2022年06月02日

空間識失調と

空間識失調と『トップガン』/『BEST GUY』

ネットのニュースに次のようなものがあった。

空自F15墜落「空間識失調」か 機体に問題なし(共同通信社 2022/06/02 11:34)

その一部を引用すると、

航空自衛隊のF15戦闘機が1月、石川県の小松基地から離陸直後に墜落し乗員2人が死亡した事故で、空自が事故原因について、パイロットが機体の姿勢を錯覚する「空間識失調」に陥ったと推定していることが2日、政府関係者への取材で分かった。空自は機体に不具合はなく、人為的な原因で墜落したと判断したとみられる。

 政府関係者によると、操縦士は離陸直後に空間識失調となった影響で、正常に飛行していると錯覚し、海面に突っ込んだとみられる。以下略。


もちろん推測の域を出ないので、これが事故原因かどうかわかならいので、亡くなった搭乗員二人のためにも断定は避けるべきだが、この記事に登場した「空間識失調」という言葉で思い出した。

私がこの言葉を初めて聞いたのは日本の映画のなかである。1990年の日本映画『BEST GUY(ベストガイ)』(監督 - 村川透、脚本 - 高田純、村川透、主演 織田裕二)。公開時には日本にいなかったので、映画館では見ていないのだが、これは「航空自衛隊の撮影協力で日本版『トップガン』を目指して作られたスカイアクション」(Wikipedia)。そう、これはいま続編が公開されている『トップガン2』の前篇『トップガン』の日本版・航空自衛隊版なのである。

実際に空自のF15Jが飛ぶ姿は迫力があったし、特撮の部分もあるが、実物の航空機の迫力ある飛行を堪能できるという点で、この映画は航空映画として満足できるものだった。

問題は「空間識失調」。Wikipediaから引用すると、

英: spatial disorientation、vertigo、独: Vertigo)は、平衡感覚を喪失した状態。バーティゴ、Spatial-Dともいう。(略)

主に航空機のパイロットなどが飛行中、一時的に平衡感覚を失う状態のことをいう。健康体であるかどうかにかかわりなく発生する。

機体の姿勢(傾き)や進行方向(昇降)の状態を把握できなくなる、つまり自身に対して地面が上なのか下なのか、機体が上昇しているのか下降しているのかわからなくなる、非常に危険な状態。しばしば航空事故の原因にもなる。(以下略)


とある。

『BEST GUY』 のなかでは、主人公の兄と主人公の上官が、それぞれ空間識失調に陥るのだが、兄はそれが原因で死亡。兄の死という過去が主人公に重くのしかかるが、主人公もまた訓練中に空間識失調になる――からくも墜落を免れるが。

ちなみに『トップガン』においては、それに巻き込まれると機体が失速して墜落するというジェット後流の恐怖が最後のクライマックスまで尾を引く。詳しいことは何も知らないが、通常、ジェット戦闘機がジェット後流に巻き込まれるほど接近して飛ぶことはないだろう。『トップガン』の空中戦は、第一次世界大戦の複葉機の空中戦・ともえ戦みたいないもので、高速で飛んでいるジェット戦闘機どうしの戦闘ではない。ジェット後流にまきこまれるほど接近する前に、撃墜できるはずである。

これに対して空間識失調というのは、上昇しているか下降しているのかさえわからなくなる、その非現実的認識ゆえに、誰もが陥るブラックホールのように映画のなかで恐怖の存在としてある。

いやそれだけではない。上昇しているのか下降しているのか、通常飛行なのか背面飛行なのか、上か下か、左か右か、敵か味方か、なにもかも混沌とするカオスのメタファーとしても映画のなかで機能している。

『トップガン』においてジェット後流は、メトニミーに過ぎないが、『BEST GUY』において空間識失調は、メタファーでありテーマなのである。

『BEST GUY』のなかでパイロットたちはみんなあだ名をもっている。『トップガン』における「マーヴェリック」「アイスマン」「ハリウッド」「グース」みたいなものだが、織田裕二扮する主人公のあだ名は「ゴクウ」。孫悟空のゴクウだが、言い得て妙。まあ「マーヴェリック」と同じようなもので、有能だが組織のはみだし者で、規則や規定に従わず、仲間とも問題ばかり起こしている。彼自身が歩く「空間識失調」である。上も下も(階級も)、右か左か(仲間か敵か)も関係ない一匹狼の彼が、やがて自身も空間識失調に陥り、からくも生還するという恐怖体験をへて、本来優秀なパイロットでもあることも手伝って、優れた航空自衛官へと成長を遂げる。闇を、空間識失調をかかえながらも……。

実によくできた脚本だと思った。またこの「空間識失調」というのは、航空機操縦にともなう現象だけでなく、映画や文学そのものを説明する、あるいは機能させる重要な装置ではないかとすら、この映画をみて思えてきたのである。文学も映画も「空間識失調」を演出する。その用途はさまざまだが、「空間識失調」を活かすことなく、物語は成立しない。そして「空間識失調」が可能にする物語効果、それはブラックホールのごとく、すべてを無に帰すか、別次元の宇宙へと連れ去るかのいずれかである。Not to be or to be.

まさに「空間識失調」こそが「デンジャー・ゾーン」。ジェット後流は、「デンジャー・ゾーン」ではなかった。
posted by ohashi at 15:43| 映画・コメント | 更新情報をチェックする