昨年(2024年)の夏ごろに公開されていた『インサイドヘッド2』(Inside Out 2, 2024)が、12月に入ってからいくいつかの動画配信でみることができるようになった。そのため、あらためてこのアニメ映画の興味深いところを指摘しておきたい。
とはいえ誰もが気づくところなのだが。
前作『インサイドヘッド』のときから成長して思春期の女の子になったライリー・アンダーセンには、これまでのヨコロビ(Joy)、カナシミ(Sadness)、イカリ(Anger)、ムカムカ(Disgust)、ビビり(Fear)の5つの感情のほかに、新たにシンパイ(Anxiety)、イイナー(Envy)、ハズカシ(Embarrassment)、ダリイ(Ennui)、そしてナツカシ(Nostalgia)の5つの感情が加わる。というか、この新たな5つの感情が、それまでの古い5つの感情(子供っぽいストレートな感情)にとってかわるというか、それまでの感情を周辺に追いやり、主流に収まることになる。脳内における感情の覇権争いが物語のメインになる。
前作において5つの感情のうち、中心となるのがヨコロビ(Joy)だったが、成長をとげたライリーの頭のなかに出現する5つの感情のうち中心となるのがシンパイ(Anxiety)である。これがどういうことになるのか。私にとって、それは予想外の展開となった。
ライリーは、明日、アイスホッケーの練習試合がある。この試合は高校生のチームに、ライリーら中学生が混じって行なう試合で、ここで活躍して、コーチにも、またチームメイトにも認められ、強いアイス・ホッケーチームを擁する高校への進学を有利に進めるというのが、ライリーの願望である。ライリーがアイス・ホッケーの選手というのは前作と同じ設定である。
試合前日の夜、眠っているライリーの頭のなかで何が起こっているのかというと、「わたし失敗するので」と自分に言い聞かせることだった。これには驚いた。
ふつう、重要な試合に臨む場合、過去の成功体験をもとに、脳内で試合をシミュレートして、作戦を練ると同時に「わたし失敗しないので」と自分に言い聞かせてリラックスするのではないかと思う。わたしはアスリートではないのだが、そんなふうに考えた。
ところがライリーの頭のなかでは、たとえば自分が試合の際にしくじって相手チームに大量得点をあたえてしまい、チームメイトからは非難され、コーチからは叱責され、高校生のメンバーや、自分の仲間の中学生メンバーからも後ろ指をさされてチームを追われるというイメージが脳内に定着する。そしてそのような失敗するイメージを可能な限り多くこしらえ蓄積することを脳内で行なうのである。これでは明るい明日どころか、絶望の未来しか頭に浮かんでこない。そんな状態で翌日の試合に臨むのである。
「わたし失敗しないので」ではなく「わたし絶対に失敗するので」がまるで呪文のように頭をよぎり、この呪文で自分自身を追い込み追い詰め、そこで、もうやけくそになって暴れまくる、それが運動能力の爆発的な向上となり、すぐれたパフォーマンスとなってあらわれる。自分は失敗すると思い込んでいる彼女が試合で大活躍するのである。
繰り返すが、「わたし失敗しないので」とポジティヴに考え、成功体験をもとにリラックスして試合に臨んで、もてる能力を発揮する場合と、「わたし失敗するので」とネガティヴに考え、自分を追い詰め不安と緊張によって自分を締め上げ、それが爆発的な能力の向上への引き金となるというのは、どちらもありうることである。ただ一般的には後者の可能性については、日本では、考慮の埒外に置かれていたのかもしれないが、この『インサイドヘッド2』では、それが常態であり、常識化していることに驚いた。
思い当たるふしがないでもない。私は東京大学の教員だったが、東大生の自己評価は低い。優秀な学生であればあるほど自己評価が低いように思われた。それが不思議だった。
実際、こんなに優秀な学生が、どうして自信を喪失するのか、不思議でたまらなかったことがある。見栄でも謙遜でもなんでもなく、ほんとうに自分はダメだと考えている学生が、最終的には誰にもひけをとらない優秀な成績をおさめ、卓越した成果をあげることが、東大ではふつうに起きていた。
その秘密というかからくりは、自己評価を低くするときには徹底して低くして自分を追いつめることであった。「向上心がない奴はだめだ」というとき、たんにただがんばるという気持ちだけで向上できるものではない。自分の未熟さを真摯に受け止め、失敗の必然性を納得し、苦しくて泣きだしそうなるほど絶望して自分を追い込むことではじめて、向上できるのである。そのためには自己評価を下げねばならない。
もちろんこのプロセスには危険がともなう。『インサドヘッド2』では、ヨロコビ(Joy)がシンパイ(Anxiety)に主導権を奪われる。それが子供から大人への成長の証しとして当然されているようだが、しかしシンパイ(Anxiety)が脳内で他の感情をコントロールし、行為の方向性を決定するというのは、それ自体で、心配な面がある。
実際、『インサイドヘッド2』における、このネガティヴな不安と絶望によって能力の爆発的向上をはかるという工程は、不安と焦燥がさらなる不安と焦燥へを招くという負のスパイラルから抜け出せなくなるという危険性を伴うことになる。ダメだと自分に言い聞かせることによって、ほんとにダメになってしまう危険性がある。シンパイ(Anxiety)の暴走によって神経症が引き起こされる可能性がある。
実際『インサイドヘッド2』ではそれが起こる。主導権を握ったシンパイ(Anxiety)が暴走して収拾がつかなくなる。それをとめるのが、かつて感情の主導権を握っていたヨロコビ(Joy)である。おそらくそれは緊張からの解放をめざすこと、ひたすら向上することだけでなく時には休息する必要があることの自覚であり、おそらくこれが最終的に大人へと成長することであるという暗示がある。
古い5つの感情が、新しい5つの感情に追いやられるということが大人への成長ではない。新たに覇権をにぎった新しい5つの感情が、暴走することなく、古い感情とも和解し協力しあえるようになることが、大人へのほんとうの成長だったのである。