2021年12月05日

『文化と神の死』1

久しぶりに翻訳を出すことができた。

テリー・イーグルトン『文化と神の死』大橋洋一・畑江里美訳、青土社、2021。

奥付には11月25日印刷、12月10日刊行とあるが、すでに書店には並んでいることと思う。これは購入された方のための記事(数回連載予定)であり、またこの記事を読んで購入意欲をかき立てられればとも思うが、それは期待薄とも思っている。

なお今回は、献本の数量を限った。ただでさえ人付き合いが悪いうえに、大学も定年退職したし、年賀状もまったく出さなくなったので(たとえいただいても返事の年賀状も出していない)、当然、献本の数も少なくなった。ところが献本数を限っても、結局、献本金額が原稿料を上回ったので、今回は、いや今回も赤字である。この翻訳を刊行して私に入る収入はない。まあいつものことなので驚くことではないのだが。

あと特記すべきは、今回は編集者と最初に翻訳を刊行の打ち合わせを大学の研究室で行なってからは、以後、一度も会うことなく作業を進めた。共訳者の畑江さんとも、翻訳作業が始まってからは、今に至るも一度も会ってない。同じ青土社から翻訳を刊行した、ジュディス・バトラーの『分かれ道』は、共訳者の岸まどかさんがアメリカ在住だったので直接会うことなく作業をすすめたが、編集者とは直接何度も会っていた。今回は完全にリモート状態での作業で、初めての体験なのだが、とくに不便を感ずることもなかった。これからも、たとえコロナ禍が収まったとしても、リモート状態での本作りは続くかもしれない。

原著はTerry Eagleton, Culture and the Death of God(2014)で、そう2014年の本である。翻訳刊行までにずいぶん時間がかかっているが、翻訳原稿は正確には覚えていないのだが、共訳者の原稿ともども、2年くらい前にできていた。ただ、コロナ禍その他のせいで、出版まで待たされた。その間、私は、いろいろな方から献本として単著、論文集、翻訳などをいただいたのだが、普段なら、ただありがたくいただくだけなのだが、今回は、どうしてこの人たちの本が、このコロナ過の大変な時期に、何事もなかったように出版され、私の原稿は、どうしてずっと待たされているのだと、焦燥感に駆られていた。実のところ、まだ待たされている原稿があるのだが、それらに先立って、年内に今回の翻訳を刊行できたことに対して青土社にはほんとうに感謝している。

なお在職中は、翻訳を引き受けてもなかなか翻訳がはかどらず、編集者の方、出版社に迷惑をかけっぱなしだったのだが、そのぶん、翻訳が完成すると、あっというまに本になった。スピード感をもってというのは政治家のいうお決まりのフレーズだが、私にとっても、翻訳原稿の完成から刊行までのスピード感は身をもって体験していたといっていい。ただ、これは私の翻訳が尋常でないほど遅れたせいであって、通常は、そんなに早く本にはならない。私の異例の遅れが、異例に早い刊行を可能にしたにすぎない。

ところが退職後、時間が出来て、翻訳がはかどり、早く翻訳が完成するようになったのだが、そのぶん刊行までに待たされることになり、そのうえコロナ禍によって、さらに待たされることになった。本来なら早くしてほしいと要求、督促してもいいのだが、過去の悪業ゆえに、さすがにそれができなくなった。これまで出版社をさんざん待たせておきながら、ちょっと時間的余裕ができて早く翻訳が終わったくらいで、偉そうに何をせかしているのだと言われかねない。そして待たされることのつらさを実感したので、過去に私が、翻訳の遅れでどれほど迷惑をかけることになったのかを痛感することになった。

つづく――ただし、なさけない話はこのくらいにして、次回はタイトルと装丁について。
posted by ohashi at 20:56| 『文化と神の死』 | 更新情報をチェックする