『ボーンズ・アンド・オール』のルカ・グァダニーノ監督が、ティモシー・シャラメと組んで彼を一躍有名にした映画『君の名前で僕を呼んで』(17)は、そのタイトルで『ボーンズ・アンド・オール』の世界を解く鍵を手渡していたことが、今となってはわかる。
「君の名前で僕を呼んでCall me by your name」は、映画の最後で、ティモシー・シャラメの年上の恋人が電話口を通して彼にささやきかけてくる言葉である。
私が、たとえば、男性で名前が「ベン」だとしよう。相手も男性で名前が「ジョン」だとしよう。私が相手に「君の名前で僕を呼んで」と頼んだら、それは相手のジョンが、私ベンのことをジョンと呼ぶことである(たとえ話とはいえ、日本語の名前にしないのは、日本語だと、よけいなインプリケーションが生まれるかもしれないから)。
逆でもいい、「君の名前で僕を呼んで」と相手のジョンから言われた私ベンは、ジョンのことを「ベン」と呼ぶことになる。
いずれにしても、「君の名前で僕を呼んで」とは、一方の名前が、他方の名前を吸収する、包み込む、覆い隠す……ということである。そう、一方の名前が、他方の名前を食べてしまうといってもいい。
所有の欲望と同一化の欲望に愛は二分されるとするならば、これは、つまり吸収すること、食べてしまうことは、所有の欲望と同一化の欲望の合体である。二つの分裂する欲望が一体化する。そこに愛の究極の姿がある。おそらく実現するのが難しい愛の姿が。
そのため『ボーンズ・アンド・オール』で、死に行くティモシー・シャラメが、「ぼくの体を骨まで食べて」と頼むのは、「君の名前で僕を呼んで」と同じことを言っているのである。
『君の名まで僕を呼んで』と『ボーンズ・アンド・オール』は同じことを言っている。ちがいは、愛する相手を食べたティモシー・シャラメが今回は、愛する相手に食べられるということある
2023年03月03日
『ボーンス・アンド・オール』追記
posted by ohashi at 23:02| 映画
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