唯一無二の作品を創り上げたのは、内藤瑛亮監督。エンタメ性と鋭い社会性が両立する作家性を持つ内藤監督が、<バイトVSヒグマ>という前代未聞なシチュエーションにてオリジナル脚本で挑み、かつてない映画体験となる世界へ誘う。内藤監督が描くオリジナルな世界をダイナミックに捉えたのは、撮影伊集守忠(『ベイビーわるきゅーれ』)。想像を超える迫力のシーンをスクリーンで観客へ届ける。また規格外の最強ヒグマをデザインしたのは、特殊造形・メイクアーティストの百武朋(『ゴールデンカムイ』)。圧倒的な存在感を放つヒグマは、百武も「クマの集大成」と語るほどの完成度の高さとなり、本作のスリルを更に強固なものにしている。そして、現実には見ることのできないスクリーン効果を生み出すVFXスーパーバイザーには、オダイッセイ(『地面師たち』)が参戦。ヒグマのリアルさを追求し、綿密に創り上げていき、観客たちに生存闘争を体感させる仕上がりとなった。【以下略】
これを読むと映像面では、超一流のアーティストが完成度の高い映像を作りあげたように思われるのだが、冗談は、すでに公式ホームページにおいても、ぬかりなく仕組まれている。
あの映像をみて、どこが「ヒグマのリアルさを追求し、綿密に創り上げていき、観客たちに生存闘争を体感させる仕上がりとなった。」と言えるのだ。どこが「観客たちに生存闘争を体感させる仕上がりとなった。」と言えるのだ。映画のなかでヒグマが出てくると、その瞬間から恐怖はなくなり生存闘争などという言葉は完全に吹っ飛ぶ。
【私が一番怖かったのは、予告編も終わり映画がはじまって5分くらいしてから、長い髪の背の高いロングコートの女性(暗くて顔はわからなかったが)が私のほうにむかって歩いてくるように思い、これは私だけにみえる幻影なのかと怖くなったのだが、通路側の席に座っていた私を通り越して後ろのほうの席にむかって彼女は歩いていった。まあ遅れてきた観客だったのだが、それが私には一番怖かった。】
映画の出来を非難しているわけではない。責めているわけではない。そこがいいのだ。このB級感が、意図的なB級感が。そしてこれはおそらく内藤瑛亮監督が、他の作品でもねらっていることだろう。
人食いヒグマは、登場した瞬間に着ぐるみとわかり、本物のヒグマの怖さはまったくない。もちろんCGによるヒグマは加工映像で、人物たちと同一空間にいるという存在感が希薄だ、ならば一目でそれとわかる着ぐるみの方がましだと言われるかもしれない。だが、CGによる造型が薄っぺらい時代はすでに過去のものだ。ゴジラ映画、たとえば『ゴジラ-1.0』は全編CGによって作成されたものと思うのだが、うすっぺらいのだろうか。いやゴジラは巨大な怪獣だから存在感が出るのであって、ヒグマは、いくら大きいといっても、怪獣並みではない。その中途半端さが、CGによる造型からリアリティあるいは存在感を奪ってしまうかもしれない――と、まあ、言えるのだろうか。
しかし、着ぐるみのヒグマは、ある意味、雑なつくりと思われるのだが、しかし、映画そのものは、変に作りこまれているところもあり、雑なところ(実際にはそうではないとしても)と作りこみ、そのギャップが面白い。ヒグマはハンターの神崎/宇梶剛士から、「19」(足のサイズのことらしい)と呼ばれるのだが、こうした命名法は実際のそれを踏襲しているらしい。と同時に「19」については、すでに解散した音楽デュオ・グループを指しているのではないかと、蘊蓄を垂れる人物が登場する。緊迫した状況のなかでのその蘊蓄に私は、いたく感心した。なといっても作りこみがすごい、と。シナリオが実によく作りこまれている。だが、「19」は実在した音楽グループであった――「19(ジューク)は、日本のフォークデュオ。岡平健治と岩瀬敬吾によるデュオ。デビュー当初は326(みつる)がビジュアルプロデュース・作詞を担当メンバーとして参加していた。1998年結成・2002年3月解散」(Wikipedia)。
19については私の無知でわからなかったのだが、雑な部分と驚くほどのこだわりをみせる作りこみ部分との共存は、この映画、いやこうしたB級映画の特質かもしれない。そもそもヒグマは、人間よりも足が速い。走って逃げてもすぐに追いつかれる。ヒグマは、時速30キロから40キロの速さで走る。そのためバックで走る自動車に走って追いつくのはわけないことだろう――現実には。しかし重たい着ぐるみのヒグマには高速移動は不可能に近いと私たちは思う。しかし、その着ぐるみのヒグマが走る車に追いつくのである。どのようにして撮影したのかはわからないが、鈍重だったヒグマの高速移動に驚かされるところがある。とはいえ驚きの高速移動は、この監督の得意技かもしれないのだが(『高速ばぁば』)。
しかしディテールのこだわりとか作りこみが先行して、全体の統一感なり意味付けがなおざりになっていると感じられるかもしれない。たとえば物語は、闇バイトに応募して抜けられなくなった高校生(大学入学を認められたが父親が死に学費が払えないため進学をあきらめる)が主人公で、闇バイトの闇、善良な市民や老人をくいものにする詐欺が横行する現代社会を描いていながら、それとヒグマとの関連性が希薄であると感じられるかもしれない。
それはそうだが、ただ結果的にヒグマは主人公・小山内/鈴木福を窮地から救うことになる。そればかりか、無差別の殺戮をしているかにみえるヒグマだが、闇バイト・グループの人間をすべて殺してしまう。主人公にとってヒグマは、おそるべき凶悪な人食い野獣だが、同時に救世主でもある。
そう、救世主。そもそも西洋では熊は古代から中世にかけて、人間にもっとも近い動物とされていた。二足歩行することからかもしれないが(間に近いのは猿なのだが、猿が西洋人の目に触れるようになるのは、中世以降で、近代になっても、それほどなじみがなかった)。たとえばアーサー王伝説のひとつに、王が死ぬときには熊の姿になったというものがある。アーサー王は熊の化身でもあったのだ。
あるいはクストリッツア監督・主演の映画『オン・ザ・ミルキー・ロード』(英語タイトル On the Milky Road, 2016)の最後で主人公が熊と戯れる場面がある。その熊はクストリッツア自身が飼っている熊らしいのだが、それとはべつに熊と戯れることのできる主人公は、苦難の果てに聖人に近い存在になったことが暗示されているのである。熊は、人間に近いだけでなく、聖性も帯びているのだ。
そう考えると『ヒグマ!!』のなかで、人間を襲う恐ろしいヒグマは、主人公ならびに彼といっしょに行動すする若林桜子/円井わんを助ける守護神的存在となる。ヒグマは闇バイト集団を退治してくれるのだから。そうなるとヒグマは、人間を食い物にする闇バイト集団あるいは詐欺集団のメタファーではない。むしろ悪人を罰するための「神」なのである。
【ちなみに主役とそのバディについて、公式ホームページではこうある。「本作の主演を務めるのは、1歳でデビューして以降、映画、ドラマと第一線で活躍をし続ける国民的俳優・鈴木福。今作では、念願の内藤監督とのタッグで、俳優として新境地へ挑む。主人公・小山内とバディを組む若林桜子役には、NHK連続テレビ小説「ばけばけ」にも出演、映画界に欠かせない俳優として目覚ましい活躍をみせている円井わん」と。ただ円井わんの紹介としてはループ物の映画の傑作のひとつで彼女が主演だった『MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』(2022)を挙げてほしかったのだが。】
もちろんヒグマは、これは誰もが予想できることなので、ネタバレではないのだが、最後には退治される。主人公の守護神ではなかったのか。いや、守護神ではあるのだが、世界の汚濁を一身に背負ったまま処刑されるスケープゴート的存在である。人間の敵であり、人間が戦う相手なのだが、同時に人間の悪を浄化してくれる存在。そうした存在を私たちは他にも知っている。
そう、ゴジラである。この映画『ヒグマ!!』が今もTOHOシネマズ(だけではないとしてんも)で上映されているのは偶然ではない。人間の敵であり、人間を蹂躙していながら、その戦いを通して人間を育み覚醒させ生まれ変わらせ、みずからは倒されて死んでゆく、ある種の神――ゴジラ。『ヒグマ!!』は、ある意味、ゴジラ映画のミニチュア版ともいえる要素を確実にもっている。
この映画の幕切れを思い出していただきたい。ヒグマを倒した、主人公・小山内/鈴木福と若林桜子/円井わんは、ガオーと吠えながら互いをたたえ、ヒグマに勝ったことを祝福するのである。咆哮する二人の姿で映画は終わる。それはヒグマに勝った人間の力強さの証明ではないだろう。人間のほうがヒグマよりも凶暴であることの証明でもないだろう。二人の咆哮。それは、ゴジラの咆哮なのである。ゴジラを倒したことの、あるいはゴジラになったことの喜びの咆哮なのである。
