まず、“To be or not to be, that is the question” というのは日本風にいうと字余りになっていて、ブランク・ヴァースのルールに厳密に則ってはいない。
ブランク・ヴァースの特徴である弱強のリズムで確認してみよう。
To be or not to be, that is the question (太字は強勢を置いて発音するところ。なお強勢というのはstressということだが、日本語にはこれがないため発音しにくい。日本人の場合、強くではなく長く発音するほうが発音しやすい。そこで「トゥ、ビ~、オア、ノ~ット、トゥ、ビ~」となることが多い)
通常は10音節で、弱強という二拍子のリズムが5回くりかえされる。ところが上記のセリフでは11音節となり、末尾のtionの音節が余計になる。このような行の終わり方をfeminine endingと呼んでいる。
しかし問題はそれだけではない。前半のTo be or not to beはルール通りで弱強の二拍子のリズムが3回つづき、問題はない。ところが後半は、字余りということも含めて、弱強のリズムが不自然である。
そもそもthat is the questionを「ざっと・い~ず・ざ・くうぇ~すちょん」なんて発音をするのか。この台詞を弱強五歩格のブランク・ヴァースの例として引用する人間に問いたい。あなたは、後半をどうやって発音するのか、と。まさか「ざっと・い~ず・ざ・くうぇ~すちょん」なんて発音しませんよね。
なるほど、この台詞の後半は、4音節プラス1音節で、字余りとなる一音節を除けば、弱強の二拍子になるのだが、それは文字の並びをみてのことで、実際にそのリズムで発音するとなると、isに強勢を置くことになり、変則的で不自然になる。
可能性としては、
That is the questionと、弱強ではなく、強弱のリズムとなって、通常弱く発音されるisとtheをひとまとめにすると、これで変則の強弱4音節となる。
あるいは当時は-tion語は、フランス語と同じように(もともとフランス語からきているのだが)、ti-onと二音節で発音していた(つまり「クウェス・ティ・オーン」というように発音していた)。
そこで
That is the questi-onとなって、That is theが強勢がないところで、まとめて弱部とし、queが強勢のあるところ、そしてtiが強勢のないところ、onが強勢のあるところとなると、これで末尾が字余りではないかたちのセリフとなる。
では実際の(現代の)舞台ではどう発音されるのだろう。ネット上には、この台詞を語っている舞台とか映画の映像、あるいは朗読している映像なり音声が数多くある。ぜひ、それを聞いていただきたい。
後半を that is the questionといった珍妙な発音をするものは、私が観た限りではひとつもない。まあ当然である。isに強勢が入るのは不自然だからだ(たとえ強調の意味でbe動詞が強く発音されることはあるとしても)。ではどう発音されているのか。
ひとつには
To be or not to be, that is the question この後半部を平坦にさらっと流して発音するもの(弱強のリズムはなし)。
あるいは
To be or not to be, that is the question thatを強く発音するが、それ以下がしりすぼみになるような発音。
どちらの発音も、この一行の意味を踏まえてのことである。To be or not to beと威勢よく二つの可能性を掲げ、次にどちらかを選ぶと思われたら、どちらの可能性も選べないというかたちで、腰砕けになるのが後半なのである。威勢の良い前半部と、弱腰になる後半部。この対比は面白いし、前半部と差異化するためにも、後半部は、弱弱しく、あるいは苛立たしく、「それが問題だ」と切り替える。
そして、このような台詞の流れの中で、“that is the question” などいう機械的で不自然な弱強のリズムは、あくまでも文字だけの存在で、実際に声に出されることはない。文字と声、形式と感情とが齟齬をきたしている。
思えば、これが『ハムレット』という作品のイメージとつながっている。つまり世界文学史上屈指の名作ながら、実際には、よくわからないところ、謎めいたところが多くて、単純には割り切れない。にもかかわらず、例にあげられたり、人気演目として上演される。
一見単純でわかりやすそうなこのTo be or not to beの台詞が、前半部の意味のわからなさと、全体として無韻詩のルールに従っているかにみえて字余りになるだけでなく、発音できそうで発音できない後半部によって、きわめて謎めいている。よく知られているが、同時によくわからない。そうした矛盾のかたまり、それがこの一行であり、それは作品の人気とわかりにくさと響きあっている。
さらにいえば前半の男らしい選択肢の宣言、後半の弱腰あるいは懐疑によって、ジェンダー的(伝統的なジェンダー的)観点からいえば、この一行は、前半部が男性的、後半部が女性的であり、両性具有的なのである。あるいはトランスジェンダー的。あるいは男性原理と女性原理がせめぎあっている。
この有名な台詞は謎めいているがゆえに限りない魅力を帯びている。ただ、ブランク・ヴァースの例としてだけは引用しないほうがいいと、余計なお世話かもしれないが、ここに記しておきたい。
付記:レッシング『賢者ナータン』丘澤静也訳(光文社古典新訳文庫2020)で訳者の丘澤静也氏は、訳者あとがきで、この作品が劇詩であることを触れて、次のように書かれている。
……だが劇詩『賢者ナータン』は、めずらしく散文ではなく、ブランクフェルス(Blankvers)で書かれている。
〈ブランク[押韻のない]+フェルス[詩]〉は英語だとブランク・ヴァース(blank verse)。ポイントは押韻ではなく強弱。弱強5歩格というスタイルがポピュラーで、たとえばハムレットのせりふ――“To(弱) be(強), or(弱) not(強) to(弱) be(強): that (弱)is(強) the (弱)question(強)”。【p.304】
結局、ブランクフェルスを日本語に反映させるのは無理なので散文訳にしたと丘澤氏はことわっておられるのだが、英語のブランク・ヴァースの一例として、丘澤氏は、人口に膾炙しているこのハムレットのせりふを一例として引用されたかと思うのだが、この一行の後半の例外的なことには触れられていない。この一行は例にひかれがちなのだが、同時に例にひかれるほどの典型性はない。丘澤静也訳『賢者ナータン』は、すばらしい翻訳なのだが、読者は、あとがきのこの例には戸惑うかもしれない。そして、では代案があるのかといわれても、それはないとしか答えられず、ほんとうに面倒なのである。