2023年07月13日

『To Leslie トゥ・レスリー』

私は、アンドレア・ライズボローの昔からのファンだというと、納得される方もいれば、驚かれる方もいるだろう。彼女のことを知らないと、なんで、こんな汚れ役としてはすごいけれども、それ以外にはファンになるような魅了に乏しい女優の長年のファンなのかと不思議がられるかもしれない。

『ヴィーナス』(2006)に出演していた頃から観ている私は(とはいえ当時はまだ彼女のことを認識していなかったが)、『ハッピー・ゴー・ラッキー』(2008)、『わたしを離さないで』(2010)、『ブライトンロック』(2010)などに出演していた彼女に注目しはじめていたのだが、『ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋』(2011)ではシンプソン夫人を演じ、『シャドー・ダンサー』(2012)で主役を演じた彼女のファンになった。

マドンナ監督による『ウォリスとエドワード』、公開当時こそ、評判はよくなかったが、現在では高い評価を得ている映画で、その二重構造も、公開当時と異なりいまでは高評価の要因ともなっている。シンプソン夫人を演じた彼女が、『シャドー・ダンサー』では、IRAの活動についての情報屋を余儀なくされた子持ちの女性を演じていた。共演はオーウェン・クレイグ。緊迫感にみちた映画で圧倒された。

その後、トム・クルーズと共演した『オブリビオン』(2013)、アカデミー賞受賞作『バードマン』(2014)、トム・フォード監督の『ノクターナル・アニマルズ』(2016)などの映画では、いずれも主演ではないが確固たる存在感を主張していたし、こうした評価の高い有名な映画に出演していた彼女を知る映画ファンも多いと思うので、今回の『To Leslie』について、「この女優」といかいってコメントしているネット上の人間については、ほんとうに映画好きかと疑ってしまうし、なんにせよ多少は調べてからコメントすべきではと思ってしまう。

ファンとしての私は彼女が主役になる映画を待望していたが、そこで問題作に出会う。『マンディ 地獄のロードウォリアー』(2018)である。

パノス・コスマトス監督のベルギー映画『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』(原題Mandy、2018))は、妻(アンドレア・ライズボロー)を殺された男(ニコラス・ケイジ)の凄絶な復讐物語だが、妻が焼き殺されるシーンを観た私は、ふと、ロベール・アンリコ監督『追想』を思い出した。一瞬のことで、そのときはすぐに忘れたのだが、しかし、実はこの『マンディ』は、『追想』を踏まえていることをあとで知って驚いた。

ただ『追想』と異なるところもある。『追想』ではナチスの親衛隊に焼き殺される妻をロミー・シュナイダーが演じ、復讐する夫をフィリップ・ノワレが演じているが、『マンディ』では夫をニコラス・ケイジが演ずるのはよいとしても、殺される妻役のアンドレア・ライズボローが、ロミー・シュナイダーとは異なり、不気味な魔女のような風貌になっていて、善良な女性とはとても思えない、なにか闇に落ちた女性にしか思えなかった。彼女は被害者でありながら、同時に、その存在が死を招いたようにも思われた。それに続く復讐行為も残虐性だけが際立っていて、この頃から、どんな映画にでも出演するニコラス・ケイジ物語が始まっていたように思う。

もし焼き殺された妻がロミー・シュナイダーだったら、私はナチスの親衛隊を一人残らず殺しまくるかもしれないのだが、もし焼き殺された妻が、『マンデイ』におけるようなアンドレア・ライズボローだったら、私はたぶん復讐はしないと思う。それほどまでに、マンデイ/アンドレア・ライズボローは不気味だった。『トゥー・レスリー』の面影すらないのだ。

その後、コロナ禍になって、コロナ自粛中に公開された映画で、ライズボローが出演した映画はみることができなかった。そして2022年アカデミー最優秀主演女優賞にノミネートされた『To Leslie トゥ・レスリー』が出現した(原題:To Leslie、2022年のアメリカ映画。監督:マイケル・モリス)。『マンデイ』のライズボローは、あれからどうなったのだろうかと映画館で確認することになった。

テキサス州西部のシングルマザー、レスリー(アンドレア・ライズボロー)は、宝くじに高額当選するものの、アルコール代にお金を使い果たし、ホームレス状態にまで陥る。息子や友人に助けを求めるが、酒を止めることができず、極貧の放浪生活を余儀なくされるが……。転落からの復活までを描く映画のなかで、その中心はなんといっても、アルコール依存症から抜け出せない主人公の苦難の日々となる。

アルコール依存症はハリウッド映画のお家芸で、それを演ずれば高い評価が保証される。とはいえ、レズリーの境遇と、その性格からして、映画は、彼女が立ち直るのは不可能であることをたたみかけられるような展開というか、このまま彼女が野垂れ死にしてもなんらおかしくない展開となっていて、観ていて暗澹たる気持ちになる――もっともアンドレア・ライズボローの悲嘆と憤怒と絶望の鬼気迫る演技は、観ていて飽きない、つまりそんなに暗い気持ちにもならないのも事実なのだが。

気づくと、私にとって、レスリーの復活物語は、アンドレア・ライズボローの復活の物語ともなっていた。ライズボローがレスリーを演ずるのだから、あたりまえというなかれ。て。彼女がトム・クルーズと共演していた頃の彼女(『オブリビオン』)、あるいは英国国王と結ばれるシンプソン夫人を演じたときの彼女(『ウォリスとエドワード』)、IRAと英国側の諜報戦に翻弄される美しい人妻を演じた彼女(『シャドー・ダンサー』)――そうした彼女からの大きな逸脱は、レスリーの転落の人生と二重写しにみえてきて、しかもレスリーにも、彼女にも立ち直りの可能性はみえなくて、ある意味、どこでどう救済の契機が訪れるのか、期待できそうもないながら、どこかで期待していたのである。

薬物依存症から抜け出せない息子と父親の葛藤を描いた映画『ビューティフル・ボーイ』(Beautiful Boy2018 監督:フェリックス・ヴァン・フルーニンゲン、主演:スティーヴ・カレルとティモシー・シャラメ)で衝撃的だったのは、息子を救う唯一の方法は、息子を救わないこと、見放すことであるというメッセージだった。あたりまえのことかもしれないのだが、親がついつい子どもに手を差し伸べることで、子どもはいつまでたっても依存症から抜け出せなくなる。思い切って子どもを切り捨てること、子どもの自覚をうながすことが、救済の最短距離である。ある意味、アメリカンな思考かもしれないが、同時に、普遍性をもった規範でもあろう。

同様に『トゥ・レスリー』でも、主人公の女性がアルコール依存症と、そこから生ずる転落の人生から脱却すべく自助努力しないかぎり、救いもなにもやってこない。実際、ある時点でアルコールを完全に断つと決心して以降、彼女の境遇も徐々に上向きになりはじめる(もちろん終盤において、彼女が、モーテルの所有者と従業員の変な二人組男性たちと知り合い、そこで働き始めるようになることが、彼女の転機となることは確かだとしても)。自覚と克己が生まれると、支援と救済の輪が同時に広がり始める。いや、そればかりではない。主人公が自覚と克己へと到ると、彼女を援助しその言動を暖かく見守る人たちが昔からいたこと、そして彼女が依存症になって無軌道な行動に走ると、そうした人たちが影をひそめ、支援の輪が消滅してしまっていたこともわかる。自覚と支援が同時共存する。そして自覚なきところ、支援もないこともわかる。

これで社会問題が解決するとは思われない――むしろ、それはアメリカンな幻想かもしれない。しかしこの映画において、彼女の転落の人生は、宝くじに高額当選したことがきっかけだったし、これは誰にも起こりうることではない。宝くじに高額当選ということ自体が問題かもしれないし、実際、高額当選者には不幸な人生が待っていることが多いとも聞く。とはいえ超ラッキーな出来事がアンラッキーへの道を開く事態はレアな事例ではあろう。そのため事態への個人の対処こそが重要になる。

この映画で、残された唯一の道は自助努力でしかないというギリギリの状態に置かれた主人公が、結局、それによって生まれ変わるというのは、ある意味、予想ができなかったがゆえに、逆に、爽快でもある。

この映画は、絶望のきわみにおいても、希望は常に寄り添っていた――自助努力による復活という希望が常に寄り添っていた。この意味で、繰り返すが、この映画は悲惨な人生の果てにある、生半可な救済ではなく、いかにも救済らしい救済を描いたという点で、高く評価できるのである。

ただしコロナ禍におけるライズボロー出演の映画をみていない私としては、二〇一八年以降、彼女がずっと悲惨な役柄しか演じていたかどうかわからないので、彼女の俳優人生における救済と重ね合わせられるかどうかは、正直言って、未確認であるのだが。

posted by ohashi at 22:38| 映画 | 更新情報をチェックする