2025年07月14日

「八岐の園」1

ボルヘスの「八岐の園」(『伝奇集』所収)を読んでみることにした。そしてたまたま次のようなくだらないブログ記事(2015年08月11日(火))を見かけた。

執筆者に個人的恨みもないので、執筆者の名前は伏せる。以後、執筆者のことをXと呼ぶことにする。その一部を引用する。なお【】内は引用者(つまり私)のコメント。
 アルジェンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘス(1899-1986)は20世紀文学の最先端に位置すると言われる。岩波文庫の「伝奇集」「汚辱の世界史」「創造者」「ブロディーの報告書」を読んだが、小説の構想、また緻密さには感銘する。彼はもと図書館に勤務していたようで、膨大な資料を読み、分析、整理し、そして暗記している。彼自身が述べている。

……「伝奇集」に収録された短編小説に[八岐の園]がある。読んでいて、首をひねった箇所が2カ所あったので、ご紹介する。

 「八岐の園」の内容は、第1次世界大戦中、主人公は中国系のドイツ人(兪存)【ユゾン】で、青島大学の元英語教師で、現在、敵国英国(スタフォードシャー)に潜入し、スパイ活動を行っている。

 彼と仲間は、英国砲兵隊の新しい陣地を探していた。漸くその場所が特定できたが、本国に連絡ができない。そこで、奇策を考案した。1人の英国人の命を奪うことにより、その殺害事件が新聞に掲載され、新聞を丹念に読んでいるベルリンのスパイのチーフが攻撃場所を特定することを期待したのだ。

 主人公は、電話帳でスチィーヴン・アルバートという名前を有する人の住所を調べ、その邸宅を訪ねる。初対面である。庭園を歩きながら、少時の会話の後に、彼の背中を拳銃で撃ち、即死させる【庭園を歩いたあと、邸宅内での会話のさなか主人公はアルバートを拳銃で殺害する】。その直後に、兪存はスパイを追っていたマッデン大尉に逮捕され、絞首刑が宣告される。

 兪存【ユゾン】が手記を書いている前日【兪存は、手記を書いていない。勝手に物語をつくるんじゃないよと、言ってやろう。小説によれば、兪存は口述筆記をさせている。そのためこれは正確には手記ではなく、供述書である。その供述書は、兪存が口述後、読み、確認したとある】、英国の新聞は、自国の砲兵基地アルベールがドイツ帝国軍により攻撃されたことを報道した。その同じ新聞の片隅に、中国学者のアルバートが名も無い兪存という男により殺害されたことが書かれていた。
 兪存は、その新聞を読み、目的が達成されたことを知って、「やったね!」と得心したという筋である。【あとで作品の最後を引用するが、兪存は得心するどころか、深い悔恨の情にさいなまれている】

 そんなことがあるだろうか?一般論だが、絞首刑の実施が時間の問題のスパイに、新聞を読ませるだろうか?収容所の所員が「刑執行まであと2時間だが、新聞でも見て、時間潰しでもしたら」と親切に新聞を渡したのであろうか。まさか!【完全に妄想が暴走している。】

 一般に囚人や死刑囚には、新聞を読む機会は与えられるが、「自身に関わる事件や触発されそうな記事に関しては黒塗りされ手渡される」と「実録死刑囚」には書かれている。当然の処置だ。

 特に、英国が極秘にしていた軍事拠点がドイツ軍から爆撃されたのだ。当然、英軍は、捕まえたスパイが関与しているのではと疑問を持った筈だ。その疑わしい彼に、軍事拠点が爆撃されたこと、兪存という男が英国人博士を射殺したことが載っている新聞を読ませるだろうか? 一歩譲歩して新聞が渡されても、爆撃と兪存の記事は、黒塗りされるべき記事ではないか。とすれば、兪存はその記事の内容を知り得ないはずだ。【スパイ兪存が秘密の軍事拠点攻撃に関わっていることを当局は把握していない。彼はアルバート殺害の現行犯で逮捕されたのであって、爆撃と彼の逮捕を結びつけることは当局はできていない。】

 安易に新聞を与えれば、スパイはそれを丸めて飲み込み自殺する可能性もある【いったいどこの人間が新聞を丸めて飲み込み自殺することができるのだ。これは豆腐の角に頭をぶつけて死ぬのと同じような死にかたなのではないか】。兪存【ユゾン】を逮捕したマッデン大尉(アイルランド系)は非情な男と書かれている。スパイを発見、逮捕、そして死に追いやることで歓喜の声をあげている。新聞など読ませる筈はない。

 ボルヘスは小説を面白くするために、不自然な筋を設定したとしか理解できない。小説はフィクションでもノンフィクションでも、筋が通って、初めて小説となる。約100年前の英国のスパイの死刑囚に対する対応は分からないが、英国の軍事拠点に多大な損害を与えた死刑執行寸前の囚人に新聞の閲覧は、絶対にあり得ないと思う。

 もう一つおかしい箇所がある。英国の軍事拠点が爆撃された記事とスパイ逮捕の記事が同じ新聞に掲載されていることだ。スパイ逮捕の記事が出た翌日にでも、ドイツ軍が爆撃をしたという記事ならば納得だが。同じ日の新聞に爆撃とスパイ逮捕が掲載されるのには、首をひねってしまった。これでは、誰か別のスパイがベルリンに軍事拠点を報告したともとれる。

 ボルヘスは、兪存【ユゾン】がうまく仕事をしたことを自認させるために、新聞を読ませる必要があった。単に、スパイが一市民を殺害して、それによりドイツが拠点を爆撃したでは、主役が生きてこない。面白い小説にはならない。メッセージがベルリンに伝わらなかったならば、射殺された英国人も、その殺人でのスパイの絞首刑死も犬死となってします。そこで、ボルヘスは、あり得ない話だが、スパイに新聞を読ませて、兪存に「やったね!」と言わせたかった。非常に拙い設定としかいいようがない。

 主題の「8岐の園」【sic】の挿話は、この小説の中では、あまり意味がなく、別な作品にした方が良かったような気がする。つまり、このスパイ小説では、長々とした園の説明など不要で、物語は成り立つ。

 三田村鳶魚式の批評をしたが、筆者が誤解したかもしれない。読者の中に、ボルヘスを援護してくれる人がおられれば、教えてほしいものだ【この男が尊敬する三田村鳶魚先生なら、江戸時代に豆腐の角に頭をぶつけて死んだ人間がいたり、新聞紙あるいは瓦版を飲み込んで自殺した人間がいることを教えてくれるかもしれない】。

 なお、ボルヘスの[南部]は筆者の好きな作品で、何度も読んだ。ボルヘスのナイフ作品と言われるカテゴリーに入る名作である。
 (2015・8・11;南米ペルー沖で、海水温度2度上昇のエルニーニョ発生の日)

私はこの記事を大笑いして読んだのだが、ボルヘスの作品を読んだことのない人あるいは作品ですぐに確かめることのできない人は、ここに書かれていることをついつい信じてしまうかもしれないと心配になった。なにか偉そうな書き方をしている。10年前の記事だが、誰も反論しなかったのは、自分が頭がいいとうぬぼれているこの男Xに対して下手に批判めいたことを書くと、暴れるかもしれないと恐怖したのかもしれない。

ただし反論は簡単である。専門的知識も、深い洞察力もまったく必要もない。ボルヘスのものとの作品をざっと読むだけで、この男のひとりよがりの所説ともいえない妄想のつじつまのなさがすぐにわかる。どうかボルヘスという名前でおじけづかないでほしい。それはこの男の思うつぼであるからだ。

一般論だが、絞首刑の実施が時間の問題のスパイに、新聞を読ませるだろうか?収容所の所員が「刑執行まであと2時間だが、新聞でも見て、時間潰しでもしたら」と親切に新聞を渡したのであろうか。まさか!」――そもそも、いったい作品のどこに「絞首刑の実施が時間の問題のスパイ」と書いてあるのだろう。絞首刑宣告が出されたと本文にあるだけ。

「執行まであと2時間だが、新聞でも見て、時間潰しでもしたら」と親切に新聞を渡したのであろうか」ということ自体、ありえない。2時間後(あるいはそれくらいの時間経過後)に刑が執行されるのかもしれないとはどこにも書いていない。そもそも手記とXは思い込んでいるのだが正確には供述書が作成される前日に新聞が読まれている。そのため「刑執行まであと2時間だが、新聞でも見て、時間潰しでもしたら」と親切に新聞を渡したのであろうか」ということは仮定としてもありえない。「まさか!」とは、このXに対して発せられるべき言葉である。

安易に新聞を与えれば、スパイはそれを丸めて飲み込み自殺する可能性もある。兪存を逮捕したマッデン大尉(アイルランド系)は非情な男と書かれている。スパイを発見、逮捕、そして死に追いやることで歓喜の声をあげている。新聞など読ませる筈はない」。Xの想像力の暴走には驚くほかはない。新聞を丸めて飲み込んで死んだ人間がいたらおめにかかりたい。豆腐の角に思いっきり頭でもぶつけて死ぬのとどっこいどっこいの、ありえない死に方である。とはいえ死ねそうもない手段で死ぬというのは、さぞかし苦しい思いすることだろう。昔、小林正樹監督の『切腹』という映画で、本物の刀ではなく竹光で切腹させられる浪人がいて、その痛そうな光景には思わず目をそむけたが、それに匹敵するものだろう――丸めた新聞紙を飲み込んで自殺するというのは。

しかも、スパイを捕まえたマッデン大尉は、「スパイを発見、逮捕、そして死に追いやることで歓喜の声をあげている。新聞など読ませる筈はない」。まずマッデン大尉は歓喜の声などあげていない。また死に追いやることを喜びとしているのなら、このスパイに新聞紙を読ませて、スパイが新聞紙を丸めて自分の喉に押し込んで死ぬのを見届けたいのではないか。新聞を読ませるというのは、この自殺の手段を提供することのようだから、絶対に新聞を読ませたにちがいない。自殺するのを助けてやったに違いない。このXの言い分だと、このスパイを殺したいほど憎んでいるのに、スパイが死なないように監視しているのである(まさか!)――マッデン大尉にはスパイに自殺させてはどうかと伝えたい。新聞紙を飲み込んで死ぬのは苦しそうな死に方だろうから、マッデン大尉もさぞかし留飲を下げるのでは

「もう一つおかしい箇所がある。英国の軍事拠点が爆撃された記事とスパイ逮捕の記事が同じ新聞に掲載されていることだ。スパイ逮捕の記事が出た翌日にでも、ドイツ軍が爆撃をしたという記事ならば納得だが。同じ日の新聞に爆撃とスパイ逮捕が掲載されるのには、首をひねってしまった。これでは、誰か別のスパイがベルリンに軍事拠点を報告したともとれる」。またまた妄想が広がりましたね。

すでにこのXは、こう書いていた「兪存【ユゾン】が手記を書いている前日、英国の新聞は、自国の砲兵基地アルベールがドイツ帝国軍により攻撃されたことを報道した。その同じ新聞の片隅に、中国学者のアルバートが名も無い兪存【ユゾン】という男により殺害されたことが書かれていた。「その同じ新聞の片隅」なんて本文のどこにも書いていない。Xにまかせておくと作品の内容がねじまげられてしまうので、作品から引用する。最後のパラグラフ全文である。
…… その後のことは空しい、意味もないことである。マッデンがとびこんできてわたしを捕えた。わたしは絞首刑を宣告された。いまいましいことだが、それでもわたしは勝ったのだ! 攻撃されるべき都市の秘密の名前はベルリンに達した。昨日それは爆撃された。わたしはそのニュースを英国の新聞で読んだが、その同じ新聞は、学殖豊かなシナ学者スティーヴン・アルバートが、名もない兪存によって殺された謎をとこうと躍起になっていた。しかしチーフはこの謎をすでに解いていたのだ。彼は知っていたのだ。わたしの課題が、戦いの動乱をこえて、かぼそい声でアルベール(アルバート)という都市の名を叫ぶことにあったことを。そしてわたしには、その名前のだれかを殺す以外に道はなかったのだということも。しかし彼は知らない、だれにもわかりはしないのだから。わたしの限りない悔恨と心の痛みを。

その同じ新聞は、学殖豊かなシナ学者スティーヴン・アルバートが、名もない兪存【ユゾン】によって殺された謎をとこうと躍起になっていた」とあるので、一定の紙面を割いていろいろな可能性を論じていたとみるほうが妥当だろう。片隅の小さな記事ではない。

ではこのXの疑問「もう一つおかしい箇所がある。英国の軍事拠点が爆撃された記事とスパイ逮捕の記事が同じ新聞に掲載されていることだ。スパイ逮捕の記事が出た翌日にでも、ドイツ軍が爆撃をしたという記事ならば納得だが。同じ日の新聞に爆撃とスパイ逮捕が掲載されるのには、首をひねってしまった。これでは、誰か別のスパイがベルリンに軍事拠点を報告したともとれる」はどうだろうか。 

別に鋭い洞察力を駆使しなくても、時系列は簡単に整理できる。

ドイツのスパイ(らしき人物)兪存がアルバートを殺害した第一報が新聞に載る。
その記事はドイツのスパイ組織の本部に届く。
その記事によって、英国の秘密の軍事拠点が判明する。
また並行して、なぜ兪存がアルバートを殺害したのか理由・動機が調べられるが、兪存は口を割らない。
そのためアルバート殺害の謎が英国で話題となる。
またこの間、スパイ兪存はアルバート殺害の現行犯で逮捕され、死刑を宣告され、死刑執行を待つ身となる。
ドイツ軍が英国の秘密の軍事拠点を爆撃する。それが新聞記事になる。
同じ新聞に、アルバート殺害の謎をめぐる記事も掲載される。
その新聞記事が出た翌日、スパイは口述して供述書を作成する。
その供述書が、私たちが読んでいる作品となる。

これが簡潔な最後のパラグラフからふつうに読み取れることである。裏読みとか、行間を読むようなことをしなくても読める。

同じ新聞に英国の秘密の軍事基地が爆撃された記事とアルバート事件の謎をめぐる記事とが掲載されることは、兪存に、任務達成を確信させるためにとられた設定だが、ありえないことではない。「ボルヘスは、兪存がうまく仕事をしたことを自認させるために、新聞を読ませる必要があった。単に、スパイが一市民を殺害して、それによりドイツが拠点を爆撃したでは、主役が生きてこない。面白い小説にはならない。メッセージがベルリンに伝わらなかったならば、射殺された英国人も、その殺人でのスパイの絞首刑死も犬死となってします。そこで、ボルヘスは、あり得ない話だが、スパイに新聞を読ませて、兪存に「やったね!」と言わせたかった。非常に拙い設定としかいいようがない」あんたの頭が拙いのだよ。
【Xのこのくだらないひとりよがりのうぬぼれにはほとほと愛想が尽きた。ちなみにボルヘスのこの小説の供述書には、兪存の陳述を批判している注釈が記載されているが、それを引用すると、「悪意的な奇怪な仮定である」(篠田一士訳)。ある英訳では‘a bizarre and despicable supposition’(奇怪で卑しい憶測)、別の英訳では‘a malicious and outlandish statement’(悪意のある言語道断の陳述)――いずれの文言もXにぶつけてやりたい。】

この新聞記事によって自分のミッションの達成を知ったことで兪存は始めて口を開く。真相を知った英国当局は驚愕しただろうし、それはまさに驚天動地の事件となった。しかもこのような連絡法の場合、防ぎようがない。しかも、兪存は、任務のためとはいえ、何の罪もないアルバートを殺したこと、いやアルバートは兪存にとって、ある意味、かけがえのない人物であったので、限りない悔恨の沼に兪存は沈むほかはない。

ボルヘスは、あり得ない話だが、スパイに新聞を読ませて、兪存に「やったね!」と言わせたかった。非常に拙い設定としかいいようがないを」――いったいどこで兪存が「やったね!」と言っているのだ。苦い悔恨で小説は終わる。任務に成功しても喜びはない、ただ悔恨しかないというアイロニーが、このXにはわかっていない。そもそもなぜ終わりが悔恨なのかXにはわかっていない。なにもかもがXの頭の中には入ってこない。

「8岐の園」の挿話は、この小説の中では、あまり意味がなく、別な作品にした方が良かったような気がする。つまり、このスパイ小説では、長々とした園の説明など不要で、物語は成り立つ」と書いてあることに対して、つたないのはお前の頭だとXに言いたくなっただけでなく、怒りと悲しみすら感ずることになった。

こいつ、偉そうなことを書いているんだよな、自分がアホなことを棚に上げて。

Xに対しては、一見無関係にみえる部分がなぜ書かれ、それが必要なのかをじっくり考えてみることが、あなたの思考力や洞察力を高め、ひいてはそれがあなたの人生を意義深いものにすることに貢献するのです。偉そうに作品を批判するのではなく、三田村鳶魚先生の文章を読んで、豆腐の角で頭をぶつけて死ぬ方法、いや丸めた新聞紙を飲み込んで死ぬ方法を考えるよりも、作品の意味を掘り下げ、作品からの差し出された謎を解いてはどうですか、とそう告げたい。

学生に対してなら、そう告げるが、Xは学生ではないので、あくまでも一個人として尊重して、厳しく批判したい。あなたはボルヘスを読むべき人ではないし、文学作品について語るべき人でもない。人生にはもっと楽しいことがいっぱいあるので、それに専念してはどうか。と。

Xが無視している部分、この小説の根幹でもある部分は、人生とか事件の分岐点、あるいはパラレルワールド、マルチヴァースの話をしている。それがこのスパイ事件と物語に関係ないだと。

作品の終わり――「しかし彼は知らない、だれにもわかりはしないのだから。わたしの限りない悔恨と心の痛みを。」は、まるでXに対して語っているようにみえるのだが、それはともかく、ここでの「彼」とは兪存【ユゾン】のスパイ組織上での上司・リーダーにあたる人物。兪存は任務に成功するが心は晴れない。こんなはずではなかった。してはいけないことをした。「限りない悔恨と心の痛み」。まるで任務に失敗したかのようだ。そう、小説の最後の「限りない悔恨と心の痛み」とは、失敗の悔恨と同じである。もっとほかのやり方、ほかの人生、ほかの事件があっておかしくない。この実質的に失敗した任務にとって。

こんなはずではなかったと思う、ローラは、やって来た道を、その始点からもう一度、走りなおす。「限りない悔恨と心の痛み」のなかで、ローラは走る。ローラ、走れ、ローラ。パラレルワールドは、私たちの「限りない悔恨と心の痛み」なくして立ち上がらない。分岐する時間線、八岐の園は、私たちの悲しい宇宙の姿そのものなのである。
posted by ohashi at 01:26| コメント | 更新情報をチェックする