2018年01月05日

評議員会について

元横綱春日相撲協会の暴行問題に端を発する、ごたごたについて、五日にも評議員会による処分が確定して、池坊評議員会議長が悪役になっていて、しかも本人、自分が悪役だとは気付かず、ひたすら相撲協会よりの発言しかしてないのに、正義の立場を貫いていると思い込んでいるとんでもない愚か者で、まあ悪役として叩かれるのにふさわしいのだが、それとはべつに相撲協会が理事会と評議員会に分かれていることについて世間で違和感をもたれているようなので、以前、公益法人の業務に携わったことがあるので一言。


昨年12月、テレビ番組「ビートたけしのTVタックル」でゲストの池坊評議員会議長と司会のビートたけしとの間にバトルがあったようで、以下「ビートたけしが怒るって珍しい: 池坊議長と暴行事件で大バトル」と題された記事(J-CASTニュース / 20171218 1742分)を参考までに引用すると――


ビートたけしさんが日本相撲協会の池坊保子・評議員会議長と火花を散らせる場面があった。


2人は20171217日放送の「ビートたけしのTVタックル」(テレビ朝日系)に出演。元横綱・日馬富士の暴行事件で、被害者の平幕・貴ノ岩の師匠である貴乃花親方が「反協会」的な立場を貫いていることについて、真っ向から対立した。


池坊氏「もっと率直に仰らないといけない」


公益財団法人の日本相撲協会において、池坊氏は理事会を監督する立場にある「評議員会」の議長。「評議員会があって理事会があります」などと説明すると、たけしさんが「いろんな組織を自分たちの責任逃れで作ってんじゃねえの?」とかみついた。


すかさず池坊氏は「いえ、公益財団法人というのは国が決めたものですから、相撲界が決めたわけではありませんから」と返したが、たけしさんも「あんなもん国で決める必要ねえだろ」と応じた。以下略


バトルはほかにもあっただろうが、またこの記事が、実際のやりとりを100%正確に伝えているかどうかもわからないのだが、この通りだとすれば、評議員会を協会が責任のがれで作っているというのは、ある意味、とんでもない言いがかりで、協会は理事会と評議員会のシステムを、池坊議長のいうように、国に言われてつくっているのであって、好きで、あるいは責任逃れでつくっているのではない。と同時に、理事会と評議員会という二重体制は、どうにも解せないというのは一般の大方の意見のようだ。


私が関わった公益法人というのは日本英文学会のことで、公益法人についての規制が厳しくなり文科省の監督が強化されて、従来の理事会と評議員会との関係を見直し整備しなおす作業を余儀なくされ、たいへんだった記憶がある。そのとき理事会と評議員会というのはどういう関係にあるのか、その理念と制度上の特徴を自分なりに考えたことがある。


評議員会と理事会は、日本の国会と内閣のようなものだ私は考えた。テレビなどでは、会社組織になぞらえて理事会を役員会、評議員会を株主総会というふうに例えていたが、これも同じことを言っている。株主総会であれ、国会であれ、理事会が執行部なら、最終的議決機関が評議員会/株主総会となる。


この体制の特徴は、評議員会が、理事会よりもメンバー数が多いこと。評議委員会は国会であるので、そのメンバーは、ちょうど国会議員が、日本国籍を有する者から選挙によって選ばれるのと同じように、本来なら、相撲協会の協会員から選ばれるべきである。つまり協会メンバーの代表からなるのが評議員会だとすると、外部の人間がそこにいるということは、ありえないことである。しかも理事会よりもメンバー数が少ない。このへんは、かなりいい加減な組織づくりなので、本来なら文科省がきちんと指導すべきであるのだが、伝統ある巨大組織である相撲協会を前にして、文科省も腰がひけたのだろうか。


実際、相撲協会よりもはるかに小さくまた弱い公益法人である日本英文学協会は、文科省から厳しい指導受けて、国の規定にあうように組織形態を変えた。実際のところ、いまの相撲協会の理事会と評議員会のありようをみると、昔の日本英文学会の形態を思い起こさせる。しかも理事会が評議員を選らんだりしているのだが、たとえ規定どおりのことだとしても、これは内閣が国会議員を選ぶようなものであり、執行役員会が株主を、あるいは株主総会の出席者を選ぶようなもので、これややめたほうがいいだろう。


なお私が日本英文学会に携わっていた頃には、公益財団法人なので、やたらと調査やアンケートがあった。つまり理事とか役員とか評議員は常勤か報酬はどうなっているのか、など。日本英文学会は商売をしていないし、役員は皆、非常勤で無報酬だし、内部留保のようなため込んでいるお金もないし、まあ、規模は小さいので大きな顔はできないのだが、弱小とはいえ、絵に描いたような公益財団法人なので、なんの問題はなかったが、問題のある公益財団法人は多いのだろう。日本相撲協会のような、協会員ではなく、その運営のほうに問題がありそうな公益法人は徹底して調査をして膿を出しきってもらいたい。礼を失した言い方かもしれないが、物言いを表明したい。


posted by ohashi at 17:25| コメント | 更新情報をチェックする

2018年01月04日

嫌われ作戦

嫌われ作戦展開中。2018年度Academic Yearは私にとって最後の年度となるので、できれば、人知れず、そっと辞めることを目指している。辞める時が一番似合っていた(12日の記事参照)かどうかわからないが……。まあその器ではなかった職を定年で辞めることになるのだが、辞める時が一番似合っているのかもしれないものの、とにかくそっと辞めたいので、最終講義かそれに類するものは、しないことで迷惑がかかるので、それはするが、あと、お別れパーティのようなものも、教授会関係の惜別の回その他は、病気にでもならない限り、出席しないのは、まずいので、とにかく最低限の義務は果たすが、それ以上のことは絶対しない方針なので、逆に送り出す側に負担をかけないために、嫌われることにした。


もともと善人なので(こういう言い方をすれば嫌われることになるので、どんどんしていきたいが)、何をやってもよいほうにとられてしまい、嫌われ方がわからない(こういう言い方をすれば嫌われることになるので、どんどんしていきたい)。そのためささやかなかたちで不義理を働くことで、嫌われ度を上げていきたいと思っている。


もちろん不正なことはしない。ただ、年賀状は出さないし、また、年賀状に返事を出さないことをここ数年心がけている。ここ数年、一通の年賀状も出していないし、いただいた年賀状は、ありがたく受け取るが、それに対して一通も返事をしていないので、そろそろ、失礼な奴だと嫌われ度がいよいよ上がるのではないかと期待しているのだが、今年も、年賀状は、返事をふくめ一通も出さない。


最終的には、自分を偽って好かれるよりも、本当の自分をさらけ出して嫌われたほうがいいというのが目的なのだが。まあ、そこまでかっこいいことにはならないという確かな予感はあるのだが。

posted by ohashi at 10:15| コメント | 更新情報をチェックする

2018年01月03日

教育関係者

元横綱日馬富士の暴行障害事件について、日本相撲協会の対処法が正しいかどうか、私には判断を下せる見識なり資格なりはないが、どうしても解せないことがある。私の誤解であればいいと祈っているのだが。


今回の騒動というか事件、何が起こったのかについて、なにも解明されていないように思われる。最初の伝えられたことは、どうやら元横綱日馬富士や横綱白鵬らが口裏合わせをして周囲に伝えたものであって、その後の貴ノ岩の証言からつきあわせると、どうも事件の真相ではないように思えてきた。もちろん貴ノ岩の側の言い分も、自己弁護として事実をねじまげているのかもしれず、真相は藪の中という様相を呈してきた。結局、このまま真相はわからないまま終わってしまうのだろうか。


唯一の救いは、現場に教育関係者がいたことである。残念なのは、彼らの声が全く聞こえてこないことだ。私も教育者のはしくれだから、二つの教育者像を確認したい。つまり教育者のよいイメージと悪いイメージ。どちらの立場にいるかによって、よいと悪いはいれかわる。


ひとつは、不偏不党の立場から、真実をねじまげることなく語れる人間というものだろう。もし元横綱日馬富士の暴行現場にいあわせたら、何が起こったかについては、口裏合わせをするモンゴル勢(実際にそうしていなくても、そうしているような印象を与えている)や事なかれ主義の日本相撲協会関係者とは一線を画して、真実を臆せず語る人間、またそれゆえに真相を明らかにする際、信頼するに足る人間、それが教育者であろう。なにしろ教育者である彼らは学校で生徒に対して嘘や不正はいけないと口をすっぱくして語っているのだから。嘘をつくなと教えているはずだから、みずから範を示して当然である。現場に教育者がいたら、彼らは、信頼するに足る証言者となりうる。


しかし、もうひとつの教育者のイメージがある。空気をよみ忖度し時流にさからわぬ事なかれ主義の人間。実際、暴行事件のあと、貴ノ岩に白鳳や元横綱日馬富士と和解するように促し、貴ノ岩が頭を下げ握手したというの、すべて挙育関係者の助言だという。となると暴行を目の当たりしても、また暴力による制裁を加えて、そのあとラーメン店に行った白鴎や元横綱日馬富士を告発もせず、相撲協会の顔色を窺い、相撲協会以上に、事件をもみ消そうとしたのも教育関係者である。空気を読み、忖度すること、その重要性を生徒に教え、生徒からバカにされる教育者――これもまた教育者像であろう。


おそらく教育関係者は暴行現場にいなかったということだろう。彼らが帰ったあとに事件は起こったのだと思う。そうであることを祈りたい。そうでなければ、その場に居合わせた教育者は警察による聴取を受けたとしても、彼らの目撃証言は、相撲協会とか相撲関係者に都合のよいだけの中身のないものと捨てられたとしか思えない。その場に教育関係者はいなかったのだろうと思う。いたというのは私の誤解でありますように。



posted by ohashi at 23:04| コメント | 更新情報をチェックする