細田守監督のこの長編アニメ映画は、日本では評価が低くヒットしなかったようだが、海外では高く評価されているようで、まあよかったのではないだろか。劣等国民が70%のこの国は、残り30%のまともな国民には失礼ながら、また残念ながら、劣等国といってよく、そんな劣等国の国民に高く評価されたら、それこそ恥というべきであろう。
むしろ日本で評価されなかったところが、実は、この長編アニメの素晴らしいところで、日本の劣等国民にとっての作品の問題点を挙げれば、それがこの作品のすぐれたところの指摘にもなるのだが、それを考えてみたい。
ただ、その前に――このアニメの最後、デンマークの王女スカーレットは女王として即位する(これは当然予想されることなので、ネタバレにならないと思う)。このとき集まった国民に対して、彼女は、つぎのようなことを述べる――隣国とは友好関係をむすび、庶民が苦しむことのないような政治をこころがける、と。まあ、ある意味、あたりまえというか、ありきたりの演説で、目新しさとか独創性はないのだが――ふつうなら――、しかし、これは現在の日本においては、とんでもない威力の政権批判といなる。
なぜなら、いや、いうまでもないのだが、スカーレットと同様に女性の首長でもある日本の総理大臣のスローガンは、おそらく、隣国とは敵対関係を維持し、国民の苦しみに寄り添うよう消費税(飲食品)を2年間ゼロにするが、その後12%にあげるとういう消費増税を狙い、不正をおこなった議員を優遇し、日本を「強くて戦争のできる国にする」というのだから、スカーレットが宣言する善政とはまっこうから対立する。スカーレットの最後の紋切り型の善政宣言が、この国ではとんでもない反権力・反政権の宣言となってしまうのだ。日本人、ほんとうにかわいそうというべきか、愚民だからあわれむ必要はないというべきか。
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アニメファンの多くは声優ファンである。しかしこの『果てしなきスカーレット』は、そうしたアニメ・声優ファンの嗜好を逆なでするような人選を行なっている。
主役のスカーレットは芦田愛菜、スカーレットとともに旅する現在日本からやってきた看護師の聖を岡田将生、スカーレットの父アムレットを市川正親、その妻(スカーレットにとっては義母らしい)を斉藤由貴、クローディアスを役所広司、ポローニアスを山路和弘、その息子レアティーズを柄本隆生が声を。また『ハムレット』のなかでは端役だが、この作品では重要な人物となるヴァルデマンドとコーネリウスをそれぞれ吉田鋼太郎と松重豊が声を担当している。ローゼンクランツとギルデンスターンは原作ほど活躍はしないが、それでも青木宗高と染谷将太を起用。原作にはない老婆を白石加代子が声を。いわゆる声優は、墓堀り人の二人で宮野真守と津田健次郎を起用――これだけでも豪華声優たちといえるのだが、ほかにめぼしい声優はいない。もちろん原作にはない年寄りの長の声を、いまやレジェンドとなった羽佐間道夫が担当していることは忘れてはいけないが。
もし画面を観ずに、声とか発声法だけ聞いて、どれが実写かどれがアニマかを判断するとすれば、誰でもそれを聞き分けられると思う。声優について詳しくはないが、いつの頃からか、いかにも声優の発声という型みたいなものができあがって、声優たちは、みなそれを踏襲するようになった。アニメ作品は、共通の発声法に従った声を響かせることになる。アニマファンはそれに慣れてしまったので、声優ではない俳優とかアイドルが声を担当すると、聞きなれた発声法ではないので、ファンから反発される(もちろん下手だからということもあるだろうが)。
ところが『果てしなきスカーレット』では、豪華な俳優陣が声を担当し、彼らは発声法や声質が声優とは異なる。異なるから、そして下手ならば、アニメファンも満足するかもしれないが、逆に芦田愛菜をはじめとしてみんな上手い、上手すぎる。
『ハムレット』のアダプテーションだからということかもしれないが、舞台俳優が多い。芦田愛菜の相手役の岡田将生は舞台俳優かと思うかもしれないが、りっぱな舞台俳優であり、彼は、なんとハムレットを演じたこともある(私はその舞台を観たことがある)。このそうそうたる俳優陣による声の共演は、凡百のアニメ映画にはない、迫力のある、荘厳な、声の饗宴を実現している。事実、『果てしなきスカーレット』は、画面だけでなく声にも圧倒される――その新鮮さ、力強さ、奥深さによって。羽佐間道夫は、アニメ声優の発声法が型にはまる以前の、もっとも有名な声優の一人だろうが、このレジェンドを起用することからも、通常の声優を排除する強い姿勢がみえる。逆にいえばアニメ・声優ファンからの反発は避けられないだろう。しかしアニメ・声優ファンではない者にとって、この声優排除のキャスティングは、実にありがたい、すばらしい、感動する、陶酔できる……。称賛の言葉は尽きない。
まあ宮崎駿も細田守も、声優が嫌いのようだ。声優なくしては成立しないアニメ作品の制作者が主役クラスの人物に声優を使いたがらないのは、皮肉といえば皮肉なのだが、しかし、熱烈なアニメファンではない者にとっては、それは全面的に支持できる選択である。わざとらしい声の演技は聞きたくない。発声法と声にたよらない演技を私たちは求めているのだ。
つづく
2026年02月01日
『果てしなきスカーレット』1
posted by ohashi at 16:10| 映画
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