2024年10月12日

『アーネストに恋して』

松竹ブロードウェイシネマと銘打ったミュージカルの舞台録画を映画館でみる。10月4日から全国順次限定公開。『アーネストに恋して』というのは、どこのアーネストだか知らないが勝手に恋してろという気持ちにしかならないのだが、原題は、Ernest Shackleton Loves Meえ、シャクルトンが私に恋した?! あの、シャクルトン? これにはがぜん興味がわいてきた。いったいどんなミュージカル・ドラマかと期待がたかまる。

そう、「シャクルトン」の名前がメインであって、アーネストはどうでもいい。ただ日本人にはシャクルトンといってもなじみのない名前かもしれないので、「アーネストに恋して」となったのだろう。しかたないことか。

ストーリー
『アーネストに恋して』(原題:Ernest Shackleton Loves Me)は、子育てとビデオゲーム音楽の作曲家としてのキャリアの両立に奮闘する睡眠不足のシングルマザーが繰り広げる奇想天外で独創的なミュージカル冒険劇。

ある夜更け、出会い系サイトに自己紹介動画を投稿した主人公のもとに、突然20世紀を代表するリーダーと称される南極探検家のサー・アーネスト・シャクルトン(1874-1922年)から返信が届く。南極で船が難破し流氷の上で身動きが取れなくなったシャクルトンは、時空を超えて主人公にアプローチし、壮大な冒険の旅へと誘う。思いがけないことに、二人は互いの中に自らを照らし導く光を見いだすのであった。

時空を超えて接触しあう、それもたんに通信を通して話し合うというのではなくて、実際に、身体的に接触する。シングルマザーが暮らす住居の冷蔵庫からシャクルトンがあらわれるのだ。だが彼女の雑然とした住居内と南極の雪景色はどうつながるのかと思ったのだが、プロジェクション・マッピングがそれを可能にしている。彼女の住処はそのままに、いつのまにか壁に南極の雪景色がひろがり、二人は南極を旅しているかっこうになる。

彼女の名前はキャサリン(キャット)。キャットとシャクルトンは、ともに、それぞれの世界で難題に直面しているのだが、互いに助け合って、苦境を脱することになる。シャクルトンにとって彼女は、くじけそうになる自分を力強く励ましてくれる心の中の女性である(ユング心理学でいうアニマ)。いっぽうキャットにとって、彼女を食い物にしているろくでなしの愛人とは異なり、誠実で真摯な男性で、彼に母性的な感情で助言を与え、また彼を力強く励ますことで、彼女自身、自分に自信をつけてゆくことになる。ある意味、シャクルトンは彼女の分身でもあり、彼女の心のなかにある男性的部分(アニムズ)でもある。二人は時空を超えて出会うことで、互いに相手を救い、また自身も救うことなる。

なお彼女とシャクルトンとの時空を超えた出会いは、もちろん不眠症に悩む彼女の一夜の夢と解釈もできる。ただ、夢ではなかったかもしれないという証拠も残っているのだが。

二人芝居だが、二人は当然のことながら、歌はうまい。オフ・ブロードウェイ・アライアンス最優秀ミュージカル賞(2017)を受賞したのもうなずける。で、それをスクリーンでみたが、主役の女性がぶさいくでつまらなかった。いくら、かわいらしさに正解はないとしても、ぶさかわいいともいうこともよくあるのだが、彼女はぶさいくすぎてかわいらしくない。1時間30分くらいの映画だが、それがまさに限界だった。

主役の女性がぶさいくでつまらなかった――なんという低俗で、しかも頭の悪い感想なのだ。しかも差別的だと非難の集中砲火を浴びるかもしれない。説明が必要だろう。

主役のヴァレリー・ヴィゴーダ(正確には二人芝居でW主演だが、原題にあるmeとは彼女のことで、どうしても主役と思えてしまう)は、劇中では眼鏡をかけている。そして眼鏡をかけた彼女はあまり魅力的ではない。

眼鏡をかけることの意味は、顔の魅力度を落とすか、上げるかのいずれかである。舞台上で眼鏡をかけているぶさいくな人物は、眼鏡はずして思いがけない美貌をみせるときに、それが人物としての生まれ変わりを象徴することがある。残念ながら、今回の舞台ではそのような演出はとられなかった。

となると別の可能性もみえてくる。眼鏡が顔の魅力度を上げている場合である。党首になってから眼鏡をかけはじめ好感度をあげようとしたどこかの国の首相のように、眼鏡が顔の不快さをやわらげることがある。舞台の彼女もそれなのだろうと思った。歌はうまいが顔がよくない、そこで眼鏡で顔立ちを変えたということだろう。しかしかわいげのない彼女は、劇の魅力を大きくそこなっている。ただ今回の彼女の脚本の舞台に、彼女以外のミュージカル俳優を用意するのがはばかられたのかもしれない。しかし、やはりほかの女優をわりあてるべきではなかったか。

だが、私のこの想定はまちがっていた。ネット上にはこのミュージカルの舞台写真もあるのだが、彼女が最初から眼鏡をはずしているヴァージョンもある。そして眼鏡をはずした彼女は美人なのである。だったら、どうして最初から眼鏡をはずすか、途中でも眼鏡をはずす演出にしなかったのだ。

おそらくそれは、うだつのあがらないゲーム音楽の作曲家で、男に食い物にされている子持ちのシングルマザーという主人公のイメージに、彼女の美貌がそぐわなかったので、眼鏡でぶさいくキャラにした。

となると、この作品を制作側は、男に搾取されつづけているシングルマザーが、シャクルトンとの出会いによって、男に依存しない自立した女性となり、たくましく生きはじめるという物語には、眼鏡をかけたぶさいくな女性というステレオタイプがふさわしいと考えたのだ。フェミニストにもなった彼女には、眼鏡をかけたぶさいくな女性像こそふさわしいということだろう。

なんという古臭い、しかも女性差別的な偏見なのだろうか。こんな偏見を容認・継承しているこのミュージカルはどこかゆがんでいる。たとえどんなに物語が舞台装置が演出が演者が魅力的でも、根底にある旧弊な前提は唾棄すべきものである。この作品は不快な愚劣さを垣間見せている。このミュージカルの基盤が不快でむかつくものだった。


だが、このミュージカルにはもう一つの基盤がある。水の物語と、その発展である。ただし、ミュージカル自体、このことを強調してはないように思われる。そもそも南極大陸圏で氷海に22名の隊員とともに閉じ込められたシャクルトン隊長の敵中突破ならぬ氷中突破物語は、女のいない海の男たち、男たちだけの冒険、その圧倒的な水量によって、水の物語(なんとかの一つ覚えと言われるのを覚悟のうえでいえば)、まさにゲイ的物語(現実のシャクルトンはどうであれ)である。正確にえいば、ゲイ的物語というサブテクストを強く喚起する。

シャクルトン役のウェイド・マッカラムWadeMcCollumは、南極で苦境に陥っているシャクルトンを印象づけるため、ひげ面のマッチョな男となって登場するが、その歌声とか過剰なまでの芝居がかった演技をみると、この俳優はゲイではないかと思えてくる。あるいはシャクルトンをゲイとして提示しようとしているのかと思えてきた。

実際、ウェイド・マッカラムは、伝説の、あるいは先駆的なトランスヴェスタイトでトランスジェンダーの作家・エンターテイナー、ケネス(のちにケイト)マーローを描くMake Me Gorgeous(2023)の主役舞台で高く評価されている。このミュージカルのネット上のページではWade McCollumのことを“queer cisgender”と紹介してる。え、どっちなのだ。

「クィア・シスジェンダー」というのは、一昔前というか前世紀の古い言い方をすれば、「ヘテロだけれども同性愛者を演ずる、同性愛者と仲が良い、同性愛者と相性がいい」という味か(クィア=同性愛ではないが、クィアは同性愛をふくむことは確か)。あるいは「ヘテロにみえる同性愛者」という意味にもとれるが、ウェイド・マッカラムを例にとれば、前者の意味だろう。

つまりウェイド・マッカラム(WM)は、同性愛者にみえるし(シャクルトンを演ずるときのみかけはそうでもないが)、同性愛者を演ずることもあるが、実際には結婚しているヘテロな男性であるということのようだ。

しかし、そうなると私がWM/シャクルトンのなかにみたクィアなものは、水の物語というサブテクストを意識したためにみえてしまったのか、あるいは、WMがたとえマッチョな男性を演じてもにじみでてしまった自身のクィア性なのか、あるいは最初からクィアなものをねらっているのか、どうとでもとれてしまう。

実際、私が映画館で観たときは、たまたまかもしれないが観客はまばらだった。いまでは上映館も大幅に減らしているかもしれないが、それは、私のように観客が、女性シンガーを魅力的ではないと感じた、あるいは主人公の女性をあえて魅力的ではないようにした演出に不満をもったというよりも、観客がシャクルトン役のWMのクィア性を、おそらく「気持ち悪い」とゲイ差別的にみたせいかもしれない。

ただシャクルトン(シスジェンダー)をクィア的俳優が演じ、シングルマザーをフェミニストのステレオタイプ的外貌をまとわせた女性俳優に演じさせたことで、クィアとフェミニズムの幸運な遭遇を出現させたというふうにみることができる。そうなると、時空を超えた男女(シスジェンダー)の出逢いという物語は、今そこに展開するかもしれない、いやすでに実現しているクィアとフェミニズムの出逢いという物語に反転するかもしれない。

そうなればこのミュージカルは面白くなるのかもしれない。

いや、主役の女性の魅力のなさは致命的で、私にとってこのミュージカルは、残念ながら永遠につまらないものでしかないのだが。
posted by ohashi at 11:01| 演劇 | 更新情報をチェックする