韓国では近年、『はちどり』をはじめ社会における女性の生き方や苦しみに光をあてた「女性映画」の名作が次々に生まれている。イ・スンウォン監督の『三姉妹』(公開中)もそのひとつ。
〔中略〕
劇作家・演出家としても活躍し、これが長編映画3作目となるイ・スンウォン監督に、この映画がどのようにして生まれたのか、お話をうかがった。【記事の最後に、次のような説明がある。Lee Seung-Won/1977年生まれ。初長編『コミュニケーションと嘘』(15)が釜山国際映画祭を始め多くの映画祭で話題を集める。『三姉妹』は長編三作目。演出家・劇作家としても活躍する。】
〔中略〕
――三人姉妹をテーマにした映画では、イングマール・ベルイマン監督『叫びとささやき』(1972年)や、ウディ・アレン監督『ハンナとその姉妹』(1986年)などがあります。この物語を三人の話にしたのには、どんな理由があったのでしょうか。
最初は、ムン・ソリさんが演じる次女を中心に脚本を書き進め、それならキム・ソニョンさんにその姉を演じてもらおうと考えました。そうするうち、ここにもう一人素晴らしい女優が加わってくれたらさらに深みが増すのではと思いついたんです。三人の女性が登場することによってそれぞれの性格が際立ち、姉妹の生き方をよりしっかり見せられるはずだと。それと、韓国では三人姉妹というのはわりと普遍的な家族の姿だから、という理由もありました。
――一方で、三人の姉妹と末の弟のジンソプとでは、その描き方に大きな隔たりがありますね。
周りの人たちからも「弟がいるのだから、この映画は『三姉妹』ではなく『四姉弟』というタイトルが正しいんじゃないか」という意見を何度かもらいました。ですが、三姉妹と弟との間に大きな隔たりがあることこそが、重要だったんです。
ジンソプは、三人の姉たちとは違い、今では幽霊のような存在になっています。そういう存在だからこそ父親の誕生日の席であのような振る舞いができたわけですが、いずれにしても、三姉妹と彼の存在は切り離して考えたかった。三姉妹が一生懸命トラウマから逃れようとしてもその記憶から離れられないのは、まさにジンソプという存在があるからです。彼女たちは傷を癒し、未来に向けて生きていかなければいけない。その使命の象徴として、ジンソプという存在を描いたつもりです。
〔以下略〕
この映画は見ていないので、インタヴューの内容について、映画を観る時には参考になるだろうという程度のことしかいえないのだが、気になったのは、「周りの人たちからも「弟がいるのだから、この映画は『三姉妹』ではなく『四姉弟』というタイトルが正しいんじゃないか」という意見を何度かもらいました」というところ。なるほど3人の姉妹に末の弟だから「四姉弟」という表記は、正しいのかもしれないが、しかし、姉妹が4人以上いたら問題だが、3人の姉妹がいたら、たとえほかに男性の兄弟が10人いようが、「三姉妹」と呼ぶのは、なんら問題ない。三人姉妹じゃないという文句をつける方がおかしいし、それをまた、重要なトピックとして記事の見出しに掲げるのもおかしい。男性の末っ子のことを隠した、別格にしたということもおかしい。
ちなみにインタヴューでも話題になっていたチェーホフの『三姉妹』(『三人姉妹』とも表記)でも、長女と次女の間にひとり男の兄弟がいる。そのためチェーホフに正しくは「三姉妹」ではなく「四姉・兄/弟・妹・妹」にすべきと文句をいうバカはいないだろう。というか男の兄弟がいても、三人の女の姉妹がいたら、三姉妹である(ただし女の姉妹が4人以上いたら、絶対に三姉妹とはいえない)。
ちなみにちなみに、NHKの大河ドラマの初期の作品に『三姉妹』というのがあった。1967年1月1日から12月24日に放送された5作目の大河ドラマ。ずいぶん昔のドラマだが、私は子どもの頃、リアルタイムで見ていた記憶がある。
三人姉妹は、むら/岡田茉莉子、るい/藤村志保、雪/栗原小巻。当時はあまり知られていなかった栗原小巻が、このドラマを通して人気女優へと変貌を遂げたが、この三姉妹にも兄がいた。芦田伸介演ずる永井采女(ながい うねめ)は、長男で三姉妹の兄にあたる。このことは私の母が渋い役どころの芦田伸介の大ファンであったこと(ちなみに私の父も、また私も男の渋さとは全く縁のない男性であったし、いまもそうなのだが)、そして役名が「采女(うねめ)」と、女性のような名前であったことから、よく覚えている。これも『三姉妹』の表記をやめて「正しい」『四兄姉妹』の表記としたら、なんと滑稽なことか。
なお三姉妹といって思い出すのは、ドキュメンタリー映画『三姉妹 雲南の子』(原題:三姊妹)。王兵(ワン・ビン)監督による2012年の香港・フランス合作のドキュメンタリー映画。三人の幼い姉妹のほかに男の兄弟がいるということはない。「一人っ子政策」の中国で、三人以外にさらに子供がいたら、もっとたいへんなことになる。映画のなかでは明示的に、あるいは特に問題視されていなかったが、三人の姉妹の存在というのは、同時代の中国においては許されざる事態であったはずだ。だが、そうであるがゆえに人里離れた寒村の幼い三人姉妹の姿が、繁栄する一人っ子政策の中国に対する物言わぬオルターナティヴとして屹立することにもなった。