御用メディアが絶対に伝えないことは、米離れが進んでいることだろう。コメは高くても買われているという情報かフェイク情報は伝えても、米離れが進んでいるという現実にメディアは決して向き合おうとはしない。一挙に価格を2倍にするというのは、消費者を舐めきっている証拠だ。令和の米騒動がおこらないのは、米離れがすすんでいるからだろう。こんな無謀なことを許容しているコメ農家もJAも卸売業者も小売業者も、いつか、売れないコメをかかえて倒産するにちがいない。その日が来ても、誰も米農家とかJAには同情しないだろう。
なぜ高い米のことを話題にしたのか? それが世間の今現在の関心事であるからとはいえ、もう一つの理由がある。
この8月に翻訳を出版した。テリー・イーグルトン『悲劇とは何か』大橋洋一訳(平凡社2025.08.29)である。なんとこの本5000円近いのである。本体4500円。税込みで4950円。まあ5000円とみてさしつかえない。
原著は2018年に刊行(Terry Eagleton, Tragedy, Yale University Press, 2020)。翻訳刊行までに5年もかかったのは、私のせいでもあるのだが、それ以上にコロナ渦のせいで作業が大幅に遅れたからである。
まあ正直言って、いまの時代にイーグルトンの啓蒙的な本は需要がないだろう。いまだったら、誰もこの本を翻訳しようとは思わないだろう。いまとなって翻訳出版するのは、そうでもしないと2020年に翻訳権をとったあと翻訳を出版しないと、違約金が発生するからだろう(詳細は私は聞かされていない)。駆け込み出版なのだが、ただ、それにしても5000円は高い。
私は原著はとても面白い本だと思うし、翻訳も力がこもっているよい翻訳だと自画自賛したいのだが、ただ、今述べたばかりだが、現在の日本でこの手の本に需要があるとも思えない。そのうえ、この定価である。まず絶対に売れないと思うし、この程度の本――分量的に――に、こんな定価をつけていたら、それこそ本離れが進む一方ではないか。
そういうお前は、高い原稿料を払ってもらって、本が売れなくても、痛くもかゆくもないだろうと批判的にみられるかもしれないが、私はコメ農家とは違う。実際のところ、本が売れても売れなくても私にとっては関係ない。儲けなどない。原稿料はないのだから。この高い定価に私への原稿料は含まれていない。
これがなにを意味するのかというと、本あるいは翻訳を出せば、普通誰でも献本をする。これまでも、原稿料がなくなるくらいに数多く献本してきた私だが、今回は、献本しても、たてかえてもらえる原稿料などないから、すべて自腹となる。献本は最小限に抑えている。献本すればするほど赤字になる。年金生活者にとっては、耐えられないことである。
まあ私から献本させていただく方々が、このブログを読んでいるとは思えないので、別に恩着せがましいことを言っているのではない。
また、これからこの翻訳について、宣伝させてもらおうかと思うが、買いもしない人たちにむけての宣伝なので、無償の行為である。とはいえ、このブログを読んでいただいている人をバカにしているのではない。私だって、イーグルトンの翻訳には興味があるし、訳者の大橋洋一は癖があるものの、それなりに信頼のおける丁寧な翻訳をしていると思うのだが、それにしてもこの薄さで、この定価(税込みで4950円)では、私は絶対に買わないので。
これ以降、この翻訳についての自己宣伝を断続的に続けたいと思う。今回が、その第1回となる。つづく
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