森功『魔窟-知られざる「日大帝国」興亡の歴史』(東洋経済 2024)を遅ればせながら読了した。一般書はKindleで購入するのだが、今回は書籍のかたちで今年の初めに購入し、なかなか読む時間をとることができなかったのだが、興味深い内容で、いよいよ読み始めたら、あっというまに読んでしまった。
まあ、こういうことだろうという予想通りの内容で、結局、学生やその父母が経営陣によって食い物にされているということだったが、ただ、それが取材によって白日の下にさらされた観があり、それはそれで衝撃的だった。
そもそも、たとえば太田光の裏口入学報道があり、名誉棄損の訴訟にまで発展したときでも、日大の側は何のコメントしなかった。在校生もいるし、また卒業生も多くいる。彼らの名誉を守るためにも、大学としては、自分のところは裏口入学など絶対にしていないと声明をだしてもよかったのではないか。おそらく在校生だったり卒業生だったら、それを望んでいたはずである。
結局、裏口入学などないと声明を出したら、事情を知る側から笑いものになるから出さなかったのだろう。どこの大学あるいは組織でも悪い奴はいる。そいつが裏口入学を斡旋しているということはあるかもしれない。しかし、発覚すればそれを処分すればいいのだから、とにかく裏口入学などしていないとなんらかのかたちで公言すればよかった。それをしなかった、あるいはできなかったのだから、組織だって裏口入学をやっていたことを暗黙のうちに認めたようなものである。
いっぽうでアメフト部の薬物事件では、林真理子理事長は、早々と、そのような事件はないと断言したのだが、実はそのとき事件は発覚していたのだから、単純に、嘘をつき隠蔽していたにすぎない。しかも、いずればれることを予期しなかったのだろうか。
太田光の訴訟とのきには、なんの声明も出さず、在校生・卒業生が汚名をきるにまかせ、薬物事件の際には早々と事実とは異なることを宣言して傷口を大きくし在校生・卒業生にまたも汚名をきせることになった。
経営陣は、ろくなことをしていないので、世間に堂々と顔向けできないため、隠蔽と虚偽によってひたすら逃走あるいは迷走するしかなくなっているのである。この経営陣は確かにひどい。憤りを感ずる。
私が、そんなふうに感ずるのは、短期間であれ日大で教えたことがあるからだ。アメフト部のグランドの横を週に一度通って日大文理学部のキャンパスへ赴いていた。そしてそのときの印象からすれば、日大の学生は、みんな勉強熱心で、努力家で、礼儀正しく、また人間的にも成熟した者たちばかりで、教師陣も、優秀で、教育体制あるいは研究体制も整っている。大学の学部・大学院の事務局も厳格かつ効率的に機能していて、どこからみても立派な大学である。
私は、どこか特定の大学を推薦したりほめたりすることはないが、もし私の親戚なり身内の者が、日大に行きたいという希望があれば、私は、良い大学だから入学試験に合格できるようがんばれとエンカレッジすることはまちがいない。
経営陣がいい加減だから、教育体制にも欠陥や不備があり、問題のある学生が多いと思われたら、学生たちが端的にいってかわいそうである。実際、この『魔窟』にも書かれているのだが、日大では学生の保護者たちが大学を告発している。せっかくよい教育環境が整えられているのに、ならず者のような経営陣によって食い物にされたら学生もたまったものではない。学生の保護者たちがいきどおるのも無理はない。
『魔窟』によれば、2024年度の日大受験生は、かなりその数を減らしているようだが(今年度はどうかはわからないが)、経営陣の迷走によって教育現場や学生たちのイメージが下がってしまうのは、ほんとうに心が痛い。しかも皮肉なことに、経営陣は、そのすべてではないが、その多くが日大の卒業生なのである。彼らは母校への愛がないのだろうか。母校の学生を食い物にして心が痛まないのだろうか。正常化の道はないわけではない。それは、どこかのテレビ局ではないが、トップが一刻も早くやめるしかないように思われる。