1魔女たちは誰が書いたか?
『マクベス』といえば魔女たち(Three Weird Sisters)である。劇の冒頭、嵐の中、登場する彼女たちは人間界の騒乱を斜に構えてみつめ、マクベスに会うことを宣言して、その場を去る。おそらく箒に乗って。「きれいはきたない」「きたないはきれい」という有名なフレーズを語りながら。
『マクベス』といえばこの魔女のシーンが欠かせないというか、劇中でもっとも有名な場面かもしれない。しかし近年の研究では、この場面は後世のつけたしであってシェイクスピアが書いたものではないとも言われている。
私たちが読んできたシェイクスピアの『マクベス』は、シェイクスピア以外の劇作家が手を加えた版であって、オリジナルのシェイクスピアのそれには、冒頭の魔女のシーンはなかったかもしれない。
なるほど、そういわれてみると、冒頭の場面は、韻律からして異質で、場面構成からしても現行の第1幕第2場からはじまったほうがシェイクスピア劇らしい。魔女の場面はシェイクスピアの作劇法ともなじまない異質な場面である。もちろんシェイクスピアらしくないから、別人の手になる追加であろうと考えるのは単純すぎる考え方かもしれないが、ただ劇中にほかにもある魔女関連の場面は後世の追加と思われるので、冒頭のこの場面も同様な追加であろうと考えることにも一理ある。
もっとも冒頭の場面に限っては、その誰もが感嘆する有名な台詞からしても、またその簡潔かつ不気味な雰囲気からしても、さらに劇的世界との連続性などからして、別人の手によるものではないという考え方もある。
ちなみにその別人とは、シェイクスピアの後輩にあたる劇作家トマス・ミドルトン。現在、ミドルトンの一巻本全集がオックスフォード大学出版局から出版されているが、そのなかには『マクベス』と『尺には尺を』が、ミドルトン作として収録されている(現在、私たちが読んでいるシェイクスピアの『尺には尺を』もミドルトンによる加筆改訂版であるとみなされている)。
とにかく冒頭の有名な魔女たちの場面が、後世による加筆であり、もしシェイクスピアが生きていたら、勝手なことをするなと激怒するか、あるいは自分の意向とは違う追加を投げていて自殺するかもしれないような場面であるというのは、かなり残念である(現在、日本では漫画家がその作品をテレビドラマ化されるときのトラブルによって自殺をした事件が記憶に新しいのだが、いまの記述はそれを揶揄するものではない)。
もっとも当時、版権というか著作権は劇作家ではなく劇団が所有していたため、劇作家は自分の作品が改ざんされること、加筆されたり削除されたりすることについて文句を言えなかった。ただしシェイクスピアは、著作権をもっていなかったのだが、劇団員であったために、実際の上演に際しては原作者の意向を無視するような改変があれば、文句を言っていただろうから、作者の意向に沿わない上演はなかっただろうと言われている。
ただし作者の死後の改変については作者は反対できない。となると『マクベス』の冒頭の場面、あれほど有名な場面が、非シェイクスピア的場面でオリジナルではないとして削除されることになるのだろうか。
いや、そういうことにはならないだろう。もし仮に冒頭の魔女の場面がなかったとしても、後世あるいは現代の演出家は、魔女が登場する場面を創造するだろうから。その場面が、現行の『マクベス』の魔女の場面と同じか似ているかはなんともいえないが、とにかく冒頭の場面に似ている場面を実際の公演では必ず付け加えていたはずだ。だから仮に冒頭の場面がなくても、『マクベス』の上演には、なんらかの全体を枠取るような、全体を暗示するような儀礼的な場面が演出家によって追加されただろうから、実際の『マクベス』上演は、現行の上演とたいして変わらなかっただろう。
2 魔女たちは何をしているのか。
『マクベス』にははっきり書かれていないが、魔女たちは、何をするために嵐のヒースの原野に集まり、また何のためにマクベスの運命に介入するのか。
答えを先に言えば、人間の魂を盗むためである。では人間の魂を盗んで何をするのか。これも答えを先にいえば、人間の魂を使って未来の予言するため、あるいは未来を垣間見るためである。
ただしキリスト教の世界観では、人間の魂は神によって守られている。死後は天国に行くものと決まっていて、魔女や悪魔は簡単に盗めない。
ただし天変地異や災害が起こって死んだり、あるいは戦争によって死んだりする場合は、満足な臨終の儀式を行なうことができないまま、つまり魂が神に守られるようにする手続きを踏めないまま死ぬため、無防備な魂は悪魔や魔女に奪われてしまう。
だから『マクベス』において、魔女たちは、人間が一度にたくさん死ぬ戦場に赴いて、そこで死者の魂を手に入れるのである。
ただし人間の魂は、そうした例外的な状態においてだけでしか獲得できない。年がら年中、天変地異や戦争が起こることはないから、人間の魂の獲得にはたいへんな困難が伴う。
ただし愚かな人間は、時折、自分から魂を悪魔に売ろうとする。自分の魂を、自分から売り渡そうとするバカがいるから、悪魔や魔女は、貴重な人間の魂を確保できる。『マクベス』のなかでマクベスは悪魔に魂を売るというようなことは一言も口にしないが、魔女たちの巧みな誘導によって自分の魂を売り渡すような人間となる。魔女たちは、マクベスの魂を狙っているのである。
繰り返すが魂を手に入れることで未来の姿を観ることができる。実際『マクベス』のなかには未来の姿を垣間見せる予言的場面がいくつも存在する。
3.マクベスは誰の子
マクベスMacbethの名前には、ケルト系というかスコットランド系のMacという文字が入っている。これはson ofの意味だといわれている。そのためマッカーサー(MacArthur)というのはアーサーさんの息子の家系、マクドナルドMacDonaldはドナルドさんの息子の家系。そしてマッキントッシュ(McIntosh)はイントッシュさんの息子ということになるが、イントッシュというのは聞きなれない名前。実は、マッキントッシュMcIntoshの家名は、ゲール語 "Mhic an Tòisich" の英語読み "Mac an Toisich" からきているとのこと。
とまあ、こういうことだとすると、マクダフMacDuffはダフDuffさんの息子ということになる。マクベスMacbethは、そうなるとベスBethさんの息子ということになる。ベスBethというのはエリザベスElizabethという女性の名前の略称でもある。マクベスに限っては名字に女性の名前が入っている父親ではなく母親の息子なのである。
これはなんともおかしいと思うだろう。ウィキペディアで歴史上の王マクベスについて調べてみると:
マクベタッド・マク・フィンレック(Mac Bethad mac Findlaich, 現代ゲール語:MacBheatha mac Fhionnlaigh, 1005年 - 1057年8月15日)は、スコットランド王(在位 : 1040年 - 1057年)。ウィリアム・シェイクスピアの戯曲の題名にもなったマクベス(Macbeth)の通称で世界的に知られる。マルカム2世の次女ドウナダ(Donada)とマリ領主フィンレック(Findlaich)の間に生まれた。異父兄にオークニー伯トールフィン(ソーフィン)がいる。マクベスの名は、ゲール語で「生命の子(マク・ベーサ)」の意味である。
つまりマクベスMacbethというのは英語読みで、ゲール語ではマクベタッドMacBethadでベス/エリザベスとは何の関係もない。マクベタッドという名前というか表記には女性あるいは母親の影はない。ところがそれを英語化すると〈マクベス=ベスの息子〉という女性的なものが入ってくる。
おそらくそれが狙いであろう。マクベス自身、魔女の言いなりになり、そのあとには魔女のようなマクベス夫人にいいなりになる。また魔女の予言、魔女の庇護なくて、何もできない臆病者であり、また女性的影響があるがゆえに、悪辣で残忍な独裁者となる。
そしてこのマクベス(ベスの息子)を倒すのが、マクダフ(ダフの息子)であり、マクダフは、月足らずで母親の腹を破って出てきた男、女の影響を受けず、むしろ女/母親を殺して生まれてきた男の中の男、母親の影のない男なのである。マクダフは帝王切開で生まれてきたということなのだが、今の帝王切開とは異なり、当時は、母親のおなかの中の子供を助け出すために行なうもので、当然、帝王切開後、母親は死んでいた。
【なお「ベスの息子」という専制君主は、エリザベス女王の申し子であり、前時代の悪弊の体現者というかたちで、悪魔化の対象となったのかもしれない。ジェイムズ一世時代に、そこまでエリザベス女王が嫌われていたかどうかわからないが、シェイクスピア自身はまちがいなくエリザベス女王を嫌っていただろうから、マクベスという名称に唾棄すべき忌まわしきイメージを付着させることになんの躊躇もなかっただろう。もちろん女性的というジェンダー化によってマクベスをただ悪魔化したということかもしれないが。】
