誰でもこける。私は、最近、思いがけずけつまずいて倒れた人を一人知っている。
私である。
夜歩いていたら、前方から自転車が向かってくる。狭い道でもあったので、私は道の片側に寄った。私は、自転車とぶつかることはなかったのだが、夜、暗くて、足元が花壇になっていることに気づかず、その花壇と歩道との境界をなしている敷石にけつまずいた。そして、もう何十年ぶりなのだろう、私の体は宙を舞って、花壇のなかに倒れこんだ。
周囲に歩行者もおらず、すれ違った自転車も私がころんだことを知ることなく遠くに去っていた。頭から倒れたのだが、脳震盪を起こしたわけでもなく、また意識もしっかりしているので、静かに立ち上がった。打った額が痛かったが、さわってみると出血はしていなかった。ただ大きなこぶができていた。
帰宅してみると、額のところが擦り傷になっていた。血が滲んでいるようにもみえた。
しかし血小板ちゃんたちのおかげで、出血はとまり、白血球と赤血球たちが抱き合って、かさぶたを作ってくれたおかげで、1週間もたたないうちに、かさぶたはとれ、傷もまったく残っていなかった。ひとえに、血小板たちのおかげである。
と、そのことを妹にメールで報告したら、なんだ、そのかわいらしく、ばかっぽい言い方はとあきれられた。いや、映画『はたらく細胞』を観ると、切り傷、擦り傷における、血小板のはたらきがよくわかって、ついつい血小板たちに感謝したくなってとメールで返信したらやめないかとメールでいわれた。
年寄りがころぶとあぶなくて、寝たきりになるともいわれているのだが、幸い、今回の場合、『はたらく細胞』を思い出すだけで済んだ。茶番の一コマなのかもしれない。
2025年03月09日
全体的真実のゆくへ3
posted by ohashi at 16:32| コメント
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