愚かさに国境はないというときの国境とは、限界とか限度とい意味で使われている。
ドゥルーズの概念にVirtualというものがある。「潜勢的」とか訳されているようだが(それ以外の訳語もあろう)、英語でいう「ヴァーチャル」に相当するフランス語(語形は同じ)だが、どういう概念か考えてみようと思い、もっとも信頼できない媒体、すなわちネットで、関連記事とかブログやサイトを検索した。
すると「ドゥルーズ」と「ヴァーチャル」を話題にしているサイトがあった。そこでいろいろ教えてもらうと記事に目を通したが、その記事は要領を得ない。
おそらく書いている当人もよくわからないみたいで、ドゥルーズのVirtuality(philosophy)を扱ったWikipediaの英語版の記事に助けを求め、その記事の一部を日本語に翻訳して掲載していた。
ドゥルーズは、イデアルであるにもかかわらずリアルではないようなリアリティの一面を指すものとして、「ヴァーチャル」という言葉を使った。
なにがいいたいのだ。「イデアル」と「リアルではない」は同じことを言っていないのか。なにが「にもかかわらずだ」? 英語版のWikipedia で Virtuality (philosophy)をみてみた。
冒頭の一文である。
Deleuze used the term virtual to refer to an aspect of reality that is ideal, but nonetheless real.
ふつうに訳せば「観念的・非現実的だが、にもかかわらず現実的な現実の一面を指示するためにドゥルーズはこの用語を使った」となる。
観念的・理念的・妄想的だが、それでも実在性・リアリティがあるという現実の一側面というのは、わからないわけではない。実現していない可能性あるいは別の選択肢としてあるのだが、それでも、なにか確かな手ごたえをもって感じられるもの、アクチュアルではないがアクチュアルとも思えてしまうものというのは、面白い考え方である。そこからいろいろなことが発想できる気がする。この冒頭の一文は、何かを開き、何かに開かれていると思う。
それをまともに訳すことができない、英語力の欠如した人間というよりも、自分の英語力のなさ(ほんとうに中高生にだって日本語に訳せるレベルの英語だが)を自覚していない、みずからの無知を知らない愚か者に、哲学的概念の説明などしてほしくない。
まあこういう手合いがネットにはびこっている、いや、こういう手合いだからこそ、偉そうに記事を書いているのだろう。
おまえはどうかと言われそうだが、私は自分が愚か者であると知っているので、この愚か者よりは偉い。ん、それでいいのかな。
