2024年07月10日

イアーゴーは28歳 『オセロー』雑感1

今回の文学座の紀伊國屋サザンシアターでの公演とは別に、シェイクスピアの『オセロー』について常日頃考えていることについて記しておきたい。第一回はイアーゴーの年齢について。

イアーゴーが28歳だというと驚く人が多い。その一人が、かつて英文研究室で私の同僚でもあった英国人教員であった。驚いただけでなく、私を不信の目で見ていたのだが、根拠はある。イアーゴー自身が自分で28歳だと語っているのだ。

その英国人は、シェイクスピアが専門ではないが、当然、シェイクスピアも読み、舞台も観ているはずであり、彼の英文学全般に関する知識は、私のそれをはるかにしのぐことは間違いなかったのだが、その彼がイアーゴーの若さに驚いたのは、舞台やオペラなどで、年配のイアーゴーを見慣れているからである。

では、どこでイアーゴーの年齢が語られるのか。

『オセロー』第1幕第3場の最後、イアーゴーとロダリーゴーの会話。元老院で公爵からオセローとデズデモーナとの結婚が認められ、デズデモーナとの結婚のチャンスが失われて、落胆しているロダリーゴーに対してイアーゴーはこう語る。訳文は小田島雄志訳を使わせていただく。
ロダリーゴー 生きるのが苦しいっていうのに生きていくのもばかな話じゃないか。死んで癒されるものなら死ぬ処方を書いてもらったっていいじゃないか。
It is silliness to live when to live is torment; and then have we a prescription to die when death is our physician.1.3.350-2【行数はあくまでも目安】

とこう嘆くロダリーゴーに対してイアーゴーは、
イアーゴー みっともないこと言うな! おれは四七の二十八年間、この世のなかをみてきたが、損得の勘定ができるようになってからというもの、自分を大事にするやつにお目にかかったためしがない。雌鶏一羽に惚れたぐらいで身投げするぐらいなら、人間様をやめて狒狒〔ひひ〕にでもなったほうがいいね、おれは。
O villainous! I have looked upon the world for four times seven years; and since I could distinguish betwixt a benefit and an injury, I never found man that knew how to love himself. Ere I would say, I would drown myself for the love of a guinea-hen, I would change my humanity with a baboon.1.3.353-58【行数はあくまでも目安】

28年間生きてきたというのは、満年齢でいうとまだ27歳かもしれないが、まあ、そこまで厳密に考えられたセリフではないだろうから28歳というつもりで、28年間この世のなかをみてきたとイアーゴーは言ったのだろう。

ちなみにイアーゴーの話すことは、劇の冒頭から嘘ばかりである。だから信用できないのだが、しかし、ここでイアーゴーは嘘をつく必要はないので、28年間生きてきたというのは真実とみてよいだろう。

今回の文学座の『オセロー』(2024年6月 - 7月、演出:鵜山仁、主演:横田英司)においてイアーゴー役の浅野雅博は若いイアーゴーに寄せている感じがあったが、28歳にはみえなかった。また舞台によってはオセローよりも年上のイアーゴーが登場することすらある。シェイクスピアのテクストを無視してどうしてそんなことがと驚くなかれ。上演では、引用した上記のセリフはカットされる。今回の文学座の『オセロー』でもこの台詞はカットされていた。

だがシェイクスピアが意図した28歳のイアーゴーは、そんなに受け入れがたいのだろうか。イアーゴーが28歳と知ってシェイクスピアのファンは驚くのだろうか。

『オセロー』においては世代対立とまではいえないかもしれないが、世代間の懸隔というものがある。年寄りの世代は、オセロー、ブラバンショー(デズデモーナの父親)、ヴェニスのお偉方(公爵など)である。いっぽうデズデモーナ、イアーゴー、エミリア、ロダリーゴーは若い世代に属する。このなかでオセローとデズデモーナとの結婚は、まさにメイ・ディセンバーMay-December結婚としてスキャンダルになる。オセローは、デズデモーナにとって父親といえるくらいの、齢の差婚である。

またシェイクスピアは、この時期つまり『オセロー』を書いている時期、若い世代が年老いた世代を陥れたり倒そうとする悲劇作品を書いている。『ジュリアス・シーザー』では、ブルータス(ならびに彼の友人たちともいえる若い世代)が、父親的な(父親という説もある)シーザーを暗殺する。

『ハムレット』は、殺された父親の仇をうつというかたちで、ハムレットが叔父クローディアスに挑戦する。『リア王』では、老人のリア王が娘二人に冷遇されるだけでなく、グロスター伯爵家では私生児の息子が父親を陥れる。そして『マクベス』では、マクベスが父親のようなダンカン王を暗殺する。若い世代が年寄りの世代を殺す世代間闘争(あるいは父親殺し)のテーマをシェイクスピアは追究していたのであって、イアーゴが父親のように年の離れたオセローを陥れるという悲劇作品はシェイクスピアの悲劇としてはまさに王道をゆく悲劇なのである。

したがってオセローが40代か50代、イアーゴーが50代から60代という設定の舞台は、けっこうあるし、一般にも、そうしたイメージが定着しているかもしれないが、それはシェイクスピアが考えもしなかった舞台である。日本では漫画のテレビドラマ化において原作者とテレビ局側とのあいだで衝突が繰り返されているのだが、シェイクスピアが生きていたら、28歳ではないイアーゴーが登場する舞台をみてどんな感想をもらすのだろうか。

ちなみに、イアーゴーの28歳という設定は、演ずる俳優の年齢と同じか、それに近づかせてあると指摘できる。バカなシェイクスピア学者(と書くと、バカでないシェイクスピア学者がいるかのように思われるかもしれないが、総じてみんなバカである)は、ハムレットを演じたリチャード・バーベッジ(Richard Burbage c. 1567 – 13 March 1619, 劇団の主役俳優)がオセローを演じたと考えているのだが、バーベッジは『ハムレット』や『オセロー』上演時には30代前半であって、ハムレットの年齢、またイアーゴーの年齢に近い。

ハムレットを演じたバーベッジが、次の作品において、高齢のオセローを演じたのだろうか。まあこのバーベッジはリア王を演じたのだろうから、年齢に関係がないともいえるのだが、それにしても、シェイクスピアがわざわざ28歳と年齢を指定したイアーゴー、作品中ではオセローよりもセリフの量が圧倒的に多く、また独白の数も、オセローをはるかににしのぐイアーゴーを、いったい劇団の誰が演じたというのか。シェイクスピアは劇団の誰を念頭において当て書きしたというのか。

おそらくハムレットを演じたリチャード・バーベッジがイアーゴーを演じ、クローディアスを演じた俳優がオセローを演じたのであろう。しかもハムレットとイアーゴーの役割は似ている。ともに、不釣り合いな結婚に対しそれを批判しできれば原状復帰すら求めている。ハムレットの場合は、母親と叔父との近親相姦的な結婚(しかも喪に服す暇もない早すぎる結婚)に対して異議を唱え、イアーゴーは、オセローとデズデモーナとのメイ・ディセンバー婚ならびに異人種婚に対してそれを妨害阻止するというかたちで異議を唱えている。どちらも不適切あるいは不釣り合いな結婚に対する異議申し立て人なのである。【ハムレット、イアーゴーの行為は一人「シャリバリ」ともいえるのだが、この点については別の項で】

ハムレットとイアーゴーの類似はそれだけではない。ハムレットにはホレイショーという友人が寄り添っている。イアーゴーにはホレイショーのパロディとでもいえるロダリーゴーが金づるの役目を背負わされている。

またハムレットもイアーゴーも最後には口をきなくなる。
イアーゴー なにを聞いてもむだだ、わかっているだろう。わかっていることは。
いまから先おれはひとことも口をきかんぞ。(5.2)

は明らかに、あとは沈黙というハムレットの最後のセリフと響きあっている。

『オセロー』においては、その台詞の量と独白の多さによってイアーゴーが実質的に主人公である。イアーゴーの台詞の量は、ハムレットの台詞の量に匹敵する。では、なぜ最初からイアーゴーを主人公に名目上でも設定しなかったのか。もちろんイアーゴーが主人公になることはない。悲劇は身分の高い王侯貴族を主人公とするジャンルなので、身分の低いイアーゴーは実質的には主人公であっても、名目上は主人公にはなれないのである。

ちなにみ若いイアーゴーも時々目にすることがある。今となっては古い映画だが、ティム・ブレイク・ネルソン監督の2001年製作のアメリカ映画『O [オー]』(原題: O)は、ジョシュ・ハートネットがイアーゴーに相当するヒューゴ・ゴールディングという人物を演じていた。

ジョシュ・ハートネットは比較的最近になって映画で観ることが多くなった。『キャッシュトラック』(2021)『オペレーション・フォーチュン』(2023)、『オッペンハイマー』(2023)など。いまや中年の男性となったが、若々しさは失っていない、そのジョシュ・ハートネットが、イアーゴーを演じた映画『O[オー]』は、クソジジイのイアーゴーしか観ることができない現状のなかで、若くて邪悪なイアーゴーを観ることができる稀有な映画である。しかも俳優の格として彼は、デジー/デズデモーナ役のジュリア・スタイルズやオーディン・ジェイムズ/オセロー役のメキ・ファイファーよりも上位に来る。まさに彼が主人公であった。

ただし映画は、学園物というジャンルに属しハイスクールを舞台にしているために、イアーゴーだけが若いのではなく、オセローもデズデモーナも高校生という設定で、つまりみんな若いため、イアーゴー/ジョシュ・ハートネットの若さがあまり目立たなかったのだが。
posted by ohashi at 01:06| 演劇 | 更新情報をチェックする