2024年07月13日

ふたりは初夜を迎えたのか? 『オセロー』雑感 4

ふたりとはオセローとデズデモーナのことで、この問題は前回のダブルタイムと大いに関係する問題なのだが、オセローとデズデモーナは初夜をむかえていない、つまりふたりは婚礼後の初夜のセックスをしていないのではないかということが、昔から取りざたされてきた。

ダブル・タイムで長い時間枠を考えれば、ふたりは破局にいたるまで、初夜のセックスとか、その後の夫婦のセックスはしているであろうから、これは問題にすらならないだろう。

しかし『オセロー』には短い時間枠があり、これに沿うと、キプロス到着後の翌日、オセローはデズデモーナを殺害する。この夫婦は初夜を迎える前、夫が妻を殺し、夫も自殺する、つまり夫婦はふたりとも死んだのではないか。結ばれる前に。黒人/ムーア人と白人の異人種結婚は成就していないのではないか。

出来事の展開を追ってみよう。まずオセローとデズデモーナは、結婚後、ヴェニスのサジタリー亭に移動し、そこで新婚の初夜を迎えようとする。だがイアーゴーの奸計によって、娘デズデモーナが父親に内緒で家を出てオセローと結婚したことを知った父親ブラバンショーは一族郎党を率いてサジタリー亭に押し掛ける。そのためオセローとデズデモーナは初夜を迎えられなかった。

この時、イアーゴーは、ブラバンショーにこんなことを言っていた:
あたしはね、閣下、あんたのお嬢さんとムーアが、おなかは一つで背中は二つの怪獣になっているって知らせにきた男ですよ。(1.1)

また二人の秘密裏の結婚は親に祝福されたものではないため、父親に報告し許しをもらえるまでは正式の夫婦ではないと二人は考えたとしたら、サジタリー亭での密会で性行為に及ぶこと(「おなかは一つで背中は二つの怪獣」)はなかったといえる。

次に、オセローとデズデモーナは、ヴェニスの元老院で公爵から夫婦として認められる。だがオセローは、すぐさまキプロス島へ出発せねばならない。出発までの短い時間に二人がセックスをしたとは考えにくい。
オセロー 【略】 忠実なイアーゴー、
 デズデモーナをおまえにあずけねばならぬ。
 頼む、おまえの奥さんに面倒を見てもらいたい、
 都合がつき次第二人を連れてきてくれ。
 さあ、デズデモーナ、わずか一時間しか
 残っていはいないのだ、愛の語らいにも、
 俗事の始末にも。これだけは動かせないのだ。(1.3)

この一時間に二人は大急ぎで初夜をむかえたとは考えにくい。ふたりは初夜をキプロス島で迎えることになる。

夫婦の初夜は船上ではない。オセローとデズデモーナは同じ船ではなく別々の船でキプロス島へと向かうからである。事実、デズデモーナ一行はオセローよりも先に到着し、港でオセローを出迎えている。

そうなると初夜はキプロス到着後の夜ということになる。だが、この夜に、ふたたびイアーゴーの奸計によって、酒に弱いキャシオが酒乱状態で暴れまくりキプロス島総督にけがを負わせる事件が起こる。新婚初夜を邪魔されたオセローはキャシオを副官の職から解く。もちろん、その後、オセローはデズデモーナとの初夜を迎えたと考えることができるのだが、どうもそうでもないことがわかる。

『オセロー』のなかでよく省略される場面のひとつが、第3幕第1場の冒頭の場面だが、翌朝キャシオが楽隊あるいは楽師たちを連れて登場し、オセロー夫妻が宿泊している家の前で音楽を奏でさせる。ところが家からはオセローの召使(台本には道化と書いてある)が登場し、音楽を奏でるのをやめさせる。この短い出来事は何を意味しているのか?

その場面を確認しておく。
    キャシオーと数人の楽師たち登場。
キャシオー ここで音楽をやってくれ、礼はするぞ。
 短いのでいい、そのあと、「おめでとう、将軍」と言うんだ。
 音楽。道化登場。
道化【中略】ところで楽師諸君、金だ。将軍は諸君の音楽がたいそうお気に召されてね。どうかもう一曲、たりともやらないでほしいとおっしゃる。【以下略】(3.1)

婚礼後初夜を迎えた夫婦に対して翌朝、音楽を奏でて、祝福するというのが習わしだった。前夜、騒乱の張本人として副官職を解任されたキャシオは、復職するためオセローのご機嫌をとるために、楽師数人を雇い、めでたく初夜を迎えた夫妻を祝福するために音楽を演奏させたとみることができる。しかし、音楽を演奏するなと召使に言われる。これは前夜の騒乱のために結局、夫妻が初夜を迎えられなかったということを暗示する。いや、暗示どころか明確な指標となる。

短い時間枠のなかで考えている。この劇作品は、翌日の夜に、オセローは、デズデモーナを殺害し、そのあと自害することになる。夫婦の初夜が夫婦の最後の夜となり、しかもこのときオセローはデズデモーナを絞め殺すだけでセックスをしていないので、結局、ふたりは最後までむすばれなかったということになる。

ちなみに第4幕第2場で、デズデモーナは、エミリアにこう頼んでいる:
デズデモーナ お願い、今夜のベッドに
 婚礼のときのシーツを敷いていちょうだい――忘れないで
            Prithee, tonight
 Lay on my bed my wedding sheets. Remember. 4.2.121-2

と。今回、小田島雄志訳を一貫して使わせていただいているが、「婚礼のときのシーツ」というのは、べつにまちがいではないが、これは初夜を迎えたことが前提として訳語が選択されている。つまり「婚礼のときに使ったのと同じシーツ」という意味である。しかし原文‘my wedding sheet’は、初夜のときに使うシーツという意味にもなる。この夫妻が初夜をむかえていないことが暗示されているのである。いや、ここではっきりとわかるというべきか。

結局、結ばれなかった二人は天国で結ばれるということしかいえないのだが、なぜ、こうなったかについては、すでに述べたようにイアーゴーによる奸計が原因なのである。オセローとデズデモーナが、まさに結ばれようとするとき、イアーゴーは大きな騒ぎを仕組む。男たちが剣を鞘から抜いて夜の街を走る。阿鼻叫喚の騒乱が起こる。これに邪魔されてオセローとデズデモーナは性交できない。

もう一度確認すると第一の場面は、ヴェニスの夜。オセローとデズデモーナの宿泊場所サジタリー亭の前でブランバンショー一族とオセロー将軍側近たちとの間で暴力沙汰が起こる、正確には起りそうになるが、オセローがそれを未然に防ぐ。

第二の場面は、キプロス島にオセローが到着したその夜。キャシオが酒乱状態で暴力事件を起こす。キプロス島の夜の街に男たちの叫び声が響き渡る。

そして最後の場面、イアーゴーにそそのかされたロダリーゴーは夜、キャシオを襲うが、反撃され負傷する。そしてそのロダリーゴーを口封じのためにイアーゴーは殺害する。この出来事をきっかけに、キプロス島の夜の街は騒乱状態となる。これに、初夜を迎えようとしているオセローは煩わされることはない。オセローはすでに、デズデモーナを殺すことを決断していたからである。

イアーゴーは、ハムレットと同様に、不適切な結婚に反対していた。ハムレットの場合、母ガートルードと叔父クローディアスとの結婚は近親婚としていまわしいものであり、亡き先王の記憶を汚すものであった。イアーゴーの場合、オセローとデズデモーナの結婚は、メイ・ディセンバー婚(歳の差婚)としていまわしいものであるだけでなく、黒人男性と白人女性との忌まわしい異人種婚ということであった。

すでにイアーゴーは(ハムレットと同様に)ひとりシャリヴァリをしているのではないかと述べた。シャリヴァリとはそもそも何か。以下の記述で、概要をつかんでいだければと思う。
〈シャリバリ〉charivariというフランス語の語源は明らかでないが、共同体の伝統的規範を侵犯した者に対し、儀礼化したやり方で罰を加える行為であって、中世から19世紀に至るまで,広くヨーロッパ各地に見られた。英語では〈ラフ・ミュージックrough music〉、ドイツ語では〈カッツェンムジークKatzenmusik〉、イタリア語では〈スカンパナーテscampanate〉などと呼ばれている。シャリバリの対象として最も多く見られるのは、再婚をめぐっての事例であり、男やもめと若い娘とか、若者と年齢がかけ離れた寡婦といった組合せで、しかも一方がよそ者の場合など、あつらえむきのシャリバリの対象であった。村内婚が支配的であったこの時代にあって、村の若い男女の間の結婚の機会を奪うものであったからである。再婚の事例のほか,不義を犯した妻,間男された亭主,亭主をなぐったじゃじゃ馬女房なども,シャリバリに狙われるところとなった。共同体の規範を守る役目は若者の手にゆだねられることが多かったから、シャリバリにおいても若者組が中心的な役割を果たす。その方法としては,相手の家の窓下に押しかけ、一晩中角笛を吹き鍋釜を打ち鳴らすとか、ロバの背に乗せ、大騒ぎをしながら村中ひきまわすといった形がとられた。懲罰はこうして共同体内に公示されるのである。シャリバリの対象となった者は、結局のところ,若者組に罰金を支払うほかはなく、この懲罰を受けることによって初めて、村や町の共同体のメンバーとして受け入れられるのである。 執筆者:二宮 宏之、『改訂新版 世界大百科事典』(平凡社)

また繰り返すがデズデモーナとオセローの結婚は、1)歳の差婚であること、2)異人種婚であること、このふたつによって不適切な結婚であり、非難と妨害のためのシャリヴァリが要請されておかしくないのである。

ただし逆にいえばイアーゴーは、常套的・伝統的な結婚のみを容認し、そこから逸脱した結婚を取りしまる「結婚警察」的役割を共同体になりかわって自ら引き受けているのだ。しかも、この「結婚警察」は異人種婚を取り締まるという人種差別的な側面をもっている。イアーゴーは人種差別的機構のエージェントといってもいいだろう。

とはいえ『オセロー』におけるシャリヴァリは、共同体全体を沸騰させ暴動へと走らせるものではなく、イアーゴーのひとりシャリヴァリでしかない。『オセロー』においては、ご都合主義あるいは政治的配慮か、オセローとデズデモーナの結婚は公的に容認されているのであって、ひとりイアーゴーが不満を募らせて、自身が妨害者となるにすぎない。つまり『オセロー』世界では、歳の差婚も異人種婚も正式に容認されている。

この点に、人種差別主義者はおぞけ立つかもしれない。保守勢力――それはまた人種差別主義者と同じことだが――は、この結婚には全面的に反対する、あるいは嫌悪をもよおすかもしれない。まさにここにオセローとデズデモーナが初夜を迎えていないという可能性を存在させた劇作家の配慮がある。それは、不満をかかえる保守派を満足させるために、あるいは保守派からの攻撃を退けるために、保守派に与えられる賄賂のようなものと考えることができるのである。
posted by ohashi at 02:20| 演劇 | 更新情報をチェックする