2026年01月04日

遺作とは何か

英国の劇作家トム・ストッパードが亡くなり、小田島恒志氏の追悼記事が朝日新聞に掲載された。その記事そのものは優れたもので称賛に値するのだが、そのなかで小田島氏は、ストッパードの最後の作品を「遺作」と呼んでいた。

私が考えているというか知っている「遺作」とは、最後の作品ではない。しかし、新聞に掲載された記事であり、新聞社によるチェックが入っているのだろうから、問題はないのだろう。とはいえ、なにか解せないものがある。

そこで調べてみた。読売テレビの報道局専門部長、「現代用語の基礎知識」執筆委員、日本新聞協会用語懇談会委員である道浦俊彦(みちうら としひこ)氏のブログ「道浦俊彦Time」のなかに「遺作」についての意味をめぐる記事があった。

新・ことば事情 7257「遺作」 
https://www.ytv.co.jp/michiura/time/2019/11/post-4931.html

「ミヤネ屋」のADのO君から質問を受けました。
「『遺作』というのは、どの作品を指すのでしょうか?」
「そりゃあ、『死ぬ前の最後の作品』なんじゃないの?その意味では最新作でしょ。」
と答えて、辞書を引きました。まずは『広辞苑』。
「死後に残された作品。かたみの作品」
そうか、「最後の作品」に限らず、残された作品は「遺作」になるのか。そう言われたら、そんな気も。『明鏡国語辞典』は、
「死後に残された未発表の作品。また、生前の最後の作品。」
え?「未発表の作品」なの?もう一つの意味では「生前最後の作品」とあり、私が思っていた「遺作」ですね。『新明解国語辞典』は、
「故人の、未発表作品及び著作物(で、死後に公表された物)」
あら、これも「未発表の作品」ですね。『精選版日本国語大辞典』は、
「死後に残された作品」
そして『デジタル大辞泉』は、
「死後に残された未発表の作品」

以下、列挙します。
『大辞林』=死んだ人が残した未発表の作品。
『新選国語辞典』=死後にのこった未発表の作品。
『岩波国語辞典』=未発表のまま死後に残された作品。
『現代国語例解辞典』=死後に残された未発表の作品。
『三省堂現代新国語辞典』=死んだ人が残した、未発表の作品。
ここまでが「死後に残された『未発表』の作品」ですね。以下、
『新潮現代国語辞典』=死後に残された作品。
『三省堂国語辞典』=(1)死後に残された未発表の作品。(2)生前最後の作品。

どうやら、「遺作」には「3つ」意味があるようです。整理してみましょう。
(1)死後に残された「未発表」の作品
(2)生前「最後」の作品
(3)死後に残された作品

これに従って辞書を分類すると、
『大辞林』=(1)
『デジタル大辞泉』(1)
『新選国語辞典』=(1)
『岩波国語辞典』=(1)
『新明解国語辞典』=(1)
『現代国語例解辞典』=(1)
『三省堂現代新国語辞典』=(1)
『明鏡国語辞典』=(1)(2)
『三省堂国語辞典』=(1)(2)
『広辞苑』=(3)
『新潮現代国語辞典』=(3)
『精選版日本国語大辞典』=(3)
ということで、(1)の、「死後に残された未発表の作品」が一番多い。次に
「(3)死後に残された作品」と広義で捉えたもの。そして、私が考えていた、
「(2)生前最後の作品」という意味は、比較的新しいのではないか?と思われます。

さすがにことば事情の専門家。これ以上、辞書的意味をリサーチしたものはないと思われる。「遺作」の意味についてのこれをしのぐ調査・考察はないだろう。

私が「遺作」の意味として理解していたのは、上記の引用のなかの(1)つまり「死後に残された「未発表」の作品」である。実際、国語辞書類には、この(1)の意味を掲載しているものが圧倒的に多い。だが、私が多数派だと満足している場合ではない。

たとえば柳原孝敦先生は、バルガス・リョサの最後の作品Le dedico mi silencio(2023)の翻訳『沈黙をあなたに』(集英社 2025)を「遺作」と呼んでいる。

柴田元幸氏によるポール・オースターの最後の作品『バウムガートナー』(Baumgartner 2023)の翻訳(新潮社 2025)は、いま現物がないのだが、出版社の広告で「遺作」として宣伝されている。

小田島恒志氏、柳原孝敦氏、柴田元幸氏、そして道浦俊彦氏、どなたも「最後の作品」を「遺作」と呼んでいる。どうもこうなると、私のほうが分が悪い。「死後に残された「未発表」の作品」を遺作と考えている私のほうが、時代に取り残された「遺物」となってしまったのか。

シェイクスピアの最後の作品『テンペスト』はシェイクスピアの遺作なのか? 実際のところシェイクスピアの最後の作品は、どれだか実はわかっていない。ジョン・フレッチャーと共作した『ヘンリー八世』が最後の作品らしいのだが、これを遺作と呼ぶのは、たとえ私だけかもしれないが違和感がある。ひょっとしたらシェイクスピの未発表あるいは未発見の作品がこれから現れるかもしれないが、「遺作」というのは、そうした作品のために用意されているように思う。

これは〈遺作=死後に残された「未発表」の作品〉と考えている、いまや少数派のたわごとかもしれない。しかし、同時に、これだけは言える。「遺作」には、道浦氏の記事にあるように、三つないし二つの意味が共存していて、まだ完全にひとつに絞られていない。だから私は「遺物」のような〈遺作=死後に残された「未発表」の作品〉という意味にしがみついていようと思う。

【なおこの件を、2025年年末に、ある人に話をしたら、その人は、すぐにChatGPTに相談した。その結果、ChatGPTは(1)と(2)の二つの意味を示してきた。AIが調べても、「遺作」の意味は一本化されていないようだ。】

posted by ohashi at 17:30| コメント | 更新情報をチェックする