | 更新情報をチェックする

2021年04月08日

『パティ・ディプーサ』

このところメタフィクションを読むことになって、まだ読んでいなかったペドロ・アルモドバルの『パティ・ディプーサ』(1991)(水声社1992)を読んだ。

まあ、話は面白かったのだが、メタフィクションとしてみるとき、というかメタフィクションという観点に限れば、終りのほうで、作者(アルモドバル)が、主人公パティ・ディプーサと対話するところがあり、これがメタフィクション性ということになるのだろうか。

翻訳には、『パティ・ディプーサ』のほかに「世界的な映画監督になるためのアドバイス」が収録されていて、どちらも作者の自伝的要素がつよいと解説で述べられているのだが、デフォルメがきつすぎて、映画監督としてのこれまでの経歴あるいは日常をこれで推し量ることはできない(自伝的といえば日本でもコロナ禍のもとで公開された『ペイン・アンド・グローリー』をまだ見ていないのだが)。

ただ、この翻訳で気になったのは、翻訳出版が、アルモドバルの映画が紹介されはじめた時期のことで、『オール・アバウト・マイ・マザー』とか『トーク・トゥ・ハー』などの代表作はまだあらわれておらず、彼が「世界的な映画監督」になる前のことである。そのため訳者あとがきにおける、監督に対する情報が薄い。もちろん、どう訳者あとがきを書くかの規則などないので、これはこれでいいのだが、ただ、アルモドバルがゲイであることに一言も触れていない。

以前、このブログにも書いたように、英国の短編作家サキについて、ゲイであることに触れていない翻訳者の姿勢は、同性愛者差別にほかならない(「サキ」という語そのものが同性愛者を示唆していて、作家がカミングアウトをしていても、周囲が無視する典型例のひとつである)。ただ『パティ・ディプーサ』の翻訳者の場合、アルモドバルがゲイであることを知らなかったのかもしれない(もし知っていたら、それにふれない差別的姿勢は批判されてしかるべきなのだが)。日本版ウィキペディアにはアルモドバルが同性愛者であることを公言していると書かれている。そう公言しているものを無視するのは差別だが、翻訳出版の時点では、作者がゲイであることは知られていなかったのだろう。

ちなみにアルモドバルがゲイであることを私が知ったのは、アイルランドの作家コルム・トイビーンのエッセイ集Love in a Dark Age: Gay Lives from Wilde to Almodóvar(Picador,2001)だったのだが。

もちろん監督・作家がゲイであることと作品とは関係がないという場合がある。しかし、この『パティ・ディプーサ』の場合、それはあてはまらない。この小説のなかで、プロミスキュアスな性生活と性遍歴の日常を一人称で語るセクシー女優が、作者アルモドバルの分身、それもゲイ的欲望を体現した分身であることは随所からうかがえる。彼女は、アルモドバル自身と同化してアルモドバル自身の欲望の体現者になるといったほうがいいだろうか。

物語の中に、きわめて示唆的な出来事がある。パティがつきあっている年下の男性の母親が、その交際を嫌い、パティにむかい、あなたのようなゲイの男性と息子はつきあってほしくないというのである。パティは、これを聞いて激怒する。自分はれっきとした女性で、ゲイではない、と。実はこれはパティの年下の男性が母親にパティのことをゲイだと嘘をついたことからはじまる誤解なのだが、女優がゲイと思われてしまう設定は、彼女の存在あるいは容姿を決定的に男性、それも両性具有的なゲイ男性に近づけてしまうことだろう。

小説の最後の主人公と作者との対話のなかで、彼女は、アルモドバルに、自分は男か女かゲイかと問うている。アルモドバルは、彼女に、女であると答えている。この問答のなかにさりげなくすべりこまされた「ゲイ」という単語は、物語の主題を男女の異性愛に収斂しない主題群へと開いている。否認されるためとはいえ、同性愛的要素を出現させる。だが否認こそが、フロイト的観点からすれば、肯定なのである(「ぼくは悪いことなどしてない」と聞かれもしないのに言い出す子どもは悪いことをしているに決まっているし、「これはゲイ小説ではない」と語る小説は「ゲイ小説」なのである)。否定、あるいは否認によって存在が肯定されるのである。

「ゲイ」という言葉によって、ゲイ的欲望への回路が閉ざされつつ開かれる。そして読者もまた、この作品という絨毯の裏あるいは表の模様を想像することになる。主人公の女性の一人称の語りを男性作家が書いているという、とくに珍しくもない小説の約束事が、ここではにわかにゲイ的欲望の世界を出現させることになる。作家が同性の語り手と一体化するとき、たとえば男性作家が男性の主人公と一体化するとき、主人公の女性に対する異性愛的欲望を作家は共有することになる。これに対し男性作家が女性の主人公と一体化することは、女性の男性に対する欲望を、男性作家もまた共有することになる。女性の主人公が男性に魅力を感ずるとき、その欲望は、男性作家の男性に対する欲望と一体化している。つまり同性愛の実現である。

男性作家と女性の語り手との関係は、この小説では、主人公である女性=語り手のプロミスキュアスな性生活は、作家のそれのメタファーあるいは文字通りのものだろう。この意味で男性作家と女性人物は同一化している。彼女は、男性作家のドラッグ・クイーン的コスプレであるといえて、まさに男が女に変装する異性装のゲイである。

ところがまた男性作家は、女性の主人公の目をとおして男性みている。彼女の男性に対するヘテロな欲望が、男性作家にとっては同性である男性への欲望の基盤となる。その意味で、彼女はヘテロな女性でなくてはならない。パティ・ディプーサは、女性であり、断じてゲイデはないが、同時に、ゲイあるいはドラッグ・クイーンでもあるのだ。

その意味で、小品ながら、この小説は女性の一人称語りのなかに、ゲイ的欲望をすべりこませた、ゲイ文学の佳作といえるだろう。

ちなみに翻訳者は、訳者あとがきで、こう書いている

ぼくが一気に一章分を訳すと、女房は、パティ・ディプーサの語り口が、女のことばとして不自然なところがないように、どんどん語尾を直し、リズムを整えてくれた。そしてそのあとで、声に出して読みながら、ふたりで腹をかかえて笑ったものだ。翻訳がいつもあんなふうに楽しければいいのになあ、といま思うのだが、これはたぶん一生のうちでもそうめったにないことだろうと思う。なにしろ、こんな楽しい小説が〔sic〕 めったにないのだから。


と。そんなに楽しい小説でもないし、そんなに笑える小説でもない。ただ、翻訳者は、この小説のゲイ的要素あるいはクィア的要素を感づいてはいるのかもしれない。

ただ、それにしても一度訳したものを、「女房」(いまから30年前には、こういう表現がふつうだったとは思わないでほしい。1992年の時点でも、「女房」という表現は文章語としては違和感があった)にみてもらい、女性の自然な語り口になおしてもらったということだが、ふつうの小説なら、それでいいと思う【付記参照】。だが、よりにもよって、このゲイ小説にそうするとは。

スペイン語についてまったく無知な私なのだが、ただ他のヨーロッパの言語と同様、男言葉と女言葉の違いは、あっても、日本語ほど顕著ではないと思う。そしてイメージとして、あくまでもイメージとしだが、この小説の女性の主人公の語り口は、女になりすましている男の語りである(「お**言葉」である)。したがって、男性の翻訳者が女性の言葉づかいをむりに再現したような、どこか不自然なところを残しておいたほうが、この小説の語りの構造に合致する。それを、女性(ああ「女房」!)にみてもらって、自然な口調になおすとは!

翻訳者にはっきりいっておこう、あんたには、この小説を訳す資格も感性もないぞ、と。

付記
  私が中学生か高校生の頃に読んだ中央公論社版『世界の文学54――ドイツ名作集』(1967)には、ドイツ文学の古典から現代までの中編・   短編を収録したもので(一部抄訳があるが、ほとんどが全訳)、どの作品も、驚くほど面白くて、ほんとうに感銘を受けたという表現ぴったりの作品集だった(古書になるが、いまでも自信をもって進めることができる一巻である)。なかでもハインリヒ・マンの「ブランツィルラ」は、女優だったか娼婦だったかの一人称の語り手で、その語り口(全編、独白的な語り)が驚異的であった。いまにして思えば、『パティ・ディプーサ』の原型のような作品であり、こうした作品なら女性の語りを不自然でないかたちに練り上げる作業は必要かもしれない。とはいえハインリヒ・マンについては全く無知なのだが、弟のトーマス・マンと同様、ゲイ的欲望にも片足を突っ込んでいた可能性があるので、この作品は、『パティ・ディプーサ』に,思った以上に接近していて、語りの異性装の実現かもしれないが。

posted by ohashi at 21:01| エッセイ | 更新情報をチェックする