2021年12月06日

『文化と神の死』2

最近上梓した翻訳、テリー・イーグルトンの『文化と神の死』(大橋洋一・畑江里美訳、青土社、2021.12.10)を購入された方、あるいはこれから購入されるかもしれない方にむけて書いている。訳者あとがきには、書かれていないことが中心となる。

タイトルについて

私が訳者あとがきを書いているときには、まだ本書の翻訳タイトルは決まっていなかったように思う。翻訳書のタイトルをどうするかについては、やや紆余曲折をたどった。というのも原題Culture and the Death of Godは、〈Culture:文化〉と、〈the Death of God:神の死〉という二つの話題を組み合わせたタイトルだと、疑問の余地なくわかるのだが、これを日本語にそのまま翻訳すると〈文化と神の死〉となるものの、このとき、「と」が何と何を結びつけている、あるいは区分しているか、曖昧になる。つまり「〈文化〉と〈神の死〉」か、「〈文化と神〉の〈死〉」か、ふたつの可能性がでくる。原題では死ぬのは神であるが、日本語に訳すと、文化も神といっしょに死ぬという意味も生ずる。

いや、そんなふうに受けとめるのはバカだと思われるかもしれないが、しかし、昨今の社会情勢をみるにつけても、「文化」も死ぬ/死んだとみなす読者は決してバカではない。むしろ優れた洞察力・知力を備えた読者ともいえる。

またさらに、「文化の死」という意味に実際に受けとめる読者はいないとしても、「文化の死」ともとれる可能性が見えてしまうのは、読者にとって、不快とはいかなくても、気がかりではないだろうか。

編集者も、私と同意見で、「文化と神の死」とした場合の、日本語のやや両義的なところは問題視していた。そして出版社で検討の結果、『文化と神の死』となった。なんだというなかれ。こうなったのは、私のほうによい代案がなかったことも原因のひとつだが、ただ、編集者の躊躇が無視されたということではないと思う。社内では発言力のある地位につかれている編集者なので、その躊躇を押し切ったのは、おそらくご自身であったのだと思う。

私としては、よい代案がなかったこともあり、これはこれで原著のタイトルの直訳であり、翻訳書の原著がわかりやすいこと、また、「文化の死」と受け止める読者は別にして、ほとんどの読者がタイトルから内容を推測できるという点で、結果として、これでよかったのではないかと思っている。

訳者あとがき執筆時に、タイトル以外に決まっていなかったもうひとつのことがある。それは本の装丁である。 つづく
posted by ohashi at 15:19| 『文化と神の死』 | 更新情報をチェックする