2023年03月28日

『ラーゲリより愛を込めて』

『ラーゲリより愛を込めて』についてのAallcinemaの紹介記事の一部

第二次世界大戦終了後にシベリアに抑留され、極限状況の中で過酷な日々を送りながらも、人間の尊厳を失うことなく仲間たちを励まし懸命に生きた実在の日本人、山本幡男の感動の実話を描き大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞をW受賞した辺見じゅんのベストセラー『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』を「ヘヴンズ ストーリー」「64-ロクヨン-」の瀬々敬久監督が映画化。主演は「硫黄島からの手紙」「母と暮せば」の二宮和也。共演に北川景子、松坂桃李、中島健人、寺尾聰、桐谷健太、安田顕。
 第二次世界大戦終了後、シベリアの強制収容所(ラーゲリ)に抑留された山本幡男は、ほかの大勢の抑留者たちとともに飢えと寒さと重労働に苦しめられていた。過酷な日々に耐えられず次々と仲間が死んでいく中、日本にいる妻や4人の子どもとの再会を信じ、懸命に生きていく山本。そんな彼は、戦争で心に傷を負った松田や、軍人時代の階級を振りかざす相沢、子犬のクロをかわいがる心優しい青年・新谷など、劣悪な環境下で希望を失っていく仲間たちも懸命に励まし続けるのだったが…。

なぜ『ラーゲリより愛を込めて』が2023年日本アカデミー賞で最優秀賞を受賞しなかったのか。それを考えてみたい。べつに批判するつもりはない。日本アカデミー賞の選考基準に疑問を呈するつもりもない。理由をあれこれ推測することを通して、映画の特質などがあぶりだせればと思う。

二宮和也が主演男優賞を受賞したが、最優秀賞を受賞しなかったのは、2015年に最優秀主演男優賞(『母と暮らせば』)を受賞していたからか。しかし、それをいうなら妻夫木聡だって、過去に最優秀主演男優賞(『悪人』)で受賞していたから、一度最優秀主演男優賞をもらったら次はないということではないだろう。また二宮和也の演技というか力演に問題があるわけでもなかいから、今回は、『ある男』に多くの賞を与えるという目的があり、それにそうかたちで最優秀賞が決定済みという可能性がある。べつに不正を告発しようとか、『ある男』は受賞にふさわしくないとかいうつもりは全くない。優勝枠とでもいうべきものに、残念ながら『ラーゲリより愛を込めて』は入らなかったということである。

たとえば優秀助演賞を誰にするかという場合、『ある男』は窪田正孝しかいない。作中の人物としての重要度からしても窪田正孝しかない。実際、この映画(あるいは原作も)では、窪田正孝が主人公ということもいえなくもない。弁護士役の妻夫木は、死んだ窪田の足跡を追う語り手でもあって、主人公とはちがうという見方もできる。

いっぽう『ラーゲリより愛を込めて』では助演男優が多すぎる。松坂桃李、中島健人、桐谷健太、安田顕は、いずれも優秀助演男優賞を受賞してもおかしくない存在感をかもしだしていたし、主人公と収容所生活をともにし、また遺書をとどけてきた4人で、いずれも甲乙付けがたい。誰を優秀助演男優賞に選んでも、不満が出そうだ。となれば、一人も優秀助演男優賞を選べないということになる。

最優秀主演女優賞は『ある男』に、主役たる女性はいないし、『ラーゲリより愛を込めて』についても同じである。そうなると最優秀助演女優賞になるのだが、『ある男』では安藤サクラが、『ラーゲリより愛を込めて』では北川景子がいるが、これもふたりの演技に優劣がついたというのではなく、作品の性質が異なり、それが『ラーゲリより愛を込めて』の北川景子を退ける要因となったということである。

『ある男』も、『ラーゲリより愛を込めて』も原作と異なる部分がある。『ある男』の場合、とくに結末については、原作を読んでいた私は、原作の結末そのもの、ならびに原作で使えそうな結末など、すべて使っていても、まだ映画は終わらなかったので、どうなることかと緊張してみていたが、最終的に映画の結末は原作と異なるものの、原作の「精神」を活かした納得のできる終わり方であった。

『ラーゲリより愛を込めて』のほうは、原作というか実際にあった出来事を映画のために変えている。それは許されることだと思うし、映画は史実の忠実な反映(だかそれは可能なのか?)ではなく、史実と虚構の中間に成立するものだと思うので、脚色や潤色はむしろ積極的に進めてほしいと考えているのだが、史実を変えることに抵抗もあろう。原作がフィクションであれば、それを変えることに抵抗はあっても、事実の改変ではないので、容認されることは多い。いっぽう事実なり史実を変えることは真実を隠蔽することになり容認されないことも多い。事実や真実よりも虚構のほうが、真実を伝えやすいという重要な観点は、残念ながら万人が共有するものではないだろう。『ラーゲリより愛を込めて』における、映画的効果のための事実の改変については、それを認めない立場もあるだろう。事実や史実に基づく場合、この問題が常についてまわる。そのため『ラーゲリより愛を込めて』は、『ある男』よりも分が悪いということかもしれない。原作を改変していると言われることと、史実を改変していると言われることの、どちらが批判としては厳しいか。答えは歴然としている。

そのため、もちろん安藤サクラは最優秀助演女優賞にふさわしい演技だったことはまちがいないが、『ラーゲリより愛を込めて』から優秀助演女優賞を出すことは、最初から避けられていたとみるべきだろう。

『ラーゲリより愛を込めて』の北川景子が演ずる二宮/山本の妻山本モジミは、映画のような良妻賢母とは違った生き方をしたという指摘もある。また映画では遺書をとどけるのは4人だが、史実では6人いた。またそれよりももっと映画化しにくい、あるいは映画化不可能な史実としては、6人が遺書を届ける前に、別ルートで遺書は妻に届いていたということがあげられる。こうなってくると映画の感動は丸つぶれである。もちろん、このことは映画では描かれていない。

『ラーゲリより愛を込めて』は、近年の日本の軍国主義映画では描かれることのなかった日本の軍隊の闇の部分を赤裸々に描いている。このことも重要な特徴として挙げられる。そしてこのことがファシズム化した現在の日本の文化において、この映画が批判されかねない要因ともなろう。日本アカデミー賞の選考者たちは、無難な方向に逃げた。『ラーゲリより愛を込めて』を優秀主演男優賞のみとして、あとは『ある男』が各最優秀賞を総ざらいすることにまかせたのである。

『ラーゲリより愛を込めて』ではソ連の過酷な強制収容所の実態が描かれる。実際、このような情況に10年以上も耐え帰国できたのは奇跡に近いといっていい。もし私自身が同じ様な情況に置かれたら、強制収容所のなかで確実に死んでいるだろう(病気になる前に、過酷な労働条件のもと一気に衰弱して)。ロシア人の国際法違反、残忍さが、余すところなく伝えられる【この映画の公開を機に、当時の強制収容所の所員か所長だった人物に取材した記事があったように思うが、取材をうけたロシア人は、収容所では、人道的な管理がおこなわれ、収容者は快適な日常を営んでいたと話すばかりで、残虐行為、国際法違反の実態は語られなかった。こいつこそ、強制収容所に入れて改心させたほうがいいと思ったのだが、プーチン政権のロシアでは、下手なことをいうと、首が飛ぶのだろうから、どんなに踏み込んだ取材でも真実を引き出すのは無理だろうとわかる。】

と同時に、日本の軍隊組織の非道さも確実に伝わってくる。

強制収容所では、収容者の統率管理に便利なように、日本の軍隊の階級制度を維持し、将校や下士官に、強制労働の監督や宿舎内の生活の管理をまかせていた。つまり将校や下士官はふんぞりかえって労働を全くせず収容者たちを叱りつけ鞭打つだけのことをし、配給された食料の上前をはねるのである。戦争が終わったのに、そのような階級制度を利用して収容者たちを監督・統治するソ連側もファシストのクズなら、戦争が終わったのに軍隊の階級制度にあぐらをかき、ソ連側のご機嫌をとろうとする将校や下士官もクズである。

将校や下士官は、他の収容者たち(元兵卒)を、お前たちのような腰抜けがいたから日本は戦争に負けたのだと罵倒するのだが、実際には、日本の軍隊(皇軍)に、こういう腐った将校や下士官しかいなかったから、日本は戦争に負けたのである。このことは明らかであり、私が子どもの頃観ていた日本の戦争映画では、こうした腐りきった日本の軍隊の階級制度はふつうに描かれていたが、日本がファシズム化してからは、あまり描かれなくなった(まあ戦争映画そのものがなくなったのだが)。

また『ラーゲリより愛を込めて』では、銃剣を使う訓練というか人を殺す訓練として捕虜になった中国人(兵士ではなく民間人のようにもみえる)を殺す場面が出てくる。捕虜の虐殺は国際法違反であるが、こうした捕虜処刑の証言は、けっこう残っていて、日本の軍隊がいかに残虐だったかを伝えている。

さらに捕虜虐殺を命じられた兵士は、命令にしたがっただけなのに、戦後戦犯として処罰され、それを命じた上官は刑を免れるという不条理が生まれる。この映画でも暗示されているが、捕虜虐殺を命じた上官たちは保身のために部下を連合国側に売った可能性がある。彼らは早々と帰国し、のうのうと生き延び、いっぽう冤罪のようなかたちで戦犯とされた者たちは強制収容所で過酷な重労働にあえぐという、美しい日本人の皇軍の真の現実が描かれる。またこれが戦後日本の真相であろう。善人は異国の地で強制労働にあえぎ、悪人が何食わぬ顔をして構築する――虚妄の国を。

おそらく『ラーゲリより愛を込めて』は、二つの面からアカデミー賞にふさわしくない映画だったのだろう。ひとつは、史実を改変したこと(だが、これは史実にインスパイアされたというふうにぼかしておけば簡単に許されることだし、またそのようにぼかさなくても容認できることなのだが)、そして日本の真実をつきつけたこと(実はだから史実にインスパイアされた映画とは言いたくなかったのだろう)。

真実というのは、皇軍の浅ましい姿だけではない。すべての映画が現時点の日本を描く必要性はないのだが、この映画は、コロナ禍の日本を描く稀有な映画である。つまり2022年の結婚式のシーンで、参加者が全員マスクをしている。日本のテレビドラマは、現在を舞台にしていても、コロナ禍の現実を、いまなおかたくなに描こうとはしない(マスク姿の片山右京をみたことがあるか)。この映画は、2022年の、いやコロナ禍の現実を描いている。その真実へのこだわりは、新鮮な驚きとともに胸に刺さった。

そしてこうした真実を、不都合な真実として嫌悪するネトウヨを代表とする美しい日本人たちがいることだろう。そのために、『ラーゲリより愛を込めて』は、物議を醸し出さないためにも、日本アカデミー賞からはずれてもらわなくてはいけなかった。むしろ二宮和也が優秀主演男優賞を受賞したことが奇跡だったのかもしれない。映画は、闇から闇へと葬られてもおかしくなかった危険性(あくまでもネトウヨにとっての危険性なのだが)をはらんでいた。しかし、それ闇へと葬りたくなかった人たちもいたということだろう。
posted by ohashi at 23:17| 映画 | 更新情報をチェックする