あまり知名度はないが、よくできたスペイン映画で過去と現在とが交錯するサスペンス物として『パスト&フューチャー 未来への警告』(2018)がある。タイトルは安っぽいが、原題はEl Avisoで「警告」という意味で、安っぽいSF映画じみたところはない。監督ダニエル・カルパルソルの映画は残念ながらみたことはないが、この映画の映像から判断するかぎり、有能な監督ではないかと思う。物語も謎ありサスペンスありで観ていて飽きがこない。
ふたつの事件が並行して語られる。原作をのぞいてみると(とはいえスペイン語の原作の英語訳をのぞいてみただけだが)、どちらが過去で、どちらが現在かは、年代も入っていて歴然としているのだが、映画のほうは心を病んでいる数学者の物語と、いじめにあっている少年の物語の、どちらが古くてどちらが新しいか最初のほうはよくわからない(マドリード郊外が舞台になっていて、スペイン人観客なら映像からどちらが新しいか古いかはわかるかもしれないがとしても)。
とりあえずWOWOWの映画紹介:
銃撃事件に巻き込まれた数学者の主人公が、過去にも同じような事件が発生していることを知り、これから起きる惨劇を予測する。数字のミステリーが独創的なSFスリラー。
時代は違うが、同じ場所で、同じような状況で起きた惨劇。そこに隠された法則とは……。事件に巻き込まれたことをきっかけに、過去にも似たような事件が繰り返されていたと知った数学者の主人公が、法則を調べる中でこれから起きるであろう惨劇を予測して……。「マーシュランド」のR・アレバロが主演、監督は「バンクラッシュ」「ワイルド・ルーザー」のD・カルパルソロと注目の布陣で送る異色のSFスリラー。10年後に10歳の子どもが被害者になると予測した主人公が、未来を変えようと奔走する姿が見ものだ。
Wikipediaによる簡単なあらすじ紹介:
2008年4月12日、数学者のジョンはガソリンスタンドで銃撃戦に巻き込まれる。その後、ジョンは1913年、1955年、1976年にも同様の銃撃事件が会ったことを知り、2018年に同様の事件が起こると予測する。
ガソリンスタンドに併設されている売店での銃撃事件に友人が巻き込まれた、数学者(ただし心を病んでいるみたいで常に薬を飲んでいる)が事件について調べてゆくと、同じ場所で、過去にも同様の事件が起きていることがわかる。間歇的に起こる事件には周期性というか法則性のようなものがあり、事件の被害者や関係者にも類似性が認められ、そのため10年後に同じ事件が起こると予測する数学者は、未来の事件を防ぐか、その事件の被害者になるかもしれない少年に警告しようとする。
そのため次のようなネット上の感想には、こちらが頭を抱えてしまう。たとえば
〇最後何もしなければ死ななかった
〇……これは究極の馬鹿野郎か、自殺かのどちらかにしか見えない。
なにもしなくても、どうあがいても、事件は防げないのではないか。その宿命に圧倒され死んでいくしかないのか、あるいは最後まで悪あがきをするのかが映画の物語の焦点となる。主人公は、なにもしなくても死ぬ運命にあったし、またどうあがいても死ぬしかなかったので、主人公を馬鹿呼ばわりしているお前が馬鹿としかいいようがない。
少しまともな感想がこれ:
映画をよく観る方なら大体予想が読めると思います。主人公数学者のジョンと事件.少年との謎が。B級~C級の間みたいな感じの作品。ストーリーが個人的には好きな類いなので観ました。時間も93 分で丁度良い。
映画の結末が予想できたというのは、だいたい頭の悪い人間がマウントしようとしてよく語る言葉。呪われた場所、宿命として事件から、逃れるか、逃れられないかという結末なら、映画をよく観ない人でもすぐにわかること。一般に宿命から逃れられないのだが。
あるいは
繰り返す同じ場所の殺人事件、その法則を見つけ出そうと足掻く主人公。導き出された法則に従って、次の犠牲者を救おうと自ら現場に踏み込むが…
緻密な計算と行き当たりばったりの行動に、なんとも齟齬を感じる結末。
緻密な計算というのは、実は、どうでもよいことで、主人公の数学者が過去から未来に反復されていく殺人事件に法則性を見出すというのは、たんに、その場所が呪われていて、周期的に事件が起こるという変な神秘性を避けて、なにか自然法則のようなものがはたらいているかのようなみせかけをつくるために、数学者による計算をもちだしてきたにすぎない。それをしなくても、事件現場が呪われた場所であるという設定は簡単にできる。ただ、主人公が未来の事件を防ぐ、あるいは未来の事件から関係者を救うという設定には、エセ数学的法則性が必要だったということである(さもなければ、胡散臭い占い師に未来の事件を予言してもらうしかないのだから)。
あと未来の事件を防ごうとして起こす主人公の行動は、どれも計算されていて、行き当たりばったりのいい加減なものではないことは確かである。
あまりいうとネタバレになるのだが、実は、数学者が目撃し、友人が撃たれた事件は、これまでの法則と違っているところがある。これはどう考えたらいいのかということになるが、実は、法則どおりだったことが最後にわかる。帳尻が会うのだが、これは『ファイナル・デスティネーション』シリーズを思い起こさせる。つまり最後に帳尻合わせの死が待っていたのである。
また、主人公が未来にどう警告するのかも、ひとつの見どころである。その方法は、韓国ドラマで、日本でもリメイクをされた『シグナル』のような過去からの連絡という荒唐無稽なものではない。
これに関して、なぞの警告を受け取った10歳の少年ニコとその母親について、
ニコの母親はどうかしてる。
これはこの映画見た人は皆思うハズ。泣きそうになりながら拒否していることを「克服してこい」と言って無理やりやらせるとかありえない。それがないとストーリー進まないけどさ。あれは酷いよ。
酷いのはおまえだ。たしかに10歳の少年が誕生日にガソリンスタンドの売店に行ったら死ぬという謎の警告は、観客にとっては(映画の論理からして)実現するとしか思えない未来の惨劇を伝えるもので、真実の警告だと思うし、それを根も葉もない迷信扱いして、むしろ迷信を信ずる愚を思い知らせるために10歳の少年の誕生日当日、彼をガソリンスタンドの売店にむかわせる母親はバカといいたくなる気持ちはわかる。
しかし縁起を担いだり迷信を信じたりして何もできなくなる愚かな子どもにしないために、あえて謎の警告を無視させることは、現実においては正しい教育法である。物語の展開と論理からはこの母親は愚かで責められるべきだが、現実において、この母親のしつけは、まちがっていない。
そしてこの映画の最後は、観客を苛立たせるこの母親の行動によって、10歳の少年は最終的に恐怖を克服できたのである。過去からの警告と母親の正しい判断によって、少年は救われる。おそらく救われたのは少年だけではない。この少年も、学校の教室の黒板に数式を書いていた場面から、数学の天才であることが暗示されていて、いうなれば、数学者の主人公の生まれ変わりかもしれないからだ。そして、これがこの映画の主題であることは、映画をよく観ない人でもわかることである。
