2021年10月12日

『パラドクス』

原題 El Incidente 英語題目 The Incident
メキシコ映画 2015年メキシコ公開 2016年日本公開 101分
イサーク・エスバン監督

Amazonにあった以下のレヴューアーのコメントが、この映画のありようを、それなりに伝えている。とはいえ最初の3行は完全にオバカ・コメントなのだが。

5つ星のうち5.0  気の滅入る悪夢と伏線回収の秀逸さ。
2016年11月22日に日本でレビュー済み

人間ってさ。ずっと同じ場所にとどまり続けるっては、精神的にしんどいよね。
まして35年も同じ空間から出ることもできず、
たとえ食料と水は確保されてても、精神的にしんどいよね。

0幕)冒頭の老いたウェディング姿の老婆 →???
1幕)非常階段に閉じ込められた3人 →35年経過
2幕)ハイウェイに閉じ込められた4人 →35年経過

0幕で始まり、その後、交互に展開する1幕2幕の出来事が、
最期の0幕とむずびつくとき、なんとも言えない脳内での割符合い感が、非常に快感でたまらないです。
とにかく完成度に関しては近年稀に見る傑作ですが、後半は注意力を怠ると、何が何だかわからなくなってしまいます。
ポップコーンとコーラを片手に見る映画ではないですね。二度見おすすめです。色々伏線が散りばめられていますので。

CUBE、インターステラ、バタフライエフェクト、シャッターアイランド、SAWなど、
色々な作品からのインスパイアを受けた感じはします。ジャンルではSFコーナーにありましたから、ホラーではないです。

100分足らずの映画ですが、まる一日見続けたような脱力感が残りました。


「人間ってさ。ずっと同じ場所にとどまり続けるっては、精神的にしんどいよね。まして35年も同じ空間から出ることもできず、たとえ食料と水は確保されてても、精神的にしんどいよね。」――このコロナ禍でも自粛できない人間が多いなか、35年も閉じ込められて生きられるわけがない。そもそも水と食べ者が自動的に出てくる閉じられた空間などがほんとうにあると思っているのがおかしい。当然、それは、メタフォリカルな、あるいはアレゴリカルな空間であることは、バカでもわかるわい。たとえばこれは35年懲役刑に服する囚人の心的風景かもしれない。あるいはさらに……。

もどかしいので、ここで一挙にネタバレをして、この作品についてコメントしておく。この映画をみたあとで、以下のネタバレ・コメントを読んでほしい。なお、この映画については、考えられるかぎりの、その内容を記述することにするが、伏線を全部回収しきれてないことはわかっている。また、メタフォリカル・アレゴリカルな意味については、あくまでも個人的な一解釈にすぎない。

0幕)冒頭の老いたウェディング姿の老婆 →???
1幕)非常階段に閉じ込められた3人 →35年経過
2幕)ハイウェイに閉じ込められた4人 →35年経過

これを借りよう。

0.
映画の冒頭、動いているエスカレーターが映し出される。そのエスカレーターは、ウェディング・ドレス姿で横たわっている老いた女性を運んでいる。女性の手には赤い手帳が握られている。赤い手帳は重要。

次に結婚式の衣裳の若い男女が抱き合いながらホテルのエレベーターの前のところにくる。このエレベーターに乗るのかどうかわからないまま、つぎの場面へ。

1-1.
カルロスが赤いリュックを背負って自分の住居(コントミニアムの一室)に帰ってくる。帰宅すると弟のオリバーがうろたえている。弟は薬物の売買を刑事に自白して困っている。そこに待ち伏せしていたマルコ刑事が登場し、銃を向けて、二人を逮捕しようとするが、二人はマルコを倒して、階段室に逃げ、9階から1階へと駆け降りる。

後を追うマルコ刑事は、逃げる兄弟に発砲し、銃弾は兄のカルロスに命中する。ここまで超現実的なことは起こらない。すると爆発音が聞こえる。音だけ。あとでわかるが、この爆発音が出来事のはじまりの合図となる。兄弟とマルコ刑事は、出口のない階段室に閉じ込められていることを知る。9階から1階へ降りても、また9階になる。マルコ刑事が鍵を階段から下へと落とすと、鍵が階段の上から落ちてくる【これは当初、シナリオにはないアドリブ的な展開だったようだが、実に印象的な場面となった】。これで完全な出口のないループ空間に閉じ込められたことがわかる。【なおマルコ刑事は、ポケットのなかに小さなトランプカードが1枚入っていることを発見し、それを階段に捨てるのだが、この小さなトランプカードは、マルコ刑事の真のアイデンティティを暗示している。】

またさらに不思議なことに、階段室にあるベンダーは、そこに入っているポットボトルの水とサンドイッチなどが常に補充されて出てくることがあとでわかる。兄カルロスは死ぬが、兄の持ち物だった赤いリュックにあった物、フィリップ・K・ディックのSF『時は乱れた』などを含む小物も、定期的に同じものが出てくることがあとでわかる。

2-1.
場面はバカンスに出かける家族の出発光景へとかわる。ダニエル10歳とカミラの兄妹は、母サンドラと、母の新しい夫ロベルトの赤い車で、バカンスに出かける(バカンス先にはサンドラの別れた夫がいるか、別れた夫が経営するホテルらしい)。ダニエルはぐずぐずしているが、せかされて車に乗る。なおダニエルはこのとき、小さなトランプのセットから数枚引き抜いてポケットに入れる【小さなトランプカード】。またハムスターの籠もいっしょにもってゆく。

ダニエラの妹カミラはぜんそくもちのアレルギー体質だが、無神経な義父ロベルトは彼女に果物ジュースを飲ませ、それがもとで彼女が重度のアレルギー反応を起こす。さらにロベルトはうっかりしてカミラの吸引器を壊し【これはほんとうにうっかりなのか疑問。なにか意図的に壊したようにも見える。この無自覚な悪意は、すでに階段室でカルロスを射殺したマルコ刑事からもうかがえた。】、予備の吸引器を兄のダニエルはもってくるの忘れたために、母サンドラは自分の家に引き返すようロベルトに命ずる。苦しむカミラを乗せた車は、もときた道を自宅へともどる。

ここから異世界に入る。車はどこまでいっても同じところにもどってくる。目的地のホテルにも、また自宅にも帰ることができないまま、荒野の一本道から抜け出ることができない。途中で立ち寄ったガソリンスタンドか、車の運転中だったが忘れてしまったが、謎の爆発音がする。出来事が始まったのである。

カミラは死に。兄のダニエルと、発狂したかのような母サンドラ、そしてサンドラの新しい夫ロベルトが荒野の一本道に取り残される。

なおこの一家が目的地にむかうとき、車のなかに竹の断片がころがっている。この竹はなんだとロベルトかサンドラが、車外にそれを捨てる。捨てられた竹の断片が道路に転がるところをカメラは大写しにする。

1-2
マルコ刑事と、オリバーとが抜け出せなくなった階段室に映画はもどる。すると殺風景でなにもなかった階段室の壁には所狭しと落書きが描かれ、階段や踊り場はごみであふれている。あれから35年経過したことがわかる。

昼も夜もなく、ずっと電灯がついている階段室は、上にも下にも無限に続いている。こんなところが現実にあるわけがない。

またこの映画のなかでループは35年周期なのであって、35年を経たいま、新たなフェーズに入ろうとしている。なおこの階段室に閉じ込められた二人が生きていられるのは、ペットボトルの水とサンドイッチが無限に供給されるからである。糞尿はペットボトルのなかにいれて階段や踊り場に放置。上下に無限につづいているから糞尿入りのペットボトルやゴミで足の踏み場もなくなることはない。とはいえ階段室は、ほぼごみ屋敷化してはいるが(正確にいうと上層階(無限につづくというかループしているので、上も下もないのだが)はオリバーの居住区で、いろいろな物品が整理されすべてが清潔にたもたれているが、下層階は高齢化したマルコ刑事の居住区で、ほぼごみ屋敷である)。

さらにマルコ刑事は足腰もたたぬほどよぼよぼになっているが、オリバー(弟)のほうは、階段を上下する運動を怠らず、シャワー(ペットボトルに小さな穴をあける)も欠かさず体調を管理していて元気な青年のままである。なおふたりは、死んだカルロスの骨を壁に飾り、それを聖なるものとして崇拝している。

【階段室がなにか地獄のイメージになってしまっているのは、へたをすると映画『ドント・ゴーダウン』(2000)(原題は逆にThe AscentあるいはThe Stairs)の影響かもしれないのだが。】

2-2
荒野の一本道に閉じ込められた家族にも35年経過する。ここでは時間がたっても天候に変化はなく、昼夜の別なく太陽が輝いている。彼らが生きていられるのは、途中にあったガソリンスタンドの売店(コンビニのようなもの)がつねにスナック菓子や飲み物、そして作業着や生活必需品などを提供するからである。永遠の昼間。夜のない世界。抜け出せない荒野。35年たった今、ここでも別のフェーズへの移行がはじまろうとしている。

2-3
ロベルトの告白:昼間の荒野の世界で、老いたロベルトが、死の間際に、義理の息子ダニエルに自分の正体を告げ、忠告を与えることになる。実は自分の名はロベルトではなくルーベンといい、1949年、10歳の頃、ボーイスカウトの活動のようなもので、竹のいかだに乗って、教官と仲間のフアンと自分の三人で川を移動していたところ、教官の不注意で、仲間のフアンが死んでしまった。そしてそれ以後35年間、教官と二人でいかだの上でさまようことになった、と【車のなかに竹の断片があったのも、ルーベン/ロベルトがすでに35年間、いかだ生活をしていたことから来ていたのである】。

35年目、いかだから解放されたルーベンは、ロベルトという新しいアイデンティティを身につけ、赤い車で、サンドラ母、ダニエル(10歳)とカミラの兄妹を拾い、家族を形成することになった。ところが自分の不注意(あらかじめ仕組まれた悪意?)でカミラを死においやったので、出来事がはじまり、ふたたび35年間、この荒野の一本道に閉じ込められることになった。だがいますべてを思い出したロベルトは、義理の息子ダニエルに、こうアドヴァイスする。パトロール・カーには乗るな、と。パトロール・カーに乗ってしまうと自分の名前すら忘れ、別人格になってしまうから、と。

ロベルトの死後、ダニエルの前に、忽然とパトロール・カーがあらわれる。最初は忠告通り、乗ることはしないが、荒野での孤独な生活に耐えかね、パトロール・カーに乗り込んでしまう。車内のシートには警察官のバッジと装備品。そして赤い手帳がある。この赤い手帳は、ダニエルの新しいアイデンティティを記し、行動の方針なり、行動の展開などを記した台本のようなものとなる(死んだロベルトも同じデザインの赤い手帳をもっていた)。

パトロール・カーにのって、いよいよ荒野から抜け出ることができたダニエルだが、警察車両に乗った瞬間から彼は自分の名前を忘れ、新しいマルコ刑事というアイデンティティをみにつけることになる。

1-3
マルコ刑事の告白 荒野の一本道と、階段室での出来事は同時進行しているのだが、時間系列を整理すると

1)1949年ルーベン10歳、仲間が死んだため以後、35年間、ルーベンはいかだで過ごす。
2)1984年 ルーベンいかだから解放。ロベルトとなり、サンドラ母子(ダニエルとカミラ)を拾う。このときダニエル10歳。
3)1984年から2019年まで、ロベルト、サンドラ、ダニエル、荒野で過ごす。
4)2019年ロベルト死亡(サンドラはすでに死亡)。ダニエル、マルコ刑事となる。
5)2019年から2044年まで、マルコ刑事、オリバーと階段室ですごす。
6)2044年~ マルコ刑事/ダニエル死亡。オリバー、ベルボーイのカールとなる。


こうなるのだが、それにしても、3)の35年間と5)の35年間が映画のなかで同時進行なのは気になる。そのため2019年にダニエル/マルコは、1984年にタイムスリップしたようにもみえる。ただし、上記のように5)を2019年から2044年と設定しても、不具合はないのだが。

【なお(3)と(5)のそれぞれにおいて他を暗示するイメージがある。ダニエルが自宅で弾いているピアノの横の壁には、エッシャーの複雑にからみあう階段の絵が掲げてある。最初はピラネージの階段の絵かとも思ったが、二度目にみたらエッシャーだった。しかしピラネージの階段牢獄のイメージのほうがぴったりくるかもしれない。
 また階段室の壁の落書きには、一本道の落書きも存在していた。】

階段室での35年の終わりには老いたマルコ刑事(実はダニエル)は、オリバーに向かって、自分の正体をあかす。自分には妻と娘が3人いると話してきたが、そんなものはいない、と。これは乗り込んだパトロール・カーのなかにあった刑事の財布に妻と娘の写真があり、おそらく赤い手帳にも家族に関する情報があって、ダニエル/マルコは、そのように自分のアイデンティティを捏造したのである。あるいは完全にそう思い込むことになったが、35年たって真実にめざめたともいえる。

ダニエル/マルコ刑事は、最後に、オリバーに、自分には妻も娘もおらず、自分の名前はマルコではなくダニエルであると告げる。そうしてエレベーターには乗るなとオリバーに忠告して死ぬ。

忽然とドアが開いたエレベーターに、オリバーは忠告どおり乗ろうとしないのだが、階段室での孤独な生活に耐えかねてエレベーターに乗ってしまう。

エレベーター内にはベルボーイの制服と帽子、そして赤い手帳(!)が置いてある。ベルボーイとなったオリバーはカールと名乗ることになる。また赤い手帳には今後の行動指針や行動の内容が書かれているようで、まさに台本に近い。

0-2
と、そこへ結婚式をあげたばかりらしい若い新郎新婦がいちゃいちゃしながら入ってくる。カール/オリバーはベルボーイらしくふるまうのだが、また、蜂が一匹入ったアクリルの小箱をひそかに用意している(おそらく赤い手帳に書かれてある指示に従って)。また新婚夫婦とともに荷物をもってホテルの廊下に降り立ったカール/オリバーは、意味もなく荷物を下に落とす【とはいえほんとうに無意識の無償の行為かといもいえなくて、悪意がこもっているようにも思われる】。荷物を落とすなと叱りつつ荷物に手を伸ばした新郎は蜂に刺される【カール/オリバーが仕込んでおいた蜂】。アレルギーで蜂に刺されると死ぬかもしれないという新郎は、荷物の鞄にあった薬瓶が割れてしまったために重篤な状態に陥る……

と、ここで映画が終わる。


出来事というのは、3人か4人のグループにおいて、一人の不注意あるいは一人の悪意によって、仲間のひとりが死んでしまうと、死に追いやった者と、残りの者たちは、特定の空間(無限に広がる川、終わりになき階段、無限につづく一本道、動きつづけるエスカレーター、いうなれば一直線の迷宮【線路のイメージも出てくる】)にとらわれて35年すごすことになる。35年目に死をもたらした者(いいかえれば赤い手帳ももっている者)は、若い者に忠告を残して死ぬ。だがその忠告は守れるようなものではなく、むしろ、逆に、若い世代を罠に導くような忠告である。忠告を守らなかった若い者は、赤い手帳を与えられ、みずから人に死をもたらすものとなって35年間、閉じこめられ生活を送ることになる。

この35年周期の閉鎖空間への収監は、悪意があってもなくても、人を殺したときに発動する事態である。そのはじまりは謎の爆発音によって知らされる。

【チェーホフの戯曲『桜の園』では、途中で謎の崩壊音が何度も聞こえる。この謎の音が、この戯曲に現代演劇の評価を与えることになったのだが、それと同じくらい、この映画における爆発音(ただしそんなに大きな音ではない)の謎めいたところ無気味さは特筆に値する。】

0-3
なおここで、映画冒頭のエスカレーターで運ばれていく老いた花嫁衣装の女は、ふつうに考えると、カール/オリバーに夫を殺された花嫁のなれのはての姿であるといえる。しかし、彼女は赤い手帳をもっている。赤い手帳をもっているのは悪意ある加害者であり、この加害者は35年の閉鎖生活を経ることになる。となると、夫を殺したカール/オリバーとともに35年過ごした彼女は、今度は、カール/オリバーによって、忠告をあたえられ、その忠告を守らなかったがゆえに、赤い手帳を手に入れ、今度は加害者となる。そのため加害者となった彼女は35年の閉鎖生活をすごすことになり、20歳で結婚してから、カール/オリバーとともに35年、そして今度が加害者となって35年、合計で20年+70年で、彼女は90歳代である。それなら彼女の異様な年の取り方にも納得がいく。

ただし、彼女の老衰した姿は、単純計算すると22世紀における姿なのだが、しかし、この年老いた女性は、ひょっとしたらダニエルの祖母かもしれないという可能性が残る(祖母への言及は映画のなかにある)。階段室と荒野の一本道の世界が同時進行であったように、この映画の世界では、時はその関節がはずれている。一本道、無限軌道の無間地獄のイメージが強いのだが、時系列は整合性を失い乱れているのかもしれない。

【ああ、それにしてもフィリップ・K・ディックのSF小説『時は乱れて』は、サンリオSF文庫の初期の刊行物であり、なつかしくて、涙が出てきそうなのだが、Time Out of Jointがシェイクスピアの『ハムレット』にあるフレーズであることを知るようになってからは、小説の内容を忘れてしまった。いかにも初期ディック風のSFだったという記憶はあるのだが。】


映画のほんとうの最後、エンドクレジットの最後の映像は、籠から出てゆくハムスターの姿である。踊り車のなかにはいってひたすら駈けるしかなかった、ある意味、閉じ込められているこの存在(ハムスター)は、最後には、運命から逃れることができた。だが、映画の登場人物は、あるいは人間は逃れることができるのだろうか。

つづく
posted by ohashi at 11:14| 映画 タイムループ | 更新情報をチェックする