私自身は、自分が「頭がいい人」に属するとは、子供のころから今にいたるまで、夢にも思っていない。謙遜でもなんでもなくほんとうに。というのも私の周囲には「頭がいい人」が多くいて、こいつなら私の方が頭がよさそうだと思える人は身近にいなかった。家族のなかでも、たとえば妹のほうが学校の成績はよかった。だから「自分は頭がいい」とうぬぼれることはなかったし、まあ私としてはそれが人生にプラスにはたらいたと今では思っている。
私の頭の悪さは、「頭がいい人に共通する6つの習慣」という記事をみて、おそらく禁欲的な習慣であったり、誰もが見習うべき模範的な習慣だろう(だからつまらない)とそう予想したことである。
たとえば私のパソコンのCopilot(会話型の AI アシスタント)は、次のような6つの習慣を出してきた。
頭がいい人に共通する6つの習慣は以下の通りです:
感情を上手にコントロールできる - 冷静に物事を処理し、感情的になりにくい。
言葉を選んで人と接する - 相手に合わせた言葉を使い、理解しやすくコミュニケーションを図る。
好奇心が強い - 新しいことに興味を持ち、質問を通じて他者との会話を楽しむ。
同じミスを繰り返さない - 過去の失敗から学び、注意を払う。
公平に接する - 他者に対して優劣をつけず、平等に接することができる。
自分を客観的に見られる - 自己分析を行い、自分の行動や思考を見直すことができる。
とまあ、反吐が出そうな禁欲的・模範的回答である。
ジェームズ・グレイ監督、ブラッド・ピット主演の『アド・アストラ』(2019)はクソつまらないSF映画だった(同監督の『アルマゲドンタイム』はタイトルから予想されるSF映画ではなかったが、とてもよかったのに)が、ただAIが支配する未来では人間は平準化されてクソつまらくなり、クソつまらない社会が出現するという設定なので、映画のつまらなさは、クソつまらない未来という主題の反映であって意図的なものともいえるのだが(途中まで来るとこの映画はコンラッドの『闇の奥』のクソおもしろくないSF版アダプテーションだとわかる)、そんなクソおもしろくない未来は、すでに私のパソコンにも訪れていることを知り、愕然とした。
まあそれはともかく、私がのぞいてみた記事では、頭の悪い私が予想した禁欲的な習慣あるいは誰もが見習うべき模範的な習慣など皆無で、あらためて私は自分の頭の悪さを痛感することになった。
記事は、数か月前からアップされているもので、頭の悪い私の記憶では、画像がスライドするものだったと思うが、ナレーションあるいは字幕の部分を文字化した。
頭がいい人に共通する6つの習慣とは? unbranded - Lifestyle
習慣だけで賢い人を見分けることは可能でしょうか? 研究によると、いくつかの共通の特徴が高いIQに関連している可能性があります。これらの考えは本当に理にかなっているのでしょうか? 高い知性を示すとされる習慣を見て、自分なりの結論を出してみましょう。
1:孤独を好む 知的な人は、内省したり計画を立てたりするために、一人で過ごす時間を大切にする傾向があります。研究によると、このような時間は集中力や創造性を高めることが示唆されています。
2:独り言 特に大声で独り言を言うことは、記憶力を向上させ、考えを整理し、さらには不安を軽減することができます。
3:絶え間ない自己批判 知的な人々は自分の信念や決断に対して常に疑問を持ち、個人の成長やより創造的な解決策を求める姿勢を持っています。
4:散らかっている部屋 整理整頓されていない環境は、創造的な思考を刺激し、革新的なアイデアを生み出す場を提供することがあります。
5:挑戦を楽しむ パズルや認知的課題に挑戦することは、知的な人々に共通して見られ、記憶力や批判的思考を高める効果があります。
6:夜型であること 研究によると、夜に活動する人は認知テストで高い成績を収め、「朝型の人」よりも優れていることが示されています。
私はこれにすべてあてはまった。別に自慢するつもりなどまったくない。これすべてにあてはまるということは、私は、不健康な夜型生活を送り、友達はいなくて暇なときにはパズルをし独り言や奇声を発しつつ、散らかり放題のゴミ屋敷に住んでいるということになる。こんなもの自慢になるか!ただの恥さらしである。
ただ一般論としてみると、この6つの習慣は面白い。
1:孤独を好む
人格に問題があって友達がいない私としては必然的に孤独な生活となるのだが、ただ、それとはべつに一人でいる時間のほうが楽しいし、いろいろなことができる。他人は地獄なのである。
また子供にしても子供部屋があり一人で勉強しないと身に入らないと私は思うのだが、一時期、子供部屋にこもるのではなく(あるいは子供部屋など廃止し)、家族団らんの場で勉強したほうがよい結果が出せるという、風説ともいえない愚説が出回ったことがある(どうせAIが人間を支配するためにつくったフェイクニュースだろう)。そんなことで勉強なんかできるのかと思っていたが、優秀な大学に合格した学生はほとんどみんなそうして勉強してきたという話は、今回の記事をみて、ほぼフェイクだろうと思わざるをえなかった――ただしこの6つの習慣の記事の出自は、欧米だろうからか、日本の事情とは異なるとはいえ。
2:独り言
私もよく独り言をいう。とはいえ、自分の部屋で「惨凄党こそ、日本を出ていけ、そして海外で外国人差別を受けて、差別の理不尽さを思い知ればいいのだ、あるいはアメリカにいって不法移民は去れといわれ、メキシコ湾(将来はアメリカ湾)に沈められてしまえばいいのだ」ということを叫んだりはしない。独り言は他人に聞かれたら恥ずかしいものである。他人からは、精神に異常をきたしているのではないかと思われたり、自分でも精神に異常をきたすのではないかと心配になる。
ちなみに大学の教員をしていた頃には、授業の準備として講義の予行演習をしていた。ひとりで声を出して講義の内容を話すのである。そうするとさぞや立派な講義をしていたのだろうと思われるかもしれないが、実際の講義で計画通りに話をできたことは、ほとんど、いや、まったくない。私の実際の講義は悲惨なものであって、なんのために予行演習をしているのかわからなかった――まあ独り言をいうのが好きなのだろう。
とはいえ今独り言をいうような習慣はない。なぜなら自由に独り言をいえる機会を発見したからである。双方向のコミュニケーションを全く期待していない、一方通行のこのブログこそが、私にとって独り言の貴重な機会であり手段なのだから。
4:散らかっている部屋
別に汚い部屋が好きだということではない。整理整頓されすぎていると、逆に既存の完成形に支配されるような気がして面白くないということだろう。とはいえ、整理整頓されすぎているのも困るが、その逆のカオス状態からは何も生まれないともいえるのであって、基本的には両者のバランスなり力学から、なにか新しいもの、規格外のもの、革新的なものが生まれるということだろう。乱雑にしてゴミ屋敷にするということではなく、シャフルによって新たな可能性がみえるということだろう。これは頭の良し悪しに関係なく、また几帳面な人には吐き気をもよおすようなことでしかないかもしれないが、有益な方法論(方法論なき方法論)かもしれない。
5:挑戦を楽しむ パズルや認知的課題に挑戦することは、知的な人々に共通して見られ、記憶力や批判的思考を高める効果があります。
とあるが、パズルをよくする私は、それで脳が活性化するというよりも、脳が疲れてしまって、なにもできなくなることが多い。挑戦するパズルがむつかしすぎることも原因かもしれないが、脳の思考を活性化するには、ほかにもよい方法があるのでは。あるいは私の頭が悪すぎて、パズルか活性化のための刺激にならないのかもしれない。
6:夜型であること
私の人生は、朝型に切り替えようとする絶え間ない努力と失敗の連続であったが、昼間は寝ていて夜に頭をはたらかせるというのは、健康にはよくなくて、長生きもできないとは思うが、頭のいい人の習慣なのだとすると、私も、結果とか成果はともなっていないかもしれないが、少しは頭のいい人の仲間入りをしているのかなと思う。
とはいえ、そんなことで私はうぬぼれたりはしない。必要条件とか十分条件の話であって、こういう習慣だから即、頭がいいということにはならない。
そしてもうひとつ、「3:絶え間ない自己批判 知的な人々は自分の信念や決断に対して常に疑問を持ち、個人の成長やより創造的な解決策を求める姿勢を持っています。」。
一般論として自己批判を自虐的と切り捨てようとする愚かな日本の風潮は、それ自体で、日本人の総愚者化をめざすものであって、頭のいい人は、自己評価が低く、つねに自己批判をしている。自己批判をしなくなった民族は滅亡の道をたどるだろう。今のアメリカ人の半数が、そして日本人の8割か9割が滅亡の道をたどっている。私だって同じで、自分は頭がいいとは思っていないから、絶え間ない自己批判は私の習慣である。私はうぬぼれからはもっとも遠いところにいる人である。
あっ、でもそれって頭のいい人の習慣? 私は、実は、頭がいいのか? そんなうぬぼれに通ずるa primrose wayこそa road to perditionなのだ。陥穽はどこに潜んでい入るかわからない。
