是枝裕和監督の『怪物』は、坂元裕二の脚本がカンヌで賞をもらったのだが、しかし、脚本の内容は、いかにも是枝監督の映画と頷けるような、これまでの是枝監督の映画とみごとにシンクロしていて、監督自身の脚本であるかのようにもみえる。
『一秒先の彼』は台湾映画のリメイク作品で宮藤官九郎の脚本なのだが、それでも、いかにも山下敦弘監督の映画としかいいようない、監督自身による脚本によるものといえる作品となっている。
そう、この映画の時間凍結は、もちろん、山下監督の専売特許ではないものの、いかにも山下監督の映画ならではの特徴となっている。もちろん台湾映画の設定ではあるのだが。
この時間凍結が、この映画のキモでもあるのだが、それには主人公や彼に片思いの女性の名前が重要な鍵となる。
岡田将生演ずる主人公をハジメと表記し、清原果耶演ずる恋人をレイカと表記している映画紹介がほとんどなのだが、主人公(岡田将生)の名前は皇一である。姓ではなく名前だけかと思うかもしれないのだが、皇一で姓と名。「すめらぎ・はじめ」と読む。「皇」は皇室とか天皇家に関わる姓となるため、現実には存在しないだろうと思うのだが、存在しているらしい。なお「皇一」で姓と名なので、自分の姓名を漢字で手書きで書くときは、おそらく誰よりも早く書ける。皇一(すめらぎ・はじめ)君がせっかちで、いつも他人よりも一秒先をいくのは、この姓名のせいでもある。
彼の恋人(清原果耶)の名前はレイカだが、姓名を書くと「長宗我部麗華」となる。「長宗我部」は戦国武将の名前だから読める――そう、「ちょうそかべ」と。この「長宗我部麗華」/「ちょうそかべ・れいか」は発音しても長い姓名だが、漢字で書くと、その画数はハンパなく多い。もし自分の名前を手書きで書くとなると、時間がかかり、どうしても人よりも遅れる。彼女がいつも人よりも遅れるのは、この画数の多い長い姓名のせいである。
映画の後半に時間凍結がおこるのだが、長宗我部麗華は、凍結の影響を受けない。そして、もうひとり時間凍結の影響を受けない人物が登場する。それが荒川良々演ずるところのバスの運転手で、名前は釈迦牟尼仏憲。これは読めない。というか苗字を「しゃかむにほとけ」あるいは「しゃかむにぶつ」としか読めないのだが、これは「みくるべ」という苗字で、釈迦牟尼仏憲は「みくるべ・けん」と読む。そしていうまでもなく姓名の漢字の画数はおどろくほど多い。彼もまた自分の姓名を手書きするときには人一倍時間がかかるのである。
長宗我部麗華と釈迦牟尼仏憲――この画数がハンパなく多い姓名をもつ二人に、時間凍結が訪れる。周囲の人間がみんな動かなくなるのである。それは、自分の姓名を手書きするとき、時間がかかりすぎて、時間をロスしている二人に、神様があたえたボーナス時間ともいえるものなのだ。
つねに周囲の人が先に終わって先に進み、どうしても取り残されてしまう人間に、自由に使えるというか、これまで失ってきた時間を神様がとりもどしてくれた。それが時間凍結であり、この時間凍結の間に、ふたりは、人生で、日常で失った時間を取りもどすことができるのである。
一方、皇一(すめらぎ・はじめ)は――たしかに漢字二文字の姓名はあっというまに手書きできる、しかも名前は漢字一字「一」だ!――常に一秒先いや、それ以上先に行ってしまうので、とりこぼす時間、あるいは気づかずにすぎてしまう時間が多い。彼はこの時間凍結によって、気づくと、まるまる一日を失っている。
その失われた一日を、いつものろまで人よりも遅れる彼女がひろいあげ活用して、最後に二人は再会をはたす。彼女のほうが彼の失った時間を丁寧に有効活用して最後に彼の元にたどりつくのである。
ここからいろいろなことが言えると思うのだが、それはまた別の機会に――わすれていなかったならの話だが。
