韓国映画には、というか近年の映画の多くの例にもれずというべきか、時空をさまよう映画は多いが、これはタイム・ループ物の古典(というほど古い映画ではないが)的設定のなかで展開する映画。古典的設定というのは、たとえば『恋はデジャヴ』とか『ハッピー・デス・デイ』といったタイム・ループ物と同じように、同じ日を何度も繰り返し生きることになる。
映画.COMは、こんなふうに映画を紹介している。
目覚めるたびに悪夢の1日が繰り返されるタイムループに囚われた男の死闘を描いたサスペンススリラー。娘の誕生日で約束の場所へ向かっていた著名な胸部外科医ジュニョンは、その途上で娘のウンジョンが交通事故で亡くなっている現場に遭遇。激しい衝撃を受けた瞬間、ジュニョンは事故の2時間前に戻っていた。時間のループは延々と繰り返され、ジュニョンは娘を事故で死なせないよう策を講じるが、何度やっても娘の死という結果が変わることはなかった。
この映画ではループの始まりが設定されている。旅客機が着陸体勢をとりはじめるときに目覚める主人公は、娘の交通事故死を目撃した瞬間、ふたたび旅客機のなかにもどって目覚めている。ただし目覚めたときには、娘の事故死に出逢った記憶がある。そのため娘を交通事故死から救おうと何度も必死で試みるのだが、なんど試みても事故の瞬間にはまにあわない。運命は変えられないという思いが、主人公のみならず見ている側からも湧いてくる。それはそうで、空港から事件の現場にどんなに急いでも、先回りできないのである。
しかし映画は意外な展開をみせる。映画.COMは、こう紹介をつづける
そんな中、ジュニョンの前に、事故で妻を失い、同じように時間を繰り返しているミンチョルが現れる。愛する家族を亡くし、理由もわからずに時間に囚われてしまった2人は、悪夢の1日を変え、家族を救うために力を合わせこととなるが……。
もうひとりループしている人間が現れる。この男は、交通事故で妻を亡くす。一つの交通事故で、かけがえのない家族を失った二人が出会い、ともにループしていることがわかる。
主人公ひとりの力では運命は変えられないことがわかるので、これを打開するどういう展開が待っているのかと考えつつみていたら、まさか二人目のルーパーがいたとは。それも、タイム・リープできるような超能力者とか霊能者ではなく、またSF仕立ての未来人というのではなく、主人公と同じような境遇で、しかも交通事故で身内を亡くすという同一体験で結ばれた二人が登場するとは。ここから映画は俄然面白くなる。
一部ネタバレをすれば、実はタイム・リーパーは、それも同じような境遇の男はもう一人登場する。三人のタイム・リーパーの、三すくみとも三つ巴ともいえる関係性があかされることによって、なぜこの三人がタイム・リープを繰り返すのか、身内を失うという地獄を味わいつづけるのかが見えてくる。SF的説明はないが、心理的説明はある。
そしてこの映画、三人のループする男たちの物語が、実は彼らの子どもたちの意志の物語であることが最後にわかる仕掛けになっている。
そこが新機軸として面白い。もちろんタイム・リープ物としては、罪ある人間の贖罪が、繰り返す悪夢、繰り返す一日と関係する。地獄を経験することと、この地獄から最終的にどう脱出するかというタイム・リープ物の定番的展開が、三人のタイム・リーパーによって動かされる。これが新機軸であり、観る者を飽きさせない。
指摘すべきは二点。三人の男性は、三人三様の地獄を体験するのだが、同時に、このタイム・リープの間に、それぞれ他の二人の男性の悲しみや怒りを体験する。贖罪は、他者の心情の追体験によって構成される。そしてその学習を通して、望ましい解決がみえてくる。
反復、追体験、役割転換、心情の共有。タイム・リープ物の特徴を、私はブレヒトの有名な学習劇『処置』と重ね合わせて考える。ブレヒトの『処置』こそ、タイム・リープが考察と学びの場であることを示した最初の演劇ではなかったかと私は考えている。同じ悲劇的事件を、当事者たちが互いに他の役割を演ずることによって見えてくるものがある。それをこの映画は痛感させてくれる。
もうひとつ。映画はインチョン(仁川)でロケをしている。インチョン空港(仁川空港)から仁川大橋を経て、インチョンのビジネス街や繁華街への、何度も繰り返される移行は、インチョンという大都市の風景を観る者の刷り込む働きがある(最終的には、インチョンのさまざまな場所を観る者はめぐることになる)。インチョンの自由公園も登場する。インチョンという都市が、韓国においてどういうイメージをもっているか、なにもわからないが、ただ歴史的なことは脇に置くと、全般的に近代的かつ近未来的な明るい港湾・国際ビジネス都市である(ソウルの近郊住宅地という意味付けもあるようだが)。交通事故は正午に起こる。インチョンという都市そのものが、昼間の世界、正午の世界である。その正午の世界にある闇の部分が近代都市を侵食しはじめるものの、やがて和解が訪れる。あるいは正午の都市インチョンが、あるいはどのようなものであれ昼間が、抱える闇、恐ろしいというよりも悲しい闇、それと昼の世界との和解が映画を興味深いものにしている。
