2025年05月17日

『マクベス』

今の日本におけるシェイクスピア劇の達成をみるには、あるいは最良のシェイクスピア劇上演をみるには、どれがよいかと問われたら、私は迷わず、彩の国さいたま芸術劇場の『マクベス』(翻訳:小田島雄志、演出:吉田鋼太郎、出演:藤原竜也・土屋太鳳ほか)を推薦する。

この上演は、斬新でこれまでにない演出を求める観客にも、オーソドックスな(良い意味で)舞台を望む観客にも、さらにははじめてシェイクスピア劇におそるおそる接する初心者にも、どの層にも得るものがある、実に優れた上演であると思うのは、私だけではあるまい。

今回の上演には、演出の吉田鋼太郎氏が、魔女を演ずるという情報があった。それはそれでいいのだが、一人で演ずるという情報があった。独りでどうやって三人の魔女を演ずるのか。ただし最近の例がないわけではない。『マクベス(The Tragedy of Macbeth, 2021)』(監督:ジョエル・コーエン、マクベス:デンゼル・ワシントン)では魔女役はキャスリン・ハンターひとりであった。それと同じようなことをするのかと期待と不安があったのだが、最終的に吉田氏を含む男性3人が魔女を演じていて、何ら問題はなかった。

とはいえ男性3人の魔女(それも男性が演じているとはっきりわかる魔女)は、新宿二丁目でホームレスになってから長い、だが元気のいいドラッグ・クィーンのようで、大きな見せ場を作っている。

もともとシェイクスピア劇の女性役は3人の少年俳優(例外的に4人のときもある)が演じていて、3人の魔女を除けば、マクベス夫人、マクダフ夫人、侍女、あとマクダフ夫人の幼い子が少年俳優の担当だと思うが、ただし、3人の魔女は、少年俳優ではなかったのかもしれない。ひげを生やしている魔女は、大人の俳優が演じた可能性が高い――つまりシェイクスピアの時代の上演形態に近い。

【なお『マクベス』のなかで一番有名なのは三人の魔女が登場する冒頭の場面であるが、現在では、これは劇作家トマス・ミドルトンによる後年の追加であるとされている。オックスフォード版の一巻本の『トマス・ミドルトン全集』には『マクベス』が収録されている。また今回の上演では削除されたが3人の魔女にそのボスのような冥府の女神ヘカテが登場する場面があり(この場面もミドルトンの追加とされている)、その場面では少年俳優が4人必要となった。ただし魔女三人とヘカテも男性が演じていたら、少年俳優の数を気にする必要はないのだが】

またマクベスが3人の魔女に予言を聞きに来て、そこで幻影をみせられる場面も、魔女やマクベスの踊りは、シェイクスピア時代の上演形態に近いものがある。さすがに、踊りは、マイム・マイムではなかっただろうが。また舞台にずらりと並ぶ8人の王の幻影など、現代の舞台では、ありそうでないものであり、とにかく初めて観る演出だったが、それが(演出意図ではなかったのだろうが)奇しくもシェイクスピアの時代の上演の再現にもなっていて実に刺激的だった。

シェイクスピアは、いわゆるあて書きをしていて、劇団の主役俳優が念頭にあったはずで、ハムレットを演じた主役俳優は、つぎに『オセロー』ではイアーゴーを演じ(オセローは歳とりすぎていて、ハムレットを演じた俳優が演ずるにはむりがある――27歳のイアーゴーが主役俳優の実年齢に近い)、そしてマクベスを演じたのだろうから、マクベスは、実は、中年男性というよりも、若い国王なのである。シェイクスピアの時代の上演では。もちろんに年齢が特定されていないマクベスの場合、どのような年齢に設定しても許されるのだが(27歳と年齢が特定されるイアーゴーですら、その年齢・年代の俳優ではなく、40代、50代の俳優によって演じられるのだから)、今回は藤原竜也と土屋太鳳のマクベス王と王妃は、若いペアであり、その若々しさが新鮮で際立っていた。

またそれをいうのであれば、マクベスの宿敵マクダフを演ずる広瀬友祐も、またスコットランド王の後継者となるマルカムを演ずる井上祐貴も、若い(いい意味で)。全体に若さみなぎるエネルギッシュな――というと紋切り型のほめ言葉ではあるが、しかし、そのとおりな――舞台だった。

実際、そうでなければシェイクスピア劇ではない。そもそも『ハムレット』『オセロー』『マクベス』と続くシェイクスピアの悲劇群は、いずれも父親もしくは父親ほど離れた人物を息子的な人物が殺すことを主題としている。ダンカン王は、マクベス夫人にとっては父親を思わせる風貌だった。マクベスが殺意を抱くのは、ダンカン王が自分ではなく王の息子マルカムを後継者にしたからであり、マクベスとマルカムはダンカン王という父親もしくは父親的存在をめぐって、また王国の後継者としてライヴァル関係なのである。二人は息子世代なのだ。

【マルカムは王の息子、マクベスは領主であって、マクベスに王位継承権はないと思われるかもしれないが、史実(伝説に近いが)ではマクベスは王族のひとりで王位継承権はあった。また同じく史実では、この時代、スコットランドの王は王族・貴族による選挙によって決まっていた。シェイクスピアの作品では、こうしたことは強調されていないが、しかし、マクベスは王の身内であるとは語られている。】

シェイクスピア劇の多くがそうであるように、この『マクベス』も世代間闘争を基調としている。そしてこのことをはっきりわからせてくれる上演というのは、実は、あまりない。とはつまり今回の『マクベス』は斬新ではあるが、同時に、原作の人間関係や主題を可能な限り損なわずに温存している。このことは特記しておくべきだろう。こういう点が、シェイクスピアを見慣れた観客にも刺激的で、シェイクスピア劇初心者にもともに有益なのである。

いっぽう親の世代でいうと、高齢で聖人君主的ダンカン王は別格としても、子供のいる父親としてのバンコーは、マクベスの同僚の将軍であるが、おそらくマクベスよりも年齢は上なのだろう。いまや『Vivant』で一躍有名になった河内大和が、一見、有徳で高貴な将軍でありながら一癖も二癖もありそうな野心家であるバンコーを好演している。また天宮良が出演していることに驚いた--どうせならもっとよい役をと思ったのだが。従者とシーワードの二役で、従者としてどこに出ていたかわからなかったが、イングランドの将軍シーワードとして圧倒的な存在感があり、逆に、あまり気にもとめなかったシーワードの存在を再認識することになった。

とにかく、最初に述べたことを、ほんとうに実感できる見事な舞台であることを保証したい。

最初に述べたこと:今の日本におけるシェイクスピア劇の達成をみるには、あるいは最良のシェイクスピア劇上演をみるには、どれがよいかと問われたら、私は迷わず、彩の国さいたま芸術劇場の『マクベス』(翻訳:小田島雄志、演出:吉田鋼太郎、出演:藤原竜也・土屋太鳳ほか)を推薦する。
posted by ohashi at 10:25| 演劇 | 更新情報をチェックする