2021年11月02日

『リピーターズ』

原題Repeaters 2010年カナダ映画。1時間。

映画『ハッピー・デス・デイ2U』のなかで、もっとも印象的なシーンといえるのは、殺されても死んでも同じ日の朝に目覚めることを知った主人公の女性が、死と戯れるなかで、スカイダイビングするところである。グループでのスカイダイビングで、つぎつぎと飛行機から飛び出すメンバーのなかで最後に彼女はパラシュートなどの装備品を付けず、インストラクターが驚くなかドレス姿で優雅に空中に飛び出す。地上では彼女のボーイフレンドが女性とデート中で、ふたりが座るベンチの前に、彼女がまるで嫌がらせをするかのように落下してきてきて、ぺしゃんこになる。彼女が肉の塊と化す瞬間にほとばしる血がベンチのふたりにかかる(彼女の死体は映されることはない)。と、次の瞬間、彼女は同じ日の朝に目覚めている(夢ではなく無限にループしているのである)。

なにをしても死ぬことはないなら、死と戯れるしかない。いや、自分の死と戯れるのなら、まだ罪はない。さらに……。

ループ物の映画なり物語のもつ、背徳的な可能性は2010年のカナダ映画『リピーターズ』で追究される。

薬物依存症の厚生施設でくらす者たちが、外出許可をもらい、それぞれ家族のもとに会いにいく。施設長が、薬物依存で迷惑をかけた家族に謝罪してくるようにという課題を彼らに課したからである。主人公のカイルは、母校でもあり妹も通う高校の外で妹に話かけるが、すげなくあしらわれる。見回りの教員(Wikipediaのあらすじでは校長となっている)には追い払われる。カイルと仲のよいソニアは、病気療養中の父親の病院を訪れるが、父親との過去の因縁があって面会を躊躇して会わないまま帰ってくる。二人の友人マイケルは収監中の父親に面会にいくが、おまえのせいで刑務所に入ったのだと父親に罵倒され帰ってくる。その日のグループセラピーで近親者への謝罪の経験を話すように言われた三人は、最悪の結果を話すのを拒否する。その夜、嵐が到来。停電になるが、そのとき三人は感電して一時的に意識を失う。意識をとりもどすと翌朝になっているが、その日は、前と同じ日だった。こうして三人だけが、毎日、同じ水曜日を経験するというループに入る。

彼ら三人(カイル、ソニア、マイケル)は、同じ水曜日を繰り返していること、しかも死んでもまたすべてリセットされ同じ水曜日を生きることを発見する。

通常のループ物なら、このループから脱け出すようにあがく。とはいえなぜ三人だけがループするのか理由がわからない。韓国映画『エンドレス』では、娘の交通事故死を防ぐという必死の思いの行動が繰り返されるが、このカナダ映画の三人は、この水曜日をどう生きるのかヴィジョンはない。最初の最悪の外出日を繰り返すか、そうしないかのいずれかでしかなく。そうしない場合、何をするのかわからない。ミッションがない。場所がミッション・シティ(Mission City)なのに。

【ちなみに「ミッション・シティ」という地名は、ちょっとあざといくらいに寓意的な意味をこめようとした結果つくられた地名にちがいないと映画の最後まで信じていたが、カナダに実在する市であることを知った。ロケもそこでおこなわれた。ただし、寓意的に意味がこめられていることはまちがいないだろう。】

そのため、同じ水曜日をどうすごすのか、これまでのループ物にない可能性があらわれる。マイケルが提案するように、何をしても許される、そしてたとえ殺されても、また同じ日の朝に目覚めるのなら、好き放題のことができる。強盗、窃盗、レイプ、殺人と、悪の限りをつくしても、すべて一日が終わればリセットされる。こう提案し、実行するマイケルに同調してカイルとソニアも無軌道な犯罪行為に参加する(それはまた彼らが施設に来る前の違法行為や犯罪的行動を暗示もしている)。

しかし、カイルもソニアも、これをやめる。ひとつは犯罪行為を続けても同じ水曜日がリセットされるならいいが、もしループが終わり木曜日になったら、彼らは木曜日には重犯罪者となって警察に追われ処罰されるだろう。またもちろんふたりは、このループが終わり、このループから脱け出せることを願っている。マイケルのようにループが永遠に続き、毎日犯罪をつづけられることを願っているわけではない。ちなみにマイケルの暴走ぶりというかその違法行為のエスカレートぶりは実は面白い。また彼の暴走がないと出口のみえないループに対して観客は退屈しかねいない。

最終的にループから解放される鍵は、彼ら自身にあった。ちなみに彼らは映画のなかで全部で9回ループする。鍵は、どこか外部にあって、それをみつけだせばいいということにはならず、彼らの内部にあった。彼らが、みずからの目的を成就したことで、ミッションが完了したことになり、木曜日が、明日がやってくる――ミッションがなんであったかも、それでわかる。

だが、それまでのあいだ、ループを繰り返す彼らは、まさに出口なき、そして文字通り明日なき日常を生きることになる。ここがこの映画のオリジナリティであろう。つまりループするなら(すべてリセットされるなら)、何をしても許される(つまり悪も許される)という可能性である。ループ物にあるリセット可能性が悪事を可能にしてしまうとうことである。そしてまたループから脱け出せないことの閉塞感が、厚生施設に収容されている元犯罪者たちの明日なき日常と重ね合わせられる。『ハッピー・デス・デイ』が回避しているこうした可能性を、この映画は最大限生かし、前科者、元受刑者、犯罪者の家族らが直面する苦しい出口なき世界をみごとに表象している。

映画のひとつの使命は、メランコリックな心象風景の創出であるとするなら(私の個人的な意見だが、しかし、同様な意見は珍しくはないので、個人的ということすらほんとうは恥ずかしい)、この映画はみごとにそのミッションを果たしているといえる。

【ネタバレ Warning:Spoiler とはいえこの映画(私は監督も俳優も誰も知らない――唯一知っていてもおかしくないのはカイルの妹役の女優だが、この映画では端役にすぎない)をどんなことをしても観てみたいという人はそんなに多くない、ひょっとしたら一人もいないかもしれないので、ネタバレは関係ないかもしれないが--最後にループから脱け出せるのはカイルとソニアの二人だけある。悪の限りを尽くしたマイケルは、この最後のループのなかで死んでしまうので、再び同じ水曜日に目覚めることになる(これが映画の最後の場面)。悪の限りをつくしたマイケルは、父親に謝罪し和解する機会はなかった。彼がそのミッションを完遂できるまで、マイケルにとってのループは続くのある。】

posted by ohashi at 19:06| 映画 タイムループ | 更新情報をチェックする