お恥ずかしい話だが、この歳になってはじめてというか、この歳になるまで、太陽系の中心は太陽だと思っていた。太陽系のなかでは太陽が不動の中心で、その周囲を惑星が回っていると思っていた。そうではなかった。太陽もまた太陽系のなかで動いている、公転していることを初めて知った。
太陽系の惑星は、目に見えない一点である「共通重心」を中心に回っている。その共通重心が太陽のなかにあれば、つまり太陽の中心と重なれば、太陽が太陽系の中心だが、そうではないので、太陽も、その共通重心の周りを公転しているという。
太陽系のなかでは太陽がその全質量の99%以上を占めているのだが、ただ0.何%かは木星とか土星といった巨大惑星がその質量を占める。そしてその巨大惑星(主に木星)の質量に太陽が引っ張られて複雑ならせん運動をするとのこと。
同じことは惑星と衛星との間にもいえて、地球と月は互いにその質量でひっぱりあっているものの、その共通重心は地球のなかにあるので、今は、月が地球のまわりをまわっているの。ただ月は徐々に地球から遠ざかっている。もし遠い将来、月が地球からかなり離れ、共通重心が地球の外に存在することになれば、月と地球は二連星のように互いが互いの周りを回るということになるのかもしれない。
実際、惑星から準惑星へと格落ちした冥王星は、その衛星と質量の差が大きくなく、共通重心は冥王星の外にあるため、冥王星と衛星とは二連星となって互いに互いの周りを回っているとのこと。いずれ地球と月もそうなるだろう――もちろん、その時までには人類は滅んでいるか、地球も月も人類によって壊されているだろうが。
太陽が太陽系の中心ではなく、自らも太陽系のなかを公転していることはわかった。太陽王は、中央集権あるいは王権の要ではなくて、諸関係の力学に左右され迷走しているに過ぎなかった。ここには独裁者あるいは専制君主あるいはプーチン/ネタニヤフ/トランプを考えるうえでの有益な示唆があるといわねばならない。独裁者といえども関係性の力学から自由ではない。自由でないどころか、多様な諸力にひっぱられて迷走する。太陽王は、不動の中心ではなく、公転する偽りの中心なのだ。そう考えることができるし、それを立証する事象なり証拠を見つけることはできそうだ。
ただし、太陽が迷走するからといって、太陽系に中心がないわけではない。中央なり中心が好きなモダニズム派にとって、太陽系に太陽ではない「共通重心」があること、それを中心に、太陽と惑星たちが回っていることは、安堵することになろう。太陽は中心ではない。しかし太陽王は中心近くにいる。そしてすべての中心は厳然として存在する。
だが、そんなものは偽りの幻想の中心にすぎないと、脱中心好きのポストモダニズム派はいうだろう。太陽系の中心は、太陽ではなく、太陽と惑星との関係性の力学によって措定される目に見えない共通重心だとしても、その共通重心そのものは太陽系のなかからみると不動の中心だが、外からみれば決してひとつところにとどまらない動く中心であり、さらにいえばこの共通重心=太陽系は銀河系のなかでも移動しているのであり、そして銀河系そのものが、この膨張する宇宙のなかで移動している。中心など無数に存在する。それゆえに中心はどこにもないともいえる。あるのは無数に存在する中心のまぼろしにすぎない。
正月早々、自分の無知を恥じることになったが、同時に、さまざま洞察を生み出してくれる鉱脈にゆきついたという感慨を禁じ得ない。
