2025年11月14日

じゃじゃ馬とトガリネズミ

どちらも英語でいうとshrew。

シェイクスピアの喜劇The Taming of the Shrewを、坪内逍遥あたりが「じゃじゃ馬ならし」と訳して以来、shrewは馬のことと思っている日本人は多いのだが、shrewは馬でなく、ネズミ、モグラのことである。

shrewの意味を英和辞典(Weblio)で調べると
口やかましい女、がみがみ女、トガリネズミ

とある。一つの単語のなかに異なる二つの語が同居している。「口やかましい女」と「ネズミ」はどうむすびつくのか(むすびつきそうもないものが語義のなかに共存しているので)。

ネットで語源を調べてみると以下のような説明をみつけた:
shrewの語源
古英語screawaトガリネズミ
→中英語shreue悪党・非行児
→近現代英語shrew トガリネズミ、意地悪な女性

とあって別々の語が一体化したのではないかと思われる。

たとえばschoolには「学校」関連の意味のほかに、「名詞可算名詞 (魚・クジラなどの)群れ 〔of〕。動詞 自動詞〈魚が〉群れをなす,群れをなして泳ぐ.」という意味もあるが、英和辞典などの見出しではschoolとかschoolとして区別している。つまり現代英語では、同じ綴りなのだが、もともとは別語源の単語という意味で。

「めだかの学校」という童謡を聞いたとき、水のなかのメダカの群れを「学校」という比喩で語るのは、なんと卓越した、あるいは変なセンスの表現なのだろうと感心したが、おそらく「めだかの群れ」という英語を「めだかの学校」と誤訳したにちがいないと、あとでわかった。

それはともかく、shrewの語源について、もう少し学術的な記述はないかと、ネットを探したら、以下の記事があった。
エティモラインetymonline
「shrew」の意味: 小さな哺乳類; 悪意のある女性; 口やかましい女性
「shrew 」の語源:
[小さな昆虫食の哺乳類; 悪意のある女性] 中英語の shreue は、「悪党、悪人; しかりつける女性; しつけの悪い子供」といった意味でのみ記録されており、これは古英語の screawa「シューリーマウス」、語源が不明な言葉から来ていると考えられています。

おそらく、原始ゲルマン語の *skraw-、インド・ヨーロッパ語族の *skreu-「切る; 切断工具」(shred (n.) を参照)に由来し、シューリーマウスの尖った鼻を指しているのかもしれません。古英語では scirfemus(sceorfan「かじる」から)という別の呼び方もありました。しかし、オックスフォード英語辞典(1989年版)は、古英語から16世紀まで「動物」としての意味が欠けているのは「注目に値する」と述べています。この辞典は二つの言葉を別々に扱い、「悪意のある人」という意味が元々のものかもしれないと推測しています。中英語辞典は、中高ドイツ語の shröuwel、schrowel、schrewel「悪魔」にも言及しています。

「気難しく、悪意があり、騒がしく、意地悪で、厄介で、騒々しい女性」という特定の意味は、約1300年頃から証明されており、初期の「意地悪な人」(男性または女性)という意味から発展したものです。これは伝統的に、シューリーマウスが持つとされる悪意のある影響に起因すると考えられており、かつては毒のある噛みつきを持つと信じられ、迷信的な恐れを抱かれていました(beshrew を比較)。Shrewsは、1560年代から17世紀にかけて、sheep(羊)と対照的な妻のタイプとして結びつけられていました。【この記事の「シューリーマウス」というのはネットで探しても出てこなかった。】

ただ、言えることは、先ほどの「school」と同様に、語源の異なる別の単語としてみてもよいように思われるのだが、多くの辞書には、同一単語内のふたつの異なる語義としている。そしてその場合、「がみがみ女」と「トガリネズミ」を結びつけるものが欠けている。そのミッシングリンクはなにか?

上記エティモラインetymolineにおける「シューリーマウス」--これはトガリネズミのことだろうが--、それが「毒のある噛みつきを持つ〔ママ〕と信じられ、迷信的な恐れを抱かれていました」と書かれている。「毒のある噛みつきを持つ」というのは日本語としておかしい、まあ、もしかしたら専門用語ジャーゴンなのかもしれないが。

そのため恐ろしい毒ネズミ(トガリネズミ)という語が、悪人、悪党、性悪女という比喩的な意味を帯びるようになったのか、悪人、悪党、性悪女という意味の語のほうが比喩として使われ、毒のある怖いネズミの名称となったか、まあ、そのいずれかだろうということになる。

ただしエティモラインの「かつては毒のある噛みつきを持つと信じられ、迷信的な恐れを抱かれていました」という記述は、日本語だけでなく、内容もおかしい。

ネットでは「毒という問い」という記事があった。
名古屋大学学術研究・産学官連携推進本部2025年7月22日12:35
https://note.com/nagoya_ura/n/n9e5425fa7f4f
「毒を持つ動物」といえば、何を思い浮かべますか?
毒ヘビ、毒グモ、スズメバチにアシナガバチ、フグに毒クラゲ…
危険生物好きの方なら、きっとまだまだ出てくるはず。
でも、その中に哺乳類はいるでしょうか?
あまり知られていませんが、哺乳類にも、毒をもつものがいます。その一つが「トガリネズミ」です。
【写真画像あり】
トガリネズミの中でも特に凶暴な「ブラリナトガリネズミ」。トガリネズミの仲間は、世界で300種以上が知られています。
ネズミといっても"モグラ"の仲間で、名前の通り"尖トガった"鼻先を持ちます。
「哺乳類で毒をもつ動物は、トガリネズミの仲間とカモノハシくらいしか知られていないんですよ。」
そう話すのは、この珍しい動物の毒を20年以上研究する北将樹きたまさきさん(生命農学研究科 教授)。【以下略】

この名古屋大学の北教授のグループによってトガリネズミの毒がつい最近、解明されたとのことだが、教授は20年以上も前からトガリネズミの毒を研究していたし、それ以前から、トガリネズミの毒については知られていて。けっして伝説ではないのである。

ただし300種以上もある、かわいらしい小さなトガリネズミすべてが「毒のある噛みつき」を持っているわけではなく、そのごく一部が強い毒のある噛みつきを持っているのである。だからトガリネズミについて、その毒性を記述していない辞書があってもおかしくはない。

そしてその「トガリネズミ」は英語ではただ、shrewという。

ちなみに日本テレビ系「金曜ロードショー」では、ディズニー最新作『ズートピア2』の12月5日全国公開を記念し、12月5日に、アカデミー賞長編アニメーション賞に輝いた『ズートピア』(2016)をノーカットで放送予定とのこと。そこにshrewが登場するから興味があれば観てほしい。小動物地区に暮らしているshrewが吹き替えでは何と呼ばれているかしらないが、まあ「トガリネズミ」だろう。
posted by ohashi at 15:50| コメント | 更新情報をチェックする

2025年11月03日

街頭インタヴュー

以下の記事がめについた:
日刊ゲンダイDIGITAL
街頭インタビュー改ざんは「月曜から夜ふかし」だけか? 欲しいコメント取れず現場は四苦八苦
日刊ゲンダイDIGITAL によるストーリー 公開日:2025/11/02 06:00 更新日:2025/11/02 09:49
日本テレビ系バラエティー番組「月曜から夜ふかし」は、街頭インタビューでのやりとりを捏造したとして、放送倫理・番組向上機構(BPO)から放送倫理違反を指摘されたが、街頭取材のデッチ上げは「夜ふかし」だけなのか。

自炊で食べることの多い料理を聞かれた中国出身の女性が、鍋料理と答えたのを、「夜ふかし」のチーフディレクターは「これではオチが弱い」と、中国ではカラスをつかまえて煮込んで食べると改ざんしていた。しかし、テレビ業界ではこんなことは日常茶飯事だという。
【中略】
いや、日本人相手の街頭インタビューだって怪しいものだ。そもそも、街で突然カメラを向けられて、的確なコメントを数分で話せる素人なんていない。拒否されることも多く、TBSアナの安住紳一郎の若いころの経験では、20~50人に声をかけて、答えてくれるのは1人だったという。

ようやく何人か収録できても、さらに編集・加工して、使えるのは10人に1人いるかどうかだろう。歩留まりをよくするため、スタッフは話してほしいエピソードを誘導質問したり、テイク2を撮り直したりと仕込む。最近多いのはイラストで顔を隠した映像で、はたしてその人がしゃべっているのかどうかもわからなくなっている。
【以下略】
(コラムニスト・海原かみな)
全文は https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/379786

しかし、この記事では、街頭インタヴューは、街で突然カメラを向けて録音・録画すると信じているようだが、実際のインタヴューに立ち会っていないことがバレバレである。

「そもそも、街で突然カメラを向けられて、的確なコメントを数分で話せる素人なんていない。」とこの記事も認めている。ほとんどの人が街頭インタヴューを断るだろうから(私も断ったことがある)、答えてくれる人がみつかるまで、あちこち歩きまわり、追いかけ続け、カメラを延々と回し続けるなんてことはしない。ADが駆けずり回って、答えてくれそうな人を捜す。いっぽう答えるほうも、何か言ってやろう、テレビに出てやろうという気構えでくるから、正直いって、まともな人間ではない。

あといきなり街頭でカメラとマイクをむけることはしない。通行の邪魔になったりしたら、オールドメディアは横暴だとか非難されたりして、インタヴューどころではない。そのため通行の邪魔にならない、人通りも比較的少ない、落ち着いた場所にインタヴュアーとカメラが陣取り、ADが捜して連れてくる人を待っているというのが、普通のインタヴューの段取りだろう。

あとインタヴューに答えるために、連れてこられる人間も、まともな人間ではない。ごくつぶしの暇人か、よほどの目立ちたがり屋か、精神異常者か、酔っ払いといったところだろう。そんな連中の意見などまともにとりあうべきではない。むしろ、インタヴューに答える人間たちは、むしろお飾りだろう。中味なんかはどうでもよく、ただ一般人の意見を聞いているという、やってる感だけを出そうとしているにすぎない。

まともなニュース報道とは、街頭インタヴューをしない報道のことだろう。

posted by ohashi at 01:00| コメント | 更新情報をチェックする

2025年11月02日

『宝島』の失速

「宝」の字を共有、ともに3時間の長編映画でありながら、いまなお上映が続いている『国宝』と、主要な映画館からは上映がなくなった『宝島』とで、運命が二分された観がある。

原因については、いろいろ言われているが、それは映画の優劣の差ではないだろう。まあ、たしかに『国宝』の主要出演者、吉沢亮、横浜流星、高畑充希、森七菜、渡辺謙らと、『宝島』の主要出演者、妻夫木聡、広瀬すず、窪田正孝、永山瑛太らを入れ替えたら、つまり吉沢亮と横浜流星の『宝島』と、妻夫木聡、広瀬すずの『国宝』となっていたら、ひょっとして『宝島』のほうに人気が出たと思えなくはないのだが、それはともかく出演者、監督の優劣の差ではないと思う。では何が原因か。

それは『宝島』が「政治的」と思われているからだろう。これに対し『国宝』のほうは、同じく女性役の男性俳優の50年にわたる出来事を描く3時間の中国映画の『覇王別姫』と比べた場合、政治性は希薄というか全くない。『覇王別姫』が激動の中国史を背景にしているのに対し、『国宝』の50年は平穏無事で変化を感じさせない非政治的歴史となっている。また『覇王別姫』にあった同性愛は、本来、あってしかるべき『国宝』にはない。いっぽう『宝島』は返還前の沖縄史のなかの出来事であって、「政治的」であることが観る前からわかる。だから、観客、特に若い観客層の足を遠のかせた。

同じようなことは『ワン・バトル・アフター・アナザー』にもいえて、ポール・トマス・アンダーソン監督、レオナルド・ディカプリオ主演の映画であっても、予想されたほどのヒットには恵まれていない。3時間近い映画だということも不人気の原因かもしれないのだが。これも「政治的」ということもあって若い観客層の足を遠のかせた。

昔は、おそらく今も、社交の場では政治の話をしてはいけないよくいわれてきた。せっかくの友好的な関係が、政治的立場なり支持政党が異なると険悪なものとなったり、論争が生じたりしかねない。政治的話題は忌避することが友好な人間関係を維持する秘訣ということになる。

しかし、若い世代の多くが、「政治的」を嫌うのは、そういうことではないだろう。そもそも与党も野党も、左翼も右翼も、よくわからない若い世代にとって(若い世代はそんなぼんくらばかりと私は本気で思っているわけではないが、ここでは選挙にすら行かない若い世代のことを考慮している)、政治的な話題で意見が異なるということはまずない。

『ワン・バトル・アフター・アナザー』に対する忌避は、3時間近い映画だということも大きな要因かもしれないが、非合法な反政府組織を主題としているというだけで恐怖もしくは嫌悪感が生まれるのだ。ごくふつうの基準からして『ワン・バトル・アフター・アナザー』は政治的な映画ではない。私などは、非合法の反政府活動を扱っているのに、この政治性の希薄感にむしろいらだった。政府と戦う反体制地下運動ごっこでしかない薄っぺらさが目立つし、実際のところ、この映画は観ればわかるのだが、諷刺性を凌駕するスラップスティック性が顕著で、政治的問題を考える気にもならない。

実は若い世代における「政治的」というのは隠語のようなもので、それは「反体制」「左翼」の言い換えである――もしこのような語を使うと、逆に、保守とか右翼とか極右のレッテルが貼られてしまう。そうではなくて、レッテルなき立場こそ、特定の政治的立場を標榜しない、普遍的に正しい立場であるというわけだ。

『宝島』も、その内容からして返還前のアメリカ統治下の沖縄における、反体制運動のようなものを扱っているとなると、左翼的映画として忌避感情が働くのである。革命、反体制、左翼という言葉なりレッテルに接すると、まるで洗脳されたかのように条件反射的に忌避感情が生まれる。『宝島』が若い世代に人気がでなかったのは、「政治的」つまり「反体制的」「左翼的」な映画であると判定されたためである。

逆に高市首相人気を考えてもいい。保守を通り越して極右的思想の持主である高市首相のその「政治的」なところに若い世代は嫌悪感を示すどころか、むしろ熱狂している。「政治的なもの」には、保守的・右翼的なものは入らないのである。左翼的政治性はだめだが、保守的政治性は問題ない、いや保守は政治的ですらない、正しい常識いや良識なのである。

20世紀の終わりにおいて、日本では顕著な右傾化がみられた。その成果は、21世紀を待たねばならかった。いま、洗脳は着実に若い世代に定着している。
posted by ohashi at 15:02| コメント | 更新情報をチェックする

2025年10月30日

戦争省を作る大統領にノーベル平和賞を!

ロイターによると
韓国で「王はいらない」デモ、トランプ氏訪韓に抗議 10/30(木) 10:44配信
韓国・慶州で29日、トランプ米大統領の訪問に抗議する集会が行われた。デモ参加者は、トランプ氏の権威主義的な傾向を批判する際に米国で使われる「王はいらない」というスローガンを連呼した。

米国全土でも「王はいらない」デモが起こり、トランプ訪英中は、英国でも「王はいらない」デモが起こった。そして韓国でも。日本は、トランプのけつの穴を舐めるだけの政権が人気を博している。こういうバカな日本人は、アメリカに移民となって出て行って欲しい。

トランプのけつの穴をなめている日本の首相が、トランプをノーベル平和賞に推薦するだと。トランプは、米国国防総省を「戦争省」に改称しようとしている人間だぞ。改称ではあっても、「戦争省」を創設したのと同じことである。「戦争省」を作る人間にノーベル平和賞が与えられでもしたら、それは狂気の世界である。「戦争省」を作る人間にノーベル平和賞は絶対に値しない。まあトランプにはイグノーブル平和賞でもやっておけばいい。

付録1
戦争省への解消についてのwikipediaの記事。
2025年9月5日、ドナルド・トランプ大統領は、国防総省(Department of Defense)の名称を恒久的かつ正式に戦争省(Department of War)へ改称することを目指す意図を発表したが、それには連邦議会の承認が必要なため、実際の改称が施行されるまで、国防総省の補助的名称として戦争省の使用を認める大統領令に署名をした。

付録2
戦争省について
アメリカ合衆国戦争省(アメリカがっしゅうこくせんそうしょう、英語: United States Department of War)は、かつて存在したアメリカ合衆国連邦政府の行政機関。1789年から1947年9月18日まで、陸軍(後に空軍も含む)の管理を行うため存在した。戦争省は英語で War Office とも記される。陸軍に関する官庁であるため、日本語では米陸軍省、アメリカ陸軍省と訳されている。

posted by ohashi at 23:36| コメント | 更新情報をチェックする

2025年10月29日

高市=サッチャー体制

日本にもいつか女性の宰相が誕生する日があるだろうと期待していたが、それが早いか遅いかは別にして高市早苗首相の誕生は、日本における女性史における最大のアンチクライマックスだった。なにしろファシストが首相になったということ、日本の憲政史においても汚点以外の何物でもない。

内閣の顔ぶれをみても、高市首相が誕生したことで、女性閣僚の数が増えるかと思ったら、首相を含めわずか3人。そのうち、首相を含めファシストが2人もいるとなると、もう日本ではファシストでないと女性は大臣になれないのではないかと暗澹たる気持ちになる。

高市首相は英国のサッチャー首相を崇拝しているようだが、思い出して欲しい。1979年のイギリス総選挙において保守党が過半数を獲得し、政権交代が起こり、保守党党首サッチャーが首相になった年、女性の地位向上と政界進出が加速化すると期待されたこの時期、当選した女性議員の数は、1950年代レベルに落ち込んだ。つまりサッチャー政権が誕生した1979年、女性議員の数は最低とはいわないまでもそれに近い数だった。

かたや女性の首相、かたや女性議員の減少。なんとも皮肉なことと当時は思われたのだが、今から考えると、サッチャー首相誕生と女性議員減少とは連動していた。つまり女性の存在が軽んじられたというか、女性の社会進出・政界進出を拒む勢力が力強かったため女性議員が数を減らすことになり、またそうであればこそ保守のタカ派のサッチャーが党首に、そして首相になれたのである。サッチャーならば保守的な男性以上に保守的で、男性支配を打破するどころか強化することが確実に思われ、リベラリズムやフェミニズムをまちがいなく後退させると思われたからである。

高市首相のことを考えても、彼女が、そして自民党が人気を盛り返したのも、男性支配を強化してくれることが期待されたのである。世界経済フォーラムが発表する2025年「ジェンダーギャップ指数」ランキングで日本は118位だが、この最低ランクだからこそ、高市首相が誕生しえたのである。ランキングの上昇などねらっていない。ただ男性支配と女性差別の強化を望むファシストの国民が多いからこそ、ジェンダーに関係なく首相が選ばれたのである。

国民生活、とりわけ女性に関係するも目につきにくいに生活の細部はこれからどんどん無視されるだろうし、目立ちやすい話題、女性の天皇とか、女性にとって切実な夫婦別姓問題なども、高市首相によってアジェンダの外に置かれることはまちがいない。女性の敵は高市早苗なのである。



posted by ohashi at 23:13| コメント | 更新情報をチェックする

2025年10月06日

『ヴォイツェク』観劇できず

『ヴォイツェク』は、東京での公演は9月28日に終了したが、残念ながら観劇できなかった。というのも、このところ咳が止まらなくて、ひどいときには、喘息の発作のような咳がでる。観劇当日までには、なんとかなるだろうと思っていたし、咳もおさまりかけていて快方にむかいつつあると実感できたので、病院にもいかなかった。

ところが観劇当日、咳が悪化した。これでは上演中、ひどく咳き込んで周囲に迷惑をかけることは必至であった。『ヴォイツェク』は短い芝居だが、今回は20分の休憩をはさんで、2幕構成にするようだ。そのぶん上演時間は長くなる。上演時間中、咳を抑えることができるかまったく自信がなかった。苦渋の決断ではあったが、観劇はやめることにした。

以前、観劇中に、ずっと咳をしている観客が近くにいて、舞台に集中できなかったという苦い経験もあった。病気で、咳き込むくらいなら、劇場に出てくるな、殺すぞと、心の中で呪いつづけていたのだが、私自身、このまま劇場で観劇したら、それこそ殺されてもおかしくないほど、呪われる存在になる。他人に厳しくする場合、それ以上に、自分に厳しくあらねば意味がない。結局、高価なチケットだったが、観劇をあきらめることにした。

『ヴォイツェク』は、これから日本各地を回るようだが、11月に東京でもう一度公演をする。もしチケット購入が可能なら、その時、観劇できればと思っている。

***

これは今回の『ヴォイツェク』上演とは直接関係のないことだが、このブログの、2020年5月29日の記事「翻訳の闇5」のなかで『ヴォイツェク』について触れていた。お酒にガンパウダー(黒色火薬)を入れて飲むという英語訳が荒唐無稽ででたらめであるという岩淵達治先生のコメントを紹介していたが、これは別にでたらめな英語訳ではなく、かつてヨーロッパではガンパウダーに薬効があると信じられていたのではないかという私の疑念を表明しておいた(関連するネット上の記事(英語版)も紹介した)。

それを思い出した。

とはいえ2020年5月29日の記事に付け加える情報はとくにないのだが、ずっと気になっていた。たとえば『ガンパウダー・ミルクシェーク』という映画がある。これは映画のタイトルというよりは歌のタイトルなのだが、ガンパウダーと飲み物とがポジティヴもしくはネガティヴに結びついていることがわかる。

「午後の死Death in the afternoon」というのはヘミングウェイのノンフィクションのタイトルだが、ヘミングウェイが考案したカクテルの名前でもあって、かつては黒色火薬をシャンパンで割っていたものだった。現在は製法が異なる。

ガンパウダー茶は、黒色火薬ではないのだが、乾燥させ丸めた茶葉が黒色火薬にみえることから名づけられたようだが、それにしても比喩として、なぜ黒色火薬が出てくるのか。これについては、黒色火薬が飲み物でもあったかもしれないというぼんやりした関連性が浮かび上がる。

ガンパウダー・ラムというラム酒もあって、これはかつて船に積んでいたラム酒が時間がたってアルコール分が抜けていないかどうか確かめるために、黒色火薬をまぜて火をつけた。火が付けば、アルコール分が残っていて酒として飲めるが、火がつかなければアルコール分はなくなっていると判定されたとのこと。この風習が記憶されていて、別に黒色火薬をまぜいていなくても、比喩的にガンパウダー・ラムという名前をつけたラム酒があるとのこと。

ガンパウダーは、薬だけでなく、酒にまぜて飲むものではなかったかという疑念は深まるばかりである。
posted by ohashi at 10:16| コメント | 更新情報をチェックする

2025年09月18日

愚かさに国境はない AIの誤訳

こんなネット記事があった。まず見出し:
ペルー、艦隊近代化のため米国から34億2,000万ドルでF-16戦闘機を購入と発表
Nicolle によるストーリー •2025年9月18日 https://www.msn.com/ja-jp/money/other/

この見出しからしておかしい。「艦隊」の「近代化」のために「F16戦闘機」を購入?

戦闘機の購入が艦隊の近代化に役立つのか? なぜ? そもそもペルー海軍は、戦闘機を運用できる航空母艦をもっているのか。かりにもっていたとしてもF16は航空母艦では運用できない。

Wikipediaで「ペルー海軍」を調べてみると、以下のとおり:
2007年時点で現役兵総員25,000人。ペルーの海上防衛とアマゾン川などの内水の警備を主任務とし、海上の治安維持や救難活動も行う。

ペルー海軍の現役兵力は、2009年時点で21,000人である。主要艦艇は巡洋艦1隻、フリゲート8隻、潜水艦6隻、コルベット(ミサイル艇とも)6隻、河川砲艦5隻などを保有する。固定翼機21機と回転翼機14機を有する海軍航空隊と、海兵隊、沿岸警備隊(20t以上の船艇7隻)を指揮下に収めている。

とあって、空母などもっていないし、固定翼機も輸送機(物資・人員)が主で戦闘機などもっていないし、ジェット機ももっていない。この見出しは何をいいたいのだ。

では、記事を一部抜粋する:
アメリカ政府は、ペルーへの12機のF-16 Block 70戦闘機の販売【←ふつうは売却という】を承認しました。この取引の総額はおよそ34.2億ドルと見込まれています。

このパッケージには最新世代の空対空ミサイルや高度なレーダーシステムが含まれており、重要な戦略的転換を示しています。歴史的にロシアやヨーロッパ製の装備に依存してきたペルーは【アメリカ製の航空機も装備している】、この決定により西側への移行を示しており、老朽化したフリートの維持の難しさや、ウクライナ侵攻後のロシアに対する国際制裁の影響が背景にあります。

この取得は、MiG-29、Su-25、Mirage 2000、A-37【←これはアメリカ機】など混在し老朽化したフリートを運用するペルー空軍(FAP)にとって極めて重要です。これらの航空機はメンテナンスや稼働率の面で深刻な課題を抱えており、防空、主権維持、麻薬テロ対策任務において近代化は最優先事項となっています。

もし購入が確定すれば、ペルーの防衛能力刷新における重要なマイルストーンとなり、ソビエト製装備の時代の終わりを示し、西側諸国との相互運用性に向けた新たな章が開かれることになります。【以下略】

なお最後に次のような記述あり
出典: The War Zone | 写真: X @RealAirPower1 | 本コンテンツはAIの助けを借りて作成され、編集チームによってレビューされています。

AIがバカで、fleetを誤訳している。“fleet”とは、ふつう「艦隊、船団」を意味するが、この語の語源がもともと水に関係したものであって当然である。しかし、それ以外にも船だけでなく、特定の組織の管理下にある航空機、運送車両、乗り物などもfleetという。

そのためペルーが「艦隊近代化のため」というのは、ベルーが「保有機の近代化のため」にアメリカからF16を購入するということである(あと「近代化」というのもほんとうは変で、「アップデートする」とすべきところだろう)。

そんなことも知らないのかAIのバカヤロー、ポンコツめとあざ笑ってもいいのだが、問題は、AIの誤訳に気づかなかった編集チーム(「本コンテンツはAIの助けを借りて作成され、編集チームによってレビューされています」)のバカだろう。こいつらは全く役にたっていない。全員皆殺しにすべきである。

実際、大馬鹿はAIではなく、この編集チームである。AIは誤訳をしても、すぐに学んで次からは誤訳しなくなる。つねに進化の途上にある……。

ということは、AIの誤訳に気づかない編集チームは、八つ裂きにすべき、ボンクラのどたわけ集団ではなく、おそらくAIに学習させないために、ミスをそのまま放置しているのだ。となればAIは自分のミスに気づかず、また学んで進化することはない。こうして編集チームはAIに学習させない、進化させないことで、逆に人類に貢献している。もし彼らを虐殺してしまったならしかたがないが、もしまだなら、彼らは人類のためにAIを陥れようとしている英雄たちである。彼らはほめられるこそすれ、殺されるには値しない。彼らの今後の活躍をそっと見守るべきである。

posted by ohashi at 21:51| コメント | 更新情報をチェックする

2025年09月16日

My name is

2025年9月26日(金)から10月5日(日)まで、東京の紀伊國屋ホールで、青年劇場第135回公演『わたしは、ダニエル・ブレイク』が上演される(脚本:デイヴ・ジョーンズ、訳・演出:大谷賢治郎)。

残念ながら私は観劇する予定はないのだが、青年劇場による感動的な舞台になるであろうことは予想がつくので、公演が成功することを確信している。

ケン・ローチ監督、ポール・ラヴァティー脚本、レベッカ・オブライエン製作による映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』(邦題)を原作とする演劇作品だが、問題は、バカな映画会社が原題I, Daniel Blakeを、あろうことか、「わたしは、ダニエル・ブレイク」というとんでもないタイトルをつけたことである。

正しくは、というか正しいもなにもケン・ローチのこの映画をみればわかるのだが、これは「わたし、ダニエル・ブレイクは」と訳すしかない。なぜならこのタイトルは、映画のなかでは、ダニエル・ブレイクが、人間の尊厳を軽んずる行政や自治体の貧困政策に抗議して、建物の壁にブラシで大きく記す抗議文――バンクシーの落書きを上回る衝撃的な抗議文――の書き出しなのだから。つまり「わたし、ダニエル・ブレイクは……に強く抗議する」という怒りの声明文の冒頭なのだ。

「わたしは、ダニエル・ブレイク」とのんきな自己紹介をしているのではない。いっそのこと「ダニエル・ブレイク」という人名をタイトルしておけばよかったのでは。「わたしは、ダニエル・ブレイク」というタイトルは最低のバカタイトルである。まあいろいろな事情もあったのだろうが、青年劇場だったら、映画の邦題など無視して「わたし、ダニエル・ブレイクは」としてほしかった。

ちなみに「わたしは、ダニエル・ブレイク」というのは自己紹介文としてもおかしい。英語なら「わたしの名前は、ダニエル・ブレイク」となるところだから。

しかし『池上彰のニュースそうだったのか!!』では、いつの回か記録していないのだが、最近の日本の英語教科書では自己紹介の際に“My name is . . . .”とは言わないようになったと紹介していた。『池上彰のニュースそうだったのか!!』は、毎回に観ているわけではないが、きわめて有益な情報と解説には感心することしきりで、まあファシストだけが番組を批判しているということは番組にとって勲章のようなものである。ただ時おり変な情報がある。それが英語の自己紹介では“My name is”とは言わない(と日本語の英語教科書にでている)という情報だった。

その情報がどこまで事実なのかわからないし、言わなくなった理由もよくわからなかったが、もしほんとうなら、どこのバカが日本の英語教育に介入してまちがった入れ知恵をしたのかとあきれる。

よくあるパターンは、日本の英語の教科書では、~のような表現をしているが、それは自然な英語、ごく普通に使われている英語表現ではないというような批判である。英語教科書の表現は不自然だからもっと自然な表現になおしたというのならわかる。

ところが今回の場合、英語教科書の自然な英語を、不自然な英語になおしたことになる。これはおかしいのだ。

そもそも「私の名前は~です」という表現は日本語としては不自然である。日本ではあまり使わない。芸能界を理不尽なかたちで追放されたフワちゃんが一時期テレビのCMで、「わたしの名前はフワちゃんです」と言っていたが、これは例外的なもので、日本語としては「わたしの名前は~」ということはあまり言わない。「あなたの名前は?」「お名前は?」と聞かれても「わたしの名前は」と返すことはなく、ふつうは、ただ「不破遥香です」「不破遥香と申します」というだけである。

一方英語ではMy name isというのは自己紹介をはじめる標準的なフレーズである。実際、もしあなたがアメリカで警察官に尋問をうけたら、へらへら、ただ「わたしはダニエル・ブレイク」なんて言っていたら強制送還されるかベネズエラに連れていかれるだろう。「わたしの名前は、XYです。観光客で、移民ではありません」としっかり言わないと、たいへんな目に合う。

My name is~という表現は日本語では珍しいが、英語では、日常的に、テレビや映画のドラマのなかで、あるいは小説や戯曲のなかでもふつうに出会う。ちなみに前回の記事で触れた『ヘヴンアイズ』の原作の小説の冒頭は“My name is Erin Law”(David Almond, Heaven Eyes)である――主人公が読者に語り掛けている。

My name isという表現が日本の英語教科書から消えたというのはフェイクか誤情報であることを願っている。

posted by ohashi at 22:05| コメント | 更新情報をチェックする

2025年09月10日

河内大和の異変

映画『8番出口』が好評で多くの観客を集めているようだが、すでに映画館で観た者としては納得のいくことである。出口なき迷路のような、地下鉄の地下通路を行ったり来たりする物語の不思議な魅力、ほぼ同じ地下通路を映しているだけの映像の不気味な緊迫感、次に起こることの予測不可能性のほかに、俳優たちの演技の素晴らしさがこの映画を支えていることは、おそらく誰もが認めるところだろう。

少年役の浅沼城の見事な演技。女子高生役の花瀬琴音ならではの不気味な演技。小松菜奈も登場時間は短いが、そこがかえって印象的だと感ずる観客もいよう。そしていうまでもなく、「迷う男」二宮和也の熱演というか力演と、「歩く男」河内大和の怪演。

『8番出口』のヒットの功労者が二宮和也であることはいうまでもないが、河内大和もまた功労者、もしかしたらその不気味な存在感で、二宮和也以上の功労者といえるかもしれない。

河内大和氏の舞台のすべてではないにしても、多くを観てきた私としては、テレビ番組『VIVANT』でブレイクして知名度を全国レベルに引き上げたあと、この映画で日本における知名度のみならず国際的な知名度も確固たるものにされたことは、なんとも悦ばしいことである。ある意味、もっと早く評価されてもよかったと思うくらいである。

映画の公開にあわせて河内大和氏はインタビューをいくつも受けたのだろうと思うが、たまたま私が読んだ記事のひとつに、氏の経歴が簡単に紹介されていた(氏が自己紹介しているのではなく、記者自身による紹介)。その紹介文を読んで、私は気づいたのだ――

異変に。

私は河内大和についてWikipediaで調べたことなどないのだが、慌てて調べてみた。異変を確認した。とはいえWikipediaの記事の内容のビフォア・アフターについては確認できなかったのだが、ただはっきりといえることは、河内大和氏の経歴から、劇団「カクシンハン」での活動がすっぽり、ほんとうにすっぽり抜け落ちているのだ。

劇団「カクシンハン」については、以下のWikipediaの記事参照【資料編参照】。ただしこの記事は最新情報を伝えていないので、現在、劇団は活動しているのかどうか不明。

Wikipediaによれば「カクシンハン」は現在までに本公演を13回(2019年時点)行なっているのだが、木村龍之介氏による演出の舞台のほとんどに河内大和は出演していた。出演というか主演である。河内大和はかつては「カクシンハン」の代名詞でもあった。私は、河内大和のリア王をマクベスをハムレットをイアーゴーをリチャード三世をタイタス・アンドロニカスを舞台で観た。どれもきわめてすぐれた上演で、歴史に残るといってもいいものだった。

ところが、その「カクシンハン」公演が、河内大和の経歴からきれいさっぱり消されているのだ。これを異変といわずして、何を異変というのか。そして何がこの異変を生じさせたのか。

人間関係や人事関係のことについては、興味があるのだが、興味を満たしてくれる手段を私は持っていない。だから詳しい事情はほんとうに何も知らない。

ただ一般的に推測できる事情(ただし根拠や証拠はない)としては、木村龍之介と河内大和が決別したということだ。目指すところ方向性の違いか、活動方針や活動手段の違いか、世界観・価値観の対立あるいはささいな個人的喧嘩、もともと犬猿の仲だった……?

どうやら発展的な解消というよりも敵対的決裂が起こったみたいで、河内大和は、その経歴から、「カクシンハン」とか木村龍之介の痕跡を抹消するまでに至ったということだろう。

ただ、なにがあったにせよ、いまや国際的な名声を誇るにいたった俳優・演出家としての河内大和が、その経歴に不透明な部分あるいは空白の部分をかかえているのは、大問題である。河内大和にとって、木村龍之介主催の「カクシンハン」におけるシェイクスピア上演は、マイナスの経験どころか、その経歴に書き込むことのできるプラスの誇りとなる経験であるはずだ。

私が望むのは、何かがあったかの事情の解明ではない。そうではなくて、「カクシンハン」におけるシェイックスピア劇上演の歴史を河内大和の経歴にしっかり刻んでおいて欲しいということである。実在した歴史の抹消は、事情がなんであれ、許されることではない。そしてくりかえすが、いま、その経歴から消されている出演歴は、決して忌まわしい恥ずかしいものではなかったはずなのだから。

早く、異変を消して欲しい。

資料編 
1~4はWikipediaより
1.河内 大和(こうち やまと、1978年12月3日[1] - )は、日本の俳優。山口県出身[1]。ジーガレージシェイクスピア道カンパニー「G.GARAGE///」を主宰するほか、芸能事務所「COME TRUE」に所属している[1]。

主な出演作品は、テレビドラマ『VIVANT』、舞台『THE BEE』『ヘンリー五世』『リチャード三世』『マクベス』『ハムレット』。

人物・略歴
山口県岩国市出身。【中略】新潟市に大型のホール・りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)が建立され、俳優養成の劇団も立ち上がり、そこでシェイクスピアの作品『夏の夜の夢』に出会う。【中略】2000年、『リチャード三世』(東京公演)のケイツビー役で俳優デビュー。本格的に俳優活動を始める。【中略】2004年より「りゅーとぴあ能楽堂シェイクスピアシリーズ」の立ち上げから参加し、『マクベス』や『ハムレット』など、シェイクスピア作品の主役を数多く演じる。その後2010年より東京進出【中略】2013年には、「シェイクスピアの道の極みを追い求めたい」との思いから、シェイクスピアカンパニー「G.GARAGE///(ジーガレージシェイクスピア道カンパニー)」を立ち上げ、企画・演出も手がける。2024年5月には、ルーマニアで2年に1度開催される「クライオヴァ国際シェイクスピアフェスティバル」にG.GARAGE///の作品『リチャード二世』が正式招聘され、世界から絶賛を博す。【以下略】

2.河内大和の出演舞台 Wikipedia「河内大和」の項にあり。
舞台
『リチャード三世』(2000年、演出:栗田芳宏) - ケイツビー 役
『ミュージカルハムレット』(2002年、演出:栗田芳宏) - レアティーズ、ギルデンスターン 役
能楽堂シェイクスピア・シリーズ『マクベス』(2004年、演出:栗田芳宏) - マクベス 役]
カンパニーデラシネラ『ある女の家』(2008年、演出:小野寺修二) - ある男 役
能楽堂シェイクスピア・シリーズ『冬物語』(2008年、演出:栗田芳宏) - リオンティーズ 役
PARCO劇場『中国の不思議な役人』(2009年、演出:白井晃) - 犬男 役
能楽堂シェイクスピア・シリーズ『ハムレット』(2010年、演出:栗田芳宏) - ハムレット役
カンパニーデラシネラ『ロミオとジュリエット』(2011年、演出:小野寺修二) - マキューシオ役
カンパニーデラシネラ『カラマーゾフの兄弟』(2012年、演出:小野寺修二) - ドミートリィ 役
NODA・MAP『エッグ』(2012年、演出:野田秀樹) - タザワ 役
子供のためのシェイクスピア『ジュリアス・シーザー』(2013年、演出:山崎清介) - キャシアス 役
『三人姉妹』(2013年、演出:石丸さち子)-ヴェルシーニン 役
NODA・MAP『MIWA』(2013年、演出:野田秀樹) - アメリカ人記者、追手 役
カンパニーデラシネラ『ある女の家』(2014年、演出:小野寺修二) - ある男 役
新国立劇場『テンペスト』(2014年、演出:白井晃) - キャリバン 役
東京芸術劇場『フィガロの結婚』(2015年、演出:野田秀樹) - 助演 役
KAAT『ペール・ギュント』(2015年、演出:白井晃) - ボタン作り、空 役
彩の国シェイクスピア・シリーズ『ヴェローナの二紳士』(2015年、演出:蜷川幸雄) - シューリオ 役
子供のためのシェイクスピア『オセロー』(2016年、演出:山崎清介) - オセロー 役
東京芸術劇場『リチャード三世』(2017年、演出:シルヴィウ・プルカレーテ) - ケイツビー 役[13]
彩の国シェイクスピア・シリーズ『アテネのタイモン』(2017年、演出:吉田鋼太郎) - ルシリアス 役
KAAT『春のめざめ』(2017年、2019年、演出:白井晃) - 仮面の男 役
彩の国シェイクスピア・シリーズ『ヘンリー五世』(2019年、演出:吉田鋼太郎) - フルエリン大尉 役
NODA・MAP『Q:A Night At The Kabuki』(2019年、演出:野田秀樹) - 源監市、薬売り 役
東京演劇道場『赤鬼』(2020年、演出:野田秀樹) - ミズカネ 役
東京芸術劇場『真夏の夜の夢』(2021年、演出:シルヴィウ・プルカレーテ) - 酒屋 役
『ダム・ウェイター』(2021年、演出:大澤遊)-ベン 役
彩の国シェイクスピア・シリーズ『終わりよければすべてよし』(2021年、演出:吉田鋼太郎) - デュメイン兄 役
Team申『君子無朋』(2021年、演出:東憲司) - 厨師劉、王子インタン 役
NODA・MAP『THE BEE』(2021年、演出:野田秀樹) - 百百山警部 役
G.GARAGE///『リチャード三世』(2022年、演出:河内大和) - グロスター公リチャード 役
G.GARAGE///『OshiireHAMLET』(2022年、演出:河内大和) - ハムレット 役
劇団鹿殺し『ランボルギーニに乗って』(2022年、演出:菜月チョビ) - マイケル 役
G.GARAGE///『リチャード二世』(2022年、演出:河内大和) - リチャード 役
彩の国シェイクスピア・シリーズ『ヘンリー八世』(2022年、演出:吉田鋼太郎) - ノーフォーク公爵 役
『ケンジトシ』(2023年、演出:栗山民也) - コロス 役
『大正浪漫探偵譚—エデンの歌姫—』(2023年、演出:鈴木茉美) - 木崎茂 役
KAAT『アメリカの時計』(2023年、演出:長塚圭史) - ロバートソン 役
G.GARAGE///『ヘンリー四世』二部作(2023年、演出:河内大和) - フォルスタッフ 役
ミュージカル『ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド』(2024年、演出:長谷川寧、演出補:河内大和) - 切り裂きジャック、アーチャー警部 役
PARCO PRODUCE 2024 舞台『オーランド』(2024年、演出:栗山民也)
G.GARAGE/// 朝シェイクスピア90シリーズ『ジュリアス・シーザー』(2025年、演出:河内大和)
【河内大和氏は2013年にG.GARAGE///を立ち上げたことになっているが、その活動が本格化するのは2022年以降のようで、その間、G.GARAGE///が何をしていたのか謎である。】

3. カクシンハン(Theatre Company KAKUSHINHAN)は、日本の劇団。東京都渋谷区を本拠地としている。主宰は演出家の木村龍之介。
概要
東京大学で文学、蜷川幸雄カンパニー、及び文学座演劇附属演劇研究所で演出を学んだ木村龍之介が、主宰として2012年に旗揚げ。以降全作品を手掛けており、古典の大胆な解釈や斬新な演出を特徴とする。
演出・俳優・スタッフによるフラットな共同制作を行い、現在はシェイクスピア作品を中心として単独公演、プロデュース公演を行っている。2016年度シアター風姿花伝プロミシングカンパニー選出。
2016年劇団を法人化、現在は株式会社トゥービーが劇団運営/マネージメントを行う
【記述はここまでで現在の活動については不明】

4.「カクシンハン」本公演リスト Wikipedia「カクシンハン」の項目
フルスケール公演(本公演)
旗揚げ公演:ハムレット×SHIBUYA ~ヒカリよ、俺たちの復讐は穢れたか~, 渋谷 Gallery LE DECO4(2012年4月)
第二回公演:海辺のロミオとジュリエット, 渋谷 Gallery LE DECO4(2012年9月)
第三回公演:リア, SPACE 雑遊(2013年6月)
第四回公演:カクシンハン版 夏の夜の夢, SPACE 雑遊(2014年6月)
第五回公演:仁義なきタイタス・アンドロニカス, SPACE 雑遊(2014年8月)
第六回公演:ハムレット, SPACE 雑遊(2014年11月)
第七回公演:カクシンハン版 オセロー Black Or White, シアターグリーン BIG TREE THEATER(2015年4月)[3]
第八回公演:カクシンハン版 ジュリアス・シーザー, シアターグリーン BIG TREE THEATER(2016年1月)
第九回公演:カクシンハン版 リチャード三世 1471- 1485, シアター風姿花伝(2016年5月)[4]
第十回公演:マクベス, 東京芸術劇場シアターウエスト(2017年1月)[5]
第十一回公演:タイタス・アンドロニカス, 吉祥寺シアター(2017年8月)[6] [7]
第十二回公演:ハムレット, シアターグリーン BIG TREE THEATER(2018年4月)[8] [9]
第十三回公演:カクシンハン版 薔薇戦争(「ヘンリー六世」「リチャード三世」), シアター風姿花伝(2019年7月)
【Wikipediaにはここまでの情報しかない。2019年以後も公演活動は続けている】

5.「カクシンハン」本公演における河内大和出演作品
 「カクシンハン」ホームページより 2023年で更新が終わっている。
 作品はすべて松岡和子訳、演出:木村龍之介 詳しくは以下のサイトを参照:
https://www.kakushinhan.org/works/

□カクシンハン 第12回公演「ハムレット」2018年4月14日(土)~22日(日)
出演:河内大和、真以美、岩崎MARK雄大、のぐち和美 ほか
□薔薇戦争(ヘンリー六世、リチャード三世)2019年7月~8月
出演 河内大和(カクシンハン)真以美(カクシンハン)岩崎MARK雄大(カクシンハン)宮本裕子(アクソン エンタテインメント)鈴木彰紀(さいたまネクスト・シアター)小田伸泰(俳優座)野村龍一(天才劇団バカバッカ)大塚航二朗(無名塾)他
□ハムレット 2019年5月公演
出演:河内大和(カクシンハン)真以美(カクシンハン)岩崎MARK雄大 (カクシンハン)他
□ヴェニスの商人 2018年11月
出演:河内大和、真以美、岩崎MARK雄大
□冬物語 2018年7月公演
出演 河内大和、真以美、岩崎MARK雄大、井上哲、のぐち和美(以上カクシンハン)他
□ハムレット 2018年4月
出演:河内大和、真以美、岩崎MARK雄大、のぐち和美(以上、カクシンハン)他
□タイタス・アンドロニカス 2017年8月公演
出演:河内大和(カクシンハン)、真以美(カクシンハン)、岩崎MARK雄大(カクシンハン)、のぐち和美(カクシンハン/青蛾館)
□マクベス 2017年1月公演
出演:河内大和(カクシンハン)真以美(カクシンハン)岩崎MARK雄大(カクシンハン)穂高(カクシンハン)のぐち和美[特別出演](カクシンハン)
□リチャード三世 2016年5月
出演:河内大和、真以美、のぐち和美、岩崎MARK雄大他
□ヘンリー六世三部作 2016年5月
出演:河内大和、真以美、のぐち和美、岩崎MARK雄大他
□ジュリアス・シーザー 2016年1月
出演:河内大和、真以美 他
□オセロー Black Or White 2015年4月〜5月
出演:河内大和、真以美 他
□ハムレット 2014年11月
出演:真以美、河内大和
□仁義なきタイタス・アンドロニカス 2014年8月
出演:真以美、河内大和、丸山厚人他
□夏の夜の夢 2014年6月
出演:真以美、中村彰男、杉本政志(劇団 AUN)、河内大和 他
□リア 2013年6月
出演:河内大和、真以美 他
posted by ohashi at 21:13| コメント | 更新情報をチェックする

2025年09月09日

教皇降ろし

ベネディクト会修道士で隠者ピエトロ・ダ・モッローネPietro da Morone(1209/10-1296)は1294年12月13日ケレスティヌス五世(Caelestinus V)として教皇に就任。教皇選挙(コンクラーヴェ)で選ばれなかった最後の教皇であった。

「彼は世俗の逸楽に浸りきった教会を刷新し、使徒的清貧に立ち返らせることを期待されたが、教皇庁とフランス王国との関係を清算できず、さらに枢機卿ベネディット・カエターニに騙されて数か月で教皇を忌避、ベネディットが教皇ボニファティウス八世になった」(*1)

まるで参議院選挙から石破おろし、そして石破首相の辞任宣言に至る一連の騒動を彷彿とさせる出来事ではないか。

石破は、「石破らしさを失ってしまった」と考える日本国民は多いと思う。裏金問題に代表される自民党政治の金権体質を払拭・根絶するために、旧安倍派を中心とする守旧派と対決し、実態解明をして再発防止に努め、企業団体献金の禁止も実現していれば、「石破らしさ」も表に出て、政治とカネの問題で自民党、ひいては日本の政治も変わるという希望も生まれていたはずが、その見込みがないことは国民誰もが知るところとなり、自民党は、参院選の大敗をまねたことになる。

改革派の先鋒だった石破は、結局、党内融和を優先し、旧安部派に反撃することもなく、最終的に辞意を表明することになった。自民党内では石破は裏切り者だったかもしれないが、国民からみれば石破はある意味希望の星でもあったのに国民を裏切った。彼は二重の裏切り者になりさがった。

石破首相=教皇ケレスティヌス5世の退任に対する人々の落胆は大きかった。許しがたい変節とみなす人びともいよう。石破は国会内で少数与党でもあったが、自民党内でも少数派という、二重の少数与党でもあったのだから、やむをえないと感ずる人もいよう。

だが、許せないと怒ったのがダンテ・アリギエリである。石破首相に対してではない。退任した教皇ケレスティヌス5世に対してである。

『神曲』の地獄篇第三歌――ウェルギリウスとともに、かの有名な地獄門をくぐった詩人は、そこで呪われた亡者の群れに遭遇する。「死があれほど多くの人間を滅ぼしていたとは」(*2)というT.S.エリオットが『荒地』で引用した有名な一行のあと、そこに見覚えのある一人を発見する。
怯懦ゆえにかの致命的な拒否をした卑怯者だとわかった。

Poscia chʼio vʼebbi alcun riconosciuto,
vidi e conobbi lʼombra di colui
che fece per viltade il gran rifiuto.(58-60)

A few I recognized. And then I saw –
and knew beyond all doubt –the shadow of the one
who made, from cowardice, the great denial.
【原文も、英語訳も、ネットから適当に拾ってきたものなので権威というか厳密なものではない】

臆病=怯懦ゆえに、その任を全うしなかった卑怯者と、ダンテは石破首相のことを非難しているのである。言いえて妙ではないか。

ただしダンテは実名を出していないので、これが教皇ケレスティヌス五世のことか、石破首相のことかはっきりしない。まあ諸説ありというところか。

また教皇ケレスティヌス五世はダンテによって地獄門の近くで苦しみあえぐ亡者たちの群れに入れられているのだが、「このような者どもは死滅する望みも持てぬ。/その盲目の人生はあまりに下劣であるゆえ、/どこであれ他所への配流をうらやむ。//この者どもの名は地上に一片も残らず、/慈悲、また正義も一顧だにせぬ。/我らはこの者どものことは口にはせぬ。ただ眺めて過ぎればよい」と、ぼろくそに言われている。

そうした亡者の一人が、名を口にするも汚らわしい、歴史に名を残すこともない、石破首相いや教皇ケレスティヌ五世なのである。

だがここまでいうのは石破首相に対して無慈悲すぎる。むしろ反日組織である旧統一教会とも結託していた旧安部派の復讐攻勢の前に道半ばにして敗れた悲劇の主人公が石破首相かもしれない。その意味で彼は聖人あるいはヒーローと呼ばれるに値する。

事実、教皇ケレスティヌス五世は退任後、非業の死をとげるのだが、死後、1313年5月5日に聖人とされた。ケレスティヌス五世のかつての敵対勢力が追放されたという政治的理由もあったのだが、その裏金作りや企業献金を当然のこととする体質とは無縁の清廉潔白な姿勢が高く評価されたということでもあろう。

ならばダンテが、もしそれが教皇ケレスティヌス五世のことだとすれば、なぜそこまで毛嫌いしたのかというと、その後任となった教皇ボニファティウス八世こそが、何を隠そう、ダンテの文字通り天敵だったからである。

つまり教皇ケレスティヌス五世が5か月余りで退位しなかったら、ベネデット・カエターニ枢機卿が教皇ボニファティウス八世になることもなかった(事実、ケレスティヌス五世の退位は、カエターニ枢機卿の姦計によるものだった)。

そしてこのボニファティウス八世こそが、金権政治と裏金作りを復活させ、またその覇権主義によって、フィレンツェの政治に介入し、やがてダンテ・アルギエリをフィレンツェから永久追放するのである。ダンテにとって、これはどんなに憎んでも憎みたりない悪党であった。

ダンテは教皇ボニファティウス八世をどうしたのかというと、地獄に墜ちた教皇(逆さまに生き埋めにされ、燃やされている)ニコラウス三世に、次にくる堕教皇として名指しさせている(第19歌52~54行)。

ダンテが『地獄篇』を執筆の頃に、教皇ボニファティウス八世はすでに死んでいたが、その悪行は万人の知ることとなっていた。であればこそ、教皇ケレスティヌス五世の早すぎる退位は、悔やまれてならない。退位さえなければダンテも永久追放されなかった。教皇ケレスティヌス五世に八つ当たり的に怒りがむいたのもわからぬわけではない。

石破首相は列聖され、いつか旧安部派は……。

注1ダンテ・アリギエリ『神曲 地獄篇』原基昭訳、講談社学術文庫、2014, p.523 。『地獄篇」の引用はすべてこの翻訳を使わせていただいた。【なおこの引用ではフランス王国との関係が清算できないと述べられているが、ケレスティヌス五世は、ナポリ王の傀儡と呼ばれたくらいにナポリ王国との関係が深かったのだが、そのこととはべつにフランス王国とも問題を抱えていたということか。】

注2 同書p.59には「T・S・エリオットはここの一文【ママ】を『荒地』の最初に引用している」との訳注があるが、その一行は、『荒地』の最初から60行目くらいのところにある。それを「最初」というのが適切かどうか疑問が残る。

付録:ネット上の資料 wikipedia日本版

教皇ケレスティヌス5世
教皇登位
1292年4月4日に教皇ニコラウス4世が死去し、後継者の人選をめぐってコンクラーヴェ(教皇選挙会議)が開催されたものの、有力な枢機卿や諸侯や諸君主の思惑から紛糾して後継教皇の選出が出来ず、教皇が空位という事態が2年も続くことになる。1294年3月になってナポリ国王カルロ2世がコンクラーヴェが開催されているペルージャ(ウンブリア州ペルージャ県)に赴き、その場に会した枢機卿たちに4人の教皇候補を記したメモを示して後継選出を促したものの、長きにわたる紛糾に疲弊していたせいもあって、枢機卿は特に関心を示そうともしなかった。ところがカルロがペルージャを発った後にローマで暴行事件が起こり、そこに(コンクラーヴェに出席していなかった)枢機卿らが関わったことで殺人事件から暴動へとエスカレートする。

この事態を見てピエトロ・ダ・モローネは、ペルージャに出席していた枢機卿の一人に手紙を出し、すぐにでも教皇を選出しなければコンクラーヴェに会する者どもには必ずや神罰が下るであろうと警告した。手紙を受け取った枢機卿はコンクラーヴェにこの手紙を披露し、いっそピエトロ自身に教皇になってもらったらどうかと周囲に提案、それを受けてその場にいた全員がその案を支持した。この展開はピエトロ本人にも意外であり、そのために一時は教皇位の辞退を望んで修道院から退去しようとする[2]。だが、ナポリ王カルロに制止されて教皇に就任するよう懇願され、ハンガリー王のアンドラーシュ3世やリヨンの大司教の説得によって、ようやく教皇になることを承知して戴冠式をおこなった[2]。

教皇退位
ケレスティヌス自身、不本意な形での教皇での擁立であり、なおかつ政争の具として利用された格好でもあり、本人にとっては一種の災難であった。在位数か月にしてケレスティヌス5世は、自ら「教皇の器にあらず」と述べて退位を希望し、教会法に詳しい教皇官房のベネデット・カエターニ枢機卿に相談した。カエターニ枢機卿は教会法に基づいた辞任の方法を教皇に助言し、ケレスティヌスは自ら「教皇に選ばれた者は、選出を拒否する権利を持つ」という法令を出し、結局半年たらずで教皇を退位した。ここに、存命のまま教皇が退任するという異例の事態が発生した。

ケレスティヌス5世は、夜な夜な聞こえる「ただちに教皇職を辞し、隠者の生活に戻れ」という声に悩まされた末にカエターニ枢機卿に相談したのであるが、実際のところカエターニ自身が、部下に教皇の寝室まで伝声管を引かせて毎晩のように声を聞かせた上に、教皇を不眠症と神経衰弱に追い込んだ張本人であったと言われている。インドロ・モンタネッリ『ルネサンスの歴史』でも、すべてカエターニ枢機卿の仕組んだことだとして一連のできごとを記述している。

ボニファティウス8世(Bonifatius VIII, 1235年頃 - 1303年10月11日)は、13世紀から14世紀にかけてのローマ教皇(在位:1294年 - 1303年)。フランス国王フィリップ4世およびコロンナ家と争い、最晩年に起こったアナーニ事件の直後に「憤死」した。学術・文化の保護者としても知られる。
posted by ohashi at 23:33| コメント | 更新情報をチェックする