日本にもいつか女性の宰相が誕生する日があるだろうと期待していたが、それが早いか遅いかは別にして高市早苗首相の誕生は、日本における女性史における最大のアンチクライマックスだった。なにしろファシストが首相になったということ、日本の憲政史においても汚点以外の何物でもない。
内閣の顔ぶれをみても、高市首相が誕生したことで、女性閣僚の数が増えるかと思ったら、首相を含めわずか3人。そのうち、首相を含めファシストが2人もいるとなると、もう日本ではファシストでないと女性は大臣になれないのではないかと暗澹たる気持ちになる。
高市首相は英国のサッチャー首相を崇拝しているようだが、思い出して欲しい。1979年のイギリス総選挙において保守党が過半数を獲得し、政権交代が起こり、保守党党首サッチャーが首相になった年、女性の地位向上と政界進出が加速化すると期待されたこの時期、当選した女性議員の数は、1950年代レベルに落ち込んだ。つまりサッチャー政権が誕生した1979年、女性議員の数は最低とはいわないまでもそれに近い数だった。
かたや女性の首相、かたや女性議員の減少。なんとも皮肉なことと当時は思われたのだが、今から考えると、サッチャー首相誕生と女性議員減少とは連動していた。つまり女性の存在が軽んじられたというか、女性の社会進出・政界進出を拒む勢力が力強かったため女性議員が数を減らすことになり、またそうであればこそ保守のタカ派のサッチャーが党首に、そして首相になれたのである。サッチャーならば保守的な男性以上に保守的で、男性支配を打破するどころか強化することが確実に思われ、リベラリズムやフェミニズムをまちがいなく後退させると思われたからである。
高市首相のことを考えても、彼女が、そして自民党が人気を盛り返したのも、男性支配を強化してくれることが期待されたのである。世界経済フォーラムが発表する2025年「ジェンダーギャップ指数」ランキングで日本は118位だが、この最低ランクだからこそ、高市首相が誕生しえたのである。ランキングの上昇などねらっていない。ただ男性支配と女性差別の強化を望むファシストの国民が多いからこそ、ジェンダーに関係なく首相が選ばれたのである。
国民生活、とりわけ女性に関係するも目につきにくいに生活の細部はこれからどんどん無視されるだろうし、目立ちやすい話題、女性の天皇とか、女性にとって切実な夫婦別姓問題なども、高市首相によってアジェンダの外に置かれることはまちがいない。女性の敵は高市早苗なのである。
2025年10月29日
高市=サッチャー体制
posted by ohashi at 23:13| コメント
|