閉会まじかになったハプスブルク展を西洋美術館に観に行く。雨といっても小雨だが、とにかく雨が降っているから人も少ないと思ったが、雨の中をチケット販売窓口に人が並んでいる。最初、あきらめて都立美術館の「ハマスホイとデンマーク絵画」展に行った。その帰りにちらっと西洋美術館を見たら、窓口に長蛇の列はできていない。そのため一応覗いてみることにした。
以前といっても、かなり前だが、中学生か高校生の頃の姪と、ある美術展に行ったところ、口が悪い姪は、混みあっている会場で、これでは絵を見に来たのか、人を見に来たのかわからないと、けっこう大きな声でいうので、やめなさいと、その口をふさごうとしたことがあるが、まあ、人気があって混んでいる絵画展は、人が多くて、ゆっくり見て回ることができない。
演劇では人気の舞台は、チケットがすぐに売り切れて見ることができないことが多いが、チケットが手に入れば満席でもしっかり舞台をみることができる。しかし展覧会の場合、チケットが手に入っても、混雑した会場で、ゆっくり見ることができない。チケットが入手できなければあきらめがつくが、チケットが入手できても悪条件のもとで不満が残る鑑賞というのはどうかと思う。時間を区切って入場制限をする展示会もあるが、西洋美術館では、それもむつかしいのかもしれない。
ハプスブルク展というのは、日本でこれまでことあるごとに行われていて、人気もあったのだと思う。関連する書籍なども出版されることが多く、ある一時期、さほど関心がなかった私も、あるハプスブルク家関連の展覧会を機に、書籍なども買い集め、ハプスブルク家というか神聖ローマ帝国の歴史を勉強したことがある。シェイクスピア時代あたりまでの神聖ローマ帝国の歴史は、それなりに背景知識としてあったが、それ以降の、たとえばゲーテに、神聖ローマ帝国といっても、神聖でもなければ、ローマ的でもなく、帝国ですらないと酷評された時代から第一世界大戦の頃までの歴史はほとんど何も知らないので、それを学んだ。
そのため、たとえばヴィクトル・ユゴーの戯曲『エルナニ』は、当時、大論争を巻き起こしたロマン派の戯曲だが、今読むと、何が問題だったのか全くわからない作品なのだが、その『エルナニ』にはカルロス五世が登場する。もちろんカルロス五世は、ヘンリー八世の一時期は盟友でもあったのだから、シェイクスピア研究者なら知っていて当然なのだが、それでもハプスブル家の歴史の全体をぼんやりとでも把握できるようになると、カルロス五世の位置づけや意義など理解しやすくなる。
ハプスブルク家の女性としてはマリー・アントワネットと、シシーことエリザベート(フランツ=ヨーゼフの皇后)のふたりが有名だが、今回、ふたりの大きな肖像画が来ていた。ヴィジュ・ルブランの有名なマリー・アントワネットの肖像画と、エリザベートの異様に腹部が細い肖像画が来ていた。ハプスブルク家の血が入っているマリー・アントワネットはヴィルジュ・ルブランの美化する筆をもってしても、そのしゃくれあごは隠しようもないのだが、エリザベートはハプスブルク家の血が入っていないぶん美人である。まあ、どちらも非業の死をとげた悲劇のヒロインであることでも人気が高いのかもしれない。
ミュージカル『エリザベート』の日本版(宝塚版も含む)を観ている私にとってはエリザベートの物語はなじみ深いものだが、実は、ミュージカル以前に、ロミー・シュナイダーがシシーを演じた三部作の映画をとおして、ある程度のことは知っていた。とはいえ、ハプスブルク家の話だとは、その頃は、思っていなかった――そもそもハプスブルク家とは何か知らなかったのだから。
なお展覧会ではハプスブルク家が収集した美術品の多くも展示されていて、フランス・ハルツの手になる肖像画もあって(どうしてもフランツ・ハルスと書きそうになる。ファン・ゴッホではなくヴァン・ゴッホのほうがなじみがある私はクソ老人なのだ)、しかもそれははじめてみる肖像画で、私にとっては収穫だったのだが。
あとシシーが死んだあとのフランツ・ヨーゼフの息子夫妻がセルビアで暗殺される。それが第一次世界大戦の引き金になったといわれるが、実は、よくわからない。セルビアは当時のオーストリア=ハンガリー帝国の植民地ではなくとも属国のような関係で、たとえていえば、伊藤博文が植民地支配下の朝鮮で暗殺されたとき、大日本帝国がいきなりロシアや中国に宣戦布告をするようなもので、わけがわからない。実際、大日本帝国は、そこまでのことをしなかったのだが。セルビアでの事件がなぜ世界大戦に発展したのか、専門家ではないので、ほんとうによくわからない。イランとアメリカの緊張関係に際して、第三次世界大戦が起こるのではないかとヨーロッパのほうで言われたとき、なにを馬鹿なと思ったのだが、しかしなにが原因で世界大戦が起こるかわからないという、第一次世界大戦にまつわる記憶が、ヨーロッパのほうでは、まだ生きているのかもしれない。
ちなみにフランツ・ヨーゼフ時代のオーストリア、あるいはウィーンについては、私は以前、池内紀氏の『カール・クラウス――闇にひとつの炬火あり』(現在、講談社文庫版あり)を読んだときに、その一端を知ることができた。もちろんカール・クラウスについて知りたくて読んだのだが、またクラウスの引用がけっこう多くて満足したとも、引用が多すぎて驚いたともいえるのだが、ともかく、その記述をとおしてハプスブルク家のウィーンの惨状なども垣間見えてきて、麗しの都ウィーンではなくなっていることを痛感した。
もちろん池内紀氏といえば、『ヒトラーの時代――ドイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのか』 (中公新書)が、遺作となって、しかも、あれこれいわれていて、私が気づいた頃には、アマゾンなどで購入できなくなっていた。もしデータなどの修正・訂正版がでるのだったら、その時に購入してもよいかなとあきらめたが――いまアマゾンで調べたら購入可能ではあったが、古書か転売商品として、定価以上の値段がついていた、だから購入はためらわれるのだが。ただ池内氏の著作は、専門のドイツ文学者を扱うときにも、社会的政治的背景を正面切って扱わなくても、丁寧に、また生々しく垣間見えるかたちで伝えてくれていて、私などは教えられることが多かった。たしかに池内氏の語るドイツ文学者は、みんな暗い時代の人びとであることもまた訴えるところが大きかったのだが。
追記
美術展に行くときには図録が重要な記録としてのちのちまでも重宝されるのだが、理想をいえば、展覧会会場に入る前に図録を購入して、図録の図版と展示品とを見比べながら、図版の横にメモ書きするといいと、美術史の専門家に以前言われたことがある。
実際、図録の場合、大きさの異なる作品が、ほぼ同じサイズで収録されることが多く、縦が身長を超える大作と、B5版にも満たない小品が図録のなかでは同じサイズになると、もちろん図録には作品のサイズが記載されるとはいえ、大きいとか、小さい、小品とメモ書きしておくと図録をとおしてまちがった記憶が定着することを避けられる。あと図録の図版の色と、作品の色との違いがあれば、チェックしておくこと。図版よりも現物のほうが色鮮やかであったり、その逆だったりと、いまは、ちょっとみただけでは、図版とオリジナルとの差はわからないことが多いが、時折、大きく違うことがある。それもメモを書いておけば、図録の図版からまちがった記憶が定着することが避けられる。
実際、以前、そうやって図録をもって展示をみてまわったことがあるが、ただ、そんなことをしているのは私くらいしかない。まるで専門家か関係者か業者みたいなので、気持ちがいいような、気持ちが悪いような。また、素人が専門家のふりをするのはみっともないというようなことを言う嫌なやつが必ずいる――ハイ、私が、その嫌な奴です(2020年1月 日の記事参照)。そのため一回でやめてしまったが、ただ、そもそも最初に図録が買えないことが多い。
西洋美術館は、先に図録を買って展示会場に入ることができるのだが、当日は、レジの前に長蛇の列ができていて、図録を買うのに時間がかかりすぎて、展示会場に入るのが遅くなるか、入れなくなったら意味がないし、そもそも図録と展示品をみて鑑賞するという専門家っぽいことはやめたのだが、なんとなく気になる。とはいえ、今回のハプスブルク展、図録売り切れていた(追加の予約はとっていたようだが)。あと都立美術館の「ハマスホイとデンマーク絵画展」は、中に入って出口近くで図録が売られているので、図録を先に購入することはできないのであった。
2015年05月25日
グエルチーノ展
遅ればせながら、西洋美術館で開催されている『グエルチーノ展』に行ってきた。過去にあったことだが、チケット売り場に行くと、突然、チケットがあまっているのだけれども、あげます、よかったら使ってくださいと声をかけられることがある。「ただほど怖いものはない」ということもあって、警戒するのだが、人をだましたりおとしいれようとするふうにもみえないし、みると、そのチケットは、本物みたいなので、半信半疑ながら、ありがたくもらうことがある。実際、本物のチケットで、チケット代が助かるのだが、このことを、人に話したら、同じような経験をしたことのある人はいた。まあチケットを無駄にしたくないから、捨てるよりは、誰かに使ってほしいということなのだろうと、当たり前の結論に達したのだが(ちなみに上野では東京都美術館と西洋美術館で、見知らぬ女性から無料でチケットをもらったことがある。上野以外でも、同じことはあった)、今回も、チケット売り場前で、ちょっとぐずぐずしていたものの、結局、誰もあらわれず、しかたなく、「キャンパス・メンバーでと言って、団体料金で入館した。
まあ展示の初期作品をみると、そんなに面白い絵ではない。むしろつまらない絵が多いと、やや落胆しつつ、会場をまわったのだが、こてこてのバロック絵画になると、俄然面白くなってきて、最後のほうの女性像についても、いかにもバロック絵画ということで、感激した。結局、ショップでは、図録だけでなく、トートバッグまで買ってしまい、けっこう気に入っているのではないかと、我ながらあきれたが、今回、気になることがあった。
それは本である。歴史画、宗教画のなかに、本が描かれていることである。それも活字印刷本が。たとえば福音書を書いたマタイが天使とならんでいる絵があるが、天使は、大きな書物を抱えているのだが、それは活字印刷本である。巻物じゃないのかい。福音は、巻物のではなく活字本に記されているのか。そもそもマタイの時代に活字本があったのか。この堂々たる、悪びれもしないアナクロニズムはなんなのだろうかと不思議に思った。
『聖マタイと天使』(1621-22)という作品である。他にも『サモスの巫女』でも巫女が活字本をもっている(アポロンにつかえる巫女が活字本をもっている!)。『聖フランチェスコ』でも、『聖ヒエロニムス』も『聖パウルス』もみんな本を、たぶん福音書をもっている。いい加減にせいよ。グエルチーノというよりも、当時の人びとは、アレキサンドリアの図書館には、革表紙の活字本が並んでいたと本気で思っていたのだろうか。
もちろんアナクロニズムをいいだしたら、キリスト像とか宗教画は、どれも、その小道具は、たとえば着ている物は、どれも絵画が描かれた時代のものであって、古代や中世の風俗を歴史的に正確に再現しようとする意志など毛頭なかったことがわかる。
ただそれにしても、マタイの横にいる天使が活字本をもっているとういうのは、織田信長と明智光秀が、スマホやタブレットでゲームに興じているようなもので、テレビのモンスターストライクのコマーシャルなら、それは面白いのだが、宗教画で、それを何食わぬ顔ををしてやったらまずいでしょう(なおモンストのコマーシャル、信長役を、私はピエール瀧だと思い込んでいたがちがっていた。ピエール瀧の信長訳は、東京ガスのCMで、その名残から思い込んでいた。それから歴史上の光秀は信長よりも歳が上で、CMは通俗的な信長・光秀の関係(年齢も光秀のほうが若い)をなぞっているにすぎない)。もし現代の画家が、マタイの横にいる天使にスマホやタブレットや携帯を持たせたら、どういう反応をもらうことになるのだろうか。
あるいはバロック絵画における、活字本の超越的、神秘的、宗教的、文化的意味があるのだろうか。いずれにせよ、このあっけらかんとしたアナクロニズムには、なにか、見ているだけで、脳細胞が劣化してくる感じがした。
ちなみにグエルチーノの絵画には、神様の顔が、描いてある(頭の禿げた老人)。え、神様の姿を描いていいのか。たしかにミケランジェロも、神様の姿を描いていた。しかし神様の姿が描かれると、こちらの脳細胞が劣化してしまうような、通俗性に嘔吐したくなる。偶像崇拝に反対するイスラム国やプロテスタントの気持ちがわかるような気がした。そして古代の世界に活字本。ああ、脳細胞が……
まあ展示の初期作品をみると、そんなに面白い絵ではない。むしろつまらない絵が多いと、やや落胆しつつ、会場をまわったのだが、こてこてのバロック絵画になると、俄然面白くなってきて、最後のほうの女性像についても、いかにもバロック絵画ということで、感激した。結局、ショップでは、図録だけでなく、トートバッグまで買ってしまい、けっこう気に入っているのではないかと、我ながらあきれたが、今回、気になることがあった。
それは本である。歴史画、宗教画のなかに、本が描かれていることである。それも活字印刷本が。たとえば福音書を書いたマタイが天使とならんでいる絵があるが、天使は、大きな書物を抱えているのだが、それは活字印刷本である。巻物じゃないのかい。福音は、巻物のではなく活字本に記されているのか。そもそもマタイの時代に活字本があったのか。この堂々たる、悪びれもしないアナクロニズムはなんなのだろうかと不思議に思った。
『聖マタイと天使』(1621-22)という作品である。他にも『サモスの巫女』でも巫女が活字本をもっている(アポロンにつかえる巫女が活字本をもっている!)。『聖フランチェスコ』でも、『聖ヒエロニムス』も『聖パウルス』もみんな本を、たぶん福音書をもっている。いい加減にせいよ。グエルチーノというよりも、当時の人びとは、アレキサンドリアの図書館には、革表紙の活字本が並んでいたと本気で思っていたのだろうか。
もちろんアナクロニズムをいいだしたら、キリスト像とか宗教画は、どれも、その小道具は、たとえば着ている物は、どれも絵画が描かれた時代のものであって、古代や中世の風俗を歴史的に正確に再現しようとする意志など毛頭なかったことがわかる。
ただそれにしても、マタイの横にいる天使が活字本をもっているとういうのは、織田信長と明智光秀が、スマホやタブレットでゲームに興じているようなもので、テレビのモンスターストライクのコマーシャルなら、それは面白いのだが、宗教画で、それを何食わぬ顔ををしてやったらまずいでしょう(なおモンストのコマーシャル、信長役を、私はピエール瀧だと思い込んでいたがちがっていた。ピエール瀧の信長訳は、東京ガスのCMで、その名残から思い込んでいた。それから歴史上の光秀は信長よりも歳が上で、CMは通俗的な信長・光秀の関係(年齢も光秀のほうが若い)をなぞっているにすぎない)。もし現代の画家が、マタイの横にいる天使にスマホやタブレットや携帯を持たせたら、どういう反応をもらうことになるのだろうか。
あるいはバロック絵画における、活字本の超越的、神秘的、宗教的、文化的意味があるのだろうか。いずれにせよ、このあっけらかんとしたアナクロニズムには、なにか、見ているだけで、脳細胞が劣化してくる感じがした。
ちなみにグエルチーノの絵画には、神様の顔が、描いてある(頭の禿げた老人)。え、神様の姿を描いていいのか。たしかにミケランジェロも、神様の姿を描いていた。しかし神様の姿が描かれると、こちらの脳細胞が劣化してしまうような、通俗性に嘔吐したくなる。偶像崇拝に反対するイスラム国やプロテスタントの気持ちがわかるような気がした。そして古代の世界に活字本。ああ、脳細胞が……
posted by ohashi at 21:04| 美術
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2015年02月27日
ホイッスラー展
横浜美術館の「ホイッスラー展」に、遅ればせながら行ってみた。展示場に入ると、いきなり濃い色に塗られた壁が目に入ってきた。赤茶色というべきか。グレー系の色を、真っ黒になるほど変移させるのではなく、赤か茶のほうに変移させた色というのだが、色を示す自分の語彙のなさを恥じるほかはないが、とにかく赤と茶とグレーの入った濃く渋い色とでもいえようか。その時、ドキュメンタリー映画『みんなのアムステルダム国立美術館へ』を思い出した。というのも、そこでも美術館の壁の色でもめていたからだ。あの映画をみて、あの壁の色、濃いグレーの壁の色はおかしいと思った。銀の場合、バックがグレーのほうが映えると内装担当の建築家が述べていたが、銀食器の展示コーナーではなくて、そこではレンブラントの『夜警』が飾られるのだから、おかしいでしょう。実際、映画の最後に、完成した美術館でグレーの壁をバックにして飾られる『夜警』がみられるのだが、まったく映えていない。絶対に、あれはまちがいだった。グレーの壁の色に反対した新館長は正しかったと思うのだが、ただ、最近の美術館あるいは展示では、濃い色のバックを使うのかもしれないと、今回、あらためて思った次第。最近の流行なのかもしれない。
『みんなのアムステルダム国立美術館へ』については別の機会に語ることにして、もう終わりかかっているホイッスラー展について。
予告されていた代表作の多くは、見事なものだったし、期待を裏切ることはなかったが、ただ、小さな版画(エッチングその他)が多くて、その版画自体は興味深いものの、数が多くて疲れた。延々と小さなモノクロの線画をみせられて疲れた。油彩の方は大きい小さいに関係なく、感銘をあたえるものだったが、それを上回る数のちまちまとしたモノクロ線画が続いて、かなり疲労した。
私の姪が中学生の頃、学校でポスターをみて、美術の先生にもすすめられ、自分でも興味をもったというので、上野の西洋美術館のある展示を彼女といっしょに観に行ったことがある。あれがスカイツリーだと上野公園で姪に教えたので、スカイツリーができてまもなくの頃だったと思う。お目当ての絵画をみることができてよかったのだが、それ以外の展示作品は、油絵が少なく、小さなスケッチが大量に展示してあって、いちいち、それを丁寧にみた姪は、疲れて気分が悪くなって、ギブアップというかグロッキー状態で、ふらふらになって美術館を後にした。まあ子供だから仕方がないと、その時は思ったのだが、今回のホイッスラー展でも、ちまちました線画が並んでいて、ほんとうに疲れた。
エッチングそのものは素晴らしく、購入した図録で見直してみると、よさがよくわかる。大きさも、図録のページに原寸大で収まるようなもので、図録でじっくり鑑賞する価値はあるが、美術館で壁に飾られても、数が少なければいいけれども、多いと閉塞感を抱いてしまう。
やはり大きな油彩が数多く展示してあるほうが迫力もあるし、感動も大きい。しかも大きな油彩は図録からではよさが伝わらない。まず大きさが違うので、色の感じも違ってくる。実物をみるに限る。たしかに最近の印刷技術は進んでいて、現物と印刷の色との差はなくなったといってもいいが、大きさによって色の見た目はかわる。そしてさらにいえばバックが濃い色の壁だと、色がますますちがってみえる。今回、赤茶色のバックのせいか、ホイッスラーの油彩は、独特な色合いにみえてきて、図録だけで見ていても、そのいわくいいがたい淡い色彩あるいは戸外の輝かしい陽光の表現などは、絶対に伝わらないことがわかった。だから油彩だけでもじっくり見ていたかったのだが、油彩と油彩との間に数多くの小さな線画に消耗するしかなかった。
もちろん展示のなかで圧倒的に興味深いのはジャポニスムの分野で、あの不思議な、日本遊びには、違和感と魅惑の両方を感じてしまう。日本の浮世絵が、衝撃をもって西洋人に受けとめられたこと、どこが衝撃的だったのかは、そのいかがわしい日本趣味からうかがえて興味は尽きないものがある。もちろん、タイトルを色とか濃淡だけで表現するホイッスラーの現代的芸術観(描かれ再現されている題材ではなく、手法のほうをメインとする意識)もすばらしく、また色彩の使い方がジャポニスム絵画でなくとも、「和風」のテイストがあることも面白い。
ちなみにホイッスラーの代表作の一つ『母の肖像』は、ローワン・アトキソン主演の映画『ビーン』で、アトキンソン扮するビーンによって、一番大事な顔のところが、スペインのキリストのフレスコ画の修復後の姿のように変えられてしまったのだが、昨年オルセー美術館展で新美術館に来ていて、無事な姿を確認できた。今回のホイッスラー展には来ていない。で、あの座って横向きになっているポーズの肖像画は、ホイッスラーの肖像画の特徴なのだが、今回の展示では、カーライル像がそれだった。クリアファイルにもなっていたが、クリアファイル好きの私だが、今回、カーライルの肖像画は買うのをやめた。カーライル、右翼だから。
横浜美術館は、常設展の充実ぶりは目を見張るものがあり、展覧会で来るたびに常設展示もまわることにしている。正確にいえば今回「コレクション展2014年度第二期」を見た。その内容は1抽象画―戦後から現代 2光と影―都市との対話 3西洋の作家の作品に見る光の表現 4満ちる光、光と影 5写真展示室:光と闇―現代の都市風景で、5つの会場が用意されていた。もっとも、タイトルのつけかたが変で、抽象画以外のところは、お決まりの印象派の絵画が並んでいるとしてか思えないのだが、そんなことはなく、浮世絵から、シュルレアリスムの絵画、現代の画家と多彩である。ホイッスラー展のあと、まわることになって、なにより癒されたのは〈1抽象画――戦後から現代〉と題されたコーナーだった。ホックニーのちまちまとしたエッチングの羅列に辟易していた私は、荒々しいタッチの、大きな画面の抽象画の数々に、解放感をもらい、そして、ほんとうに癒された。いつまでも抽象画の大画面を見ていたい。頭のなかが、すっきりしていく、そんな静かな感動に身をまかしていた。
とにかくホイッスラーのちまちま展示のあとなので、静謐感、解放感といった本来の抽象画から得られそうもない感覚を得ることができたのは意外だった。実際、具象画あるいはシュルレアリスム絵画よりも、この日本の画家たちの抽象画のみごとさに陶酔した。
『みんなのアムステルダム国立美術館へ』については別の機会に語ることにして、もう終わりかかっているホイッスラー展について。
予告されていた代表作の多くは、見事なものだったし、期待を裏切ることはなかったが、ただ、小さな版画(エッチングその他)が多くて、その版画自体は興味深いものの、数が多くて疲れた。延々と小さなモノクロの線画をみせられて疲れた。油彩の方は大きい小さいに関係なく、感銘をあたえるものだったが、それを上回る数のちまちまとしたモノクロ線画が続いて、かなり疲労した。
私の姪が中学生の頃、学校でポスターをみて、美術の先生にもすすめられ、自分でも興味をもったというので、上野の西洋美術館のある展示を彼女といっしょに観に行ったことがある。あれがスカイツリーだと上野公園で姪に教えたので、スカイツリーができてまもなくの頃だったと思う。お目当ての絵画をみることができてよかったのだが、それ以外の展示作品は、油絵が少なく、小さなスケッチが大量に展示してあって、いちいち、それを丁寧にみた姪は、疲れて気分が悪くなって、ギブアップというかグロッキー状態で、ふらふらになって美術館を後にした。まあ子供だから仕方がないと、その時は思ったのだが、今回のホイッスラー展でも、ちまちました線画が並んでいて、ほんとうに疲れた。
エッチングそのものは素晴らしく、購入した図録で見直してみると、よさがよくわかる。大きさも、図録のページに原寸大で収まるようなもので、図録でじっくり鑑賞する価値はあるが、美術館で壁に飾られても、数が少なければいいけれども、多いと閉塞感を抱いてしまう。
やはり大きな油彩が数多く展示してあるほうが迫力もあるし、感動も大きい。しかも大きな油彩は図録からではよさが伝わらない。まず大きさが違うので、色の感じも違ってくる。実物をみるに限る。たしかに最近の印刷技術は進んでいて、現物と印刷の色との差はなくなったといってもいいが、大きさによって色の見た目はかわる。そしてさらにいえばバックが濃い色の壁だと、色がますますちがってみえる。今回、赤茶色のバックのせいか、ホイッスラーの油彩は、独特な色合いにみえてきて、図録だけで見ていても、そのいわくいいがたい淡い色彩あるいは戸外の輝かしい陽光の表現などは、絶対に伝わらないことがわかった。だから油彩だけでもじっくり見ていたかったのだが、油彩と油彩との間に数多くの小さな線画に消耗するしかなかった。
もちろん展示のなかで圧倒的に興味深いのはジャポニスムの分野で、あの不思議な、日本遊びには、違和感と魅惑の両方を感じてしまう。日本の浮世絵が、衝撃をもって西洋人に受けとめられたこと、どこが衝撃的だったのかは、そのいかがわしい日本趣味からうかがえて興味は尽きないものがある。もちろん、タイトルを色とか濃淡だけで表現するホイッスラーの現代的芸術観(描かれ再現されている題材ではなく、手法のほうをメインとする意識)もすばらしく、また色彩の使い方がジャポニスム絵画でなくとも、「和風」のテイストがあることも面白い。
ちなみにホイッスラーの代表作の一つ『母の肖像』は、ローワン・アトキソン主演の映画『ビーン』で、アトキンソン扮するビーンによって、一番大事な顔のところが、スペインのキリストのフレスコ画の修復後の姿のように変えられてしまったのだが、昨年オルセー美術館展で新美術館に来ていて、無事な姿を確認できた。今回のホイッスラー展には来ていない。で、あの座って横向きになっているポーズの肖像画は、ホイッスラーの肖像画の特徴なのだが、今回の展示では、カーライル像がそれだった。クリアファイルにもなっていたが、クリアファイル好きの私だが、今回、カーライルの肖像画は買うのをやめた。カーライル、右翼だから。
横浜美術館は、常設展の充実ぶりは目を見張るものがあり、展覧会で来るたびに常設展示もまわることにしている。正確にいえば今回「コレクション展2014年度第二期」を見た。その内容は1抽象画―戦後から現代 2光と影―都市との対話 3西洋の作家の作品に見る光の表現 4満ちる光、光と影 5写真展示室:光と闇―現代の都市風景で、5つの会場が用意されていた。もっとも、タイトルのつけかたが変で、抽象画以外のところは、お決まりの印象派の絵画が並んでいるとしてか思えないのだが、そんなことはなく、浮世絵から、シュルレアリスムの絵画、現代の画家と多彩である。ホイッスラー展のあと、まわることになって、なにより癒されたのは〈1抽象画――戦後から現代〉と題されたコーナーだった。ホックニーのちまちまとしたエッチングの羅列に辟易していた私は、荒々しいタッチの、大きな画面の抽象画の数々に、解放感をもらい、そして、ほんとうに癒された。いつまでも抽象画の大画面を見ていたい。頭のなかが、すっきりしていく、そんな静かな感動に身をまかしていた。
とにかくホイッスラーのちまちま展示のあとなので、静謐感、解放感といった本来の抽象画から得られそうもない感覚を得ることができたのは意外だった。実際、具象画あるいはシュルレアリスム絵画よりも、この日本の画家たちの抽象画のみごとさに陶酔した。
posted by ohashi at 17:26| 美術
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2015年01月09日
デ・クーニング展
ブリジストン美術館で、12日までデ・クーニング展があったので、もう終わりかけていて、あわてて見に行った。展示品は必ずしも多くなくて、料金も800円だったが、小ぶりな展覧会ながらデ・クーニングを満喫できた。
展覧会の案内として、以下の解説がネット上にあった。
昔、倉敷の大原美術館に何の予備知識もなく入ったら、デ・クーニングとかリキテンシュタインの大作があって驚き感激したことを覚えているが、あのとき見たデ・クーニングはどんな絵だったのかは、記憶にない。ネットで調べても、画像が出てこないので、なんともいえない。大作ではなかったのかもしれないが、ただ、それはともかく、今回のデ・クーニング展で、抽象画として分類されているデ・クーニングの作品が、具象性と抽象性の境界にあることをあらためて認識できた点は収穫だった。
「女性」をテーマにした作品群は、一見、絵の具を荒々しく置いた抽象画にみえて、その前にたつと、女性の姿が見えてくる。これは、ほんとうに驚きで、抽象画なのに具象的なのだ。
しかもそれは具象から抽象へ、抽象から具象へと、変化の途上にある、その一瞬をとらえている、いつなんどき、抽象に、あるいは具象に行くかわからない、そのとどまるところを知らぬ動きそのものを感ずることができた。そういう意味で、動的なのである。絵画が動いているのである。これは絵の具で激しく描きなぐったから、スピード感のようなものが生まれるということではない。むしろ周囲の激しく動く空気のなかで、ゆっくりと溶けていくか、固まっていくか、そのもうひとつの動きが見えてくるのである。嵐が吹きすさぶ荒野のなかで、ゆっくり溶けてゆく、あるいは逆にゆっくり固まってゆく雪だるまといったらわかるだろうか。
雪だるまの比喩は、思い付きだが、同時に、思い付きではなく、デ・クーニングの女性像に触発されてもいる。色と形態の嵐のなかに垣間見えるというか浮かび上がる女性の裸体は、すらっとした筋肉質な裸体とはほど遠い、むしろ豊満な肉体なのだが、しかし、はりのある脂肪の塊でもなく、むくむく、ぶよぶよで、脂肪がたるみ、皮膚が垂れている、溶けかかった雪だるまのような、急激なダイエットによって脂肪たっぷりのたるんだ皮膚ができたような、結局、豊満ともほど遠いぶよぶよの肉体なのだ。
それがデ・クーニング好みの女性像なのかどうかは知らないが、むしろ、そのような肢体は、形象と溶解のはざまにある中間的な肉体なのだろう。これからどんどん溶けていくような肉体でもあるし、またいっぽうで、これから形をまととって造形されていく肉体のようでもある。まさに抽象と具象のはざまにある女性を描くとすれば、そうした中高年へと差し掛かった、太めでぶよぶよの女性の肉体しか成立しないのではないかということである。
そう、中高年のぶよぶよの女性を書こうとしたのではなく、抽象と具象へと解体/生成される境界にある肉体を定位したら、中高年のぶよぶよの肉体にみえてしまったということだろう。あるいはこうも言える。デ・クーニングが、こうした中高年の太ってぶよぶよになった女性の肢体を好んで描こうとしたのは、それが抽象と具象へと解体/生成される途上にある肉体なのだから、と。
そのように見えるだけで、女性性は後付の解釈かもしれないとしても、あるいは、最初から、そのような女性像に芸術家が魅惑されていたとしても、ここに見出されるのは、ぐったりと、べったりと、ぶよぶよの身体を、どっしりと落ち着かせるという、どんなに贔屓目に見ても、動きとは程遠い、女性の肢体が、解体と生成、生と死、あるいは抽象と具象の、まさにはざまにあって、じっくりと変容するさま、その直接的な感得なのである。どちらに行くかはわからない。抽象なのか具象なのか、生か死か、決定不可能ながら、それは、確実に、着実に、ゆっくりと動く/変容する。
その遅くとも、とどまることのない動きを見ること。それがデ・クーニングの絵画が私たちに課す喜びなのだと思う。
追記
その絵のサインをみると、デ・クーニングは、自分のことをBillと呼んでいることがわかる。まあ、アメリカでは、ウィレムでも、ウィリアムでもなく、そのどちらにもなって、どちらにもならない「ビル」と名乗っていただろう。そうなるとデ・クーニングの「ビル」は、彼の描く、「女性像」と似てくる。そしてその女性像は、「ウィレム」「ヴィレム」「ウィリアム」のなかで揺れ動く、彼自身の移民としての自伝なのかもしれないと思えてきた。
展覧会の案内として、以下の解説がネット上にあった。
ウィレム・デ・クーニング(1904-1997)は、ジャクソン・ポロックと並んで、第二次世界大戦後にアメリカで開花した、抽象表現主義を先導した画家のひとりとしてその名を知られています。その作品は、具象と抽象の狭間の表現と、激しい筆触を特色とします。本展の核を成すのは、デ・クーニングの有数のコレクションを誇る、アメリカ合衆国コロラド州を本拠地とするジョン・アンド・キミコ・パワーズ・コレクションからの、1960年代の女性像を中心とした作品群です。
昔、倉敷の大原美術館に何の予備知識もなく入ったら、デ・クーニングとかリキテンシュタインの大作があって驚き感激したことを覚えているが、あのとき見たデ・クーニングはどんな絵だったのかは、記憶にない。ネットで調べても、画像が出てこないので、なんともいえない。大作ではなかったのかもしれないが、ただ、それはともかく、今回のデ・クーニング展で、抽象画として分類されているデ・クーニングの作品が、具象性と抽象性の境界にあることをあらためて認識できた点は収穫だった。
「女性」をテーマにした作品群は、一見、絵の具を荒々しく置いた抽象画にみえて、その前にたつと、女性の姿が見えてくる。これは、ほんとうに驚きで、抽象画なのに具象的なのだ。
しかもそれは具象から抽象へ、抽象から具象へと、変化の途上にある、その一瞬をとらえている、いつなんどき、抽象に、あるいは具象に行くかわからない、そのとどまるところを知らぬ動きそのものを感ずることができた。そういう意味で、動的なのである。絵画が動いているのである。これは絵の具で激しく描きなぐったから、スピード感のようなものが生まれるということではない。むしろ周囲の激しく動く空気のなかで、ゆっくりと溶けていくか、固まっていくか、そのもうひとつの動きが見えてくるのである。嵐が吹きすさぶ荒野のなかで、ゆっくり溶けてゆく、あるいは逆にゆっくり固まってゆく雪だるまといったらわかるだろうか。
雪だるまの比喩は、思い付きだが、同時に、思い付きではなく、デ・クーニングの女性像に触発されてもいる。色と形態の嵐のなかに垣間見えるというか浮かび上がる女性の裸体は、すらっとした筋肉質な裸体とはほど遠い、むしろ豊満な肉体なのだが、しかし、はりのある脂肪の塊でもなく、むくむく、ぶよぶよで、脂肪がたるみ、皮膚が垂れている、溶けかかった雪だるまのような、急激なダイエットによって脂肪たっぷりのたるんだ皮膚ができたような、結局、豊満ともほど遠いぶよぶよの肉体なのだ。
それがデ・クーニング好みの女性像なのかどうかは知らないが、むしろ、そのような肢体は、形象と溶解のはざまにある中間的な肉体なのだろう。これからどんどん溶けていくような肉体でもあるし、またいっぽうで、これから形をまととって造形されていく肉体のようでもある。まさに抽象と具象のはざまにある女性を描くとすれば、そうした中高年へと差し掛かった、太めでぶよぶよの女性の肉体しか成立しないのではないかということである。
そう、中高年のぶよぶよの女性を書こうとしたのではなく、抽象と具象へと解体/生成される境界にある肉体を定位したら、中高年のぶよぶよの肉体にみえてしまったということだろう。あるいはこうも言える。デ・クーニングが、こうした中高年の太ってぶよぶよになった女性の肢体を好んで描こうとしたのは、それが抽象と具象へと解体/生成される途上にある肉体なのだから、と。
そのように見えるだけで、女性性は後付の解釈かもしれないとしても、あるいは、最初から、そのような女性像に芸術家が魅惑されていたとしても、ここに見出されるのは、ぐったりと、べったりと、ぶよぶよの身体を、どっしりと落ち着かせるという、どんなに贔屓目に見ても、動きとは程遠い、女性の肢体が、解体と生成、生と死、あるいは抽象と具象の、まさにはざまにあって、じっくりと変容するさま、その直接的な感得なのである。どちらに行くかはわからない。抽象なのか具象なのか、生か死か、決定不可能ながら、それは、確実に、着実に、ゆっくりと動く/変容する。
その遅くとも、とどまることのない動きを見ること。それがデ・クーニングの絵画が私たちに課す喜びなのだと思う。
追記
その絵のサインをみると、デ・クーニングは、自分のことをBillと呼んでいることがわかる。まあ、アメリカでは、ウィレムでも、ウィリアムでもなく、そのどちらにもなって、どちらにもならない「ビル」と名乗っていただろう。そうなるとデ・クーニングの「ビル」は、彼の描く、「女性像」と似てくる。そしてその女性像は、「ウィレム」「ヴィレム」「ウィリアム」のなかで揺れ動く、彼自身の移民としての自伝なのかもしれないと思えてきた。
posted by ohashi at 18:47| 美術
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2013年08月03日
ドン・ジュアン テレビ雑感2
『水谷豊と行く謎解き美術館 フランス名画300年の旅』
2013年8月3日土曜日午前10時~10時30分 テレビ朝日
横浜美術館で開催されているプーシキン美術館展の紹介をしている番組中で、そのなかの一点ドラクロワ描く『ドン・ジュアン』に想を得た作品を紹介していたが、案内役の水谷豊が昔、山崎努がドン・ジュアンを演ずる舞台にみずから出演した思い出も交えながら、では、この絵のなかで、どれがドン・ジュアンなのかと疑問を呈していた。
小舟に乗った数人の人物が、死体を海に投げ捨てようとする場面を描く作品は、確かに謎めいている。私はまだ横浜美術館の展示を見ていたのだが、これは通常のドン・ジュアン/ドン・フアン/ドン・ジョヴァンニ伝説の一エピソードを描いたのではない。こんなエピソードがあることを、あなたは知っていますか? 実はこれはバイロンの長詩『ドン・ジュアン』に基づく、いわばその挿絵というような位置づけの作品である。これは展覧会のホームページで以下のように紹介されていた。
この紹介も、ちょっとおかしいのだが、ここからわかるようにテレビで紹介していたようなドン・ジュアンの絵ではない。バイロンの『ドン・ジュアン』のなかの一場面なのである。「また自然に翻弄されながらも懸命に生きようとする、人間の普遍性……」。むしろ自然の猛威になすすべもなく打ち負かされて死んでいく人間の悲惨であろう。衰弱死、疫病死、いずれにせよ非業の死をとげた死体を水葬しようとしているのだから。
このバイロンの長詩『ドン・ジュアン』は長くて変な作品だが、最初の方、第2巻くらいで、ドン・ジュアンが乗った客船が嵐に巻き込まれ地中海を漂流する物語が展開する。たぶんドン・ジュアン伝説にこうした物語はない。そして、その描写、食糧や水がなくなり、病気が蔓延し、乗員乗客がつぎつぎと死んでゆき、飢えた観客たちの間で人肉食がひろがる……、という読んでいて息苦しくなるような場面が、つぎつぎと展開する。スペインを舞台にコミカルな明るい調子で始まったこの長編物語詩は、この漂流場面では、もう読むにたえないような、残酷な地獄絵図となる。ドラクロワのこの絵は、そのエピソードを象徴する場面であって、ドン・ジュアンという人物を描いていはいない。バイロンの物語のなかで最も印象的な劇的な地獄図絵を描いているのである。だから、テレビで語っていたような、描かれている人物の誰がドン・ジュアンなのかという詮索は全く無関係である。ここにドン・ジュアンは描かれていない。
テレビでは海に捨てられる死体がドン・ジュアンかもしれないと、そういう解釈もできると語っていたが、あほは死ね。そんなわけないだろう。ドン・ジュアンの有名な最後はモーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』を見ろ。ちょっといい加減にしろよとテレビに向かってクレームをつけた土曜日の朝だった。
2013年8月3日土曜日午前10時~10時30分 テレビ朝日
横浜美術館で開催されているプーシキン美術館展の紹介をしている番組中で、そのなかの一点ドラクロワ描く『ドン・ジュアン』に想を得た作品を紹介していたが、案内役の水谷豊が昔、山崎努がドン・ジュアンを演ずる舞台にみずから出演した思い出も交えながら、では、この絵のなかで、どれがドン・ジュアンなのかと疑問を呈していた。
小舟に乗った数人の人物が、死体を海に投げ捨てようとする場面を描く作品は、確かに謎めいている。私はまだ横浜美術館の展示を見ていたのだが、これは通常のドン・ジュアン/ドン・フアン/ドン・ジョヴァンニ伝説の一エピソードを描いたのではない。こんなエピソードがあることを、あなたは知っていますか? 実はこれはバイロンの長詩『ドン・ジュアン』に基づく、いわばその挿絵というような位置づけの作品である。これは展覧会のホームページで以下のように紹介されていた。
ウジェーヌ・ドラクロワ ≪難破して≫
1840-47年頃 油彩、カンヴァス 36×57cm
ロマン主義の旗手ドラクロワが繰り返し描いた主題、困難な航海の一場面です。力つきた乗船者たちの間で2人の男が死体を海に投げようと立ちあがっています。バイロンの長編詩「ドン・ジュアン」に想を得た作品ですが、特定の場面を再現するだけではなく、自然に翻弄されながらも懸命に生きようとする、人間の普遍性を表現しようと試みています。19世紀末のモスクワで膨大なコレクションを形成した大商人トレチャコフ兄弟の旧蔵品です。
この紹介も、ちょっとおかしいのだが、ここからわかるようにテレビで紹介していたようなドン・ジュアンの絵ではない。バイロンの『ドン・ジュアン』のなかの一場面なのである。「また自然に翻弄されながらも懸命に生きようとする、人間の普遍性……」。むしろ自然の猛威になすすべもなく打ち負かされて死んでいく人間の悲惨であろう。衰弱死、疫病死、いずれにせよ非業の死をとげた死体を水葬しようとしているのだから。
このバイロンの長詩『ドン・ジュアン』は長くて変な作品だが、最初の方、第2巻くらいで、ドン・ジュアンが乗った客船が嵐に巻き込まれ地中海を漂流する物語が展開する。たぶんドン・ジュアン伝説にこうした物語はない。そして、その描写、食糧や水がなくなり、病気が蔓延し、乗員乗客がつぎつぎと死んでゆき、飢えた観客たちの間で人肉食がひろがる……、という読んでいて息苦しくなるような場面が、つぎつぎと展開する。スペインを舞台にコミカルな明るい調子で始まったこの長編物語詩は、この漂流場面では、もう読むにたえないような、残酷な地獄絵図となる。ドラクロワのこの絵は、そのエピソードを象徴する場面であって、ドン・ジュアンという人物を描いていはいない。バイロンの物語のなかで最も印象的な劇的な地獄図絵を描いているのである。だから、テレビで語っていたような、描かれている人物の誰がドン・ジュアンなのかという詮索は全く無関係である。ここにドン・ジュアンは描かれていない。
テレビでは海に捨てられる死体がドン・ジュアンかもしれないと、そういう解釈もできると語っていたが、あほは死ね。そんなわけないだろう。ドン・ジュアンの有名な最後はモーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』を見ろ。ちょっといい加減にしろよとテレビに向かってクレームをつけた土曜日の朝だった。
posted by ohashi at 11:23| 美術
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2013年07月27日
美の巨人
関東では土曜日の午後10時からテレビ東京で放送されている『美の巨人』。人気のある番組なのだろう。長寿番組となっている。私も土曜日の夜、帰宅していて時間があれば観ている。本日はスーラの『グランド・ジャット島の午後』を扱っていたが、前にも同じ作品を扱っていた。ということは、前回とはブレインが違っているということだろう。もちろん誰(あるいは集団)が番組のブレインとなっているのか知らないが、スーラのこの絵に関しては、前に扱ったときのほうが、分析に切れがあったように思う。とはいえ、どんな分析内容だったのかは明確に覚えていない。ならば、なぜそんなことが言えるのかというと、今回の分析があまりにありきたりで陳腐のきわみであるからだ。多少嘘でも、無根拠居でも、無責任な推定でもいいから、何か光る分析をしてくれ。
今回の解説では、歴史的な情報を濃くしている。第8回印象派展(最後の印象派展)では、ピサロが強く推すスーラの出展に反対するモネやルノワールらが自作の出展をとりやめたこと。歴史的な事実を押さえるのは得意だが、分析力は乏しいと見た。これが最近の美術史研究の動向だとしたら、ちょっとなさけないのだが、一例をもってして全体を推し量る愚を犯したくないので、一般化は控えようと思うが……。
スーラの技法が、絵具をパレット上で混ぜると暗くなるので、画布の上の点描によって見る者のなかで色が混ざるようにすうという技法であることが指摘さえる。ここで歴史的情報として、スーラのパレットの絵具配置が示される。その情報は新しいのだが、パレット上で色をまぜることなく原色の色彩の点に明るい色彩表現を試みたというのは、誰でも知っていることだ。そんなことはサラッと流して、さらに分析を深めてもよかった。
分析のさえのようなものが見え始めるのは、スーラの絵画に漂う静寂である。これは誰もが感ずることだし、ただ、その意味がよくわからない特徴である。この問題点の指摘はすばらしい。解答としては、またしても歴史情報である。スーラ自身、ギリシア建築の壁面を飾るレリーフの人物像をまねて、画布のなかに人物配置をしたと語っていることをとりあげているが。しかし、静寂の人物像によって、無時間的永遠性が、そこに生まれ、見る者が自由に解釈できる象徴性を画面のディテールと全体が帯びるようになるという解説は、確かにそうなのだが、そんなことは、気の利いた中学生なら指摘するようなことで、凡庸なことこのうえない。嘘でいいから、なにかもっと面白いことを語ってくれ~!
凡庸なブレインは去れ。もっと頭のきれる、また異端となることを厭わない大胆な研究者がブレインになって欲しい。『美の巨人たち』の現在のブレインは巨人とはほど遠い小者であるようにみえる。良い番組なので、残念である。
今回の解説では、歴史的な情報を濃くしている。第8回印象派展(最後の印象派展)では、ピサロが強く推すスーラの出展に反対するモネやルノワールらが自作の出展をとりやめたこと。歴史的な事実を押さえるのは得意だが、分析力は乏しいと見た。これが最近の美術史研究の動向だとしたら、ちょっとなさけないのだが、一例をもってして全体を推し量る愚を犯したくないので、一般化は控えようと思うが……。
スーラの技法が、絵具をパレット上で混ぜると暗くなるので、画布の上の点描によって見る者のなかで色が混ざるようにすうという技法であることが指摘さえる。ここで歴史的情報として、スーラのパレットの絵具配置が示される。その情報は新しいのだが、パレット上で色をまぜることなく原色の色彩の点に明るい色彩表現を試みたというのは、誰でも知っていることだ。そんなことはサラッと流して、さらに分析を深めてもよかった。
分析のさえのようなものが見え始めるのは、スーラの絵画に漂う静寂である。これは誰もが感ずることだし、ただ、その意味がよくわからない特徴である。この問題点の指摘はすばらしい。解答としては、またしても歴史情報である。スーラ自身、ギリシア建築の壁面を飾るレリーフの人物像をまねて、画布のなかに人物配置をしたと語っていることをとりあげているが。しかし、静寂の人物像によって、無時間的永遠性が、そこに生まれ、見る者が自由に解釈できる象徴性を画面のディテールと全体が帯びるようになるという解説は、確かにそうなのだが、そんなことは、気の利いた中学生なら指摘するようなことで、凡庸なことこのうえない。嘘でいいから、なにかもっと面白いことを語ってくれ~!
凡庸なブレインは去れ。もっと頭のきれる、また異端となることを厭わない大胆な研究者がブレインになって欲しい。『美の巨人たち』の現在のブレインは巨人とはほど遠い小者であるようにみえる。良い番組なので、残念である。
posted by ohashi at 22:55| 美術
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2013年07月23日
レオ・レオニー展
東急文化村のThe Museumに「レオ・レオニー展」をのぞいてみた。会期2013/6/22(土)-8/4(日)(会期中無休)。ネット上に掲載されている展覧会案内を引用すると――
小学校の教科書にも掲載されている絵本『スイミー』で知られるレオ・レオニ(1910~1999)は、オランダで生まれ、イタリアでグラフィック・デザイナーとして活躍後、戦争のため1939年にアメリカへ移住、そこで初めて絵本の世界に足を踏み入れました。あおときいろの紙きれの友情を描いた『あおくんときいろちゃん』でデビューしたレオニは、ねずみの『フレデリック』や尺取り虫の『ひとあしひとあし』など、小さな主人公が自分らしく生きることをテーマにした温かいストーリーの絵本を数多く制作しました。水彩、油彩、コラージュなどさまざまな技法を使って、美しい想像の世界を作り出し、読む人を軽々と空想の旅へ引き込んでしまうレオニは、「色の魔術師」と称されています。
本展では、絵本原画約100点、さらに油彩、彫刻、資料など約30点により、レオニの作品世界を紹介します。
実は私は知らなかったのだが、絵本『スイミー』は1977年から小学校の国語の教科書に採用されていて、小学生の多くが学んでいる。また絵本作家なので幼稚園児で絵本を手に取った児童は多いはずである。
私のように初めてレオニの絵を見る者にとって、展覧会はすぐれた入門機会となってくれるし、レオニの絵の魅力を間違いなく伝えている。ただ絵本が主要な作品なので、子供連れ、それも幼稚園児、小学生などが多い。その点で、レオニーの絵本(日本語訳)を会場に置いていて、多くの児童がそれを見ていて、会場全体が騒然としている。この絵本たちで育った中高生以上の人たちにとって、展覧会は面白いのであろうが、そうして年齢層は、子供といっしょに来ている親たちを除いて、意外に少ない。いっぽう今現在児童であったり小学校低学年生徒たちにとっては、面白くないのではと思ったが。
私と展示されている絵画の前を、小学生の女子ふたりが横切って行ったが、彼女たちは、まだ低学年のようにみえるのだが、展示された複数の絵(絵本を構成した原画の一部)をみて一人の少女が語っているのを聞くと話に聞いていると、彼女は構成する絵本の内容を完璧に把握している。そう、ここに来ている子供たちは、ほぼ全員が、ほぼすべてのレオニーの絵本を読んだことがあるようなのだ。彼らは充分に理解し楽しんでいる。ただ会場がやや騒然としているので、そうではないと勘違いしてしまったのだ。
ただ、それにしても、いくつかの絵本には画家のリベラルな世界観が、明確に反映している。決して声高に叫ばれたものではないが、その世界観は紛れもなくリベラルである。個人主義的で脱集団的であり、また時に集団の力に理解を示し、他者との共存共栄を図るか典型的ともいえる、いや典型的であるべき、リベラルなコスモポリタニズム。だが多くの小学生が、その絵本を読んでいたはずなのに、多くの日本人、それも若い世代の日本人たちは、どうしてこう、屑のナショナリストになりさがっているのか。
理由は、2つ。同じ一つの物語を読んでも、その寓意性に関しては、複数の解釈が可能になる。『スイニー』についても、これを中国のような大国に対して、安倍首相を中心に日本国民が結集すれば怖くないという、糞・屑ナショナリズムの物語としても読めるし、安倍首相を中心として結集するファシスト勢力に対して、権力志向・正当性思考とは無縁の脱中心的指導者によって反ファシズム=抵抗文化を形成する物語としても読める。翻訳者「たにかわ しゅんたろう」(谷川俊太郎)が、政治活動をとことん馬鹿にしていた政治的に保守派の詩人であったことからも、ロムニーのこの政治的・政治活動賛歌ともいえる物語に、谷川は、なにか脱政治的な可能性を見ていた可能性もあって不気味だ。
もうひとつの理由は、谷川が何を考えていようと、安倍首相が、なにを主張しようと、ロムニーの絵本を読んで感銘を受けた者たちは、日本人のなかに、年齢・性別を問わず、確実に存在している、ただ、彼らは、今はまだ、きく手を挙げていないし、大声で主張はしていない、と、そう考えるのだ。彼らは、強大な敵を前に、結集する能力をまだ失っていない。まさにそう信じたいのである。
小学校の教科書にも掲載されている絵本『スイミー』で知られるレオ・レオニ(1910~1999)は、オランダで生まれ、イタリアでグラフィック・デザイナーとして活躍後、戦争のため1939年にアメリカへ移住、そこで初めて絵本の世界に足を踏み入れました。あおときいろの紙きれの友情を描いた『あおくんときいろちゃん』でデビューしたレオニは、ねずみの『フレデリック』や尺取り虫の『ひとあしひとあし』など、小さな主人公が自分らしく生きることをテーマにした温かいストーリーの絵本を数多く制作しました。水彩、油彩、コラージュなどさまざまな技法を使って、美しい想像の世界を作り出し、読む人を軽々と空想の旅へ引き込んでしまうレオニは、「色の魔術師」と称されています。
本展では、絵本原画約100点、さらに油彩、彫刻、資料など約30点により、レオニの作品世界を紹介します。
実は私は知らなかったのだが、絵本『スイミー』は1977年から小学校の国語の教科書に採用されていて、小学生の多くが学んでいる。また絵本作家なので幼稚園児で絵本を手に取った児童は多いはずである。
私のように初めてレオニの絵を見る者にとって、展覧会はすぐれた入門機会となってくれるし、レオニの絵の魅力を間違いなく伝えている。ただ絵本が主要な作品なので、子供連れ、それも幼稚園児、小学生などが多い。その点で、レオニーの絵本(日本語訳)を会場に置いていて、多くの児童がそれを見ていて、会場全体が騒然としている。この絵本たちで育った中高生以上の人たちにとって、展覧会は面白いのであろうが、そうして年齢層は、子供といっしょに来ている親たちを除いて、意外に少ない。いっぽう今現在児童であったり小学校低学年生徒たちにとっては、面白くないのではと思ったが。
私と展示されている絵画の前を、小学生の女子ふたりが横切って行ったが、彼女たちは、まだ低学年のようにみえるのだが、展示された複数の絵(絵本を構成した原画の一部)をみて一人の少女が語っているのを聞くと話に聞いていると、彼女は構成する絵本の内容を完璧に把握している。そう、ここに来ている子供たちは、ほぼ全員が、ほぼすべてのレオニーの絵本を読んだことがあるようなのだ。彼らは充分に理解し楽しんでいる。ただ会場がやや騒然としているので、そうではないと勘違いしてしまったのだ。
ただ、それにしても、いくつかの絵本には画家のリベラルな世界観が、明確に反映している。決して声高に叫ばれたものではないが、その世界観は紛れもなくリベラルである。個人主義的で脱集団的であり、また時に集団の力に理解を示し、他者との共存共栄を図るか典型的ともいえる、いや典型的であるべき、リベラルなコスモポリタニズム。だが多くの小学生が、その絵本を読んでいたはずなのに、多くの日本人、それも若い世代の日本人たちは、どうしてこう、屑のナショナリストになりさがっているのか。
理由は、2つ。同じ一つの物語を読んでも、その寓意性に関しては、複数の解釈が可能になる。『スイニー』についても、これを中国のような大国に対して、安倍首相を中心に日本国民が結集すれば怖くないという、糞・屑ナショナリズムの物語としても読めるし、安倍首相を中心として結集するファシスト勢力に対して、権力志向・正当性思考とは無縁の脱中心的指導者によって反ファシズム=抵抗文化を形成する物語としても読める。翻訳者「たにかわ しゅんたろう」(谷川俊太郎)が、政治活動をとことん馬鹿にしていた政治的に保守派の詩人であったことからも、ロムニーのこの政治的・政治活動賛歌ともいえる物語に、谷川は、なにか脱政治的な可能性を見ていた可能性もあって不気味だ。
もうひとつの理由は、谷川が何を考えていようと、安倍首相が、なにを主張しようと、ロムニーの絵本を読んで感銘を受けた者たちは、日本人のなかに、年齢・性別を問わず、確実に存在している、ただ、彼らは、今はまだ、きく手を挙げていないし、大声で主張はしていない、と、そう考えるのだ。彼らは、強大な敵を前に、結集する能力をまだ失っていない。まさにそう信じたいのである。
posted by ohashi at 20:37| 美術
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2013年07月12日
貴婦人と一角獣展
15日で終わる展示にようやく行くことができた。猛暑だが、本日をはずすと行く機会はない。チケット売り場では展示は2つあるがどちらだと聞かれ、「一角獣…」という言葉が出てこなくて、タペストリーの方と言ったら、「貴婦人と一角獣展」と言われ、チケットが購入できた。展覧会の名前を覚えていなく迷惑をかけ、そのうえ、フランスの絵画展なのに、「タピスリー」ではなくて、「タペストリー」と英語でいう、変なおじさん、というかちょっと傲慢なオジサンになってすみません。
かつて美術史の専門家の知人から、展覧会では図録がのちのち記憶の拠り所となるので、最初に図録を購入し、その図録の図版と、自分の眼で見た実物とを見比べて、メモ書きをするとよいと教えられた。実物よりも図版が暗いとか、明るいとか、色合いが違うとか、正確だとかを書いておく。そうしないと、事物とはすこし違う図版のほうを、記憶に残してしまうからだと。
今回、図録の図版とか動画とか他の書籍における図版と実物との間に大きなかい離がみられたのは「わが唯一の望み」というタペストリーの女性人物を囲む天蓋の色である。タピストリーは、どれも赤と緑という補色関係にある二色で構成されている。その天蓋も緑色なのだが。図版とか動画その他では、青色である。実物を見ると、かなり青味の強い緑色だが(青緑といってもいい)、やはりそれは緑色の範疇に属する色である。他の5感のタピストリーと同じ色構成、すなわち赤と緑であって、この「わが唯一の望み」だけが赤と青なのではないが、どういうわけか青である。会場で流されたヴィデオ映像(NHKが制作したもの)でも青い。図録でも青い。クリアファイルの色は、最初から正確ではないとしても、このタピストリーだけ他と比べて青味が強い。ただ修復作業によって、製作当時の鮮やかな色がよみがえったということもあろう。それまでは青だった。修復によって緑が強くなったということか。いずれにせよ、この『わが唯一の望み』の天蓋は、いろいろな図版で青いのだが、濃い緑色であると補正していただきたい。
展示は6枚の巨大なタピストリーを中心に、細部図像、関連図像、そして関連展示品から構成され、色々と勉強させてもらった。ディテールは、当然、実物よりも大きくなり、個々の動植物の図像は、それ独自で、美しい。また関連図の実物は、ほんとうに小さなものもあり、図録によって、はじめて詳細がわかるものもけっこうある。いずれによせ、拡大された細部には、発見の喜びがある。つまり全体像にまぎれてしまわない独立したディテールとその特質なり美しさを発見する喜びがある。
しかしそのディテールが大きなタペストリーにまぎれてしまい、タペストリーそのものに対峙すると、また違ったものがあらわれる。細部も寓意も関係なく、全体の構図と色彩によって、不思議な世界が生まれているのだ。いわゆる千花文という、草花をびっしりと散らした赤い背景が、樹木の葉や地面と想定される緑の草地と対比され、そこに人物が、動物や一角獣が浮かび上がる。装飾芸術が醸し出す雰囲気を、ある種のリアリティをもった世界観とみるのは、意味がないことなのだが、16世紀初頭のタペストリーである。もう寓意を忘れて、なんともいえぬ不思議な幻想世界に酔いしれてみてはどうだろうか。この世のものとも思えない空間、赤と緑の補色に呪縛され静止した人物。別世界にトリップしてしまいそうである。
かつて美術史の専門家の知人から、展覧会では図録がのちのち記憶の拠り所となるので、最初に図録を購入し、その図録の図版と、自分の眼で見た実物とを見比べて、メモ書きをするとよいと教えられた。実物よりも図版が暗いとか、明るいとか、色合いが違うとか、正確だとかを書いておく。そうしないと、事物とはすこし違う図版のほうを、記憶に残してしまうからだと。
今回、図録の図版とか動画とか他の書籍における図版と実物との間に大きなかい離がみられたのは「わが唯一の望み」というタペストリーの女性人物を囲む天蓋の色である。タピストリーは、どれも赤と緑という補色関係にある二色で構成されている。その天蓋も緑色なのだが。図版とか動画その他では、青色である。実物を見ると、かなり青味の強い緑色だが(青緑といってもいい)、やはりそれは緑色の範疇に属する色である。他の5感のタピストリーと同じ色構成、すなわち赤と緑であって、この「わが唯一の望み」だけが赤と青なのではないが、どういうわけか青である。会場で流されたヴィデオ映像(NHKが制作したもの)でも青い。図録でも青い。クリアファイルの色は、最初から正確ではないとしても、このタピストリーだけ他と比べて青味が強い。ただ修復作業によって、製作当時の鮮やかな色がよみがえったということもあろう。それまでは青だった。修復によって緑が強くなったということか。いずれにせよ、この『わが唯一の望み』の天蓋は、いろいろな図版で青いのだが、濃い緑色であると補正していただきたい。
展示は6枚の巨大なタピストリーを中心に、細部図像、関連図像、そして関連展示品から構成され、色々と勉強させてもらった。ディテールは、当然、実物よりも大きくなり、個々の動植物の図像は、それ独自で、美しい。また関連図の実物は、ほんとうに小さなものもあり、図録によって、はじめて詳細がわかるものもけっこうある。いずれによせ、拡大された細部には、発見の喜びがある。つまり全体像にまぎれてしまわない独立したディテールとその特質なり美しさを発見する喜びがある。
しかしそのディテールが大きなタペストリーにまぎれてしまい、タペストリーそのものに対峙すると、また違ったものがあらわれる。細部も寓意も関係なく、全体の構図と色彩によって、不思議な世界が生まれているのだ。いわゆる千花文という、草花をびっしりと散らした赤い背景が、樹木の葉や地面と想定される緑の草地と対比され、そこに人物が、動物や一角獣が浮かび上がる。装飾芸術が醸し出す雰囲気を、ある種のリアリティをもった世界観とみるのは、意味がないことなのだが、16世紀初頭のタペストリーである。もう寓意を忘れて、なんともいえぬ不思議な幻想世界に酔いしれてみてはどうだろうか。この世のものとも思えない空間、赤と緑の補色に呪縛され静止した人物。別世界にトリップしてしまいそうである。
posted by ohashi at 23:38| 美術
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2013年07月04日
夏目漱石の世界美術展
(これは日記ではないので、本日か昨日、展覧会に行ったということではない)
私は前に、姪(現在高校一年生)と、東京藝術大学美術館に行ったことがある。美術館に併設されているホテル・オークラが経営しているというカフェ・レストランで、食事はしなかったがお茶を飲んだ。ところが比較的最近、姪に聞いてみると、芸大の美術館に行った記憶がないという。展覧会そのものは、憶えていた。ならば、そこが芸大美術館であると、なぜ覚えていないのか。しかも、芸大は姪の両親の母校でもある(音楽学部のほうだが)。両親が卒業した大学の中に入ったら、それなりに興味を覚えるのではないかと思うのだが、なんとういう、ぼんやりさんだ、なんとういうボケ娘だ、この姪はと、ひそかに心の中で呆れた。
そのことを「夏目漱石の世界美術展」(5月14日から7月7日)に行ったときに思い出した。なるほどとわかった。美術学部の正門を入ると右手すぐに美術館の入り口がある。大学のキャンパスを歩いて、構内にある美術館に行くという感じではなくて、歩道から入ってすぐなので、大学そのものや、キャンパスの様子を見る前に、美術館に入ってしまう。だから大学を見学したという感じはしない。まあ外部からの訪問者にとって、そのほうが道に迷わなくて便利でいいのだが。それにしても、姪はあほじゃい。
漱石展と略するが、まさにネット上で美術館が紹介している通りである。一部を引用すれれば、
まさにこの宣伝文句どおりの展覧会で、単純に言ってしまえば、漱石をネタにして関連の美術品(絵画)を見ることができる。確かに、洋画から日本画、文人画と、多彩な展示物は見ているだけで楽しい。ある意味雑多な展示物だが、そのぶん退屈することがなかった。ただ、ターナーのあの名作が来ているのか、そんな話は聞いていないと思いつつ近づいたら写真だった。またミレイの水に浮かぶオフィーリアの絵も来ているのかと驚いたが、これも写真だった。これが3階の展示場。地下二階に下りると、もとりわけ興味深い展示に出会った。
「漱石と同時代美術」と題された展示だった。文展と芸術と題された漱石の美術評論集で言及され評定されている絵画と彫刻が展示してあり、個々の作品について、漱石の美術評・展覧会評の文章と、それとは別に解説文が並置されている。漱石の文展評の文章は、笑みがこぼれそうになりながら、思わず、じっくり読んでしまった。とにかく面白いのである。
もちろんそれは、名文とか、鋭い洞察とかとか、全く関係ない。基本的にぼろくそに書いているのである。まあ一定のポリシーがないわけではなくて、それはそれでわからないわけではないが、基本的に、評論家が一番やってはいけないことをしている。もちろん評論家といえども人間だから、そういうことは表に出さなくてしているのだろうが、とにかく漱石は自分の好き嫌いで評価を下しているのである。好き嫌いで判断してはいけない。そんなことをしたら、ただのおっさんに成り下がる。あるいは公人的立場からの評論ではなくて、趣味人としての評価を貫こうとしているのかもしれないが、とにかく自分の好き嫌いが基準で、言いたい放題、書きたい放題なので、そこは読んでいて、爽快だし、また、こいつただのおっさんではないかと、こちらが優越感に浸れるのもすばらしい。
実際、あまりに偏った評価なので、美術館・展示側から付けた解説には、「漱石先生には高い評価を得られなかったようだが、この絵は、~という理由から、高い評価を得て後世にまで伝えられたものである」式の表現が多い。また学芸員が付けた解説は、その絵の特徴を的確に捉えて伝えているのに対して、漱石の文章は、対象となった絵画の特徴を理解していない場合が多いように思われた。漱石自身の文人画は、やはり素人の絵で、うまいともなんとも思わなかった(漱石の書はみごとなものだ)が、それと同じで漱石の文展評は、学芸員による模範的解説を目指そうとして、ついつい素人判断による偏見が出てしまい、その真似事にすらなれなかった下手な解説文といった趣がある。もし美術館に足を運ぶことがあったら、地下二階の第4会場の展示につけられた漱石の文章の引用をじっくり読んでほしい。ほんとうに笑えるし、また展示品は、多彩で、漱石先生には失礼ながら、酷評されている作品からも大いに感銘を受けることができた。ここだけは、他の会場とは違って異質の光を放っているかのようにみえる。ぜひ漱石の引用をじっくり読まれんことを。ほんとうに笑えるから。
ただ付け加えるなら、いま私が書いたのと同じようなことを、『吾輩は猫である』の猫が書いているというか、猫の視点で語っているのだ。猫の主人が、文展の美術評を、好き嫌いを公言して書いていた、困ったものだというように。どうやら漱石の自虐的ギャグも極まれりというべきかもしれないが、むしろ上から目線の素人っぱさまるだしの文展評は、実は、確信犯によるものなのかもしれない。
で、この第4会場で、漱石がほめている作品が一点ある。彫刻である。朝倉文夫の『若き日の影』(1912)という彫刻である。漱石曰く「多少自分に電気をかけた彫刻はたゞ一つしかなかった。それは朝倉文夫君の「若き日の影」である」と。そして絶賛の言葉がつづく。それは、彫刻家の弟をモデルにした裸体像で、21歳の弟らしいのだが、もっと若くみえ、大人になりきれてない、少年の恥じらいをこめたような、それでいて凛々しく初々しい肉体とそしてちょっと大きめのペニスが印象的な作品で、これは観る者に感動を与える彫刻だった。私にも電気をかけてくれた! この少年は、抱きしめたくなるような、またそんなことをしたら、少年から冷たい眼で変態視されるかもしれなくて、またそれゆえに興奮してしまいそうな、透明な官能性と尊厳とをあわせもつ裸体像だった。漱石も、自分が女だったら惚れるというようなことを書いている。ということは、漱石のこの美術評は、書き手の漱石が、ただの少年愛好家だと暴露しているようなものである。漱石は、やはりゲイもしくはゲイ的心性の持ち主だったと、あらためて感じたのだった。完
私は前に、姪(現在高校一年生)と、東京藝術大学美術館に行ったことがある。美術館に併設されているホテル・オークラが経営しているというカフェ・レストランで、食事はしなかったがお茶を飲んだ。ところが比較的最近、姪に聞いてみると、芸大の美術館に行った記憶がないという。展覧会そのものは、憶えていた。ならば、そこが芸大美術館であると、なぜ覚えていないのか。しかも、芸大は姪の両親の母校でもある(音楽学部のほうだが)。両親が卒業した大学の中に入ったら、それなりに興味を覚えるのではないかと思うのだが、なんとういう、ぼんやりさんだ、なんとういうボケ娘だ、この姪はと、ひそかに心の中で呆れた。
そのことを「夏目漱石の世界美術展」(5月14日から7月7日)に行ったときに思い出した。なるほどとわかった。美術学部の正門を入ると右手すぐに美術館の入り口がある。大学のキャンパスを歩いて、構内にある美術館に行くという感じではなくて、歩道から入ってすぐなので、大学そのものや、キャンパスの様子を見る前に、美術館に入ってしまう。だから大学を見学したという感じはしない。まあ外部からの訪問者にとって、そのほうが道に迷わなくて便利でいいのだが。それにしても、姪はあほじゃい。
漱石展と略するが、まさにネット上で美術館が紹介している通りである。一部を引用すれれば、
漱石が日本美術やイギリス美術に造詣が深く、作品のなかにもしばしば言及されていることは多くの研究者が指摘するところですが、実際に関連する美術作品を展示して漱石がもっていたイメージを視覚的に読み解いていく機会はほとんどありませんでした。
この展覧会では、漱石の文学作品や美術批評に登場する画家、作品を可能なかぎり集めてみることを試みます。私たちは、伊藤若冲、渡辺崋山、ターナー、ミレイ、青木繁、黒田清輝、横山大観といった古今東西の画家たちの作品を、漱石の眼を通して見直してみることになるでしょう。
また、漱石の美術世界は自身が好んで描いた南画山水にも表れています。漢詩の優れた素養を背景に描かれた文字通りの文人画に、彼の理想の境地を探ります。
本展ではさらに、漱石の美術世界をその周辺へと広げ、親交のあった浅井忠、橋口五葉らの作品を紹介するとともに、彼らがかかわった漱石作品の装幀や挿絵なども紹介します。当時流行したアール•ヌーヴォーが取り入れられたブックデザインは、デザイン史のうえでも見過ごせません。
まさにこの宣伝文句どおりの展覧会で、単純に言ってしまえば、漱石をネタにして関連の美術品(絵画)を見ることができる。確かに、洋画から日本画、文人画と、多彩な展示物は見ているだけで楽しい。ある意味雑多な展示物だが、そのぶん退屈することがなかった。ただ、ターナーのあの名作が来ているのか、そんな話は聞いていないと思いつつ近づいたら写真だった。またミレイの水に浮かぶオフィーリアの絵も来ているのかと驚いたが、これも写真だった。これが3階の展示場。地下二階に下りると、もとりわけ興味深い展示に出会った。
「漱石と同時代美術」と題された展示だった。文展と芸術と題された漱石の美術評論集で言及され評定されている絵画と彫刻が展示してあり、個々の作品について、漱石の美術評・展覧会評の文章と、それとは別に解説文が並置されている。漱石の文展評の文章は、笑みがこぼれそうになりながら、思わず、じっくり読んでしまった。とにかく面白いのである。
もちろんそれは、名文とか、鋭い洞察とかとか、全く関係ない。基本的にぼろくそに書いているのである。まあ一定のポリシーがないわけではなくて、それはそれでわからないわけではないが、基本的に、評論家が一番やってはいけないことをしている。もちろん評論家といえども人間だから、そういうことは表に出さなくてしているのだろうが、とにかく漱石は自分の好き嫌いで評価を下しているのである。好き嫌いで判断してはいけない。そんなことをしたら、ただのおっさんに成り下がる。あるいは公人的立場からの評論ではなくて、趣味人としての評価を貫こうとしているのかもしれないが、とにかく自分の好き嫌いが基準で、言いたい放題、書きたい放題なので、そこは読んでいて、爽快だし、また、こいつただのおっさんではないかと、こちらが優越感に浸れるのもすばらしい。
実際、あまりに偏った評価なので、美術館・展示側から付けた解説には、「漱石先生には高い評価を得られなかったようだが、この絵は、~という理由から、高い評価を得て後世にまで伝えられたものである」式の表現が多い。また学芸員が付けた解説は、その絵の特徴を的確に捉えて伝えているのに対して、漱石の文章は、対象となった絵画の特徴を理解していない場合が多いように思われた。漱石自身の文人画は、やはり素人の絵で、うまいともなんとも思わなかった(漱石の書はみごとなものだ)が、それと同じで漱石の文展評は、学芸員による模範的解説を目指そうとして、ついつい素人判断による偏見が出てしまい、その真似事にすらなれなかった下手な解説文といった趣がある。もし美術館に足を運ぶことがあったら、地下二階の第4会場の展示につけられた漱石の文章の引用をじっくり読んでほしい。ほんとうに笑えるし、また展示品は、多彩で、漱石先生には失礼ながら、酷評されている作品からも大いに感銘を受けることができた。ここだけは、他の会場とは違って異質の光を放っているかのようにみえる。ぜひ漱石の引用をじっくり読まれんことを。ほんとうに笑えるから。
ただ付け加えるなら、いま私が書いたのと同じようなことを、『吾輩は猫である』の猫が書いているというか、猫の視点で語っているのだ。猫の主人が、文展の美術評を、好き嫌いを公言して書いていた、困ったものだというように。どうやら漱石の自虐的ギャグも極まれりというべきかもしれないが、むしろ上から目線の素人っぱさまるだしの文展評は、実は、確信犯によるものなのかもしれない。
で、この第4会場で、漱石がほめている作品が一点ある。彫刻である。朝倉文夫の『若き日の影』(1912)という彫刻である。漱石曰く「多少自分に電気をかけた彫刻はたゞ一つしかなかった。それは朝倉文夫君の「若き日の影」である」と。そして絶賛の言葉がつづく。それは、彫刻家の弟をモデルにした裸体像で、21歳の弟らしいのだが、もっと若くみえ、大人になりきれてない、少年の恥じらいをこめたような、それでいて凛々しく初々しい肉体とそしてちょっと大きめのペニスが印象的な作品で、これは観る者に感動を与える彫刻だった。私にも電気をかけてくれた! この少年は、抱きしめたくなるような、またそんなことをしたら、少年から冷たい眼で変態視されるかもしれなくて、またそれゆえに興奮してしまいそうな、透明な官能性と尊厳とをあわせもつ裸体像だった。漱石も、自分が女だったら惚れるというようなことを書いている。ということは、漱石のこの美術評は、書き手の漱石が、ただの少年愛好家だと暴露しているようなものである。漱石は、やはりゲイもしくはゲイ的心性の持ち主だったと、あらためて感じたのだった。完
posted by ohashi at 22:56| 美術
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2013年05月29日
ベーコン展 3
Love is the Devil (R18)
今回のベーコン展で、あまり感銘を受けなかったのは、人間の肉体のパフォーマンス映像だった。土方巽やウィリアム・フォーサイスのパーフォーマンスは、ベーコンのどろりとした溶けた身体、ナメクジのような軟体動物的身体片は、動く身体の一瞬を切り取ったものではなく、静止した身体の溶融だということが、彼らのパフォーマンスの場違い性によってかえって際立つといえるのである。
ベーコンの肉体の基盤にあるのは、エロティックな静止映像、つまりポルノグラフィーのポーズする肉体である。おそらくそれは男性の身体あるいは男娼の媚態であろう。ベーコンの肉体には濃厚なエロスが漂い、ホモエロティクなポルノグラフィックな身体、それもその溶融する輪郭は、女性的身体のまろやかさというよりも男性の筋肉質の身体のうねりのようにもみえる。
当日、解説のパネルはあったのだが、図録からは解説文が消えているのがNo.25「椅子から立ち上る男」(1968)である。赤いカーテンと円形のステージの端に置かれたパイプ椅子か籐椅子のようなものから立ち上るらしい、肉の塊は、男女、どちらともいえるのだが、それを男と指示することによって、画家は、肉体のジェンダーを維持しているのである。展示ではベーコンの肉体には物語がないと解説していた。ジェンダーが指定される肉体の、どこに物語がないのだろうか。ジェンダー化された肉体とは、物語化された肉体と同じではないだろうか。展示は、この男性としての肉体が辿る物語を拒否する姿勢に貫かれていた。
その問題は、これ以上、追究しないことにして、「椅子から立ち上る男」のなかで特徴的なのは椅子の座面に向けて投げつけられたかのような白い絵の具の盛り上がりである。この白い絵の具が、全体のなかでどのような位置付けにあるのか、定かではないが、ひとつには、ここで思い浮かべられるのが、絵が描けなくて悩んだ画家が、絵筆をキャンバスか壁面に投げつけたら、そこに、自分が望んでいた理想的な図柄ができていたという伝説――投げつけられた絵具――である。外部からの偶然の力、あるいは聖なる介入は、また「アクシデントを待つ」と(インタヴュー映像で)語っていたベーコンの考え方ともシンクロするだろう。外部の力のことは、当日会場にあった解説文パネルも書いていた。
しかし、それ以上に明白なのは、この投げつけられた白い絵具は、いうまでもなく、精液だろう。この絵画は、射精され精液を受け入れて完成したのである。もちろん、それは描かれた人物の精液ともとれるのだが、しかし、誰の精液であれ、ここにあるのは男性の肉体をめぐってオルガスムに達してほとばしり出た精液でることはまちがいない。絵画制作は、性行為に等しく、男性の肉体を軸にオルガスムに到達する肉体の営みなのだ。ジョン・ダイア―との性関係は、ベーコンの芸術活動を彩った周辺的な伝記的挿話のひとつにすぎないのではなく、その可能性の中心にあったとみるべきであろう。「椅子から立ち上る男」も含め、ポルノグラフとしてのダイアーの肉体がなければベーコンの絵画は成立しない。そしてダイアーそのものを描いた三副対にある、意味不明の黒い点。それはダイアーの変形した顔の一部(メトノミー)に見えながら、実はダイアーそのもののメタファー、すなわち黒い丸い小さな穴、肛門なのである。肛門としてのダイアーは、そのブラックホールのような小さな穴を通してオルガスムへ、最終的には異界へ男たちを誘うことになるだろう。
ベーコンとダイアーを扱った映画『愛は悪魔』が見たくなった。
『愛は悪魔』(ジョン・メイアー監督、1998年)は、坂本龍一が映画音楽を担当したことでも名高いのだが、デレク・ジャコビ扮するベーコンと、いまや007のダニエル・クレイグ演ずるジョージ・ダイアーとの出会いからダイアーの自殺で終わる破局にいたる愛の軌跡をたどる映画で、ゲイのデレク・ジャコビが、同じくゲイの科学者アラン・チューリングを演じた『ブレイキング・コード』に比べても、すぐれた作品になっている。
『ブレイキング・コード』も『愛は悪魔』もともに、素人には理解するのが難しい専門家(アーティストも専門家であるが)を扱っているのだが、専門家としての活動を素人にもわかりやすく伝えるという困難な作業を、『愛は悪魔』は完遂している。デレク・ジャコビが絵筆を握って製作するシーンは、ジャコビその人にも絵心があるのかもしれないが、説得力がある。いっぽうアラン・チューニングの苦悩は理解できても、その仕事の内容については、一般的なことしかわからず、具体的な細部はブラックボックス化しているのだから。
と、同時に性関係も『ブレイキング・コード』とは異なり、エクスプリシットに描かれている。『愛は悪魔』では、その冒頭で、ダニエル・クレイグ/ジョージ・ダイアーが必死で手を洗っている。図録にはアトリエにあったキッチンの流し台の小さなカラー写真があったが(fig.1)、それをみて、あ、これだと思い出した。映画は、このキッチンの流し台を正確に再現していたか、実際にそこを使って撮影されたかもしれないとわかって、感慨を深くした。映画の冒頭では、ダニエル・クレイグが、まるでマクベス夫人かと思えるくらいに、キッチンの流しで、手を必死で洗っているのだが、その意味がやがてわかる。
ジョージ・ダイアーとベーコンのセックス・ライフは、フィスト・ファックとして映画では示されるのだ。フランシス・ベーコン/デレク・ジャコビが上半身をベットの上に投げ出し、臀部と脚部をベットの外に置き、うずくまりながら臀部を持ち上げるのだ。そしてダイアー/クレイグは、自分の握りしめた拳を、さらにズボンのベルトでがっちりと締め付け固定する。男の拳は大きいのだが、それをベルトでぐるぐる巻きにしてさらに大きくする。す、すごいぞ。
フィスト・ファックについては、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』の中の幻想的場面で、肘まで入るフィスト・ファックの描写があって、昔、衝撃を受けたが、この映画のフィスト・ファックにも衝撃を受けた。映画では、これから拳を肛門に入れるぞという直前で切り替わり、あとはダイアー/クレイグがキッチンで手を洗うということになるのだが、それでもう十分だった。 この項、終わり。
追記『愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像』(Love Is the Devil: Study for a Portrait of Francis Bacon, dir. John Maybury, 1998)。
今回のベーコン展で、あまり感銘を受けなかったのは、人間の肉体のパフォーマンス映像だった。土方巽やウィリアム・フォーサイスのパーフォーマンスは、ベーコンのどろりとした溶けた身体、ナメクジのような軟体動物的身体片は、動く身体の一瞬を切り取ったものではなく、静止した身体の溶融だということが、彼らのパフォーマンスの場違い性によってかえって際立つといえるのである。
ベーコンの肉体の基盤にあるのは、エロティックな静止映像、つまりポルノグラフィーのポーズする肉体である。おそらくそれは男性の身体あるいは男娼の媚態であろう。ベーコンの肉体には濃厚なエロスが漂い、ホモエロティクなポルノグラフィックな身体、それもその溶融する輪郭は、女性的身体のまろやかさというよりも男性の筋肉質の身体のうねりのようにもみえる。
当日、解説のパネルはあったのだが、図録からは解説文が消えているのがNo.25「椅子から立ち上る男」(1968)である。赤いカーテンと円形のステージの端に置かれたパイプ椅子か籐椅子のようなものから立ち上るらしい、肉の塊は、男女、どちらともいえるのだが、それを男と指示することによって、画家は、肉体のジェンダーを維持しているのである。展示ではベーコンの肉体には物語がないと解説していた。ジェンダーが指定される肉体の、どこに物語がないのだろうか。ジェンダー化された肉体とは、物語化された肉体と同じではないだろうか。展示は、この男性としての肉体が辿る物語を拒否する姿勢に貫かれていた。
その問題は、これ以上、追究しないことにして、「椅子から立ち上る男」のなかで特徴的なのは椅子の座面に向けて投げつけられたかのような白い絵の具の盛り上がりである。この白い絵の具が、全体のなかでどのような位置付けにあるのか、定かではないが、ひとつには、ここで思い浮かべられるのが、絵が描けなくて悩んだ画家が、絵筆をキャンバスか壁面に投げつけたら、そこに、自分が望んでいた理想的な図柄ができていたという伝説――投げつけられた絵具――である。外部からの偶然の力、あるいは聖なる介入は、また「アクシデントを待つ」と(インタヴュー映像で)語っていたベーコンの考え方ともシンクロするだろう。外部の力のことは、当日会場にあった解説文パネルも書いていた。
しかし、それ以上に明白なのは、この投げつけられた白い絵具は、いうまでもなく、精液だろう。この絵画は、射精され精液を受け入れて完成したのである。もちろん、それは描かれた人物の精液ともとれるのだが、しかし、誰の精液であれ、ここにあるのは男性の肉体をめぐってオルガスムに達してほとばしり出た精液でることはまちがいない。絵画制作は、性行為に等しく、男性の肉体を軸にオルガスムに到達する肉体の営みなのだ。ジョン・ダイア―との性関係は、ベーコンの芸術活動を彩った周辺的な伝記的挿話のひとつにすぎないのではなく、その可能性の中心にあったとみるべきであろう。「椅子から立ち上る男」も含め、ポルノグラフとしてのダイアーの肉体がなければベーコンの絵画は成立しない。そしてダイアーそのものを描いた三副対にある、意味不明の黒い点。それはダイアーの変形した顔の一部(メトノミー)に見えながら、実はダイアーそのもののメタファー、すなわち黒い丸い小さな穴、肛門なのである。肛門としてのダイアーは、そのブラックホールのような小さな穴を通してオルガスムへ、最終的には異界へ男たちを誘うことになるだろう。
ベーコンとダイアーを扱った映画『愛は悪魔』が見たくなった。
『愛は悪魔』(ジョン・メイアー監督、1998年)は、坂本龍一が映画音楽を担当したことでも名高いのだが、デレク・ジャコビ扮するベーコンと、いまや007のダニエル・クレイグ演ずるジョージ・ダイアーとの出会いからダイアーの自殺で終わる破局にいたる愛の軌跡をたどる映画で、ゲイのデレク・ジャコビが、同じくゲイの科学者アラン・チューリングを演じた『ブレイキング・コード』に比べても、すぐれた作品になっている。
『ブレイキング・コード』も『愛は悪魔』もともに、素人には理解するのが難しい専門家(アーティストも専門家であるが)を扱っているのだが、専門家としての活動を素人にもわかりやすく伝えるという困難な作業を、『愛は悪魔』は完遂している。デレク・ジャコビが絵筆を握って製作するシーンは、ジャコビその人にも絵心があるのかもしれないが、説得力がある。いっぽうアラン・チューニングの苦悩は理解できても、その仕事の内容については、一般的なことしかわからず、具体的な細部はブラックボックス化しているのだから。
と、同時に性関係も『ブレイキング・コード』とは異なり、エクスプリシットに描かれている。『愛は悪魔』では、その冒頭で、ダニエル・クレイグ/ジョージ・ダイアーが必死で手を洗っている。図録にはアトリエにあったキッチンの流し台の小さなカラー写真があったが(fig.1)、それをみて、あ、これだと思い出した。映画は、このキッチンの流し台を正確に再現していたか、実際にそこを使って撮影されたかもしれないとわかって、感慨を深くした。映画の冒頭では、ダニエル・クレイグが、まるでマクベス夫人かと思えるくらいに、キッチンの流しで、手を必死で洗っているのだが、その意味がやがてわかる。
ジョージ・ダイアーとベーコンのセックス・ライフは、フィスト・ファックとして映画では示されるのだ。フランシス・ベーコン/デレク・ジャコビが上半身をベットの上に投げ出し、臀部と脚部をベットの外に置き、うずくまりながら臀部を持ち上げるのだ。そしてダイアー/クレイグは、自分の握りしめた拳を、さらにズボンのベルトでがっちりと締め付け固定する。男の拳は大きいのだが、それをベルトでぐるぐる巻きにしてさらに大きくする。す、すごいぞ。
フィスト・ファックについては、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』の中の幻想的場面で、肘まで入るフィスト・ファックの描写があって、昔、衝撃を受けたが、この映画のフィスト・ファックにも衝撃を受けた。映画では、これから拳を肛門に入れるぞという直前で切り替わり、あとはダイアー/クレイグがキッチンで手を洗うということになるのだが、それでもう十分だった。 この項、終わり。
追記『愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像』(Love Is the Devil: Study for a Portrait of Francis Bacon, dir. John Maybury, 1998)。
posted by ohashi at 23:34| 美術
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