西洋近代における人間と動植物(鉱物も)との関係を博物誌の発展を通して探るという展示だった。人間と動植物の関係史というのは、ある意味、壮大なテーマで、一美術館の企画展示でそれをカバーすることなどできなのだが、今回の展示は、博物学・自然史の発展を、その書物を通してみることで、人間と動植物との関係に間接的に光をあてるという試みだった。そしてその試みは成功しているといえるのではないだろうか。
というのも展示物のほとんどは書物である。15世紀から19世紀にいたる書物における動植物画や自然描写を、書物の本体を通して観ることは実に貴重な体験であり、どの展示も、いつまでみていても見飽きない感動があった。
したがって今回の展示は、博物学や自然史の変遷を、その媒体である書物を通して示してくれるところに特徴がある。博物学の本は、本の精華である。大判の本に緻密に描かれた動植物の図像は、学術的であるとともに美術的であり視覚芸術の独立した一分野を形成している。それをガラスケースの中に入っているとはいえ、当時の本を通してみることの素晴らしさはたとえようがない。
総じて博物学の本は大判である(今回、フォリオ版よりも大きいというか、その倍もある本を私は初めて見た)。展示してあった小説の挿絵とか絵本のような本と比べるとその大きさには圧倒される。そして驚異的なことは、この大判の本に印刷された緻密な動植物画だけではない。その活字もまた、実に綺麗で整っていて、当時の最高の印刷技術を駆使してた印刷されていることがわかる(私が写真版を通して親しんでいるシェイクピア時代の演劇本や物語本は、印刷が実に安っぽいものであることを、今回の展示を通して痛感した)。
とにかく博物学の書物は、その活字とその図版とともに書物の最高峰である。こうした図入りの博物学本に魅了される人がいるのは当然のことと納得した。
今回の展示には、アニマル・スタディーズに関心があるから訪れたのかと思われるかもしれないが、それも確かにあるのだが、同時に、私は博物学関係の本の翻訳者でもあり、博物学は昔から興味があった。
展示の図録の最後にはゆきとどいた参考文献のページがあって、今回の展示に関係した美術史や博物史について日本で手に入る翻訳文献は網羅してあり有益性の高いものとなっているのだが、その中には、「リン・L・メリル(著)、大橋洋一(他訳)『博物学のロマンス』、国文社、2004年」が載っている。
やむをえず「(他訳)」となってしまっているが、共訳者は、原田祐貨さんと照屋由佳さんである。共訳だが、おふたりに訳してもらい、私は名前を貸しただけということのではなく、私も翻訳し、全体の翻訳をチェックしている。
19世紀英国の博物学人気を扱った本には、他にもリン・ハーバー『博物学の黄金時代』(異貌の19世紀)高山宏訳、国書刊行会1995があり(もちろん図録にも掲載されている)、学術的に権威があるのは、高山宏先生のこの翻訳のほうである。
では私たちの翻訳『博物学のロマンス』は、だめなのかというとそんなことはない。ただ著者が在野の研究者というかアマチュアで、その論述も通常の専門家のそれとは違ってややナイーヴなところがある。しかし、実は、そこが面白いところで、『博物学のロマンス』を手に取られた読者は、楽しい読み物として充足感を得ることはまちがないと思う。
私にとってアマチュア性は悪い言葉ではない。私は永遠にアマチュアでありつづけることを願っている。
追記
展示されている大判の古書は、版画博物館が所蔵しているもの以外にも日本各地の大学や美術館から借り出されたものがある。いかにもそうした本をもっていそうな大学や美術館や施設が載っているリストの中で、明星大学を見出して違和感を感ずる人もいるかもしれないが、明星大学には、西洋の古書のりっぱなコレクションがあって、こうした博物学の豪華本を所蔵していてもおかしくない。私が驚いたのは、放送大学図書館が、豪華本をけっこうたくさんもっていたことだ。べつに高価な古書をもっていてかまわないのだが。
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