2022年10月17日

BL大河

10月16日放送のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の第39回「穏やかな一日」(演出:保坂慶太)において、[まさかのBL展開」というコメントがネット上に現われたが、なぜ、いまになって気付くのかと、ほんとうに呆れた。

というのも、大竹しのぶのサプライズ出演で話題になった9月11日の第35回「苦い盃」(演出:保坂慶太)は、皆無ではないがほとんどなかった。大竹しのぶのサプライズとその怪演について語られるのはいいとしても、実朝=ゲイ説について触れないのは、どうしてか。これは明らかに差別ではないのか。このブログで、視聴者の差別性について弾劾しようかと思っていた矢先だった。

9月12日つまり第35回「苦い杯」が放送された翌日、つぎような記事があった。その一部を引用すると――

「鎌倉殿の13人」大竹しのぶが怪演 「全く本人に見えず」「あまりにハマっていて」
2022年09月12日15時47分 JCAST テレビウォッチ

NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」9月11日(2022年)放送回。鎌倉にりく(宮沢りえ)の愛息・北条政範(中川翼)の急死をめぐり、良からぬ疑惑が走り、疑惑がまたさらなる疑惑を呼び混乱がはじまった。またまた御家人同士の戦になる寸前である。(ネタバレあり)

そんななか、鎌倉殿である実朝(柿澤勇人)は、太郎・泰時(坂口健太郎)を連れて、和田義盛(横田栄司)と巴御前(秋元才加)の夫婦の家に行く。孤独な激務を忘れるためであろう。豪快な和田と過ごすと十分リフレッシュできそうだ。細かなことにこだわり、悩んでいる自分をいっときでも忘れることができるのだろう。何もかも忘れて一緒に酒を飲んだり遊んだりする相手にはピッタリの人である。実際、鎌倉殿はとっても楽しそうだ。

実朝たちはリラックスして平和な時間が流れていた。そして思いついたように和田が実朝を連れて行った場所は「占いの館」であった。

白髪頭のおばば巫女は、何やら水の入った皿に葉のついた枝を浸して、水をまき散らしながらぶつぶつつぶやいている。めちゃくちゃ怪しい。実朝の素性を当てたりするのだろうか?はたまた単なる息抜きシーンだろうか。どういう意味が込められた場面なのだろうと見入っていると、鎌倉殿とおばばの2人の場面に。そこでやっと巫女の役が大竹しのぶさんだと気づいた。まさに怪演。【中略】

そしてこの場面、実朝はおばば巫女に「雪の日には気を付けるべし」とアドバイスされる。きっとこの言葉は、後に響いてくるのであろう。覚えておかなくてはいけない。そして孤独な鎌倉殿が悩める気持ちをうちあけると、「自分だけの悩みではない」というおばば巫女の言葉に涙してしまう。「大竹しのぶさんの歩き巫女のおばば、鎌倉殿に救いの助言、よいなぁ」「大竹しのぶ女史が全く本人に見えなくて震えた」「巫女を演じる大竹しのぶさんがあまりにもハマっていて笑ってしまった」など、大竹さんのまさかの登場にSNSも賑やかだった。【以下略】【下線部強調、引用者】

この下線部のところに、執筆者は何の反応もしていない。私はこれを「ゲイ的要素の無視」と受け止めた。

大竹しのぶと実朝とのやりとりについては、もう少し詳しい記述が必要だろう。昨日、柿澤勇人のインタヴュー(下)という記事がネットに掲載された。その一部を引用する。

鎌倉殿の13人」柿澤勇人も驚き!大竹しのぶと9年ぶり共演の“縁”実朝に助言?「義時には気を付けろ」 スポーツニッポン新聞社 2022/10/16 06:00

 【柿澤勇人について】大河ドラマ出演は以仁王役を演じた12年「平清盛」、森蘭丸役を演じた14年「軍師官兵衛」に続き、8年ぶり3作目。今回演じる源実朝は、源頼朝(大泉洋)と政子(小池栄子)の次男(第4子)。長男(第2子)・源頼家(金子大地)の弟。義時の甥にあたる。

 建仁3年(1203年)、12歳にして3代鎌倉殿に就任。第34回「理想の結婚」(9月4日)、柿澤は“成長著しく”初登場。第35回「苦い盃」(9月11日)、実朝は後鳥羽上皇(尾上松也)の従妹・千世(加藤小夏)と結婚した。

 そして、相撲の稽古の後に鹿汁をごちそうになり(第34回)、意気投合した和田義盛(横田栄司)の館を再び訪れた。食事の後、北条泰時(坂口健太郎)鶴丸(きづき)と一緒に、義盛に“面白い所”に連れていかれ、“おばば”こと名うての歩き巫女と対面。歩き巫女役の女優・大竹しのぶが事前告知なしにサプライズ出演だったこともあり、SNS上の大反響を呼んだ。

 実朝は歩き巫女に「悩みがあるようだな」と見抜かれると「私の思いとは関わりないところで、すべて(結婚)が決まった」と告白。歩き巫女は「悩みは、誰にもある。おばばにもある。年を取って近頃、ヒジがアゴに付かなくなった」と実演、冗談めかしながら「これだけは言っておくよ。おまえの悩みは、どんなものであっても、それはおまえ1人の悩みではない。遥か昔から、同じことで悩んできた者がいることを、忘れるな。この先も、おまえと同じことで悩む者がいることを、忘れるな。悩みというのは、そういうものじゃ。おまえ1人ではないんだ。決して。気が晴れたか」と助言した。実朝は涙を拭い、笑った。【以下略】


これが、その場面の正確な再現だとすると、このやりとりをとおして、ゲイの人間の、自殺にまでいたりかねない、苦悩の深さと、それに対する慰めの言葉に、実朝だけでなく、私自身、涙が出そうになった。そもそも視聴者は、実朝の悩みをどんな悩みだと思ったのだろうか。周囲が決めた政略結婚に抵抗できない自分の弱さ? しかし、そんな悩みは特殊な悩みで、「遥か昔から、同じことで悩んできた」といわる悩みではないだろう。また物語の展開からしても、政略結婚というよりも女性との結婚に躊躇しているか、むしろ積極的に嫌がっているかにみえる実朝、和歌をたしなみ女性的な京都の貴族文化になじみながら、同時に和田義盛のような男臭い坂東武者にいるとくつろぐ実朝は、どうみてもゲイでしょう。そして人知れず、ゲイであることの悩みをいだきながら苦しんできた実朝に、歩き巫女が現れる。彼女は、その超能力によって、実朝の悩みを見抜き適切な助言を与えるのである。

これを腐れネット民どもはスルーした。完全な無視である。そして無視は、その存在を抹消するがゆえに、差別よりもひどく許し難いと私は憤慨した。

しかし、どうもネット民が同性愛差別主義者かというと、そうでもないことが昨日の放送回でわかった。

こんな記事がネット上にアップされた(ほかにも同種の記事あり)。

『鎌倉殿』鎌倉殿』でまさかの“BL展開”に視聴者から驚きの声 三谷幸喜の独自解釈脚本に集まる高評価 SmartFLASH 2022/10/17 15:30

10月16日、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第39回「穏やかな一日」が放送された。

主人公・北条義時(小栗旬)の傲慢なやり方に、御家人たちは不満を募らせる。義時は三代将軍・実朝(柿澤勇人)に対しても「私のやることに口を挟まれぬこと」と、脅しをかけて……と、「穏やかな一日」というタイトルとは裏腹に、不穏なストーリーが展開した。

しかし視聴者がもっとも驚いたのは、実朝が抱える「秘密」が明らかになったときだ。世継ぎをつくれない理由を、正室の千世に告白。さらに、北条泰時(坂口健太郎)に思いを込めた和歌を贈る場面も。SNSには

《鎌倉殿はすげえドラマだすげえドラマだと思ってたけど、まさかこのクライマックスで濃縮ど耽美BLをぶち込んでくるとは思わなかった変な声出た》

《ええ?! 鎌倉殿の13人見てたら推しの実朝さんがいきなり男性に愛の歌を送ってたんですが いやいや大河でBL?進んでるな?!》

と、驚きの声が多数。また

《叶うことは絶対にない…絶対に 切ない恋 現代だったらOKだけど 鎌倉時代はNGですよね》

《今回はあまりにも切ないお話に涙。実朝の恋は、割れて砕けてしまいました》

と、あまりに切ないストーリーに心が動いたという声も多くある。

「『吾妻鏡』には『されど源氏の正統、いまに縮りぬ。子孫、嗣ぐべからず』という実朝の言葉があります。自分には子をもうけることができないということです。実際、26歳で非業の死を遂げるまで、実朝に実子はいなかったとされています。泰時に思いを寄せるというのは、脚本の三谷幸喜さんの創作ですが、実朝の恋愛に関しては、後世、さまざまな推測がされています」(歴史ライター)

この回の『鎌倉殿~』では、『金槐和歌集』に収められた実朝の

「大海の磯もとどろによする波われてくだけて裂けて散るかも」

という和歌が繰り返し紹介された。SNSには

《あーーー失恋アンサーソングを渡す鎌倉殿つらい…》

《和歌ってすごいなって思った今日の鎌倉殿。三谷幸喜の解釈がすごい》

と、歌人としても知られる実朝の心象を、和歌で表現してみせた三谷脚本を称賛する声も多数あった。


まあ、今回、実朝が北条泰時(坂口健太郎)に恋心を抱いていたことがわかったのだが、このことは「苦い杯」の回には、わからなかったことだ。もちろん「苦い杯」回でも、北条泰時は実朝のすぐそばにいたのだが。

結局、BL(ボーイズ・ラブ)という表記も、タブーに触れるためにイニシャル表記にするという禁忌感丸出しなのだが、今回で視聴者・ネット民も同性愛についてはじめてわかったということらしい。彼らは、同性愛の存在を無視する差別主義者ではなかった。ただの無知なバカだったのだとわかった。その差別意識を弾劾しないでよかった。ただのバカを批判してもしょうがなかった。

たとえば上記の記事で、

《叶うことは絶対にない…絶対に 切ない恋 現代だったらOKだけど 鎌倉時代はNGですよね》


というコメントがあった。バカかこいつは。同性愛差別は近代の産物。日本は男色の国である。明治時代になっても男色文化や男色の伝統は色濃く残った。森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』くらい読め。同性愛は、現代でも統一教会ではNGだが、昔は、OKだった。江戸時代、戦国時代、室町・鎌倉時代へとさかのぼればさかのぼるほど、同性愛はまぎれもなくOKだった。現代だったらOKだけれども鎌倉時代はNG、バカか、ぼーっと生きてるんじゃないぞと、あきれかえる。

【本能寺の変で、織田信長とともに討ち死にした小姓は、名前がわかっているだけでも18名いた。18名の小姓に囲まれての死。おそらく一人一人と肉体関係をもった「親衛隊」の力で桶狭間で勝利した織田信長の最期は18名の小姓に守られての幸福な昇天だったのではないだろうか。】

もちろん三谷幸喜の脚本は、意図的にアナクロニズムを採用していて、たとえ実朝がゲイであっても、現代のゲイの人間と同じ悩みをかかえていたとは思えない。そもそも同性愛とかゲイとかBLという概念自体が武家文化にあったかどうかも疑問である。ただ、そうした名称で指示される実践があったことはまちがいないとしても。

posted by ohashi at 22:35| コメント | 更新情報をチェックする