オセローがイアーゴーに騙された原因となるものはいくつか考えられる。そのひとつに、オセローが戦いの日々に長く明け暮れていたことがあげられる。戦場こそオセローのホーム(故郷・家庭)であり、彼の生きる場はそこでしかなかった。オセローにとって戦場こそ家庭。オセローにとって結婚生活は、異郷の地での不慣れな暮らしでしかない。当然、妻とどう向き合うか、夫たるものどうあるべきか、円満な夫婦生活の秘訣、どれもがオセローにとって未知の体験であり未知の領域であった。そこにイアーゴーのつけ入る隙ができたといえようか。
オセローは、信頼するイアーゴーの、歳は若いが(28歳)既婚者のイアーゴーの、その言葉の端々から円満な家庭生活のこつを、妻という女性の生理や心理をつかみとるしかない。イアーゴーに主導権を握られるのは必然である。
事実、平時において妻をもつことになった不器用な老将軍の悲劇というのは『オセロー』についてよく聞かれる解釈のひとつだった。
敵軍とわたりあうことにかけては歴戦の戦士であったオセローも、女性との対処法については無知をさらけ出すしかない、若い美人妻に翻弄される男でしかなかった。
もうひとつの要因は、オセローが異邦人であるということだ。ヴェニス公国に奉仕する傭兵の将軍たるオセローとって、つまりよそ者のオセローにとって、ヴェニスは未知の社会である。イアーゴーはいう、ヴェニスでは女性はみんな夫を騙して浮気していると。
イアーゴー ……
私は同国人の気質がよくわかっております、
ヴェニス女は、ふらちな行為を神様には平気で見せても、
亭主にはかくします。その良心といってもせいぜい
悪事を犯さないことではなく、犯しても内密にすることです。
オセロー ほんとうにそうか?(3.3.232-36)
そういわれるとヴェニス人ではないオセローは信ずるほかない。かくしてよそ者のオセローは、信頼するイアーゴーの知恵に助言に暗示に依存するしかなく、最終的にオセローはイアーゴーの言説におのが内面を書き替えられてしまう。
ある意味ではオセローにコンプレックスがあった、あるいはオセローはコンプレックスの塊であった。くりかえしになるが、軍隊生活が長く家庭生活にはまったくうといこと。女性の扱いに慣れていない無粋な男であること。妻の父親と同じ世代であって、高齢であること。そしてよそ者であること。間接的に示唆されることはごくわずかだ、おそらく大前提となっているであろう肌の色の違いがあること。こうしたコンプレックスゆえに弱みをかかえることになる。たとえ本人がヴェニス公国にとって救国の戦士・英雄であるとしても。
逆に言えば、こうしたコンプレックスは無意識の恐怖を育成することになる。家庭にも女性にもうとい自分が女性から飽きられ浮気されるのではないかという不安なりおびえ。父親のような自分に妻は夫を男としてみることができず、同世代の若い男との浮気に走るのではないか。異邦人である自分はヴェニス貴族の洗練された娘である妻に見下されるのではないか。こうした無意識の不安が育成されていたがゆえに、簡単にイアーゴーの軍門に下るのである。イアーゴーにほんの一押しされるだけで、オセローは嫉妬の泥沼にはまってしまう。
イアーゴーによれば、妻のデズデモーナに頭が上がらないオセローについて、オセロー将軍の将軍はデズデモーナであるという。だが、オセロー将軍には、デズデモーナ以外にも将軍がいる。いうまでもなくイアーゴーである。旗持ちという低い位にもかかわらず、イアーゴーはオセローの将軍、オセローの支配者となる。
この二人の将軍のうち、妻に裏切られたオセローはもうひとりの将軍イアーゴーにすがるしかない。もちろん軍人としてのプライドゆえにオセローはデズデモーナにせよイアーゴーにせよ誰かを自身の将軍として認めることはないだろう。するとオセローは妻デズデモーナを捨て、イアーゴーを新たな妻として迎えることになる。
ジェンダー論的にいえば、男性が(女性であってもいいのだが)、異性とのつきあいに苦慮し苦悶したあげく、同性とのつきあいのなかに安らぎを見出すということであり、このときホモソーシャル関係(ホモセクシュアル関係ではない)が救いとなる。イアーゴーはオセローを支配するために、このホモソーシャル関係の強化をはかるのである。
デズデモーナがキャシオと浮気をしている思い込ませるために、イアーゴーは、オセローに、こんなことを話す。最近、同じベッドで寝ていたキャシオは、寝ぼけて、私(イアーゴー)のことをデズデモーナと勘違いして、脚をからませてきて強烈なキスをしたのだと。
イアーゴー
……最近のことです。私はキャシオーと
寝ていまして、歯の痛みのためにどうしても
眠ることができませんでした。
世の中には、心にしまりがあないのでしょう、
眠りながら自分がしたことをしゃべるやつがおります。
キャシオーもそれなのです。
眠りながらこう言いました、「かわいいデズデモーナ、
気をつけよう、ぼくたちの愛が人目にたたぬように」
それから私の手をとり、握りしめ、「ああ、かわいい人!」
と叫んだかと思うと、私にはげしくキスしたのです、
まるで私の唇に生えているキスを、根こそぎ
引き抜こうとでもするかのように。そしてその脚を
私の太腿にのせ、溜息をつき、キスし、叫びました、
「あなたをムーアに与えたとはなんと呪わしい運命だ!」
オセロー ああ、犬め! 犬畜生め! (3.3.470-483)
【この見事な小田島雄志訳からもわかるように、イアーゴーの語りは、実にポルノチックで、官能的イメージの強度は尋常ではない。なおシェイクスピアは、聖書とかフロイトと同様に犬が嫌いであることは事実で、「ああ、犬め! 犬畜生め!」と訳されたのは、ある意味、天才的な直観のなせるわざと、別にお世辞でもなんでもなく付言しておきたい。原文は‘O monstrous! Monstrous!’なのだから】
なおここで留意すべきことは、すでに第1回「キャシオの美人妻」のところで述べておいたのだが、イアーゴーの話すことはほとんどでたらめで嘘である。キャシオが寝台で足をからませきたというのは、オセローを騙すための作り話だろうと観客は思う。そしてここにあるのは、イアーゴーの作為である。それが際立つ。
つまり、キャシオが隣に寝ていたイアーゴーをデズデモーナと勘違いして脚をからませ接吻してきたという話は、オセローを嫉妬で狂わせるに充分なものがあるのだが、同時に、キャシオとイアーゴーが抱き合っているという同性愛的イメージも喚起する。
事実、そうなのだ。このあとイアーゴーはオセローに言い寄り、イアーゴーはキャシオを殺し、オセローはデズデモーナを殺すという復讐の誓いをさせるのだが、誓いのために二人は跪く。だが、それは男女がおこなう結婚の誓いの仕草でもある。男女二人が跪いて結婚の誓いを話す。
オセロー ……
……おれの復讐の血は
はげしい勢いで突き進むのみだ、うしろをふり返ったり、
おだやかな愛におさまり返ったりはせぬぞ、
あくことを知らぬ底なしの復讐がいっさいを
飲みほす日まではない。あの大理石のような天にかけて
(ひざまずく)
神聖な誓約にふわしい敬虔な心をもって、
このことば誓うぞ。
イアーゴー そのままお立ちにならないでください。
(ひざまずく)
永遠に輝く天上の日月星辰を証人として、
われらをとりまく地上の神羅万象を証人として、
イアーゴーはその知恵と手と心の働きのすべてを、
辱められたオセローのために捧げることを
ここに誓います! 将軍の命令とあらば、
いかに残虐な行為であろうとためらうことなく、
従います。
(二人はたちあがる)
オセロー おれを思うおまえの愛〔thy love〕には感謝するぞ、
口先だけの礼ではない、心からのことばだ。
早速だがおまえの愛の証をみせてもらおう、
三日以内にこの耳に報告をもってこい、
キャシオ―は死んだと。3.3.518-538
と、このように。
ゼッフィレリ監督の映画『ロミオとジュリエット』では、恋人たちふたりは跪いて結婚の誓いを述べる(原作では結婚式の様子は舞台上に提示はされない)。ただ、それを思い出さなくても、『オセロー』においてはオセローとイアーゴーは、ト書き書いてあることもあって、ふたりして跪いて復讐の誓いを立てるのであり、それは結婚の誓いを思わせる。妻に裏切られ、女性に見放されたはオセローは、イアーゴーという男性と同性婚することで癒されるのである。
となると私たちは、いったい何をみてきたのだろうか。あるいは、ここにいたって、これまで間歇的に姿をみせてきたが明示的ではなかったテーマが、いよいよその全貌を現したということになりはしないか。ここにあるのはホモソーシャル関係を超えた関係ではないか。
イアーゴーはオセローを愛していた。そしてここにいたってイアーゴーはオセローと晴れて結婚できたのである。