『スリザー』
ジェームズ・ガンの初監督作品(公式には)『スリザーSlither』(2006)は、『トロミオとジュリエット』からみると、ずいぶん洗練されたSFホラーコメディということになるが、『スーパーマン』からみると、B級感(いやZ級感)が消えないというかB級映画そのものともいえるクズ映画である。ネイサン・フィリオンとエリザベス・バンクスが主演だが、ネイサン・フィリオンは『キャッスル』を観るまでは私としてはその存在が認知できなかった(私にとって『キャッスル』後は、フィリオンが『プライヴェート・ライアン』にも出演していることを確認したのだが)--したがって無名の俳優だった。いっぽう仕事を選べよというほどひどい映画ではないとはいえ、この映画のなかのエリザベス・バンクスは、他の出演作における彼女とは異なり、B級映画専門の俳優のようにみえた。
ただしひどいグロテスクな映画ともいえつつ、そんなにグロテスクでもないともいえる映画で、ジェームズ・ガン監督の過去と未来がせめぎあっている作品とでもいえようか。
物語はグロテスクで不条理だが、洗練されてもいて、宇宙生物がアメリカの地方都市を侵略し、住民全員を奴隷化し、最初にとりついた人物に吸収していくというおなじみの物語のまさにジャンル映画なのだが(つまり敵は人間から個性を奪い一体化するファシズム)、このジャンルの集大成をもめざしていて定番の要素をもれなく吸収しているという特徴をもつ。
またそのグロテスクぶりは、最近の映画『サブスタンス』(コラリー・ファルジャ監督、2024年)のモンスターの上をゆくものである。美容とか女性の身体のグロテスクな可塑性をめぐる映画としての『サブスタンス』は、同じく女性の身体の脅威的な持続性と脆さを身体変形というかたちでパロディ化した『永遠(とわ)に美しく』(ゼメキス監督、1992年)あたりを継承したものかと思っていたが、そのグロさは、『スリザー』そのものではないが、『スリザー』的なB級いやZ級のグロテスクを踏襲するものではないかと思えてきた(ちなみにZ級というのは最低ということだが、ただ現在ではゾンビ映画をも意味するので、C級くらいにとどめておくほうがいいのかもしれな。ちなみに『スリザー』、ゾンビ映画ではないが、ゾンビ映画のフォーマットにはのっとっている)。
宇宙からの侵略テーマは、おなじみのものだが、ナメクジ型の宇宙生物の超群団が人間を襲うさまは、『スーパーマン』においてエンジニアがスーパーマンに対してくりだすナノテクノロジー武器(スーパーマンの肺にまで進出して文字通り息の根をとめようとする)の元祖ともいえるものだろう。もちろんいうまでもなく、エイリアンの侵略というテーマは、その具現化は異なるにせよ、両映画に共通している。
また『スーパーマン』では空飛ぶ犬が印象的だが、『スリザー』でも、犬が宇宙生物にとりつかれたり、あるいは宇宙生物にとりつかれた住民の餌食となって食われたりする。『スリザー』において、警察が、ある倉庫を捜索し、そこに食われたり殺されたりした犬の累々たる死骸(映画の作り物とはいえ、これほど多くの犬の死骸を観たことは私はない)を発見するという場面があるが、ガン監督、犬が好きなのか嫌いなのかよくわからない。
『スーパー!』
と小見出しをつけても、実のところ、内容はもうほとんど忘れてしまったが、ガン監督の『スーパー!Super』(2010)は、『スリザー』から『スーパーマン』への途上にある重要な低予算映画である。これはスーパーヒーローが一般人の日常生活のなかにごく自然なかたちで存在し、一般人がスーパーヒーローに、ただあこがれるのではなく、実際にスーパーヒーローになって悪と戦うことを通して、現実あるいは虚構におけるスーパーヒーローの意味を問い直す、パロディともいえなくもないが基本的に自意識的な作品であった。それはスーパーヒーロー物語ではなく、スーパーヒーロー物語についての物語、メタ・スーパーヒーロー物語でもあった。
主役はレイン・ウィルソン(今も活躍している俳優だが主役映画は他にあったかどうか不明)で、新規のスーパーヒーロー、クリムゾンボルトになる。そのサイドキックであるボルティーをエレン・ペイジが演ずる(このスーパーヒーロー・ペアのモデルはバットマンとロビンだが、それは彼らがスーパーマンのような超能力をもつ宇宙人ではなく、人間だからである)。
なお映画には、リヴ・タイラー、ケヴィン・ベイコン、そしてネイサン・フィリオンが出演。
映画のなかで、エレン・ペイジが、私のコスチュームをみて欲情しているでしょうというようなことを話す場面がある。スーパーヒーローのコスチュームがエロティックなことは誰もが承知しているが、それは台詞に出して言ってはいけない暗黙の了解事項である。それをあえて言わせる――演劇や映画のなかで、これは芝居だ、映画だというようなものである。すでに一線を越えているのである。
【同じようなスーパーヒーローのコスチュームとそのエロスをめぐる台詞として、テレビでスーパーマンを演じたジョージ・リーヴズの自殺を扱った映画『ハリウッドランド』(2006)のなかで、リーヴズを演じたベン・アフレックは、スーパーマンの扮装で撮影に臨むとき、ペニスがちゃんとパンツになかにおさまっているかスタッフに目視で確認させるところがって、それは当然のことであっても、私はけっこう衝撃を受けた。】
ちなみにコスチュームがエロティックでしょうと言われても、男になる前のエレン・ペイジは(男に、つまりエリオット・ペイジになってからも)、そんなにエロスを感ずることのない、どちらかという少女体型をしていて、実感がわかなかったし、そんな彼女に欲情するのは、子供に欲情するのと同じで、かなり危険な感情であることもわかった。ただ、このわずか一例からでも、映画『スーパー!』が、触れてはいけないところに触手を伸ばす、大胆なつくりをしていることがわかる。スーパーヒーローというサブカル的いやカルチャーそのものと一般人とのかかわりを、かなりつっこんだかたちで追求していた。
実際、映画はスーパーヒーローに入れ込むあげく、ヴィラン的になる狂気までも露出させていた。スーパーヒーローがもたらす狂喜と狂気。またそこにみられる無意識の欲望のうごめき。これは、まさにメタ・スーパーヒーロー映画といえるようなものであり、この映画のメタ性あるいは自意識性が『スーパーマン』にも流れ込んでいると観るのは、決して私だけではないと思う。つづく
