映画『遠い山なみの光』(監督 石川慶)について、前作『ある男』と優るとも劣らぬ作品なのに、公開からそれほど日がたっていないにもかかわらず、観客動員が失速気味なのは惜しまれる*。カズオ・イシグロの原作に対する大胆な解釈、あるいはその大胆な翻案に圧倒された者として、多くの人に観てもらいたい映画だと思う。原作は読んでいなくていい。むしろ原作を読んでいると、もちろんその翻案に驚くだろうが、それ以上に、原作の曖昧さに頭を抱えるだけだから。前作『ある男』では、最後の方でどう終わるのか観ていてはらはらした。というのも映画は原作の終わりに到達しても、まだ続いていたからで、最終的に、最初に戻って枠物語を完成させる終わり方をしていた。それはきわめて知的かつ論理的な終結方法で、映画に比べると、むしろ原作のほうがぐだぐだの終わり方をしているという印象をもったくらいだった。今回も、原作のなかでもやもやしているところを魅力的なひねりを加えながら、原作の味わいをきちんと残しながら、明晰に組み替えた点、大いに評価されてよいだろう。
*正直いって、U-NEXTで謎解き解説の番組(それも一回で終わらない連続番組)などをつくるから、敷居が高い映画ではないかと観客を遠ざけたのではないか――私はU-NEXTのそれは観ていないし、観るつもりもない。映画は、べつに謎解きなどしなくても、謎は解明されtている。むつかしい映画でもなんでもない。映画会社の愚かな戦略が『遠い山なみの光』を、前作の『ある男』のようにいつまでも上映される映画ではなく、早々と上映が終わりそうな映画にしてしまったのはほんとうに残念である。
以下、映画を観ていない方は絶対に読まないで欲しい。ネタバレあり。ネタバレに接すると映画の魅力が半減するので。
Warning:Spoiler
原作のA Pale View of Hills、日本語訳では「遠い山なみの光」と原題とはやや異なるタイトルをつけているが、これは第7章の冒頭にある
I could see far beyond the trees on the opposite bank of the river, a pale outline of hills visible against the clouds. It was not unpleasant view, and on occasions it brought me a rare sense of relief from the emptiness of those long afternoons I spent in that apartment. (Vintage Bools, 1982, 1990, p.99)
から来ているのだろう、英国にいる悦子による過去の回想のなかのコメント。【なお人名は今回の映画化も従っている日本語訳における漢字表記に従う。】
この本文ではPaleなのは山なみの具体的・物理的輪郭(a pale outline of hills)なのだが、作品のタイトルは、ノスタルジックな回顧のなかで浮かび上がる山々の—ひいては過去の一時期の――思い出(a pale view of hills)である。思い出のほうがぼんやりしている。実際、読者にとっても、語り手である悦子の「信頼できない語り手」(unreliable narrator)的性格が気になってきて、語られる内容自体に、ぼんやりとした懐疑の念、あるいはもやもや感のようなものを抱くことはまちがいない。
これに対して映画は大胆な解釈を行なって、事態を整理してみせた。その水際立った解釈は、なぜそうした解釈をできなかったのだろうかという悔恨と羨望の念を私に引き起こすことになったのだ【なお私はカズオ・イシグロの専門家ではないので、アカデミックな場ですでに、この映画のような解釈が存在するのかはどうか知らない】。
映画をご覧になった方ならいうまでもないことだが、それは語り手の悦子が、30年前の日本の長崎で暮らしていたころ出会い、つきあうことになったと語られる佐知子が、実は、悦子が捏造した人物であったこと、それだけではない。佐知子の性格や行動として語られるものが、実は悦子のそれであったということである。
この衝撃的なアナグロリシス【アリストテレスが悲劇を語るときに使った用語をこれからも出すのを許していただきたい――「発見」という意味】によって、映画全体の見方が変わる。
舞台は1952年に日本と、1982年の英国である【どちらも原作には指定されていない。1982年というのは、原作が出版された年であり映画ではそれを語り手の現在時としたのだろう】。語り手の悦子は1980年の英国(悦子/吉田羊)で、30年前の1952年の長崎(悦子/広瀬すず)での佐知子/二階堂ふみとの出会いを回想している。
この回想は、映画のなかでは悦子の次女ニキ(英語名Nikkiなので漢字はあてられない)の頼みによって日本で英国人の特派員と結婚して英国に渡って来ることになった事情を聞きだし、それをまとめて、長崎出身で渡英した日本人女性の回想録として出版しようとしている。娘の求めに応じて、長崎で出会った佐知子とのふれあいを中心に悦子が語った内容、それが映画のメインアクションとなっている。
この設定はありがちなことである。だが原作の小説では、次女のニキは、友人の女性の詩人が、お母さんのことを詩にしたいから、昔の思い出を聞かせてくれと頼む。詩にする?
そのためお母さん(悦子)の話も、佐知子を中心とする断片的なものとなり、なぜ英国人男性と知り合い英国に渡ることになったのかは、あいまいなままである(映画では、それは語られたらしいということになる)。原作の小説は、語られたこともさることながら、語られていないこと、ぼんやりと示されたことなどが気になる。1952年(この年次もぼんやりと示されているにすぎない)の思い出は細部のリアリティはあっても全体としてぼんやりしている、まさにPale View――ぼんやりした思い出なのである。
佐知子捏造
映画ではこのぼんやり感をどう処理したか。〈アナグロリシス〉(どんでん返しといってもいいのだが)によって、人間関係や見方が全く変わるよう映画にしたのである。『ファイトクラブ』(1999年、デイヴィッド・フィンチャー監督)のような映画にしたといってもいい。
思い出しいただきたい。『ファイトクラブ』(あるいはそのような映画ということだが)では、主人公/エドワード・ノートンは、タイラー・ダーデン/ブラッド・ピットという、謎めいた、だがカリスマ的な魅力を持つ男と出逢い、土曜の夜、バーの地下室で、殴り合いの喧嘩をするという秘密の「ファイトクラブ」を二人で立ち上げる。喧嘩によって日ごろの憂さを晴らすこのクラブは、秘密裏に人気を博し、二人にとっても生活の一部と化す。やがて映画ではタイラー/ブラッド・ピットがテロ行為に走りだし、主人公の「僕」もそれに巻き込まれてゆくのだが、最後にどんでん返し的にあきらかになる。本来気弱な、どちらかというと内向的な「僕」/エドワード・ノートンと、陽気で暴力的で危険な犯罪者的性格のタイラー/ブラッド・ピットとは同一人物であったということ、が。
ウィキペディア日本版の『ファイトクラブ』の記事では、「僕」と「タイラー」との関係を、「僕」にとってタイラーは「理想の全てが詰まった存在であり、自分を変えるために生み出したもう一つの人格(オルター・エゴ)だった」と記述している。言いえて妙である。このことは、映画『遠い山なみの光』のなかでの悦子/広瀬すずと佐知子/二階堂ふみとの関係にそのままあてはまる。
こうした二人が一人(1+1=1)という関係の映画はこれまでもいくつもあったように思うのだが、ぼけ老人にはすぐにあれこれ思い浮かばない。かろうじて思い出したのが、日本映画『ブルーアワーにぶっとばす』(1999年、箱田優子監督)である。主人公/夏帆は、故郷の茨城県に、女友達/シム・ウンギョンと旅行するのだが、ずっと行動を共にした友人が、最後に、実はいなかったということがわかる。主人公の女友達は、主人公の空想上の存在であり、主人公のソウルメイトでもあり、オルターエゴでもあった。このことも映画『遠い山なみのの光』における二人の女性の関係にあてはまるだろう【なお『ブルーアワー』では伊藤沙莉が歌うますぎて驚いた】。
悦子/広瀬すずにとって、佐知子/二階堂ふみは、ある意味、彼女にはできない/彼女があこがれる生き方をしている、まさに悦子のあこがれと理想的が詰まった存在である。またすでに一女をもうけている佐知子/二階堂ふみは、妊娠中の悦子/広瀬すずにとっても、母親的な信頼のできる先輩女性でもある。
悦子は、もと音楽の教員だったらしく、バイオリンが演奏できる。つまり、いわゆるええところのお嬢さんであり、戦後は公団住宅というか団地住まいでつつましい生活をする専業主婦であり、夫(緒方二郎/松下洸平)のネクタイを締めてやり、靴紐も結んでやるという、戦前の伝統的な女性像に忠実である注1。そんな悦子にとって、奔放な生き方をする佐知子は、悦子自身がめざす規範的な女性でもある。実際、映画のなかでは「子供を言い訳にしない」という佐知子の言葉を、悦子自身も、夫に対してぶつけることからも、佐知子の生き方なり考え方が、悦子に影響を与えていることがわかる。
もちろん悦子と佐知子は同一人物であることが映画の最後にはわかる。悦子にとって、佐知子は彼女のソウルメイトでもありオルターエゴでもあった。では、悦子は、娘のニキに、長崎での過去の出来事を語るのに(それはまた彼女の夫、ニキの父親でもある英国人のジャーナリストとの出会いを語ることもであったのだが)、なぜ、そんな別人を捏造し、別人を通して自分のことを語ったのか。なぜ自分のことを三人称どころか別人として語ることになったのか。
新しい女
映画では英国のグリーナム・コモンでの女性たちの抗議運動のことが触れられる。次女のニキは、それを取材しているジャーナリストでもあるという設定である。1982年という映画の設定は、この運動への言及を適切なものとしている(原作にはない)。またニキ自身、結婚を人生の目的とはしないで、女性にとっての新しい生き方を模索している。
グリーナム・コモンでの女性たちの抗議活動にはまったく興味を示さなかった母親の悦子だが、またそれがニキをいらだたせることにもなったのが、1952年当時を回想することによって、悦子もまた、そうしたフェミニズム運動とはまったく無縁ではなかったことが示唆されることになる。
そして〈アナグロニシス〉すなわち悦子=佐知子だったことを考慮すれば、悦子自身、実は、新しい生き方を模索し、実践する新しい女であったことが映画の最後にわかるのである。
では悦子にとって、あこがれの女性であり、みずからもそうであった女性でもあった佐知子が、いっぽうで、なぜ悪女的に語られ描かれなければならなかったのか。
それは保守的父権性的男性中心社会(日本が典型だが、いまなお世界中にそうした社会は存在している)において、「新しい女」が帯びる負のイメージを登録しておく必要があったからであろう。またその負のイメージは、「新しい女」であった悦子が経験しなければいけなかった差別と試練そのものでもあった。
フェミニズムは、保守的男性側からの抵抗と攻撃にさらされつづけてきたことはいうまでもないが、そのとき「新しい女」はどういう汚名を着せられたのか。
1)ひとつには、性的に奔放な女性である。それは娼婦もしくは娼婦的女性へとつながる。家庭に閉じこめられ、夫しか男性を知らず、夫に守られ夫に信頼を寄せるといえばまだ聞こえはいいが、夫に隷属しているだけの女性が美徳の女性とされる社会や世界観では、家の外に活動の場を求め、男と対等の立場で仕事する女性は、良妻賢母ではない女性、つまり尻軽女、街の女、娼婦なのである。実際、映画では佐知子がなにをしている女性かわからないが、派手な服装をした男を拾う街娼というイメージはある。
また映画でも原作でも佐知子はフランクというアメリカ人(おそら軍人)と結婚してアメリカに移住することになっているが、要は米兵相手の「パンパン」である【この「パンパン」は蔑称であるが、それが使われた時代が遠い時代となったために、侮蔑語としてのリアリティは失われているのでここで使わせてもらう。実際、いまの若い人たちは、この言葉は知らないだろうし、知らなくていいのだが】。映画のなかで佐知子はパンパンかもしれないが、彼女が悦子と同一人物だとすれば、悦子は街娼の汚名を着せられていたかもしれない新しい女だったのである。
2)また母性の欠如というのも新しい女への避難の常套句でもあった。家から外に出る女性は、当然、子供の育児や教育をないがしろにするというイメージがある。そもそも新しい女は母性性を欠落させた不良品である。性に奔放で、男たちとのセックスにあけくれるような女性たちは、自分の子供を省みることはなく、また妊娠を最も忌み嫌い恐怖する。母性性を喪失したモンスター、それが新しい女たちである注2。なお新しい女に独身女性が多いのは、結婚制度への異議申し立てあるいは懐疑のためとは思われず、ただ、男にもてないブスだからというイメージもある(先の街娼・パンパンのイメージとは逆に)。
また映画のなかで佐知子が子猫を殺すところは(猫というのは長崎らしいのだが、なにも殺す必要ないと思われるのだが)原作でも映画でももっともおぞましい場面であるが、もしそれが捏造でなければ、猫に対して象徴的に示される母親の残忍さと子捨ての母親というイメージが後年万里子を自殺に追いやった遠因ともいえるだろう。そしてこれもまた悦子が、佐知子を悪魔化し、悪魔祓い的に自分から切り離し、自己防衛行為のひとつなのである。
3)外国かぶれ。新しい女は、日本古来の大和なでしこの伝統を捨て、外国産のフェミニズム思想に染まった外国かぶれのバカ女であるというイメージもある。映画のなかでも原作でも、佐知子は、戦前から英語を学んでいて、父親からもディケンズの『クリスマス・キャロル』の本をもらって、それで英語の勉強をしようとしていたのが、戦争になり、敵性言語である英語を学ぶことを禁じられたという。だがその英語の知識は、通訳として米兵に接するときに役になったということだった。それがほんとうに通訳なのかどうか定かでない。しかし、佐知子=悦子とみれば、悦子は通訳の仕事をしていて、英国人特派員と知り合いになったことは、まちがいないとわかる。しかし、1+1=1という発見までは、佐知子がパンパンとして米兵に接していたのではないかという疑念を映画ははらしていない。外国かぶれ=パンパンなのである。
【『クリスマス・キャロル』の本の話は印象的なのだが、1982年、悦子の次女ニキは、母の持ち物のなかに、この『クリスマス・キャロル』の本を発見する。この発見、この〈アナグロリシス〉も衝撃的であり、佐知子は、実は、母、悦子だったことが、ニキにわかるのである。】
もちろん外国かぶれというのは街娼のイメージと結びつくだけではない。それは当然、純正の国産品ではない、輸入品であり、日本古来の伝統とは無関係な非純正品あるフェミニズムに魂を売った愚か者というイメージともむすびつく。古来から日本の女性は男につくすことを美徳と感じただけでなく喜びも感じていたのであって、それを男性による虐待だの、女にも生き方を選ぶ権利があるなどと考え方は外国の悪影響そのものであるという保守派の考え方と結びつく。
映画のなかで悦子はなにか記憶喪失になっているところがある。原作の小説でも同じだが、義父/三浦友和から、悦子が義父の家に遊びに来たとき、真夜中にバイオリンを弾いたというのである。近所迷惑にもかかわらず。義父はそれを面白い思い出として語るのだが、悦子は、そんな傍若無人なふるまいに及んだことを覚えていない。それは映画のなかでの悦子の性格からも想像しがたいところである。たとえ、悦子が、なんとなくそれを思い出したとしても。
あるいは映画では語られていなかったが、小説では、アゼリア【日本語でどういうのか、アゼリアのままでいいのかもしれないが】が好きな悦子は、義父の住んでいる家の玄関周辺にアゼリアを植えるように、義父をまるで雇われた庭師であるかのように、命じたというのである。悦子はこのことも覚えていない。だが義父は、悦子の威圧的な態度をはっきり覚えている。悦子もそんなことがあったかもしれないと徐々に思い出す。
このエピソードは、1952年の彼女の今からは想像できない、激しい性格、威圧的な態度、自己中心的なところがかいまみさせるものとなっている。と同時に、そうした激しい性格を彼女はもともともっていたのだが、1952年の段階では専業主婦の生活のなかで抑圧するか忘却していたとも考えられる。それが佐知子との出会いを通して、思い出し、本来の自分を取り戻す途についたということになる。もとより佐知子=悦子なので、彼女は、自己再発見へと至り、夫に忠実なのではなく、自分自身に忠実な生き方を選択しはじめるということになる。ただの外国かぶれではない。また「佐知子かぶれ」でもないのだ。
娼婦、非母性性、外国かぶれ――こうした汚名を、新しい女たちは、必ず着せられたし、また彼女たちは、その汚名を晴らそうと苦闘した。必ずそこを通過せねばならない試練のようなものだったが、しかし、そのような試練は、汚名などは、最初からないほうがいい。娼婦、非母性性、外国かぶれ――こうした汚名は、佐知子があたかもスケープゴートのように背負わされるといっていい。またそれが佐知子という分身を悦子が造らざるを得なかった理由なのだが、実は、もうひとつ、新しい女たちが、それとは一線を画そうとしていた汚名があった。それが
4)レズビアンである。原作でも映画でもそうだが、悦子は、佐知子という女性と出会うことで、彼女に魅力を感じ、彼女に惹かれてゆくのである。彼女の奔放な生き方に感銘を受けたのかもしれない。実際、佐知子の語ることは、ほとんど嘘か捏造であると思うのだが、それでも悦子は佐知子から離れることはない。
これは不良に惹かれる優等生という昔からあるパターンともいえる。そして新しい女は「不良」なのである。優等生をたぶらかす不良。だが優等生のほうでも、不良は不良とわかっていても、惹かれずにはいられないという古典的なパターンの再来なのか。
もちろん優等生事態を把握していないのではない。優等生にとって不良というのは、自身にないものをもっている優れた存在、あこがれの存在なのだ。またそれゆえに、優等生にとって不良は、自分を変えるために、あるいは自分を向上させるために必要な同一化の対象なのである。
同一化といえば、『美しい夏』の記事でも触れたが、同性に同一化する場合、それは同性愛ではない。同性愛者は、異性と同一化し、同性を所有の対象として愛するのである。たとえば私(男性)が、女性のようになりたいと思い、女性のようになって男性に抱かれたいと思えば、私はりっぱな同性愛者である。私(男性)が、ほかの男性にあこがれ、ほかの男性のようになろうと努力し、そうして女性を抱こうと思えば、私はりっぱな異性愛である。したがって同性と同一化することは、同性愛とはならない。
事実、映画のなかで佐知子にひかれる悦子は、佐知子のようになりたいと思っているだろうが、しかし、佐知子と結婚したいと思っているわけではない。悦子は夫と離婚に至るようだが、その後、英国人男性と結婚するわけで、女性の共同体なり共同生活をめざしているわけではない。だから、悦子と佐知子の関係は、女の友情でありつづけるのである
だが、たとえば、異性(女性)と一体化して同性(男性)を愛したい私(男性)が同性愛者だとしても、男性のなかにいることはとくに苦痛でもなんでもない。私(男性)は同性愛者であるとして、男性と同一化したくはないのだが、男性のなかにいることは苦痛ではない--自分が女性っぽいと差別されない限りは。つまりホモソーシャルな集団のなかにいることは、男性同性愛者にとっては苦痛ではないことが多い。いっぽうホモソーシャル集団を構成する異性愛者にとって、同性愛者が混じっていることは問題で、同性愛者はその集団からは排除せねばならない。したがって異性愛者の集団であるホモソーシャル集団は、それが排除しようとしているホモセクシュアル的なものにつねに侵蝕され、ホモセクシュアル的なものに反転する可能性が常にある。
したがってホモソーシャル集団は、異性愛者と同性愛者を、友情と愛情を峻別しなければ成立しなくなるために、異性愛者はホモソーシャル集団のホモセクシュアル化をますます警戒し排除を強める。いっぽう同性愛者は、友情と愛情の区別を消滅させる。あるいは友情を愛情の隠れ蓑にする。ただし、これは男性ホモソーシャル集団のことであって、女性の場合はすこし違ってくる。
そもそも女性の場合は、女性ホモソーシャル集団における友情と愛情の区別は留意されず、なし崩しにされることが多い。女性の場合、友情は容易に愛情へ横滑りする。また先ほど述べたことだが、異性愛者は同性と同一化し異性を愛するという図式は、基本的に男女両方にあてはまるのだが、女性の場合、たとえば古典的な「女性に同一化する女性Woman-identified Woman」宣言があるように、女性同士の連帯は(男性のホモソーシャル関係が簡単にはホモセクシュアル関係にならないのとは対照的に)容易にレズビアン関係に転化する。「女性に同一化する女性Woman-identified Woman」宣言は、レズビアン・フェミニズム宣言だった。
男性ホモソーシャル連続体の個々の男性メンバーは、女性をパートナーとするのだが、それによって女性のホモソーシャルな連帯を切り裂き分断させる。保守的な男性にとって家庭に閉じ込めている自分の妻(専業主婦)が、近所の主婦たちとしている井戸端会議ほど恐ろしく嫌悪すべきものはない。女性たちは連帯を拒まれている。それゆえに女性たちの連帯を宣言することは父権制に対する強烈な抵抗となる。
しかも「女性に同一化する女性Woman-identified Woman」宣言は、レズビアンであることを誇りに思うという宣言でもあった。そしてこれは過去の女性運動におけるレスビアンの扱いとも関係していた。
19世紀から20世紀にかけての第一波フェミニズムの息の根をとめたのは、男性側からの新しい女はレズビアン(倒錯者)であるという非難だった。1950年代から60年代にかけて始まる第二波フェミニズムにおいても、フェミニストたちはレズビアンとは一線を画していた、というかレズビアンを嫌悪していた。それゆえ「女性に同一化する女性Woman-identified Woman」宣言は、男性だけでなく、フェミニズム内にもある同性愛嫌悪の流れに異議申し立てをするものであり、それは男性をパートナーとする女性フェミニストよりもレズビアン・フェミニストのほうこそ真正なフェミニストであるという過激な主張でもあり、また男女両方にある同性愛的欲望の解放をめざすものであった。
こうしたことを踏まえたうえで、映画に戻ると、『遠い山なみの光』においては佐知子に出会った悦子が、佐知子に恋をしはじめることが暗示されているとわかる。
事実、佐知子の住んでいる小屋は、川べりにある。川はつねにみえている。そして川にまつわる物語。川に自分の子供を沈めた母親の話。川に子猫を沈めて殺す佐知子。
長崎は、坂道とネコと豚の角煮饅頭(卓袱料理もというべきか)とチャンポンだけの町ではなく、川の町、港湾と造船の町、つまり水の都=ゲイ・タウンでもある注3。水と同性愛とのイメージ上の結びつき。原作も映画も、悦子と佐知子の関係をレズビアン的なものとしてみているのである。
と同時に、新しい女にとって、レズビアンという汚名は、現在とは異なり(今だったら「レズビアンで何が悪い」あるいは「レズビアンというのはかっこよすぎ」という反応だろうが)、汚名でもあった。まさに新しい女に着せられる汚名をすべて佐知子にスケープゴート的に背負わせるという、悦子の語りの佐知子捏造戦略がここでも作用している。1982年でもむつかしかったかもしれないが、1952年ではなおのことむつかしかったレズビアンの認知は21世紀に持ち越され、悦子にとってレズビアン的愛の対象でもあった佐知子は、最後にはネコ殺し・子捨て女として悪魔化されて消されてゆく。そもそも悦子=佐知子であった――とすれば悦子は、内なる佐知子、内なるレズビアン的欲望を外に出しながらも埋葬したのである。
侵蝕
悦子と佐知子が別人であると想定して、時系列にそって映画の物語を整理してみる。
1952年長崎、緒方悦子/広瀬すずは、戦中は学校教師として音楽を教えていたが、校長の息子緒方二郎/松下洸平と結婚し、今は団地住まいの専業主婦として、初めての子供を妊娠して出産を待つ日々を送っている。そんなとき川べりの野原に建つ小屋で暮らす佐知子/二階堂ふみと出逢う。佐知子には万里子/鈴木碧桜という娘がおり、悦子は佐知子の奔放な生き方に惹かれ友情関係を築き上げる。佐知子はフランクという米兵と、娘を連れてアメリカに移住することになっていた。そのため神戸に行くために荷造りをしている夜、万里子が飼っている子猫を連れて行けないと殺す佐知子。死んだ子猫が入った箱が流れていくのを追いかける万里子。万里子のことが心配で、後を追う悦子……。
ここでこの物語は途切れる。違う別の物語が侵蝕する。なぜなら万里子は、佐知子の子供ではなく悦子の子供だとわかる。というか佐知子は悦子だったとわかる。
悦子と佐知子が同一人物だと想定して時系列に沿って映画の物語を再構成する
1952年長崎、緒方悦子は、戦中は学校教師として音楽を教えていたが、校長の息子緒方二郎と結婚し、今は団地住まいの専業主婦として、初めての子供を妊娠して出産を待つ日々を送っている。やがて長女万里子を出産するが、たとえ軍国主義者の父親を嫌う夫だとしても、古い父権性的な考えを脱しきれてない夫のもとを、悦子は万里子をやがて連れて去る【悦子が被爆者だったという秘密が露呈して離婚に至ったという可能性も映画では示唆されている】。
万里子との二人暮らしのなか、英語の知識がある悦子は、通訳として働き、そのなかで英国人の特派員と出逢い、結婚する(このあたりは佐知子の生きざまと重なる)。おそらく日本に永住してもよいと考えた夫の意に反して、悦子は嫌がる万里子/景子を連れて夫とともに英国に移住する。日本在住時か、英国移住時に次女ニキ/カミラ・アイコが生まれる。英国での平穏な日々のなか、夫が死去。
以下は小説における語りから推測した内容。映画では示されることはない。夫と死別した頃には、長女の万里子/景子は引きこもり状態となって父親の葬式にも出席しなかった。やがて彼女は家出をし、滞在中のホテルの一室で首をつって自殺する。自殺直後なのか、自殺後何年たったのかわかりないが、ロンドンの大学で勉強をし、ジャーナリストになったNikkiが久しぶりに独り暮らしの母親を訪ねて来る。母親から長崎にいたころの思い出を聞き出し、なぜ英国に英国人の夫とともに移住するようになったか、当時の日本における「新しい女」(という言葉は使われていないが)の生き方を記録する本を執筆しようとしている。
ニキが母親から聞いた話が、映画の長崎での物語となる。ただニキは、母親が日本からもってきた持ち物をさぐるうちに、母、悦子の話にでてくる佐知子が、実は、母のことだったことを発見する。ニキはこの発見を母と静かに共有し、母の生き方をあらためて振り返りかみしめながら、実家を後にしてロンドンに向かう。
ニキにとって、母、悦子は信頼のできない語り手だったが、母のついた嘘あるいは捏造が判明することで、ぼんやりとした景色が晴れ上がるような、ある種の爽快感を映画はあたえてくれる。そして映画による原作の改変というよりも、大胆な解釈と翻案には衝撃をうけつつ、原作に対する深い読みと、原作の不穏な感じの拠ってきたるとこを解明するその知的な解析には、多くの観客がおそらく私のように驚き、なかには私のように羨望の念すら抱く観客もいよう。
映画をご覧になった方とは、ここでお別れしたい。以下は、原作を読んだ方へのコメントである。
映画が原作を、ある意味、整合的に解体・再構成したことは、原作に対するリスペクトがないのでは(たとえ映画化というのは、そうしたものだとしても)と思われるかもしれないが、整合的な解体・再構築によって、実は、原作の不気味さ、不穏な感じがかえって際立ったところがあり、原作の特質(不気味さ、不穏な感じ)を、なにか原作に忠実な映画化よりも、はるかにをよく伝えることができたのではないかと思わずにはいられない。実際、原作を読み、この映画に接した観客なら、はたして原作は、映画の大胆な解釈にすべて回収されてしまうのか疑問を抱かざるをえないのではないか。
たとえば、映画の最後の方、おそらく死んだ子猫たちの箱が流されてゆくのを追いかけて姿を消した万里子を、悦子は心配になって追いかける。そして船着き場のようなところに係留してある小舟のなかに万里子がいることを悦子は発見する。この後、万里子は、悦子のことを「お母さん」と呼び、万里子と悦子(佐知子と悦子ではなく)が親娘関係にあることが観客にわかる。この〈アナグロリシス〉は、衝撃的などんでん返しであって、観客は、映画全体の物語を見直すことを余儀なくされる。ただし原作では、この場面で、万里子と悦子が親と娘であるとはわからない(第10章の末尾のセクション)。
実際、その箇所をじっくり読み直してみると、万里子に追いついた悦子と、万里子との会話は、明日旅立つ佐知子と万里子、それを見送る悦子の会話ではなく、明日旅立つ佐知子と万里子の、まさに親娘との会話に読めなくもないのだ。この場面で語り手である私は万里子に「あなたがあっちへいって嫌だったら、私たちはすぐに帰ってくるのだから」(“If you don’t like it over there, we’ll come straight back”(p.173)と約束する。「私たち」というのは誰のことか。悦子と万里子のことではなく、佐知子と万里子のことではないか。
このセクションの他の部分もふくめてふたりの会話からは、後を追ってきた悦子と万里子ではなく、佐知子と万里子のやりとりであることが濃厚にうかがわれる。実際、このふたりを、悦子と万里子の母子関係と解釈した映画は、実に的を射た解釈をしていると感服せざるをえない。
だが、それだけではない。このとき万里子は、佐知子の足首についているものを指摘する:“Why are you holding that?”と。私は“This? It just caught around my foot, that’ all.”と答えるのだが、万里子はさらに“Why are you holding that?”と問いを繰り返す。私は“It caught around my foot. What’s wrong with you ?”と同じ答えをして笑いとばす。しかし万里子は、私がいぶかるほどに、私のことをじっと見ているのである。
映画でもこの場面は再現されていた。川べりの草むらをかけてきた悦子の足にまとわりついているのは、紐ようなものである。原文では紐とは書いていない。何かがまとわりついていて、万里子はそれをじっとみているのである。映画では紐切れのような形状だった。
この紐のようなものは、原作では前にも悦子の足首にまとわりついていた(これは映画には出てこないが)。そしていま、万里子がそれをじっとみている。この紐は、彼女が英国のホテルの一室で首を吊る紐を予見するものだった。万里子には未来を観る能力があって、映画ではこのあと、長崎の市電の窓ガラスから、自分の母親の未来の姿を街でみかけるのである。そしてそれはまた自分の母親が死の天使であることを予見しているかのようであった。
そういえば万里子が会ったという若い女は自分の子供の首をしめて川のなかで溺れさせ、自分も自殺していた。彼女が幼い頃に出会ったか、妄想したかもしれない女は、未来の母親の姿でもあったかもしれない。
ちなみに映画では紐ははっきり見せていて、英国に渡った万里子がやがて縊死することの予言となっている。万里子は自分の運命を、死とそこで出会っているのだが、映画では悦子の長女が英国で首をつって自殺したと語られるだけで、映像化されているわけではないので、観客は紐と縊死を結びつけないかもしれない。しかし、結びつかないほうがよいともいえて、足首にまとわりついている謎の紐は、解決できない、もやもやとした謎として受け止めることこそ映画の意図かもしれない。たとえば原作でも映画でも子供を狙った連続殺人事件が起こっているが、それが何であるのか未解決のまま終わっている(悦子が、万里子のことを常に気遣う原因になるというだけで、子供の連続殺人事件が登場しているとは思えないのだ)。
そうした処理に困る、名状しがたい未解決な要素は、映画そのものが原作から引き継いでいる。そして映画が、原作のもつ曖昧なところに、人物の二重性を持ち込んで高度な解釈をおこない、ある程度すっきり整理してくれたおかげで、同時に、解決できない不気味な要素や名づけえない要素も残すこととなった。それは大胆な翻訳にもかかわらず、原作の雰囲気を残そうとする、ある意味、リスペクトに満ちた翻案であることを証明してみせた。
いっぽう原作の読者でもある観客にとっては、原作のぼんやりしたところが整理された爽快感とともに、映画以外の解釈はないものかと考える以上に、映画化ではとりこぼされた要素や謎について気になってしまう――たとえ映画も謎めいたところは温存しているとはい
え。
原作について、私には映画以上に大胆な解釈を出せる用意も能力もない。むしろ、謎の深まりのなかに身を置いてこの作品の不気味なところ――実際、私は、原作の小説をポストモダン的ホラーだと思っている――にについて、いずれは再考してみたい。
映画を観た後、原作に向き合おうとする私が抱いているイメージとは、コンラッドの『闇の奥』の有名な末尾と同じようなものである。ぼんやりとした遠い山なみの景色。水墨画のような薄墨がにじんだような山なみの景色は、もう消えかかっている。そのかわり明晰な輪郭が浮き上がるのではなく、むしろ、どす黒い暗黒の闇が周囲を満たすように思われる。迫りくる大きな闇が私たちを覆い隠すときに、そこにどのような景色があらわれるのだろうか、いや暗黒につつまれ消えてゆくのだろうか。
注1 原作の小説にはない映画だけの話なのだが、悦子は、夫の靴紐は結んでやるのに、夫の父親/三浦友和は自分で靴紐を結ぶ。このことは映像的にも強調されているのだが、なぜそのような違いが生ずるのかは不明。ひとつの解釈だが、たとえ義父は夫と将棋をさしたり、悦子が弁当をつくったり、悦子といっしょに散歩に出かけたり、長崎の平和の像を観たりするのだが、ほんとうは存在していない、悦子にしか見えない、あるいは悦子の頭のなかにある亡霊のような存在ではないか。義父のことを「緒方さん」と呼ぶのもおかしい。また確かに軍国主義を主導した学校の校長であり、いまお右翼民族主義と封建的な考え方を捨ないこの義父、そして悦子が忘れたか抑圧していた過去のエピソードを思い出させるこの義父は、比喩的に過去の亡霊なのだが、文字通りにも亡霊だった可能性がある。ただこの点は追究するのは、話がさらにややこしくなるので、やめる。
なお、「緒方さん」について、原作でもOgata-sanとあっておかしいのだが、これはイシグロが日本語を話すことができず、日本のことを知らないからと多くの読者は考えることだろう。直接耳にしたわけではいが、この映画を観たある人が、映画館からの帰り際に、ご婦人たちが話しているのを耳にしたのだが、それによるとカズオ・イシグロは芥川賞をとっていたのではご婦人方のひとりがとコメントしたのだが、それに対して同伴していた女性たちが誰も突っ込まなかったとのこと。カズオ・イシグロは芥川賞ではなくノーベル文学賞をとったのであり、また最初から英語で書いている英国の作家で、日本の作家ではない。そのため日本を舞台にした作品に、変なところがあったりするのはいたしかたないと思っていた。義父のことを「さん」付けするのはおかしい。しかし、原作では、佐知子の幼い娘万里子のことも、「万里子ちゃん」ではなく「万里子さん」というのも変だったのだが、だが、これもイシグロの無知というよりも、意図的なものではなかったかと考え直すべきかもしれない。悦子は、亡霊には「さん」付けしているのである。この小説はゴーストストリーであるのかもしれない。
注2 映画『めぐりあう時間たち』(The Hours 2002年、スティーヴン・ダルドリー監督)のなかで、幸せな結婚生活(優しい夫と男の子、そして妊娠中)を送る専業主婦のジュリアン・ムーアが、にもかかわらず(ホテルでの自殺を思いとどまったあげくに)子供と夫を捨てて家出をするというエピソードを覚えておいでだろうか。時代は1951年。『遠い山なみ光』の1952年と同時代といってよい。
もう少し最近だと『ドント・ウォーリー・ダーリン』(Don't Worry Darling 2022年、オリヴィア・ワイルド監督)において、不満をかかえた主婦を男性が支配するファンタジー世界は冷戦期の始まりを告げる1950年代という設定だった。
1952年の日本というと、戦後の混乱が終わり、朝鮮戦争も終わりかかり、戦争景気によってはずみがついた日本が行動成長期へとはいってゆく、過渡的な時代であると、思われるのだが、この時期、西洋世界では、主婦の反乱が起こっていた時代でもある。それは、アメリカなどでのフェミニズム運動が起こる直前の時代あるいは黎明期であった。こうしたことも、原作でははっきりしないが、映画のなかでは取り入れられているとみるべきではないか。
あと『めぐりあう時間たち』で、ジュリアン・ムーアが家出をし、あとに残した一人息子は、二一世紀になって自殺をする(エド・ハリスがその成長した息子役だった--『ダロウェイ夫人』の物語に基づく設定だが)。新しい女とその子供の自殺は、『遠い山なみの光』のなかでも繰り返される。悦子=佐知子の長女の万里子は、イギリスでホテルの部屋で自殺する。〈新しい女〉と〈母性の欠如〉と〈子殺し〉は、たとえ保守的男性側からの悪辣な印象操作だとしても、新しい女に呪いのごとくとりついているともいえる。だから、映画のなかの悦子は、悪魔祓い的に自分から佐知子を切り離したともいえる。これが佐知子捏造の重要な理由のひとつである。
なお映画『めぐりあう時間たち』からの連想を敷衍すれば今述べた、ジュリアン・ムーアの息子で長じて自殺をする男性は同性愛者という設定でもあったのだが、そこから考えると、万里子の自殺の原因は、彼女が同性愛者だったということも論理的ではなく連想されるイメージから言えなくもない。
注3 映画『国宝』で女形の国宝ともなる喜久雄の生まれ故郷は長崎だった。これは原作者の吉田修一が長崎出身だからという理由だけではないように思われる。卓袱料理ではないが、長崎は、東洋と西洋と日本とが出会うコンタクトゾーンであり、異種混淆的なコンタクトゾーンは同時にジェンダー的にも異種混淆的であって、男女混淆的・同性愛的要素が顕著である。そこに水の要素が加わる。おそらくゲイ・タウンあるいはクィア・タウン長崎の文化史を書くことは可能だろう(すでに書かれているかもしれないが)。
