……今回の疑問は……ジグソーパズルはなぜ作られた?惑星はなぜ「惑う星」と書く?穴があったらのぞきたくなるのはなぜ?みなさんわかりますか?……
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とある。「惑星はなぜ「惑う星」と書く?」という問題は、さらに昔は「遊星」という語も使われたが、「惑星」に統一されたという事実へとつながってゆく。
惑星が「惑う星」となるのは、Wikipediaによると、
漢字の「惑星」という呼称は、長崎のオランダ通詞・本木良永が1792年(寛政4年)、コペルニクスの地動説を翻訳する際に初めて用いた漢訳語(和製漢語)と考えられている。天球上の一点に留まらずうろうろと位置を変える様子を「惑う星」と表現したことから来たと言われている。つまり天動説が主流であったころ星座を形作る夜空の星々が北極星を中心に天球上の定位置で大空を回るのに対し、一部の金星や火星などは日ごとに位置を変え明らかに不規則な動きをするため「惑わす星」と見えたのである。
しかし私自身は、個人的なことだが、「惑星」は、「惑わす星」ではなく、ふらふら、うろうろ、天空上を行ったり来たりする放浪する星であるというように理解していた――フィリッツ・ライバーのSF『放浪惑星』The Wanderer(1964、1965ヒューゴー賞受賞)を読んで以来。
ちなみに放浪者とは惑星のことである。実際、Wikipediaにも
英語「planet(プラネット)」の語源はギリシア語の『プラネテス』(「さまよう者」「放浪者」などの意)。
と説明している。
それはいいとしても、さらに「惑星」は「遊星」とも言ったことがある。再びWikipediaの説明によると
惑星は、古くは遊星(ゆうせい)とも言った。「遊星」と「惑星」はともに江戸時代にまでさかのぼる言葉であり(ただし古い例では「游星」となっている)、他に「行星」の表記も使われた。
明治期に学術用語の統一を図る際に、東京大学閥が「惑星」、京都大学閥が「遊星」を主張した。結局東大閥が勝ち、天文学の分野では「惑星」の表記に統一された。しかし、機械工学における「遊星歯車機構」など異分野の用語として用いられるほか、フィクション内の表現として「遊星」の名が使われる例もある(例:『遊星からの物体X』、『遊星仮面』、遊星爆弾(『宇宙戦艦ヤマト』)、移動遊星(『21エモン』)、スタント遊星(『ファイブスター物語』)など)。
そう「惑星」という表記に統一された後も、「遊星」という語が使われていた、とりわけ、SF分野において(もちろんSFで「惑星」の語も普通に使われていたのだが)。Wikipediaが例にあげているSF映画『遊星からの物体X』の原題はThe Thingで、これは1951年のSF映画『遊星よりの物体X』のリメイクで、英語のタイトルはThe Thingだけで、「遊星」使用と関連付けるのは無理。
『遊星よりの物体X』のほうの原タイトルはThe Thing from Another World。「別世界よりの」という意味になるのだが、Worldは具体的には「惑星」のことであり、「惑星」と同義語の「遊星」を使ったタイトルにしたことは、間違いではない。また現在、「遊星」を辞書で調べると「惑星に同じ」としか書いていないが、「遊星」は「惑星」よりもイメージ喚起力のある語で、必ずしも単純な同意語ではないと思う。Wikipediaの例を全部「惑星」にしたらどうか。「惑星からの物体X」「惑星仮面」とすると、なんだか散文的になる。「遊星」のほうが韻文的あるいはファンタジー的ではないか。
『チコちゃんに叱られる!』では、天文学用語として「遊星」ではなく「惑星」が選ばれる経緯として東大閥と京大閥との争いと和解というような物語を設定し、それを再現ドラマを見せていたが、その真偽はともかく、私が興味をもったのは、その学術会議が昭和18年という戦時下でおこなわれたことだった。
洋の東西を問わず、前の世界大戦下において、学術分野にとどまらない、けっこういろいろな分野で、文化活動が行なわれてた、しかも戦争プロパガンダとは無縁の形で。これはどういうことなのだろうかと不思議に思っていた。まあ天文学用語の統一に関する学術会議に、軍部はいちいち目くじらなどたてなかったとは予想がつく。それにしても外地で激戦が繰り広げられつつも日本本土への空襲は昭和19年からで、まだ始まらなかった時期とはいえ、また統制経済で市民生活が大きなダメージをこうむっていたとはえ、結局は、民間人にとって戦争は他人事ではなくても、それに近い、真剣で深刻な思考の対象ではなかったのではないかという気がする。
これは、砲撃とミサイル攻撃下のウクライナという設定ではと想像するよりも、コロナ過というパンデミックとの戦いのなかでも、文化活動が行われていることの同時共存現象とでも言えるようなものかもしれない。
後年の歴史家たちが、2022年のコロナ過での日本の生活を調査するとき出逢うのは、おそらく、自粛を続け、不自由を我慢する庶民・市民あるいは高齢者の苦しい生活ぶりの記録であり、さらには感染者を見舞う重症化する患者と無症状の患者との境遇の差異がわかる記録であり、政権のコロナ対策のずさんさであり、ワクチンは国民を殺すためのものという陰謀論の蔓延であろうか。しかし、いっぽうで、そうしたものとは一切関係なく、映画はつくられ演劇が上演され、イヴェントも繰り広げられる。コロナ過以前とまったく同じように。
街ではほとんど人がマスクを着用しているのに、テレビや映画では、同時代を使っていながら、そこにコロナ過の影はまったくない。
文化は政治と社会に意図的に背をむけなくとも、自立するしかないのだろうか。経済関係者は人の命よりも経済的収益を目指して犠牲者の数など気にしないのだが、文化関係者もコロナ過での死者など関係なく、コロナのない世界を現前させつづけるのだろか。未来の歴史家がコロナ過での日常を調査するとき、コロナ過の悲惨な日常にあえぐ人々の記録と、コロナ禍などなかったような別世界の記録の共存に不思議な思いをするほかはないのだろうか。ちょうど、私が第二次世界大戦下での、日常のなかに別世界の記録であるような文化活動がまじっていて違和感を感じたのと同じように。
文化は、たとえそのすべてがそうだというわけではないとしても、遊星からの物体Xなのだろうか。