The Beekeeper
監督 デヴィッド・エアー
脚本 カート・ウィマー
1月公開時に見そびれてしまい、気づくと映画館での公開が終わっていたので残念に思っていたら、AMAZONプライム・ビデオで配信と知り、劇場公開から配信まで短すぎで驚いた。あまり人が入らなかったのだろか。まあ、私も映画館に行きそびれたのだが。
アマゾン・プライム・ビデオでの配信だから視聴者からのレヴューが読める。アマゾンのレヴューは、全部がそうではないのだが、平均してみると質が悪い。そのためあんまり期待できないのだが、案の定、こういう映画は頭をからっぽにしてみるのがいいという、頭がからっぽな視聴者の意見が大半を占めていた。面白いとほめていているレヴューアーも、くだらないとけなしているレヴューアーも、頭が空っぽという点では同じ穴のムジナとでもいおうか。
配信が始まったころのレヴューで、主人公のところにすぐに刺客があらわれるところで観るのをやめたという低評価のコメントがあったが、いま探してみると、そのコメントがみつからない。筋書きのご都合主義を批判したコメントだと思うのだが、ご都合主義と最初から決めてかかる頭が空っぽな人間のコメントである。
もうひとつ「「正義」の主人公からしていきなり詐欺組織のアジトを爆破して証拠隠滅を図る始末」というコメントがあった。主人公の理不尽な行動を批判して★1つなのだが、★1は、レヴューアーの頭のなかである。
べつに頭をフル回転させる必要はない。詐欺組織のコールセンターを爆破した直後、主人公のもとに、殺し屋の集団がやってくるのは、主人公の計算どおりであることは、すぐにわかる。それはコールセンターを襲撃する前に、主人公(ジェイソン・ステイサム)が、ただの養蜂家だとガードマンたちに自己紹介しているからである。なんだこの自己紹介はと違和感を抱くのだが、コールセンターを爆破しても、詐欺組織の全容はわからないから、あえて自己紹介をして、詐欺組織に刺客を派遣させ、その刺客から詐欺組織の全容をつかもうとしている、きわめて理にかなった、冷静沈着な作戦なのである。
だからコールセンターを爆破するのは証拠隠滅ではない。爆発によって、上部組織を驚かせ怒らせることで、上部組織に報復をさせる。養蜂家を名乗っているから、上部組織が、養蜂家の存在を突き止めるのは時間の問題である。ただしそのつかのまの時間で主人公は殺し屋たちを陥れる罠を周到に仕掛けておくことができる。そしてリーダー格の男をとおして、ボスを脅し怒らせ、その存在をつきとめる。すべて主人公の計画なのである。
【なおジェイソン・ステイサムは、その後も「養蜂家」であると名乗っているが、それは「ビーキーパー」という組織あるいは元組織員がからんでいることを、暗に、関係者に知らせ、関係者をビビらせるためである。】
このことは頭の良し悪しには関係がない。ふつうに冷静にみていれば、わかることであるし、このくらいのことなら理解できる観客層を映画は想定しているのである。ただし頭がからっぽなら、なにも理解できないだろうが。
コールセンターを爆破するところは、蜂バスターが、スズメバチの巣を攻撃するとき煙などでいぶりだす戦略に似ている。主人公の行動のパターンは、養蜂家というよりも、蜂バスター、スズメバチ・ハンター、蜂駆除業者の行動とシンクロするところが多い。実際、蜂あるいは蜂の巣はこの映画のルート・メタファーとして機能している――このことは誰にでもすぐわかることである、その人の頭がからっぽでなければ。
たとえば養蜂家/ジェイソン・ステイサムの恩人の老婦人は、慈善団体の理事で団体の財産を管理しているのだが、フィッシング詐欺にあって団体の資産すべてを失い、責任を感じて自殺する。そこから養蜂家の復讐が始まるのだが、この慈善団体の理事/トップが彼女だということは、慈善団体は女王蜂をトップにいただく蜂の巣である。
そしてこの蜂の巣を破壊した悪徳企業は、ほどなくしてトップに女性をいただく蜂の巣形態の組織になっていることがわかる。いうなれば善良な蜜蜂の巣が、悪辣なスズメバチによって破壊されたのであり、養蜂家はスズメバチ・ハンターとなって今度はスズメバチの巣を破壊しまくるといえばわかりやすいか。【この映画ではCIAも女王蜂を中心とした蜂の巣組織という設定になっている。】またジェイソン・ステイサムは押し寄せる敵を次々と倒してゆくがこれなど蜂駆除業者が、攻撃するスズメバチ群団を容赦なくやっつける姿を思い起こさせる。
とはいえ、養蜂家/ジェイソン・ステイサムは、蜂なのか、蜂の巣を管理する養蜂家なのか、スズメバチ・ハンターなのか、よくわからないところもある、というか、そのすべてであるために、蜂・蜂の巣というルート・メタファーの存在がぼやけたところは否めない。
また蜂の巣(Beehive)がディストピアとユートピア双方のメタファーにもなっているところが、ルート・メタファーの意義を曖昧にしているともいえる。
【IMDbでは、最後のラスボス的存在で、ビーキーパー殺しのラザルスが黄色のジャケットを身に着けているのは、黄色が蜂の天敵の色だからと説明しているが、黄色が蜂の天敵の色だということは聞いたことがない。黒が蜂の天敵の色だとは言われている。IMDbではジェイソン・ステイサムを蜂とみなし、ラザルスを蜂駆除人とみているようだが、逆であろう。黄色いラザルスこそ悪しきオオスズメバチであり、ジェイソン・ステイサムは凶悪なオオスズメバチを駆除する側である。IMDbもメタファーの意義について混乱している。IMDbのコメント:Lazarus puts up the biggest fight against Adam, and he wears a yellow jacket, which are the natural enemies of bees. Adamはジェイソン・ステイサムの作中名アダム・クレイのこと。なおIMDbのコメントは文法的にも混乱している。】
あとジェイソン・ステイサムが悪辣な組織の幹部を皆殺しにするのはわかるが、傭兵的ボディーガードとか政府の護衛官などを無差別に殺すのはどうかというネット上の意見が多く見受けられた。このくそ偽善者どもと思ったのだが、しかし、よりにもよってこの作品でそれを言うかと、あきれかえった。この記事におけるルート・メタファーは「頭がからっぽ」なのだが、もちろんメタファーであって、ほんとうに頭が空っぽだとは思っていないが、どうやら、ほんとうに頭が空っぽな人間がネットにはいるようだ。
というのもジェイソン・ステイサムは、警察官、FBI捜査官、シークレット・サーヴィス、そして傭兵的ボディーガード、そのすべてに対して、致命傷を与えていない。これは銃撃戦や殴り合いなどのアクションシーンをみていればわかる。アクション映画全般で、たとえば足を撃つというのは、相手を殺さないというサインなのだが、実際には足を撃たれて死ぬことだってある。しかし映画それもアクション映画の世界では、足を撃つのは殺さないことと同義である。この作品でも、敵となる勢力の性格ゆえに、むやみに殺したりはしない。殺していないというサインは随所にある。それがこの映画と『ジョン・ウィック』などの映画と異なるところである。【組織を辞めた養蜂家の後継者となる女性は、ガソリンスタンドでミニガン(小型のガトリング銃)をぶっ放すことで、殺されるのではなく、ガソリンの引火をまねき自滅する。】
あとジェレミー・アイアンズが登場していて、彼がラスボスあるいは強敵となるかと思っていたら、そこまでではなかった。またミニー・ドライヴァーを久しぶりにみかけたのだが(とはいえ彼女はコンスタントに映画に出ているので、私だけがそれを知らなかったのだが)、彼女の出番はほんの一瞬でしかなかった。しかし、こうした点は、おそらく続編への布石であろう。実際、この映画は、続編ありきのような気もする。彼らは続編での活躍を約束されているのだろう。本作は、続編を見越しての、あるいは本編のはじまりを記す、パイロット版というようなところもある。続編の制作は決まったようだが。
この記事のなかでもちょっと触れたが、蜂の巣(Beehive)は、文化的・歴史的にみて、文化、文明、社会を意味する重要なメタファーとして機能してきた。私もある一時期、Beehiveのメタファーについて研究しようとしたことがある――資料は少し集めたが、研究に着手できなかったが。ユートピアにもディストピアにも、とにかく双方のメタファーにもなるBeehiveは、コンスタントに歴史に登場している。そもそも映画に限っても「蜂」がタイトルになっている映画はけっこう多い。それだけに「蜂」「蜂の巣」がもつ文化的喚起力は大きいといわねばならない。その一番新しいところでは……
『教皇選挙』では、カトリックは女王蜂を中心とした蜂の巣組織になる……
