2023年11月08日

『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』1

犯罪、それも大掛かりな犯罪、あるいは長期にわたる犯罪、さらには歴史の闇に隠れていた犯罪というのは、『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーンKillers of the Flower Moon』(マーティン・スコセッシ監督2023)であれ『福田村事件』であれ『ジャニー喜多川性加害事件』であれ、いい意味でも悪い意味でも興味をもたれ、映画化されるにふさわしいコンテンツとなっている(あ、ジャニー喜多川性加害事件は、まだ映画化されなていなかったが、映画化される日が待ちどおしい)。

『福田村事件』は今年度のベストの映画と思っていたが、『キラーズ……』もまた、ベストのアメリカ映画ではないかという思いをいだかずにはいられなかった。ともに犯罪を暴く映画である。

犯罪物の特徴は、たとえ犯罪者が事件当初はあるいは事件後もずっと罰せられることがないとしても、いつかは罰せられることにある――もしそうでなければ犯罪物がつくられるはずがない。そのため犯罪への恐怖と怒りだけでなく、犯罪が暴露されることで希望もわいてくる。犯罪を予防する途もみえてくる。犯罪物、実録映画は、そのためエンターテインメントである――楽しませつつ教えるのだから。実際、『キラーズ』のなかには、FBIの協力のもと実際の犯罪を紹介・解説するラジオ番組を再現する場面があり、それを後日談の代わりにしている(スコセッシ監督がカメオ出演している)。実録犯罪物は、楽しませつつ教えるという昔からの芸術文化作品の典型でもある。

西部劇ものとしてみると、第一次世界大戦(当時は大戦と呼ばれたのだが)の余韻の冷めやらぬ1920年代、アメリカのオクラホマ州オーセージにおける油田の受益者であるオーセージ・ネイティヴ・アメリカンの連続殺人事件を扱ったもので、いわゆる修正主義西部劇Revisionist Westernに分類されるのだろう(英語版WikipediaのRevisionist Westernの項目には『キラーズ』がこれに分類されている)。あるいは歴史物としてみるとFBIの前身であるBOI(the Bureau of Investigation)が創立当初、エドガー・フーバー長官のもと、初めて扱った大事件がこのオーセージ族殺人事件であり、まさにFBI誕生の物語となっている。ジェームズ・スチュアート主演の『連邦警察FBI Story』 (1959) には、この事件のことが出てくる(この映画は、昔見た記憶があるのだが、内容をすっかり忘れているので、見直したいと思っている)。

ただ映画をはじめから見てみると、その流れのなかでみえてくるのは、石油が出たことでオーセージ・インディアンの人々がこうむることになる生活と人生の激変、要するに巨万の富を手にした人びとを襲う惨劇の連鎖である。

【ちなみに「インディアン」という言葉はいまは使ってはいけない言葉なのだが(実際ネイティヴ・アメリカンの人々は、「インド人」ではないのだから)、当時は、「ニグロ」ともども、ふうつに使われていた言葉でもあるので、本稿でも、ことわりなく「インディアン」という表記を使うかもしれない。また私が子供の頃、アメリカのテレビのホームドラマの日本語版を見たときのことだが、そのとき吹き替えで「インジャン」という耳慣れぬ言葉が聞こえてきた。そう、日本のテレビ局は、いくら元のアメリカのテレビ番組での台詞に使われていたからといって「インジャン」という語をそのまま使っていたのである。「インジャン」は「インディアン」以上に使ってはいけない侮蔑語。それが日本のテレビの画面から聞こたのである。】

アメリカでは、宝くじ、プロスポーツ選手の契約金、損害賠償金といったかたちで巨万の富が個人の財産となることある。コーヒーをこぼしただけで、裁判で3億円もの賠償金を得たというマクドナルド・コーヒー事件がある(その後、賠償金は減額されたようだが、それでも高額である)し、類似の裁判はほかにもいろいろあるようだ。問題は被害者が受け取る額が個人で管理できないほど高額すぎることである。しかし、そこは心配しなくていいのかもしれない。高額の賠償金、つまりは巨万の富を手に入れた個人は、食い物にされて、その財産をほとんど失うことが多いのだから。つまり高額の金が社会に流れてゆく。絶大な経済効果ありとみることもできるのだから。

今年観た映画『To Leslie トゥ・レスリー』(2022)は、宝くじで高額当選したのだが、その6年後には路上生活をすることになる女性を扱った作品である。その映画の眼目は、彼女が自堕落で転落の人生を送る羽目になったというよりも、周囲が彼女を食い物にして、その賞金をよってたかって奪い取ったということにある。アメリカン・ドリームの実態がこれであろう。成功してどんなに巨万の富を手に入れようとも、それはすぐに横取りされ社会に還元され、経済効果を生む――たとえ幸運をつかんだ者を不運のどん底に陥れようとも。この不条理を、アメリカ社会は倦むことなく再生産してきたのである。

そしてその犠牲者たちに加えられる一群に幸運な人生を約束されながら不運の連鎖に巻き込まれたオーセージ・ネイティヴ・アメリカンがいたということになる。




posted by ohashi at 12:07| 映画 | 更新情報をチェックする