2022年01月08日

『エンド・オブ・ザ・フューチャー』

Narcopolis 2015 UK

監督のジャスティン・トレフガルネについては不明。ジョナサン・プライスが出演しているので、メジャー映画かと一瞬思うのだが、ジョナサン・プライスはメジャー映画にも出演するし(最後にみたのはローマ教皇の役(主演)だった)、マイナーというかインディ系というかB級映画にも出演する--そう、これはB級映画によく出演するジョナサン・プライス、つまりB級映画(プライスは仕事を選ばない主義かもしれない)。

刑事役で主演のエリオット・コーワンは、テレビドラマ『スパニッシュ・プリンセス』(2019、ちなみにこのプリンセスとは、キャサリン・オヴ・アラゴンのこと)でヘンリー七世を演じていたが、主にテレビで活躍している俳優のようだ。あとジェームズ・キャリスが悪役(黒幕のボス)で登場する――いったい誰だと思われるかもしれないが、『バトルスター・ギャラクテカ』で、いま名前が出てこないのだが、レギュラーの裏切り者で、つねに内面世界が描かれる科学者というとわかるだろうか。ここでもけれんみたっぷりの演技で見ているものを苛立たせる。

父親と息子の話で、幼い天才的な息子が、長じてから、過去へのタイムトラベルで父親を救おうとし、父親のほうは未来に行って息子を救おうとするという、ウロボロス的構造になっているのだが、またその意味はわかるのだが、からくりというか、細部の整合性が、いまひとつ私にはわからなかった。これは私の問題で、映画の問題ではないのだが、しかし、ネット上のレヴューでは、わかっている人間はいないように思われた。

ただ息子と父親のウロボロス的探求物語は、未来において安全な薬物を提供する企業の世界支配を阻止できるか否かの物語ともなる。映画の冒頭、安全な麻薬を提供する企業のトップがテレビのインタヴューを受ける。なぜそうした安全を保証された合法的麻薬を販売することになったのかという問いに、自分が幼い頃、両親が薬物依存症で死んだ。そうした悲劇を繰り返さないためにも、安全な薬物を製造販売することに決めたのだ、と。そして物語は、この企業が安全な薬物を製造販売しはじめる過去へと飛ぶ(いまからすれば、過去とはいえ近未来なのだが)。

原題Narcopolisは「麻薬都市」と訳せるのだが、polisはpoliceと似ていて、NarcopolisNarcopolice「麻薬警察」とも読めるというか、そこにつながっている。実際、映画自体、警察権力と未着した企業が世界を制覇をたくらむのである――合法的な薬物を通して、住民を薬物依存にすぐことで。

薬物をめぐるこの無気味さは、なにか既視感があった。薬物依存を嫌う人間あるいは勢力が、国民を薬物依存に陥れる……。そうこれはナチスドイツのペルビチンと同じ話だ、と。

第一次世界大戦後のドイツのワイマール時代には危険な薬物はとくに取締り対象とならなかったのだが、ナチス・ドイツ時代になって薬物撲滅運動が起こる。ナチスドイツの負の遺産のひとつが、環境保護運動とか動物保護運動(菜食主義など)を推進したことであり、これは現在の環境保護運動に批判的な反対勢力がつとに持ち出す例としても名高い。つまり菜食主義の主張あるいは強制は、ナチスのような全体主義的施策と同じではないかと言いがかりをつける時のよい口実、実例となってしまっているのだ(もちろん、この問題をどう考えるかは、エコクリティシズムとかアニマル・スタディーズにおいても検討されているのだが、ここでは触れない)。

ナチスの薬物撲滅運動は自然浄化・現実浄化運動の一環だが、問題は、ナチスが薬物を厳しく取り締まりながら、同時に、国民に安全なもの、合法的なものとして薬物を与え、さらに自国の軍隊にもこれを投与することで、薬物兵士をつくりあげたことだ。そして総統自身、薬物依存症であった。

有名なのがペルビチンと呼ばれる覚せい剤で、これは一般市民も処方箋なしに購入できる薬であったため、安全で、合法的な薬物として一般に浸透していった。主婦もこれを服用すると元気になって、家事を元気にこなすことができるようになった。当然、ペルビチンを服用した兵士たちは、超人的な働きで、電撃戦を戦い抜くことができた。ヒトラーも、敗北の報告などで意気消沈していても、主治医テオドール・モレルが処方する薬物で元気を取り戻した……。一般市民から兵士、総統にいたるまで薬物漬けであった。薬物を取り締まる側が、結局のところ、安全な薬物と称して薬物を蔓延させた(ちなみにネット上では、ペルビチンを服用して元気になったあと、もとに戻るというようなことを書いている記事があったが、何日も一睡もせずに活動し続けたあと、薬が切れると、もとにもどるどころか、数日、死んだように眠りつづけることが報告されているようで、覚せい剤はあきらかに身体を害することになった)。

この話の元ネタは、ノーマン・オーラ―『ヒトラーとドラッグ――第三帝国における薬物依存』須藤正美訳(白水社2018)であり、CSのディスカバリーチャンネルだったかどうかうろ覚えだがナチスドイツの敗北を扱った番組で、ナチスの薬物依存を取り上げていたのも、この本の影響であろう。英語訳が2016年。ドイツ語原書が2015年刊行。そして2015年というと、この映画の製作年。この本が、映画に影響を与えたのかもしれない。たとえ影響を与えなかったとしても、2015年頃に同じ問題が意識が、映画関係者のなかで共有されていた可能性はある。くりかえすが、薬物撲滅運動を推進する側が、合法的薬物で薬物依存を蔓延させ世界を支配するという物語は、これまで聞いたことがない新機軸であるからだ。

ペルビチンという名の覚せい剤はメタンフェタミンという有機化合物から作られたものだが、このメタンフェタミンを合成したのは日本人であり、日本ではヒロポンという名で販売されていた。この覚せい剤ヒロポンは戦時下の日本でも使われ、戦後も多くの犠牲者を出した。ただ、それにしても、日本で『天皇とドラッグ――大日本帝国における薬物依存』といったような本が、たとえ確かな資料に基付いていたとしても、今の日本で、刊行できるかどうかは怪しいだろう。その意味で『ヒトラーとドラッグ――第三帝国における薬物依存』(なおこのタイトルは日本語訳で付けたもの)は刊行されたこと自体、大きな意義があったものといえよう。
posted by ohashi at 22:08| 映画 タイムループ | 更新情報をチェックする