イアーゴーは、最後にもう何も語らないというのだが、『オセロー』の前に書かれた悲劇『ハムレット』でも、ハムレットは、あとはなにも語らないといって死んでゆく。
ハムレットもイアーゴーも、あとは何も語らないといって死んでゆくのである(イアーゴーはこれから処刑されるのだろうが)。ハムレットとイアーゴーはその最期が似ている。
いや、ふたりは他の点でも似ているのだが、これは私が常々考えている、そして残念ながら賛同を得られていない『ハムレット』と『オセロー』の相同性とも関係する。
両作品は、同じ劇団の劇団員を念頭において座付き作者が創作したものである。登場人物を対照させてみよう。
ハムレット イアーゴー
ホレーショウ(ハムレットの友人) ロデリーゴー(イアーゴーの友人)
レアティーズ(ハムレットのライバル) キャシオ(イアーゴーのライバル)
クローディアス(父親的存在、叔父) オセロー(父親的存在)
ポローニアス(父親的存在) ブラバンショー(父親的存在)
ガートルード/劇中劇の女王 エミリア/ビアンカ
オフィーリア(ハムレットの恋人、歌を歌う) デズデモーナ(イアーゴーと仲良し、歌を歌う)
フォーティンブラス(新支配者) ロドヴィーゴ(ヴェニスからの使者)
このどこがハムレットとイアーゴーの共通点かといえば、どちらも不釣り合いな、あるいは正常ではない結婚に反対しているからである。
ハムレットは、母と叔父との早すぎる結婚に、イアーゴーは、父親ほど年上の男と若い女性の結婚、それも異人種結婚に、それぞれ反対している。
当時のシャリバリには、いろいろな理由が考えたれたが、こうした異常な結婚に対する若い男性たちの非難行為――具体的にはにバカ騒ぎをしたり、当事者夫婦に屈辱的な制裁を加えたりした――は常套化していたふしがある。
ハムレットは母親と叔父との結婚に反対して嫌がらせをおこなう。
イアーゴーはもっと派手に、もっとシャリバリ的に騒乱を起こし、オセローとデズデモーナの結婚に反対するかにみえる。その邪魔をする。前者が近親相姦的な結婚であったすれば、後者は、年齢差婚のみならず異人種婚ということもあり、そこに人種差別的偏見と怨念がからんでくることは疑問の余地がない。
あとここで『オセロー』をめぐる長い時間と短い時間というダブル・タイム(Double Time)の議論を振り返っておこう。
『オセロー』は、ヴェニスでの一夜から始まり、舞台はキプロス島へと移る。そしてキプロス島についてから長い時間がかかって悲劇的結末にいたるとみることができる(長い時間Longer time説)。
しかし、みかたによっては、キプロス島についてから次の夜にオセローはデズデモーナを殺したともとれる(短い時間Shorter time説)。長い時間説というのは、オセローがイアーゴーに騙されて徐々に愛する妻への不信感が増して、そしてついに妻を殺すにいたると考えられるからだ。愛する妻を殺すのには、憎悪の長い熟成期間が必要である。また結末いたるまでにヴェニスからの使者が到来したりと、いろいろなことが『オセロー』では起こる。そのため、長い時間(数週間から数ヶ月)が経過するとみるのは自然なことである。
いっぽう短い時間説は、愛する妻を殺すというのは、思わずかっとなって殺したということであり、長い時間を経れば、冷静になり妻への疑いや怒りも鎮静化することが多いのだから、これは短期間であればこそ可能となった凶行である。
この短期間説には、さらに重要なこととして、オセローとデズデモーナが、実は初夜を迎えていないのではないという昔からある説とも関係がある。
どういうことか。
1)最初にオセローとデズデモーナが結ばれたかもしれないヴェニスでの一夜には邪魔が入る。イアーゴーの策略によって、デズデモーナの父親が一族郎党をひきつれて、オセローとデズデモーナがいるサジタリー亭にやってくる。これで初夜はなくなる。
2)オセローとデズデモーナはすぐにキプロス島へと出発する。このときオセローとデズデモーナは別々の船でゆく。船上での初夜はない。
そしてキプロス島でオセローと再会したデズデモーナ、ふたりはその夜、初夜を迎えることになるが、イアーゴーが仕組んだ騒乱によって、ふたりは初夜を迎えることができない(二人が初夜を迎えることができなかったという暗示は、次の翌日の場面のなかに認められる)。
3)そしてその次の夜、いよいよ初夜を迎えるというときオセローはデズデモーナの首を絞めて殺すのである。
となるとふたりは肉体的に結ばれなかったことになる。
そしてそれを邪魔したのはイアーゴーである。
黒い肌の男と白い肌の女が身体的に結ばれるか結ばれないかというまさに瀬戸際に邪魔が入る。この邪魔は何に由来しているのだろうか。イアーゴーが邪魔をしていることはいうまでもない。騒乱と殺人というカオスの配達人たるイアーゴーは、シャリバリの主催者であり、異人種結婚に総毛立つ人種差別的偏見の体現者かもしれない。
だが、これはイアーゴーが意識しているかどうかはわからない。そのような偏見なり憎悪は、無意識的なものかもしれないのだが、ただ、偏見と憎悪や嫌悪、そして恐怖をあおっているシェイクスピアの隠れた手の働きは否定しようがないだろう。
『オセロー』におけるヴェニスやキプロスの社会は、人種的差別や民族差別のないリベラルな多民族国家なり社会であって、そこでは傭兵の将軍も高い地位に就けるし白人の女性とも結婚できる。実際、『オセロー』の世界は、非白人種が、あるいは女性が高い地位に就けるリベラレルな現代社会に通じている。
だが、そうした社会ですら、その底辺には、おぞましい人種差別的想念が渦巻いている。それは観客ひとりひとりのなかに消えずにうごめいている。シェイクスピアは、その恐怖を容赦なく露呈させているといえなくもない。NTLの演出家の単純な人種差別物語では、その複雑さをとらえきれないのである。
2023年08月02日
『オセロー』NTL 3
posted by ohashi at 21:53| 演劇
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