2024年05月30日

『ハムレット』の思い出

老人の昔話をひとつ。

シェイクスピアの『ハムレット』は、英語で読むととてもやっかいな作品で、大学教員のときに、授業でもめったに扱うことはなかった。作品自体長く(シェイクスピア作品では最長)、また意味不明であったり解釈が分かれる英語も多く、高名で人気のある作品だが授業で丁寧に英語で読むとなるとたいへんな作品である。

とはいえ、個人的には、いろいろな意味で『ハムレット』の上演とは縁があった。1980年前後だと記憶するが、デレク・ジャコビ主演の『ハムレット』が日本にやってきたことがある。映画とかライブ映像ではなくて、劇団としての来日。当時としてはできたばかりの新宿文化センターで公演を行なった。その公演に対して日本シェイクスピア協会が全面的に協力することにもなり、当時、東京大学の英文科の助手だった私も動員された。私に課された仕事は、英文プログラムのなかで、シェイクスピア学者や批評家のコメントの部分の翻訳であった。

いまでこそ、デレク・ジャコビといえば知らぬ人はいない――すくなくとも英国演劇や英国映画に関心がある者ならば――のだが、当時の私は恥ずかしながらデレク・ジャコビを知らなかった。ジャコビは1979年に『ハムレット』を演じ、おそらくその舞台が評判になったのだろう、BBCが作成したシェイクスピアのテレビドラマ版シリーズでは『ハムレット』を演ずることになった。英国での『ハムレット』と、BBC版『ハムレット』とのあいまに、日本公演にやってきたかたちになったのだが、繰り返すのだが、誰だこいつはというのが恥ずかしながら失礼ながら当時の私の感想であった。

で、私にまわってきた仕事は英国版プログラムの翻訳なのだが、分量も多くはなく、時間もあり楽な仕事だと思い、名前は出ない翻訳の仕事だったのだが、喜んで着手した。

問題は、そのプログラムの中の著名な批評家のコメントのひとつが意味不明だったことである。そもそも英国での公演パンフレットである。一般の観客に理解不可能な英語の文章が載るわけがない。それなのに私にはどうしても意味が取れなかった。そこで頭を抱えた。【誰かに聞かなかったのかと思われるかもしれないが、まあ事情があり、それは私にできなかった。】

出典にあたって確認すればいいと考えた。その批評家はけっこう有名だったが、出典は明記されていなかったと記憶する。いまだったらネットで検索できたかもしれないが、当時は、ネットなどない。そこで絶望しつつも、その著者の本はいくつか持っていたので、まあ出典を突き止める可能性はゼロに近いとあきらめつつ、手持ちの本で調べることにした。

当時の私としては運がよかったのか、私の調査方法が優れていたのか、数冊の原書をぱらぱらとめくっているうちに、出典箇所がわかったのである。まさに奇跡に近い。そして抜粋の前後を読めば、意味もおのずとわかると思ったのだが、そこで意味がわからなかった原因が判明した、ミスプリントで、単語がひとつ落ちていたのである。その抜け落ちていた単語を入れて読み解けば、英文の意味は明確に理解できた。

これをどう考えたらいいのだろう。

アンデルセン童話に「エンドウ豆の上に寝たお姫様」という有名な作品がある。エンドウ豆のうえに二十枚の敷布団を敷きその上に二十枚のやわらかい羽根布団を重ねたベッドで寝たお姫様が、翌朝、固いものがあって眠れなかったと答えた。それほどやんごとなきお姫様は敏感なのだという話【付記参照】。

このお姫様と私は同じだといえるかもしれない。たったひとつの単語が抜けても、意味がとれないほど、私の英語読解能力は「敏感」なのだった。つまり統語論的にも意味論的にも了解できなければ、私の英語読解能力は停止してしまうのである。これは、私の英語読解の卓越性の証左なのかもしれない。

とうぬぼれていてもしかたがない。単語がひとつ脱落していたくらいで読解能力が停止したのは、私の英語読解能力の未熟さというか端的にいって「なさ」の証左にほかならない。私はミスプリントはよくあるということを経験知としてもたなかった。そのためミスプリントによる脱落という可能性を思いつかず、その方向で頭がはたらかなかったのだ。ただのバカ者である。

本当に読解力が優れている者ならば、どのような単語があれば読解可能になるかを推測できるはずで、その単語が脱落しているかもしれないという可能性をたとえ思い浮かばなくても、消失している単語を自分で補って意味のとおる翻訳ができたはずである。その意味で私は未熟者であった。

ちなみに、私の経験は、なにも英語読解のための教訓だけではない。これは、シェイクスピアの本文を読解するときに必要な頭の働かせ方でもある。シェイクスピア時代の印刷事情を考慮すれば、単語の脱落から印刷ミスにいたるまで、本文の意味が通らなくなる要因は数多く存在している。それを推測して意味を確定することは、過去において優れたシェイクスピア学者が行なってきたことなので、その成果の恩恵をこうむるだけで、自分ではなにもできなかったのは、ほんとうになさけないとしかいいようがない。

なおこの話は、これまで誰にも話していないと思うのだが、ちがっていたら、老人の記憶力のなさを笑っていただきたい。

付記:「エンドウ豆の上に寝たお姫様」については、Wikipediaにある同名の項目を参照のこと。そのなかの「あらすじ」で内容も確認できる。そもそも小品なので、その「あらすじ」は、本文とそんなにかわらない。参考までに:
あらすじ
あるところに本当のお姫様をお妃に迎え入れたいと考えていた王子様がいた。王子様は世界中をまわって本当のお姫様を探したが、何かしらよくないところがあって本当かどうか疑わしいお姫様しか見つからず、王子様は失望した。ある嵐の晩、ひとりのお姫様がお城にやってきた。お姫様は雨でびしょぬれであったが、自分は本当のお姫様だと言った。王妃は試しにベッドの上に一粒のエンドウ豆を置き、その上に敷布団を二十枚敷き、さらにやわらかい羽根布団も二十枚重ねた。お姫様はその上で寝ることになった。

朝になり、城の者が寝心地はいかがでしたかとお姫様に聞くと、お姫様はなにか固いものがベッドの中に入っていたため体中に跡が付いてしまい眠れなかったと答えた。二十枚の敷布団を敷きその上に二十枚のやわらかい羽根布団を重ねてもエンドウ豆が体にこたえるというほど感じやすい人は本当のお姫様に違いないということで、王子様はこのお姫様をお妃に迎え入れた。


posted by ohashi at 01:16| コメント | 更新情報をチェックする