秋篠宮家の長男・悠仁親王が筑波大学に推薦入学で合格されたことで筑波大学そのものもがいろいろなところで話題にのぼるようになった。
私は筑波大学では集中講義で教えたことはないのだが、研究会の講師として招かれて話をしたことがある。私を招いていただいた先生にキャンパスを案内していただいたときのこと。
当時は、サルマン・ラシュディの『悪魔の詩』の日本語翻訳者であった筑波大学の五十嵐助教授が殺害されたあとのことで――直後ではないが、その余波が続いていたころのこと――、構内には目撃情報を求める文書がまだあちこちに掲示されていた。
そのひとつに目をとめた私は、ふと、気になって、いまいるキャンパス内の道路上で、周囲を、それこそ360度見まわしてみた。そして愕然とした。人間の姿がまったく見当たらない。無人の空間だった。これでは目撃者などいようはずもない。
ちなみにいま私は自分の住居の窓から外を眺めてみた。その窓が向いている方角には、人間の姿が一人もみあたらなかった。しかし車が動いている。近くの道路の騒音が聞こえてくる。また私鉄の電車が動いているのも見える。たまたま人間の姿を見かけなくても町は生きている。ところが、そのときの筑波大のキャンパスは、人間の姿も車の姿もなにもみえず、しかも雑音すら聞こえてこなかった。神秘の無人の沈黙のキャンパスだった。
ただし正確な日時を覚えていないのだが、夏期か春期の長期休暇中だったので、学生がほとんどいなかったせいもあるのだが、それにしても人口密度が低すぎた。いや人間がいなかった。とはいえ、1990年代のことである。今は違うのかもしれない。
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もうひとつ。筑波大学の院生、2,3人に東大での大学院の授業の一環で研究発表をしてもらったことがある。筑波大学の院生を個人的に知っているという東大の院生の紹介だが、興味深くまたほんとうにすぐれた研究発表内容で、その後、その院生は本も出した。
授業後の雑談のなかで、筑波大学の院生は、キャンパス生活のことを、自虐的に面白おかしく紹介していた――幽霊が出るとかいうような話を。その時、自殺者が多いという話にもなった。しかし、自殺者はどの大学でも、あるいはどの学校でも多い。わざわざ大学に来て自殺する学生もけっこういる。そうした事例は、どの大学も積極的に公表しないか、そもそも伏せてしまうから、実態はよくわからない。ただ、自殺する学生はどの大学でも多い。自殺者の多さがその大学の特徴にはならないというようなことを私は話した気がする。
すると、その院生は、いえ、自殺する学生が多いのではないのです、と語った。教員や研究者の自殺が多いのです、と。
絶句。まあ21世紀初期の話である。今は違っていると思う。