このところ煮詰まっていて仕事に追われ、夜も寝ている場合ではないのだが、しかしもともと体力がないほうなので、眠らないと、ただでさえ無い知恵が絞りだせない。そういえば蚊に自分の手を刺させて、目を覚ました人物がいた。思い出した吉田松陰である。
『宝島』とか『ジキル博士とハイド氏』で有名なロバート・ルイス・スティーヴンソンに吉田松陰に関する伝記(短編)があって、これは日本での伝記よりも早い、ということは世界一早い吉田松陰の伝記であることは、一部には良く知られていることである。私がたまたまそれを知ったのは、昔、R.W.チェムバーズのトマス・モアの伝記を読んだときである。チェムバーズは、トマス・モア研究の第一人者でその伝記は今でも最も基本的な資料となっている。トマス・モアが若い頃、寝る間も惜しんでいかに勉強したかを語るとき、チェンバースは、なんと、日本のサムライの思想家を例にあげてるのだ。蚊に手を刺させて睡魔を追い払った人物として。しかも、あのロバート・ルイス・スティーヴンソンによればとある、注には‘Torajiro Yoshida’とだけある。このヨシダトラジロウというのが吉田松陰ということはわかったが、スティーヴンソンとの関係もわからぬまま、そのまま放置した。昔はまだネット時代でなかった(少なくとも私は、ネット社会の恩恵を被るには至っていなかった)。調べようと思ったら図書館にこもるしかなかったのだが、いつか暇になったらと思い、なにもしなかった。
時代はかわったもので、いまやネット社会。ウェブ上で調べたらすぐにわかった。「蚊がどうのこうの」というのは、スティーヴンソンの
Familiar Studies of Men and Books (1882)に収録されている伝記‘Yoshida Torajiro’に書かれたていることである。この本文は、いまやネットで読むことができるし、簡単にダウンロードもできる。またすでにいくつか日本語もあるようだ。ためしに英語で読んでみたが、難しい単語はないのだが、日本の歴史のことだからわかりやすいと思っていると、言っていることが抽象的で難解なところも多い。ひょっとしたら日本人にはわかりにくいが英語圏の人間にはわかりやすいのかもしれないが。
ではなぜスティーヴンソンが吉田松陰の伝記を書くようになったのかというと、
教育・文化面では、幕末、山田と同じく松下村塾で学んだ 正木退蔵まさきたいぞう (1846-1896)が挙げられます。正木は維新後「東京職工学校(現 東京工業大学)」の初代校長を務め、また、松陰を海外に伝える役割を果たしたことで特筆されます。正木は1871(明治4)年、ロンドン大学で化学を学び、帰国後、工部省を経て文部省へ。その後再び渡英し、留学生の監督のほか「東京大学」などのお雇い教師の募集や教育の調査などに携わったようです。
「おいでませ山口県ブランド館」ホームページより。http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/gyosei/kanko/brand/index.html
さらに詳しくは、よしだみどり氏による著書二冊『烈々たる日本人』(祥伝社 2000)および『物語る人(トゥシターラ)—『宝島』の作者R・L・スティーヴンスンの生涯』(毎日新聞社1999/12)に詳しい。
私が図書館とは図書室で調べるのを止めていたときに、すでに本まで書かれ、関連資料とかスティーヴンソンの原文を簡単に読めるというのは隔世の感がある。この件で、私が貢献できるといえば、スティーヴンソンのこの伝記は、吉田松陰を知る日本人だけでなく英国人にもよく読まれていたのではないか、それもトマス・モアや英国初期近代の文学文化の研究家にも読まれ、あろうことかトマス・モアの伝記に、吉田寅次郎(松陰)の名が、顔を出しているのである。
となるとこの正木退蔵とは、『長州5(ファイヴ)』に出ていた人かと思い当たり、調べたが自分の歴史の無知を痛感するだけだった。長州ファイブとは、幕末に長州藩から派遣されてヨーロッパに秘密留学した、井上聞多(井上馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(伊藤博文)、野村弥吉(井上勝)の5人の長州藩士のことである。映画にもなった――『長州ファイヴ』(五十嵐匠監督、2006)。この歴史映画の重厚さと美しい映像に私は感嘆したが、俳優たちの熱演や監督のすぐれた演出にもかかわらず、そのタイトルで損をした。実は「長州ファイブ」とは、彼らの偉業をたたえてロンドン大学に建てられた顕彰碑「長州ファイブ (Choshu Five)」から来ていて由緒正しいものなのだが、宣伝不足もあり、タイトルだけではポップな幕末物時代劇くらいにしか思えず、逆に、長州(山口)を馬鹿にしているのではと勘違いした者もいたのではないか(かくいう私がそうだった)。また正木退蔵はこの長州五傑には入っていなかったが、なぜ私は、いま、この映画を思い出したのだろう。
おそらくそれは映画『長州ファイヴ』で、松田龍平演ずるところの山尾庸三をめぐるスコットランドの造船場の挿話と映像が印象的だったからで、この山尾庸三は、東京大学工学部の前身となる工学寮を設立し、日本の工学の父と呼ばれている。同じく正木退蔵もスコットランドに留学して、東京工業大の初代学長となっている。両者を私は混同してしまったが、明治期の日本の工学系アカデミーを設立した双璧なのだから混同もやむなしか(なお現在上映中の映画『探偵はBARにいる2』ならびに『船を編む』に出演中の松田龍平のことを思い浮かべる機会があり、そこから、この映画を連想したのかもしれないが)。
ただ、私が映画『長州ファイブ』を思い出した要因はほかにもある。映画に俳優の北村有起哉が井上馨役で出演していたからだ。井上肇は留学半ばで帰国し、維新期から明治期において政治家として大いに活躍するのだが、その役が印象的だった。北村はそれまでにも映画に出ているが、私個人的には『長州ファイブ』まで、印象に残らなかった(近年のテレビドラマでの活躍も、その映画以降ではないかと思う)。その北村有起哉が高野志穂と6月4日結婚したことが報じられたからである。
すべての道は『長州ファイブ』に通じたのだが、その基点は、吉田松陰の伝記、それもあろうことか、スティーヴンソンの伝記であり、さらにそれを読んだトマス・モア学者の記述であった。カオス理論みたいな話になった。山口県の人たちに、いまなお敬愛されてやまない吉田松陰は、ある意味、植民地帝国主義者であり、韓国、中国とのいま現在の摩擦の淵源となったような人物でもあるが、その人物が、そうした側面を知る由もなかったスティーヴソンによっていち早く伝記の題材となり、さらにその伝記の内容の一部が、トマス・モアの伝記のなかで言及されるとは、誰が予想しえたであろう。もちろん英文学の話をするつもりが映画の話になったことも、自分でいうのもなんだが、予想外だった。
posted by ohashi at 12:02|
英文学
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