私の使っている手帳(大型なので日記帳にもなるのだが)は、在職中から、4月はじまりのもので、自分のなかでも4月を年度初めと位置付けているので、1月1日に新年の決意とか目標というもの考えたことがない。私にとって2025年はまだ終わっていない。
とはいえ、1月1日は、今年の目標を考えたり表明したりするのはよい機会なので、2026年中にしてみたいことを2点だけ記しておきたい。
1
ひとつはエドワード・W・サイードの『晩年のスタイル』の翻訳を新訳・改訳をこのブログで発表することである。
『晩年のスタイル』は、私の翻訳で、岩波書店から刊行されたのだが、それを文庫化しなかという話が何年も前からもちあがった。そのため実際に自分の翻訳を見直してみると、誤訳をはじめとして不適切な訳文やニュアンスの取違いなど多々あることに気づき、改訳・修正作業に入り、時間はかかったが、まだまだ修正する余地はあるのだが、一応改訳を終えている。それをこのブログで公表しようというのである。
改訳作業に時間がかかりすぎたせいもあって、いまや出版社からも督促のメールなどもこなくなった。諦められたのだと思う。私自身、べつに出版されなくてもかまわないのだが、改訳版だけはネットで公表して、すでに購入され読まれた読者、あるいはこれから読もうという読者に少しでも読みやすくまた正確な訳文が提供できればと思っている。そのためなるべく早い段階で、このブログに連続して掲載する予定。
もちろん版権とか翻訳権の問題で、出版社からクレームがついたら、この企画はすぐにとりさげる。クレームがつかなければ、どこかの出版社が新訳・改訳版を出してくれれば、それはそれでありがたいことだと思っている。その際、私の改訳原稿を使っていただけれ、もっとありがたい。
文庫化の作業についての報告としては、編集者から厳しく訳文をチェックしてもらったので、それはありがたかったのだが、ダメ出しが多すぎる。もちろんそれは私の側に誤訳が多いからだろうと思われればそれまでなのだが、文体にまでケチをつけられる。要は、その編集者の理想とする訳文があって、それに合致しない私の訳文には永遠にダメ出しがなされるのであり、実際、これまでもなんども改訳原稿を提出しているのだが、毎回差し戻されて、終わりがみえない。それで嫌になったというのも私の正直な感想である。もちろんチェックしていただいたことに対しては心から感謝しつつ、自分の文体で好きなように翻訳して、ネットに残しておきたいと、今は思っている。
2
無限ループ物語論をネットに公表すること。
無限ループ物語が、流行っているというよりも、定着していて、毎年、映画とか小説などが作られている。それについて論文を書いて欲しいと依頼されたのだが、私にとって、これまで考えたことのない初めての分野なので、原稿が難航した。調べれば調べるほと、あるいは考えれば考えるほど、新たな作品を見出し、新たな着想が生まれ、終わりがなくなった。原稿も書いたのだが、すでに100枚を超えている。これを完成させたとしても、論集に、この100枚超えの原稿を載せるわけにはいかないので、30枚くらいに縮める作業がある。それはできないこともないなのだが、時間が欲しい。と、そうこうしているうちに、約束の締切を何度も守れず、編者には多大の迷惑をおかけしたので、編者から昨年暮れに見捨てられた。
ここまで待ってもらったのだから、今年の1月初旬か中旬まで待ってもかまわないのではないかと勝手に考えたが、何度も裏切られて神経をすり減らした編者としては、私にもう関わりたくないということで縁を切られた。私としてはお詫びするしかないまま、新年を迎えた。
ただ、遅々として進まぬ私の考察だが、ようやくここにきて、まとまりをみせはじめた。そそのため100枚超えの原稿をさらに広げてゆく作業と、100枚超えの原稿を30枚くらいに縮めて序論とする作業のふたつをすすめたいと思うようになった。
すでに改訳原稿があるサイードの『晩年のスタイル』とちがって、未完の原稿しかないために、一挙にあるいは定期的に掲載することはむつかしいのだが、可能な限りアップして、批判など乞いたいと願っている。
もちろん、この2点以外にも、2026年にしてみたいこと、予定として入っていることはあるのだが、それは個人的なことであったり、公にできないことだあったりするので、ここに書くのは差し控えたい。
正月早々、私自身の恥をさらすようなことになったのだが、恥をさらしているがゆえに、決意は固いと思っていただきたい。
2026年01月01日
New Year’s Resolutions for 2026
posted by ohashi at 23:07| コメント
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