概要
2024年1月28日放送のAbemaTVの番組、『ABEMA的ニュースショー』で一部ネットで話題になっている現象があるとしてマルハラ(当時は名前がなく番組スタッフが命名)を紹介。放送後、Abema側がネット記事化し各ニュースサイトに配信すると、一気に広がり各メディアもマルハラという名称使用するようになったり、マルハラ特集が増えていった。 若い世代はLINEやXなどで短文を投稿する際に句点を省略することが多いため、句点を文末に付した文章が送られてきたり見かけたりした際に、「投稿者が怒っているように見える」という感覚を抱いたり、冷淡さや威圧感を感じたりするという。
この感覚には年代による差異があり、先述のように若い世代は抱きやすいが、中高年の世代は気に留めていないことが多い。一説には、句点を多用するメールの文体に慣れた中高年の人々がチャットでも同様の文体を使用するために、若い世代にとっては異質なチャットメッセージになってしまうとされている。
一方、筑波大学の岩崎拓也は、若い世代もメールやXでは句読点を普通に使っているとした上で、「マンガなどの吹き出しでは句読点が使われることが少なく、SNSのメッセージは吹き出しで表示されるため、句読点がない方が馴染むのではないか」「世代間ギャップの問題にすぎない」と述べている。また、若い世代が句点にネガティブな意味を持たせるのは同世代間のみであり、若者批判の印象操作とする意見もある。
英語圏でもすでに2020年には同じような指摘があった。【この最後の一文には注があり、以下の記事を紹介している: “Full stops can annoy Gen Z, warn linguists” (英語). The Daily Telegraph (2020年8月24日).】
あるいはこのような記事もあった。
若者が感じる「マルハラ」とは? 文末の句点「。」から威圧感を覚える理由を探る
益子 貴寛(ましこ たかひろ)Voista Media2024.03.14
みなさんは「マルハラ(マルハラスメント)」という言葉をご存知ですか?
LINEなどでのメッセージのやりとりで、主に若者が文末の句点「。」から圧力を感じることを「マルハラ」といい、最近話題となっています。あるアンケート調査では、若い女性の4割が句点に威圧感を覚えたことがあると回答したそうです。
以下、マルハラについて一緒に考えてみましょう。
マルハラはあくまで便宜上の言葉。
いわゆるハラスメントではない
パワハラ防止法(労働施策総合推進法)では、職場でのパワーハラスメントを「優越的な関係を背景にした言動で、業務上必要な範囲を超えたもので、労働者の就業環境が害されること」と定義しています。
厚生労働省が具体的に示している6類型は、
身体的な攻撃(暴行・傷害)
精神的な攻撃(脅迫・名誉毀損・侮辱・ひどい暴言)
人間関係からの切り離し(隔離・仲間外し・無視)
過大な要求(業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制・仕事の妨害)
過小な要求(業務上の合理性なく能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じること・仕事を与えないこと)
個の侵害(私的なことに過度に立ち入ること)
です。
マルハラは、これらのうちどれに該当するのでしょうか?
あえていえば「2. 精神的な攻撃」に該当する可能性がありそうですが、いずれにしても内容が問われるのであって、句点の有無がハラスメントの直接的な理由とはならないでしょう。
このように、マルハラはあくまで便宜上の言葉と考えておきましょう。
たしかに感じる句点「。」からの圧力
とはいえ、LINEなどのチャットで文末に句点を使う人は少数派といってよく、むしろ絵文字を入れたり、適度に感嘆符「!」を使ったりすることがほとんどです。このようなコミュニケーションに慣れている現代では、句点「。」から何かしらの圧力を感じる人がいるのは、無理からぬことです。【以下略】
また次のような記事も:
議論を呼んでいる『マルハラ』 俵万智の金言に胸打たれる 「素敵な言葉」「感動しました」By - grape編集部 公開:2024-02-08
2024年2月現在、SNSで議論を呼んでいる、『マルハラ』という言葉。
マルハラとは、『マルハラスメント』の略称で、中高年層が「はい」や「了解」などの言葉の最後に句点を付けて、若者にメールやメッセージアプリで送ることを指します。
送られてくる文章の文末に句点が付くことに対し、相手の感情が分からず、恐怖心を抱く若者が増えたことにより生まれた言葉のよう。
『マルハラ』という言葉が世間に知れ渡るとともに、「句点を多用するのは『おばさん構文』」とネット上で話題になり、複数のメディアが取り上げました。
*俵万智の『金言』に絶賛の声
同月8日、短歌『サラダ記念日』で有名な、歌人の俵万智さんがX(Twitter)を更新。
マルハラや『おばさん構文』にまつわる話題を目にしていた、俵さんは、「そっと置いておきますね」と、自身が詠んだ一首を投稿しました。
「✕でなく、○で必ず終わる日本語」と、句点を指すような一首を詠んだのです。
きっと俵さんは、『マルハラ』と呼ぶほど、句点を恐れる若者に、恐怖の対象ではないことを優しい表現で伝えたかったのでしょう。
また、言葉のプロでもある俵さんは、この一首を通して、文章の文末に『。』を付ける美しさや、年齢と句点は関係がないことも伝えたかったのかもしれません。
『金言』とも呼べる、俵さんの心に響く一首に、絶賛と感動の声が寄せられています。
・『おじさん構文』『おばさん構文』と揶揄(やゆ)する文化。優しい世界になってほしい。
・最高です。日本語の優しさを伝えてくれて、ありがとうございます。
・句点が怖いと思う人たちに、ぜひ読んでほしい。
・言葉を生業にする人は違うなあ。感動しました。
・ギスギスした気持ちを解きほぐしてくれる、素敵な言葉…。
言葉の使い方は、時代によって変わりゆくもの。
手軽にやり取りができるメッセージアプリの普及によって、句点が除かれたやり取りが増えてはいるものの、美しい日本語で物事を表現する大切さは、どれだけ時が経っても変わらないはずです。
俵万智さんが歌で詠んだように、句点を『マル』だと思えば、苦手意識を克服できるかもしれませんね。[文・構成/grape編集部]
ただしgrape編集部のこの記事のなかで俵万智の歌の引用がおかしい。「✕でなく、○で必ず終わる日本語」というのは俳句(季語がないので川柳か)でもないし和歌でもない。いったい何なのだと疑問に思ったが、次の記事を参照。
「マルハラ」はNG?好かれる、嫌われるLINEの差
文章の最後に「。」をつけると怖いと感じる若者
高橋 暁子 : 成蹊大学客員教授/ITジャーナリスト 2024/02/20 9:30 東洋経済ONLINE
「文章の最後にマル(句点)をつけるだけで怖い」と言われてしまう話題の「マルハラ」ですが、大人世代は若者に合わせないといけないのでしょうか?」
「文章の最後にマル(句点)をつけるだけで怖いと言われるなんて。もう何を書いていいかわからない。マルハラって?」と困惑している人も多いのではないか。大人世代は、LINEの作法も若者世代に合わせなければならないのだろうか。併せて、LINEの使い方によって好かれたり嫌われたりする理由と対策までをご紹介したい。
俵万智さんも困惑、マルハラはいけないこと?
好まれるLINEの文章は、世代によって異なる。その顕著な違いが「マルハラ」だ。大人世代からマル(句点)のついた文章を送り若者に威圧感を感じさせてしまうことが、一部ではマルハラスメント、通称「マルハラ」と呼ばれている。
大人世代はLINEの文章でマルをつけるのが当たり前だが、若者世代は基本的に使わない。そして普段マルを見慣れないため、ついていると意味を見出してしまう。怖いとか冷たいと感じたり、威圧感を感じたりしてしまうのだ。
歌人の俵万智さんも、「句点を打つのも、おばさん構文と聞いて…」と、「優しさにひとつ気がつく ×でなく○で必ず終わる日本語」という句を発表している。当たり前のことをしていただけで怖がられてしまい、困惑した大人世代の気持ちを代弁したものだろう。
では、大人世代がLINEの文章に句読点や絵文字をつけるのはいけないことなのか。大人世代は、若者に合わせなければならないのだろうか。【以下略。】
「優しさにひとつ気がつく ×でなく○で必ず終わる日本語」これなら立派な和歌で、しかもうますぎる。「grape編集部」は和歌の一部を切り取って引用している。そんな無教養なバカが日本についての記事を書くな。
バカはともかくとして、「マルハラ」について疑問がある。LINEなどのチャットで、句句読点を使わない若者たちが、句読点、とりわけ「。」を使う年配者のチャットに違和感を覚えて、「おばさん構文」あるいは「おじさん構文」と揶揄するのは理解できる。
実際問題としてLINEやXでは短文というかフレーズでコミュニケーションするので句読点は必要ない。無理に句読点をつけると、その句読点自体に意味が生じてしまいコミュニケーションが阻害されてしまいかねない。句読点は余計者なのである。
だから句読点をつけるLINE上での吹き出しコメントを年寄りくさいとバカにしたり嫌うのは理解できるとして、それがなぜ威圧的に思えるのだろう。
威圧的だからこそマルハラという言葉が生まれたのだが、ほんとうに句読点の「。」を威圧的に感じているのか。少なくとも俵万智氏は「。」を威圧的どころか好ましいものと感じているところが嬉しい。俵氏は「。」を威圧的と感じていない。俵氏と同じ受け止め方をする人は多いだろう。また俵氏と同様に「。」を好ましいと感ずる人は、それほど多くないと思うが、物言わぬ句読点「。」についてはいろいろな感じ方があって当然である。一様な受け止め方、つまり一様に威圧的と感ずることには、なにか不自然なところがであり、そこには陰謀めいたものを感ずるのだ。
というのも文末の句読点(日本語では「。」)が威圧的というのは、発想がまったく英語だからである。言語表現の用例は無限にあるので、日本語の「。」が威圧的なかたちで使われる例があるかもしれないが、ただ、それは慣用ではない。ところが英語ではピリオド(.)は威圧的に使うのである。
Weblio辞書(英和辞典・和英辞典)はperiodの語義を以下のように説明している:
名詞:期間、時代、周期、終止符、月経
形容詞:ある時代の、月経の
間投詞:以上、終わり -
そう、periodには名詞の用法だけでなく、間投詞の用法がある。
以下Weblioが示す間投詞としての用法。
間投詞
以上、終わり
「period」が間投詞として使われる場合、話の終わりや強調して何かを終結させる際に用いる。具体的な例を以下に示す。
・例文
1. I am not going to discuss this matter any further, period.(この問題についてこれ以上話し合うことはない、以上。)
2. You're grounded for a week, period!(君は1週間外出禁止だ、終わり!)
3. No more excuses, period.(言い訳はもう聞きたくない、以上。)
4. We are done with the negotiations, period.(交渉は終了だ、以上。)
5. That's my final offer, period.(それが私の最終提案だ、終わり。)
私は、英語でperiodをこういう間投詞として使ったこともないし、また幸い、このようなことを英語で言われたことはないのだが、「もう黙れ、これでおしまい、これ以上なにもいうな」という意味で英語では、実際に‘Period’と声に出していう。
こういう間投詞としての「ピリオド」は威圧的・遮断的・排他的・抑圧的である。それは文章におけるピリオド(.)について慣習的に威圧的・抑圧的に感じているからこそ、音声でも「ピリオド」という間投詞的表現が生まれたのだろう。
日本語とは無縁の発想なのに、英語の発想に洗脳されて、句読点が威圧的あるいはパワハラそのものという感想を抱いてしまったとしたら……。「。」を威圧的と感ずるのは、それこそクズ・インフルエンサーに操られているとしか思われない。しっかりしないとZ世代はゾンビ世代になってしまうぞ。(マル)